シャンティと夜会(一)
クレーナッツ領へ向かう馬車に乗っている間、ノエル家の侍女からアンジュお嬢様の身代わりとして行くのだと、これでもかと言い聞かされた。そして万が一、アンジュ・ノエルではないとバレた場合は、我儘な義姉がアンジュの婚姻を妬んで強引に奪った事にするから、そのように振る舞えとまで。
なるほど、あの茶番を演じた夜会は一応そういう意味があったのねと、シャンティはますます呆れた。それにしたって、花嫁が入れ替わってバレない事なんてあるのかしらと思ったのだけれども。
何せシャンティとアンジュの共通点なんて、性別と年齢くらいしかない。
シャンティの髪は母親譲りのふわふわなストロベリーブロンドで、アンジュの髪は真っ直ぐな艶めくブルネットだ。
シャンティは父譲りのルビー色の瞳に対し、アンジュは透き通ったアクアマリンのような瞳だ。
騙せるわけがないし、そもそもそんなに自分の結婚相手に興味のないものなのだろうか。まあそこまで間抜けな男なら、シャンティが懐柔してノエル家の連中に一泡二泡吹かせてやろうと思っていた。
そうして出会ったレオン・クレーナッツは、想像以上に失礼な男で、思ったよりも繊細で優しかった。見た目は頑丈そうなのに、その中身は壊れやすくて傷付きやすい。
ああもうそんな、私が居なければ駄目なのねって思えるような人だったなんてと、シャンティは困り果てた。だってシャンティはもう、レオンのことを守ってあげたい、寄り添ってあげたいと想ってしまっているのだから。
そしてセウィ族の少女ロロナナもまた親切で良い子だったし、執事のネーバルはシャンティに良くしてくれていた。ノエル家の連中、特に伯爵夫人と侍女は大っ嫌いだが、クレーナッツ家で出会った人々はきらいじゃない。むしろ好きだと思える人がいる。出来てしまったのだ。
「どうしたらいいの、ママ」
シャンティは一人、嘆くように呟いた。
けれどもシャンティに色々と教えてくれたママはもういない。答えのない問いかけをするだけ、無駄な行動だったとシャンティはため息を吐いた。
不思議だったのは、ノエル家の侍女が全く口を出してこなかったことだ。部屋に閉じこもり、シャンティの事を無視していたのだ。静かなのは良い事だけど、気味が悪い。
しかしながらシャンティが悶々と頭を悩ませていたって、夜会の日はやってくる。
ロロナナ達が縫い上げてくれたドレスは、大きなリボンが腰まわりについていて、ボリュームのある裾がふわりと広がっていた。シャンティの要望通りの出来であったし、ロロナナはこのドレス用のドロワーズまで縫ってくれている。前締めのコルセットは、クレーナッツ家の使用人にお願いして用意してもらった。しかしながらクレーナッツ家の使用人は、シャンティのお願い事など絶対に聞いてくれなかったというのに、今回はあっさりと引き受けてくれたのは不思議だった。
ダメ元でお願いしたので、老齢の使用人が頼んだ通りのコルセットを用意してきたのには、本当に驚いたものだ。
シャンティのママは、こういう時は笑いなさいと教えてくれた。せっかく可愛い顔に生まれたのだから、愛嬌を振り撒いて、周囲から可愛がってもらいなさいと。
何が待ち受けていても、シャンティは最後まで笑っていてやるわと意気込み、部屋を出たのだった。
部屋の外にはレオンが待っていてくれた。シャンティの手を取り、夜会が行われるホールへとエスコートしてくれるようだ。
「ドレス、似合っているよ」
「まあ、ありがとう。レオンさまも格好良いわ」
礼服を身に纏ったレオンは、本当に格好良かった。
「クレーナッツ家のホールを夜会などで使うことは、あんまりないんだ」
「まあ、どうして?」
「貴族として対面を保つために一応設計されただけで、一族の人間はあまり夜会などに興味がないんだよ」
軍人が多いからというのもあると、レオンが言った。
