シャンティと夜会(二)
「公爵さま、義姉は頭が悪いのです」
「はああっ!!??」
唐突にいきなり何を言い出すんだと、シャンティは盛大に声を上げた。が、アンジュは気にする事もなく、話を続けていく。
「屋敷であまり顔を合わせたことがありませんが、彼女の父親が再婚して、自分も貴族になったつもりでいたのですよ。名門ノエル家の令嬢に……。父親が伯爵代理になったところで、出自や身分が変わることはないのに」
わざとらしく頬に手を当て、かわいそうと言わんばかりに語っていた。
「だから私の婚約を聞いて、自分こそが相応しいのだと言い出して、勝手にこちらに来たのですわ。いわばクレーナッツ家の方々は被害者といえましょう」
そんなわけないじゃないのよと、シャンティは顔を引き攣らせる。貴族のご令嬢になりたくて、金で爵位を買うにしたって間違いなくノエル家だけは選ばない。あんなやばい土地しかない、しかも選民意識がやたら高いくせに経済観念が疎くて、借金しても見栄を張るような連中に金を使うなど、まっぴらごめんだ。
が、ここはシャンティが反論できる場ではなかった。
「私は義姉が勝手に向かったのも知らず、学校でこの国のために何か役立つことをと思い、学んでおりました。私の提出したレポートを読んだ公爵が、私の才能を見出してくださり、支援してくれると申し出たのです。そのタイミングで、侍女より義姉のことを聞き、公爵に助けを求めたのです」
「アンジュ・ノエルは才能あふれる淑女だ。そんな彼女の輝かしい未来に、汚点があってはならないからな」
ノエル伯爵夫人が用意した茶番第二幕の舞台に、アンジュもシェリーロワ公爵も上がっている。そしてその舞台に無理やり上げられたのは、シャンティだけではなかった。
「クレーナッツ伯爵、あなたも大変でしたね。義姉の非常識っぷりに散々手を焼いたと、私の侍女から聞いております。一応、元が付くとはいえ義姉でしたので、彼女の非礼を謝罪いたしますわ」
見せかけだけの謝罪の言葉を、アンジュが口にした。
「そしてあなたとの婚姻の件ですが、私は一切預かり知らぬところで行われたものです。母と無理やり再婚したそこの男が、勝手に結んできたもの。クレーナッツ家が用意した支度金は、すべてその男が着服したとみて間違いありません」
我がノエル家には財産らしきものはありませんでしたからと、アンジュは憤った表情で言った。
もとからないのだから、探したってあるわけないじゃないの。
無理やり再婚させられたのは、シャンティのパパなのだけれども。
あとノエル家とクレーナッツ家の縁談結んだの、ノエル伯爵夫人だわ。
しかもクレーナッツ家の支度金、さりげなく食い潰してるじゃない。
言い返したい事が次々とシャンティの中に浮かんでいく。が、アンジュの様子から見て、自身の言っていることが真実なのだと思い込んでいるようだ。そして傍に立つシェリーロワ公爵も。
「その罪人の財産は差し押さえた。ノエル伯爵家への慰謝料として没収するものとする」
「はああ!? 何よそれ!!?? 勝手に……きゃあっ!?」
「黙れ、罪人が!」
抗議の声を上げようとしたところ、ジェイクが腰にさしていた剣を引き抜き、切先をシャンティに向ける。そのまま躊躇いもなく振り上げられ、思わず悲鳴をあげた。が、衝撃は来ない。
そろりと目を開ければ、そこにはレオンの背中があった。
「レオンさま!」
「叔父上、いくらなんてでも乱暴すぎます。ここはクレーナッツ伯爵家の屋敷。伯爵である私の許可なく、他の領の貴族や罪人を勝手に招き入れ、そして勝手に処罰しようとしている。……これこそどういうつもりです?」
レオンの手が、ジェイクの腕を掴み止めていたのだ。まさかレオンが間に入ってくるとは思ってもいなかったようで、ジェイクは困惑した後で、すぐに顔を真っ赤にして怒り出した。
「なんだと!? 私はクレーナッツ家のためにだな!!」
「だとしたらなんです。このような振る舞いが、クレーナッツ家のためだとでもいうのですか? あなたの行動は、伯爵を継いだ私を蔑ろにして良いと、内外に触れ回っているようなものです」
