シャンティとママの教え
契約がまとまった後で、シャンティの父は朝になったらセウィ族の村へ運んでもらうこととなった。馬車に乗せて王都まで戻るより、セウィ族の村で静養した方が良いと判断されたためだ。長い間牢に入れられていた上に、過酷な環境に晒されたため、体が弱ってしまっていたのだ。
「伯父さま、パパのこと頼んだわよ」
「ああ、宝石の件で様子を見に来るから、ついでに医者も連れて来るぜ。可愛い弟だ、元気になったら王都へ連れて帰るし、面倒も見といてやるよ。それでお前はどうするんだ?」
そこの貴族さまと好き合っているんだろと言われ、シャンティの顔は赤く染まった。余計なことを言わないでと、伯父の体を叩く。
「……すまないんだが」
憤慨するシャンティに、レオンが意を決したように声をかけた。
「少し、君と話がしたい」
何かを決意したかのような様子のレオンに、シャンティは頷いた。しかしすぐに、小屋の中には人がいっぱいいるし、外にだって護衛がいることに気付く。どうしようとキョロキョロするシャンティに、仕方ねえなとガルロが口を開いた。
「俺が乗ってきた馬車を貸してやらぁ。場所代はまけとくから、汚すんじゃねえぞ」
背中を押され、強引に馬車に乗せられたシャンティは、レオンと向かい合わせに座った。本当に気を使ってくれたらしく、外は吹雪の音しか聞こえない。
「……あの」
「……君の」
ほぼ同時に言葉を発したため、お互い顔を見合わせてから、堪らず吹き出してしまう。ひとしきり笑ってから、シャンティはレオンさまからどうぞと言った。促されたレオンが頷き、口を開いた。
「君の名前を教えてほしい」
そういえばレオンには名乗っていなかったなと、シャンティは今更ながらに思い出した。
「私の名前は、シャンティ。ココ・シャンティっていうの」
「ココが名前?」
「どっちも私の名前。ココはママから受け継いだ名前。シャンティはパパとママが授けてくれた名前。だから私のことは、シャンティって呼んで」
「そうか。……シャンティ、大変な事に巻き込んでしまって、申し訳なかった。君には失礼な態度を取ったし、何より、本当に何より、私は君を守ることができなかった」
「……レオンさま」
「お飾りだと言われてたが今日も本当にそうだった。君を助けようとして、結局はお祖父様が場を仕切って、私は何もできずに……」
「レオンさま!」
シャンティはレオンの名前を呼びながら、その手を強く握った。
「レオンさまは、私の言ったこと、信じてくれたじゃない」
「でもそれだけじゃないか」
「いいえ、いいえ! ……レオンさま、私のこと褒めてくれたわ」
信じてくれるということが、どれだけ嬉しかったことか。シャンティを肯定する言葉をくれたのは、レオンだったのだ。
「私、レオンさまのことが好き」
手を握ったまま、シャンティは己の中にある気持ちを言葉にした。レオンさまはと訊ねると、真っ赤になったまま目を逸らし、ボソボソと自分も同じ気持ちだと答えてくれる。
好きな人から好きだと言われるのは、こんなに幸せな気持ちになれるのねと、シャンティは満面の笑みを浮かべた。
「ただ、その、やっぱりお祖父様は、……私たちのことを、許しはしないと思う」
「そんなこと。別にお祖父様の許しなんていらないわ」
人と好き合うのに誰の許可がいるというのか。シャンティのママは、愛するという気持ちは止められないのと言っていたし、今ならそれがよくわかる。
「だが私は、君を母と同じ目に合わせたくない。なのに全てを捨てて、君の手を取ることもできないでいる」
「全てを捨てて?」
「き、君と一緒になるのなら、貴族籍を抜けて出て行く覚悟をしろと、お祖父様が……」
俯くレオンに向かって、シャンティは眉を寄せていった。
「何言ってるの、レオンさまが平民の暮らしができるわけないじゃない」
「……は?」
「だってレオンさま、世間知らずだわ。寄宿舎に馴染めなかったのなら、街で生活するのも馴染めなくて爪弾きにされそう。それから生活力なさそうだし、お金とか稼げなそうだし、上手い話につられて騙されそうだし。世の中、ネーバルさん達のように人としてできてる方は少ないのよ?」
シャンティが口を開くたびに、レオンが言われた言葉を繰り返し、落ち込んでいく。
「そ、そこまでじゃないと、思いたいんだが」
「大丈夫よ! レオンさまにも良いところたくさんあるもの! ……だからね」
シャンティのママは、とても可憐な美人だった。シャンティと同じストロベリーブロンドの持ち主で、ママからはいつも不思議と甘くて良い匂いがした。
ママはシャンティに、可愛く思われる振る舞い方とか、甘えておねだりする方法とかを教えてくれていた。そして最後にはいつも、優しく頭を撫でてくれた。
「良いこと、シャンティ。欲しいものはね、誰かが与えてくれるのを待ってても、手に入りはしないわ」
「どうしてなの、ママ」
「世の中、そんなに都合よく出来ていないからよ。何もしなければ、何も良くならないし、何も起きないの。だからね、シャンティ」
私の娘。可愛い子。あなたならなんだって出来るわ。そう言いながら、額にキスをしながらママは囁くように言った。
「本当に欲しいものができたらね、何をしても、何を犠牲にしても。自分の力で、掴み取りなさい」