「あるのに使わないのは勿体無いわね」
「それなら君が、有効活用できる方法を考えてくれ」
有意義な方法を思いついてくれそうだと、レオンが笑う。その顔を見てシャンティはたまらない気持ちになってしまい、彼に本当のことを言ってしまおうかと思った。
終わりが来るのなら、自分の手で終わらせた方が良い。
「……レオンさま。あのね、……私」
「君はまだクレーナッツ伯爵夫人だ。まだ、もう少しだけ、私の妻でいてほしい」
エメラルドのような瞳で縋るように見つめられてしまっては、もう何も言えない。シャンティはレオンの願いを受け入れるしかなかった。
屋敷内にあるホールにはまだ使用人しかいなかった。無理矢理参加させられたノエル家での夜会を思い出すと、こちらは随分と小規模だ。招待客がクレーナッツ一族のみだから、まあこんなものかとも思う。
「晩餐会より少しだけ豪華なものだと思ってくれ」
クレーナッツ伯爵夫人のお披露目が今回の目的だからと、レオンが言った。強張った面持ちでシャンティが頷くとともに、ネーバルのお客様が到着いたしましたとの声が掛かる。
最初にやってきたのは、バーナードだった。先日と違い、今日は軍服を身に付けている。
「正装といえばこれだからな。クレーナッツの男共のほとんどは、軍服でくるぞ」
それはまた迫力が凄そうだと思ったし、親類達が一人、また一人とやってくるにつれて、とんでもなくむさ苦しいことになっていった。
何せクレーナッツ家の人々のほとんどは、バーナードのように大柄な人物が多く、女性ですら軍服を着てキリッとした雰囲気だった。この中ではレオンは間違いなく浮いてしまうわと、シャンティは思った。
挨拶を交わしても、にこりともしない。愛想を振り撒けとまでは言わないけれど、初対面の挨拶くらい和やかに交わしたいものだわと、シャンティは心の中でぼやく。
そうして全員に挨拶を終えてもまだ、到着していない者がいた。
レオンの叔父であるジェイク・クレーナッツが来ていないのだ。時間にルーズな人物でもなく、むしろ細かい事を気にする性質だとネーバルから聞いていた。だというのに来ないということは、間違いなく問題が生じたということになる。
嫌な予感がするわとシャンティが思ったそのとき、ホールの扉を乱暴に開き、勢いよく入ってくる者がいた。
「レオン! 今すぐそこの女から離れろ!!」
ズカズカと歩み寄ってきたかと思えば、シャンティを指差して怒鳴った。バーナードを若くした見目の男は、間違いなくジェイクだろう。隣のレオンも叔父上と言っている。
「いきなり、どうしたのです?」
「どうしたも何もない。我々は騙されたんだ! そこの詐欺師の女にな!!!」
「きゃあっ!?」
ジェイクは乱暴にシャンティの腕を掴むと、強引に床へその体を放り投げた。思い切り尻餅をついたシャンティは、何するのよとジェイクを睨み付ける。
「乱暴はよして下さい!」
レオンがシャンティの側へとよると、無事かと怪我の心配をした。そしてジェイクに向かって抗議の言葉を掛けるが、なぜか顔を真っ赤にしてさらに怒り出してしまう。
「犯罪者に情けなど必要ない! そこを退け、レオン。その不届き者を処罰する!!」
ホール中に響き渡る声で、ジェイクが叫ぶ。何事かと見守っていた人々は、犯罪者という言葉に表情を険しくしていた。
「一体何の話ですか!? 彼女はあなたが結んだ政略結婚の相手ではありませんか」
「そいつは偽物だ!!!」
シャンティを指差して、再び大声で叫ぶ。偽物という言葉に、シャンティに触れていたレオンの手に、力がこもったのがわかった。けれどもレオンは、ジェイクに同調する事なく対峙したままだ。
「本当のノエル家のご令嬢が、我が家が騙されていることを知って、わざわざ知らせに来てくれたのだ!!」