レオンが言い返してきた事で、ジェイクはさらに怒りを増したようだった。黙れと、掴まれていない方の腕で拳を握り、殴ろうと振りかぶってきた。
「やめんか!!」
ホール中に響いた怒声に、ジェイクの動きが止まる。杖をつきながら、バーナードがシャンティ達のもとへとやってきた。
「ち、父上」
「いい加減にしろ、ジェイク。ノエル家とクレーナッツ家の婚姻は、お前が結んできたものだ。支度金もお前が用意していたな。その時に、この父子の姿は見たのか。この父親と契約したのか?」
「そ、それは……」
バーナードに問い詰められ、ジェイクは口篭った。
「では誰と契約を交わしたのだ。ノエル家の令嬢について、絵姿すら伯爵家には届いておらん。簡素な紙一枚、それも花嫁が来るのとほぼ変わらぬ時分に来たくらいだ。お前が縁談を結んだと報告してから、日にちがあったはずだが、何をしていた」
そういえばシャンティが伯爵家に来た時、レオンはもう来たのかと戸惑っていた。もしかして簡単な手紙だけで、レオンに結婚相手を見繕ってやったぞと言っただけだったのだろうか。嘘でしょとシャンティは呆れた。
「婚姻の契約は、その、ノエル伯爵夫人と……」
「その時に娘は見なかったのだな」
「…………はい」
「名前は? ……名前も聞かなかったようだな」
ジェイクが結んだ婚姻の契約は、ノエル家の娘との結婚だった。だからシャンティが、義妹の結婚を羨ましがって身代わりになったという茶番をするという抜け道が出来てしまっている。
「では、この娘は罪人でもなんでもなかろう」
「な、何を言っているんです、父上!?」
「一度たりとも、この娘は自らをアンジュ・ノエルだとは名乗らなかったぞ」
そうだなとバーナードが使用人達に向かって訊ねた。それに対しネーバルが、使用人達を代表するかのように肯定の声を上げる。
「はい、ご隠居さま。ご自分のことはお嬢さまと呼んでちょうだいとのこと。私どもは仰せつかっております」
「レオン、お前にはどうだ」
話を振られたレオンは、シャンティを見た。そうしてエメラルドの瞳を細めてから、バーナードの方へ顔を向け言った。
「はい、彼女は名前を名乗ってません。こちらからアンジュと名前を呼んでも、返事をすることはありませんでした」
シャンティはクレーナッツ家の屋敷での振る舞いは、殊更気をつけていた。だってこんな茶番、いつ終わるかわからない。そして茶番の終わりに切り捨てられるのは、平民のシャンティに決まっているのだ。
だからこそ、アンジュ・ノエルだと名乗るわけにはいかなかったのである。平民が貴族の身分を騙ると、確実に罪になるからだ。
シャンティは名乗らなかった。クレーナッツ家が勝手に勘違いをしただけ。それが、シャンティの出来る小さな抵抗でもあった。そしてバーナードは、その意図をきちんと把握しているようだった。
「お前が相手を確認もせず、内容も吟味せずに結んだ結果だ。その責を他人になすりつけようとするとは、それでもクレーナッツ家の男児か!」
バーナードの叱責に、ジェイクは不服そうにだが謝罪の言葉を述べた。しかし忌々しげにシャンティを睨んでいるので、絶対に納得などしていない様子だ。
「それで、アンジュ・ノエル嬢にお聞きしたい。ノエル伯爵夫人の再婚とやらは、解消されたのか?」
「……は、はい。母とその男との婚姻は、公爵さまが掛け合ってくださった事により、無効となりました」
「なるほど。それでその知らせはいつ、クレーナッツ家に届けてくださったのだ? まさかあなた方が移動するより早く、伯爵家へとご連絡していただく方法がなかったのですかな? それならば仕方ありませんな。我々も、この娘も、それを知らなかったのですから」
バーナードはお互い不幸な勘違いでしたなと、豪快に笑い飛ばした。そして笑いを止めると、目を細めて言った。
「それで、この娘の父への処罰とやらは済んだのでしょう。出なければ、わざわざ領外に連れ出したりはしませんものな」
