シャンティとクレーナッツ領の人々(一)
レオンと二人、大急ぎで屋敷へと戻るが、予想通りノエル家の侍女が憤怒の表情で待ち構えていた。
説明をする暇もなく、シャンティは乱暴に腕をとられ、早々にノエル家の侍女に連れられ自室へと戻されてしまう。そして扉が閉まると同時に、侍女は金切り声を上げてシャンティをなじった。
「男性と出掛けて一晩帰らないなんて、慎みを持ちなさい! 頭がおかしいのね! こんな事、奥様に知られたら……、ああなんて事かしら」
「雨が降ったのだから仕方がないじゃない。別にやましい事はなんにもしてないのだし、奥様には黙ってりゃバレやしないわ」
本当にレオンとは何もしていない。肌を寄せ合って寒さから身を守っただけで、男女の深い仲になったわけではないのだ。
シャンティとしては深い仲になっても良かったのだけれども、レオンが結婚式まではそういう事はしないと言ったのである。中々の自制心の持ち主だと感心してしまう。
そういう所も素敵だわと思い出して頬を染めるシャンティに対し、侍女はお黙りなさいと怒鳴った。
「もし万が一、本当にそういう事になったとしたら……。なんて悍ましい」
ノエル家の侍女は感情の赴くままに、シャンティの頬を平手打ちした。
「お前など、役に立たなければ用済みなのよ! 身の程を知りなさい」
侮蔑を含んだその言葉に、シャンティはただただ睨みつける事しか出来なかった。
しかしながら世の中、悪い奴には罰が下るようで、雨に濡れたシャンティが引かなかった風邪を、侍女が引いていた。
屋敷で威張り散らしているだけなのに、いったいどこに風邪を引く要素があるのかしらと、シャンティは疑問に思う。きっと日頃の行いのせいに違いない。
慣れない環境での心労で体調を崩したとかなんとか。寝床からシャンティに恨みがましく「生き汚い貴方とは違うのです」なんて嫌味を言っていたけども、シャンティには関係なかった。
なにせノエル家の侍女が寝込んでいるのなら、シャンティは自由に出歩けるわけである。
このまま寝込んでいて欲しいなと、ネーバルが注いでくれたお茶を飲みながら、窓の外をぼんやりと見つめながら思った。
「もうすぐ雪と氷に閉ざされることでしょうな。多分、今夜あたりから雪が降るでしょう。出かけるのは昨日が最適でしたね」
レオンと朝帰りをしてしまった翌日に、ネーバルは馬を走らせて、お隣の領にいるハオエンへと手紙を届けてくれていたのだ。
「クレーナッツ領の冬は、長く厳しいですからね」
しかしそうなると、ロロナナ達セウィ族はやって来なくなるのだろうか。
「よっぽどの吹雪でない限り、山から降りて来ますよ。彼らは雪の中を移動する術を身につけていると言いますし」
「それは凄いわね。今度教えてもらおうかしら」
ネーバルがお茶のお代わりを淹れてくれ、シャンティは優雅にお茶を楽しんだ後で、美味しいケーキを口いっぱいに含み、束の間の幸せに酔いしれた。
「少し良いか」
ここぞとばかりにケーキやお菓子を食べていたシャンティのもとに、レオンがやって来た。
「……叔父が、君のお披露目会をするべきだと言って来たんだが」
「お披露目会って、パーティでもするの?」
貴族の開く夜会に、まったくもって良い印象などない。レオンは親戚だけが集まる簡単なものだと言うが、貴族の親戚、それもクレーナッツ領を治めている一族ってどれくらいいるのかしらと胡乱な目付きになった。
「……その、君があまりそういった事を得意としていないだろう事は理解している。できる限り、私が君を守るから」
「レオンさま」
思わず名前を呼べば、顔を上げたレオンと目が合った。エメラルドのような瞳がシャンティを捉えた瞬間、すぐさま逸らされてしまう。何でと思ったが、顔を逸らしたレオンの耳が赤くなっている事に気付いて、シャンティもまた気恥ずかしくなってしまった。
母が父に恋した時も、目を合わせただけで身体中が熱くなったり、胸がドキドキしたりすると言っていた。それに当てはまるこれってやっぱりそうなのよねと、頬を手で押さえながら思った。
「その、それでだ。君にドレスを仕立てて贈ろうと思うんだが」
「まあ、素敵! でもドレスの仕立てって、時間が掛かるものなんじゃないの」
夜会の日取りを聞けば、それほど時間があるようにも思えない。するとレオンが、君はセウィ族の人達を意味もなく嫌わないからと、セウィ族の針子を雇うのだと言った。
「セウィ族の女性は縫い物や刺繍が得意なんだ」
「そういえば、ロロナナから貰った外套にも、綺麗な模様があったわ」
「その、良ければ今すぐにでも、ドレス選びに……」
「勿論、行きましょう!」
シャンティは立ち上がってレオンの手を取った。何せレオンが贈ってくれるのだから、嬉しい以外の言葉はない。
レオンと腕を組んで向かったのは応接室で、そこにはセウィ族の少女達、ロロナナも居た。
「貴方のドレス、私達、つくる」
ロロナナ達は基本的にセウィ族の伝統的な衣装を身に付けているものの、王国の人間が着る服の繕い物の内職を引き受けることがあるそうだ。そしてレオンの母がセウィ族出身である事から、彼女が着るためのドレスも縫ったことがあるらしい。
採寸があるからとレオンはすぐに出ていってしまい、シャンティはどうせなら一緒に選んで欲しかったのにと残念な気持ちになる。執務が忙しいレオンと過ごせる時間は貴重なのだ。