ノエル家の令嬢とはアンジュの事だろうか。あのアンジュが、わざわざクレーナッツまで来たのかと、シャンティは驚いた。あれほど、クレーナッツ領もレオンの事も、田舎で嫌だと癇癪を起こしていたというのに。一体どういう気の変わりようだろうか。
もしかして今更ながら、レオンと結婚したくなっちゃったとかかしらと思ったが、すぐさまその考えを振り払った。アンジュは王都から離れた場所に住む貴族を、基本的に下に見ている。広大な領地があろうとも、王宮に勤めている爵位のみ貴族が偉いと頑なに信じているのだ。だから同じ伯爵位であるクレーナッツ家のことは、間違いなく下位の存在であると認識しているはずだ。
それが、どうして。
「私の母が強引に結ばされた婚姻もまた、無効である事が証明されました。彼女は私の義姉でも何でもない、ノエル家とは無関係のただの平民です」
ホールに入ってきたのは、間違いなくアンジュであった。
けれどもノエル家で見た時よりも、随分と上質な衣服を身に纏っている。ノエル家にいた時も、借金まみれの貴族令嬢にしては身の丈に合っていないドレスを着ていたけれど、今身につけているドレスはまさに高級品だった。そんなもの買うお金や信用など、ノエル家にはありはしないのに。
その理由はすぐに判明した。
アンジュの後ろから、顔立ちの整った男性がやってきたからだ。一体誰だと思うより先に、ホールにいた人々が男性に向かって、シェリーロワ公爵と呼んでいる。
「……南の大貴族がどうして?」
レオンの呟きはもっともだった。
以前レオンの話にも出てきたシェリーロワ公爵は、王国の南側に位置する広大な土地を所領している。
いくつもの炭鉱を所有していて、最近やり手の実業家。シャンティが王都にいた時所有していた、美しき貴公子図鑑にも載っていた人物だ。貴族令嬢注目の未婚男性であることは間違いなし。
そんな人物が、アンジュと共にわざわざクレーナッツ領に来ているだなんて。そういえばシェリーロワ公爵って、王都にある貴族が通う学校を支援していた事を思い出した。
確かあの学校って、優秀な生徒を王宮で雇用するためにあるとか聞いた事があった。その関係で行けば、アンジュとシェリーロワ公爵が知り合いになってもおかしくないかもしれない。
シャンティの予想通り、シェリーロワ公爵はアンジュの腰に手を回し、守るように立っていた。しかも大丈夫かとアンジュを気遣う様子を見せている。
すぐさま二人が男女の仲であるのを理解した。
「連れて来い」
「パパ!?」
公爵の護衛に引きずられ連れてこられたのは、シャンティの父アフガだった。両腕は拘束されており薄い毛布のようなボロ切れを体に巻いている。体は冷え切っており、手足は赤く変色し膨れ上がっていた。
「……ああシャンティ」
「パパ、パパ、しっかりして!」
まさかこの格好で、ノエル領から連れてこられたのかしらとシャンティは憤る。ノエル家では地下の牢屋に入れられていたから、間違いなく父の体は弱っているというのに。
父になんて事をと怒りに満ちた目でシェリーロワ公爵を睨み付けた。
「ノエル伯爵夫人にした犯罪行為を顧みれば、妥当だと思うがな」
むしろ命があるだけ恩恵を与えていると、シェリーロワ公爵は言い放つ。
妥当も何も、完全に私刑じゃないのとシャンティは思った。モーラ連合王国は領ごとにそれぞれ自治権が強いけれども、それでも基本的な法律は、王家が定めたものに準じている。
しかも今回のノエル伯爵夫人の件は、ノエル伯爵領での事なのだ。そこにシェリーロワ公爵が出て来て、私刑のごとき処罰をしているのはおかしい。本来ならば王都の裁判所に今回の件を申し立てるべきなのだ。
しかもノエル伯爵領の罪人を、クレーナッツ伯爵であるレオンになんの連絡もなく連れてきてるのも、完全に馬鹿にしているとしか思えない行動だ。
そんなシェリーロワ公爵の横に立つアンジュは、シャンティをなぜか憐れむような目で見ていた。