「そ、それは……」
「その非礼についてはお詫びしましょう。ですが彼らに厳罰を望みます」
「おや、一体どのような罪を犯したのです? この父子は今のところ、我々に勘違いをさせたという事くらいしかしでかしてませんがね。目障りというのならば、屋敷から今すぐ追い出すとしましょう」
それで良いですなと、バーナードが鋭い眼光でシェリーロワ公爵を睨みつけた。有無を言わさぬ迫力に、シェリーロワ公爵は渋々頷く。
「ではシェリーロワ公爵、この老体に最近の王都の出来事を話してくださらんか。少々、屋敷にこもって退屈していたところなのですよ。後継はいささか頼りなくてですな、困ったものです。お前も来るんだ、レオン」
目は全く笑っていないが、バーナードは楽しげな様子でシェリーロワ公爵のもとへと歩いて行く。シャンティの横を通り過ぎる時に、囁くような声でお主の祖父への恩は返したぞと言った。
「お前の作ったビスケットは、美味であったからな」
シャンティの祖父がクレーナッツ伯爵と付き合いがあったなんて話、聞いたことがなかった。けれども、ビスケットを作って渡したという友人は、まさか。
祖父のことを訊ねたくとも、バーナードは振り返らない。だからシャンティは今ここで聞くことを諦めた。
「お嬢さま、さ、こちらへ」
床に踞ったままのシャンティを気遣うように、老齢の使用人が声をかけてきた。シャンティが平民だと知ったというのに、使用人の態度は変わらない。どうしてと問うように見つめれば、使用人が眉を寄せながら言った。
「貴方が来られてから、レオンさまの笑顔が増えました。あんなに楽しそうに笑っていたのは、御母堂さまがまだお元気だった頃くらいなのです」
もう一度レオンの笑った顔が見れるなんてと、使用人は泣き出しそうな顔だった。貴方がいてくれたからと、シャンティの手を握りながら震えた声で言ったのだ。
「すぐに近くの街の宿へ移動を。ネーバルが手配してくれています。お父さまの手当てもそこで……」
「先ほどから何をしているのです! さっさとその女を追い出しなさい」
シャンティと使用人のもとへやってきたのは、ノエル家の侍女だった。キンキンとした金切り声をあげて捲し立てている。
「まさかとは思いますけど、そこの平民に何かくれてやろうとか、匿うだとか考えていませんかしらね!? 勘違いとはいえ、恥をかかせた相手ですよ! それを許すなどしたら、クレーナッツ家の権威が地に堕ちるというものですわ! ねえアンジュお嬢さま!!」
「ええ、そうね。貴族として、キチンとした対応をとっていただかないと。バーナード卿は恩情を与えてくださったようですが、勘違いするといけませんもの」
ここぞとばかりに騒ぐ侍女の言葉に、ホールにいたクレーナッツ家の人々の視線がシャンティへと突き刺さった。これは完全に、恥を欠かせたシャンティを見逃さず吊し上げろと言われているようなものだった。ジェイクを含め、クレーナッツ一族は軍人気質な人間が多そうだ。頭に血が上ったら、シャンティを助けたなんてことが耳に入れば、話など聞かず使用人を解雇したりしそうである。
シャンティは老齢の使用人の手を握る。だってシャンティは優しくしてくれる人が好きなのだ。優しくしてくれる人には、親切にするし、何かあったのならば、理不尽に立ち向かうことだってする。
だから。
「これは私がもらったドレスよ! 脱ぐなんて絶対にいや!!!」
大きく息を吸い込むと、ホール中に響き渡る声で叫んだ。
何が起きたのか分からず驚く使用人に、シャンティは悪戯っぽく片目を瞑ってあげた。
「な、何を」
「このドレスは絶対に、絶対に、私のものなんだからね!!!!」
シャンティが抵抗の声を上げると、アンジュが本当に愚かな女と言った。そうしてアンジュがシェリーロワ公爵が連れてきていた護衛達に命令する。
「浅はかな女に相応しい報いを受けるがいいわ」
そう吐き捨てて、シャンティは父と共にドレス姿のまま屋敷の外へと放り出されたのだった。