シャンティはママの言葉は、確かにその通りだと思った。だってもし、シャンティがノエル家の言葉に逆らわず、そしてレオンの言いつけを守るような大人しい娘でしかなかったら、冤罪をなすり付けられても惨めに泣いていただけだろう。欲しいものが手に入らず、嘆くだけの人生などお断りだ。
内緒話をするかのように、シャンティはレオンへと顔を寄せた。視線が絡み合った後で目を閉じて、口づけを交わしたのだった。この口付けで、胸の内にある熱が相手にも伝わればいいのに。
そんなことを思いながらも、シャンティは恥じらいながらも体を離した。
「レオンさま、ちょっと待っててね! 私に任せて!!」
馬車から降りて小屋に戻ると、ガルロが朝まで一緒じゃなくていいのかと揶揄うように訊ねてきた。
「もう伯父さま! ……まあいいわ、ナイフを貸して欲しいの」
何に使うんだと言いながらも、ガルロは懐から小型のナイフを取り出した。シャンティは己の髪を掴むと、そのナイフで髪の毛を切り落とす。
「なんだ、いきなり!?」
「ねえロロナナ。これでシピ一匹分の代金にならないかしら?」
「……シピ、何に使う」
「今から出れば、明け方までには隣の領の街に辿り着けるでしょ。馬車じゃ雪の中の移動に不向きだもの」
ロロナナはじっとシャンティを見つめてから、切り落とされた髪を手に取った。
「父さま、兄さま」
二人はこくりと頷くと、髪の束を受け取る。それを見てからロロナナは、シャンティに向かっていった。
「いいよ。でもシピ、雪の中、操るの、コツいる。私が乗せてく。シャンティ、一人、心配」
じっとロロナナに見つめられて、シャンティはわかったわと頷いた。
「伯父さま、私が頼んだアレ、まだ取っておいてくれてるんでしょ?」
「ああ、倉庫に置きっぱなしだ」
「もう少しだけ預かっておいて。必要なお金稼いでくるから」
「当てはあるのか?」
「私を誰だと思ってるの、伯父さま」
シャンティはガルロに向かって笑う。片目を瞑り、腰に手を当てるとっておきのポーズを取ると、愚問だったなと笑った。
そしてレオンと向き合うと、その体にギュッと抱きつく。
「じゃあね、レオンさま。少しだけ待っててね」
ロロナナが乗るシピへ跨ると、手を振りながら叫んだ。
「それじゃロロナナ、隣の領まで急いでお願いね」
「……わかった、でもどの街行くの」
「ハオエンがいるところよ」
ロロナナの操るシピは、馬よりも早く雪の中を駆けていく。吹雪はいつの間にかやんでいて、カルホルモカ山脈が赤く色付き始めた。朝日が昇り切る前に、領境近くの大きな街へと辿り着いた。
そしてハオエン達が泊まっている宿へと飛び込む。
「……これはこれは、奥さまとご友人の方ではありませんか」
急いで身支度をしてきたらしいハオエンが応対する。そんな彼の前に、シャンティは伯父からもらった『ココ・ベネローマ夫人』の台本、劇場の使用許可証、小切手などを差し出す。ハオエンは少しばかり驚いた顔をしたが、納得のいった様子だった。
「やはり、アレは奥さまからのご推薦だったようですね。劇団の仲間内で噂にはなっていたのですよ。身分の高い貴族は、推薦状というものを持っているというのが」
「あ、それただの噂よ。基本的に上納金が払えそうな劇団にしか声かけてないだけ。だからよっぽどじゃないと、旅の劇団に声がかからないのよ」
シャンティの言葉に、ハオエンの顔がピクリと引き攣った。
「おや、では私どもの劇団にとてつもない期待をしておいでで?」
「まあそうねぇ。歌も踊りも素敵だったもの! きっと台本が素晴らしいからね!!」
「お褒めの言葉、ありがたく受け取っておきます」
恭しくお辞儀をするハオエンは、それでと『ココ・ベネローマ夫人』の台本へ視線を向けた。シャンティはにっこりと笑って、ああ忘れてたわと言って差し出す。が、ハオエンの手に渡る瞬間、それを引っ込めた。
「奥さま、お戯れを……」
「ねえあなた、新しい物語の台本を書かない? そしてそれを、王都の劇場で公演するの」
ハオエンは目を細め、思案した後で口を開いた。
「それは、『ココ・ベネローマ夫人』よりも面白いお話ですかね」
「さあ、でも話題は十分だと思うわよ。そうねぇ、今まで『ココ・ベネローマ夫人』を演じてきた劇団員だったら、羨ましくて仕方がないシロモノかもね」
「それはそれは」
随分と大きく出たなと少し呆れた様子のハオエンに、シャンティは笑みを崩さずに言った。
「公国の風習で、名付けた名前の他に母は娘へ、父は息子へと、代々継いできた名前をおくるのよね」
「よくご存知で」
「私のママから教わったの」
愛想を振りまいて、可愛いからって良くしてくれる人たちには、笑顔だけあげなさい。
小娘だって侮ってくる相手には、好きなだけそう思わせとけば良いのよ。
シャンティのママは、まるで愛の言葉でも囁くように、優しく教えてくれたのだ。真っ赤な唇を持ち上げて、美しい花が散るかのような声色で。
そうして油断した相手の喉元に噛みついておやり、シャンティ。肉も骨も食い尽くして、全部アナタの糧にしてやるのよってね。
シャンティはママの教えをしっかりと実践することにした。だから訝しむハオエンに向かってにっこりと笑うと、自身の名前を名乗った。
「私の名前は、ココ・シャンティ。ねえあなた、『ココ・ベネローマ夫人』の続編とかは、いかがかしら」