「仲良くなった、二人、よかった」
「ロロナナは私達のこと応援してくれてるの?」
「夫婦、仲良いのが一番。それに、領主さま、貴方が来てから、笑顔増えた」
ロロナナの言葉に、そうなのかしらとシャンティは首を傾げた。追い立てられるかのように眉間に皺を寄せて、高圧的な態度をとっていたのが通常ならば、今のどこか弱々しさを見せる姿は、確かに軟化して気安くなったかもしれない。笑顔が増えたかはわからないが。
「……領主さまの叔父が来る、いつも塞ぎ込む。今度のも、そう」
ノエル家から嫁いだ娘のお披露目会だというけれど、果たしてそれだけで済むのだろうかとシャンティは思った。何せ本来だったら、そういった事を決める侍女が寝込んでいる。そしてレオンやネーバルは、彼女へわざわざ知らせに行っていない。
ドレスだってノエル家の侍女が不在であるのを狙ったかのように仕立てるようだ。まあ侍女に知らせたりしたら、自分が出るとか言ってしゃしゃり出てきそうではなるけど。
「レオンさまの叔父さまって、マナーにうるさい人だったりする?」
「規律、法律、守らない人、厳しい。けど、セウィ族に対して、容赦ない。公平ではない」
「モーラ王国人至上主義者なのかしら?」
王都の一部に、モーラ連合王国になる前の頃からの民こそ正当なるモーラ王国人であり、真の国民として王の次に尊いのだとかなんとか、そういう主張をする一派があるのだ。
モーラ王国が連合王国になったのって、歴史書を見ると150年も前の事なんだけれど。それだけ時間がたってたら、血も文化も何もかも混ざり合っている思うのに、なぜだかそういう人間は頑なに認めようとはしない。
「……そういうの、違う。軍人であること、誇りに思ってる」
「ああ、女は口を出すなタイプね」
シャンティは最初に会った時のレオンの態度を思い出し、もしかしてあれは叔父の口調を真似したのかもしれない。昔気質の人ってことねと、シャンティは理解した。
「王都にもそういう人いたから、取り扱い方は大丈夫よ。安心してちょうだい」
胸を張っていうシャンティに、ロロナナは心配げな視線を送る。
「シャンティ、領主さまの叔父、いじめられたら、王都、帰る?」
「えっ?」
追い出されたりする事もあるのかと、シャンティは驚いた。シャンティとしては、ここに来た時と変わらず、春までは居座るつもりでいたのだけれども。
「ここ、きらい?」
「嫌いじゃないわよ。少なくとも、私に親切な人たちのことは、好きだもの」
「領主さまは、ここ好きだって言ってくれた。貴方もここ、好きになって、……どこにも、行かないで」
ロロナナの手が、シャンティの指先を握った。
「貴方は、私の友。領主さまの妻。全て受け入れて寄り添ってくれる人。ここに、必要な人」
買い被り過ぎよと自嘲気味にシャンティは溢したが、ロロナナは無言で首を横に振った。今にも泣き出しそうなロロナナを、シャンティはそっと抱きしめてやる事しか出来なかった。
ドレスはロロナナ達が持ち帰り、夜会当日の朝までに完成させると言った。
誰よりも可愛いドレスにしてねとシャンティが言えば、ロロナナは任せてと力強く頷いた。内緒で裏地に仕込みをして欲しい事をお願いすると、ロロナナはなんとも言えない表情を浮かべたが、貴方は私の友達だからと言って引き受けてくれる。
他の針子達と屋敷を出て行くのを見送ると、空から雪が降って来ている事に気が付いた。王都はまだ降るような時期ではないのだけれど、聞いた通りこちらは少し早く冬が来るようだ。
それにしても、レオン以外の人間に追い出される可能性もあるのか。それは全然考えてなかったなあと、シャンティは肩を落とした。
レオンの叔父は、ノエル家の令嬢との政略結婚を望んでいたから、シャンティがどうであれ文句を言ってこないとばかり思っていたのだ。むしろレオンを諌める方だとばかり。
思い込みってよくないわねとシャンティは反省しつつ、小さくため息を吐いた。
遠くに見えるカルホルモカ山脈には雲が掛かっていて、その全容は見えない。ぼんやりと見つめていると、不意に肩が暖かくなる。
「冷えるのは、体に良くない」
振り返ればそこにはレオンが立っていた。シャンティの肩に、暖かな外套を掛けてくれたようだ。
「レオンさま。……ねえ、レオンさまの叔父さまは、私のこと追い出したりするのかしら?」
「それはない」
キッパリと、レオンは否定した。
「叔父はノエル家の令嬢との結婚を望んだ人物だ。君がどうであれ、追い出すことはしないさ」
「そう、そうね」
「……叔父が断固として反対するとしたら、私が身分違いの恋でもしたらだろう」
私の父と母のようにと、レオンが目を伏せた。
クレーナッツ伯爵と、セウィ族の娘。物語のような恋に落ちて、二人は結婚したけれども。現実は物語のように、幸せに暮らしましたで終わらなかったと、レオンは言った。
確かに彼の境遇を考えれば、そう思うのも当たり前のように思えた。
「叔父は、私の相手が貴族の娘でなければ、きっと許しはしない。反対を押し切って結婚しても、母と同じような目にあうだけだろう。……私は妻になるべき人を、あんな目に合わせたくない。だから私は、結婚相手は貴族でなければと、そこは叔父に同意する」
シャンティはレオンの言葉に、そうとしか言えなかった。