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シャンティと雨

 楽しい時間を過ごした後で、シャンティは再びシピに乗り、ロロナナに先導されて、レオンとの待ち合わせ場所へと戻ってきた。

 レオンはシャンティとロロナナの姿を見ると、ホッとした様子で出迎えてくれた。

「レオンさま、お待たせ」

「いや、大丈夫だ。楽しめたようで良かったよ」

「ええ、本当に楽しかったわ! そうだ、ねえレオンさま、ちょっとお願いがあるのだけれど」

 シャンティはロロナナの方を振り返りながら、話を続けた。

「先日のお祭りで、ハオエンの劇をみたでしょう。ロロナナも見たそうだけれど、すっごく感激したんですって。それでね、そういう気持ちは本人に伝えた方が良いと思うから、お手紙書いてみたらって勧めたのよ。ねえ、この手紙、ハオエンに届けられないかしら」

 隣の領の街に滞在しているのでしょうとシャンティが訊ねれば、レオンは頷いた。

「別に手紙を渡すのは構わないが……」

「ロロナナが直接、街まで行くのは難しいでしょう。配達員に頼むのも……」

「そう、だな」

 レオンは眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をした。

「確実に届けるのなら、ネーバルに頼むのが良いだろう。……そうだな、今度用事を頼むついでで良ければ、届けよう」

「………………ありがと、領主さま」

 ロロナナは不本意である事を隠すことなく、レオンに手紙を渡した。そんなロロナナを見てレオンは勘違いしたらしく、無碍にはしないよう伝えておくからと言った。

「……これも、渡してほしい」

「これは、ベネの木か」

「うん、ハオエン達の『ココ・ベネローマ夫人』の劇、観てみたい。だから、これ」

 劇団員にファンレターを送る時、『ココより愛を込めて』とか『貴方の演じるココ・ベネローマ夫人が観たい』と付け加えるのは、最大の賛辞であるのだ。

 なにせ『ココ・ベネローマ夫人』というのは、上演するには台本の権利元の許可を得なければならない。その許可を受ける為には、かなり金額の上納金が必要となり、観客が見込める大規模な劇団でなければならない。一流であることが求められるのだ。

 つまりは、貴方が一流になることを願っていますよという、応援の意味も込めてのものである。

 ココ・ベネローマ夫人の象徴とされる、毒のある美しい花をつけるベネの樹を送るのも、ファンレターを送る時によくあることでもあった。ただ木の枝だけを送るのは味気なかったので、ロロナナが刺繍した切布で巻き、シャンティがいつも身につけているリボンを結んで飾り立ててある。

「……ロロナナにはまだ、『ココ・ベネローマ夫人』を観るのは、早いんじゃないか? あれは結構、刺激的な内容だと聞いたが」

「大丈夫、私、子供、違う。良いから、ハオエン、渡して。従妹として、お願いする」

 ココ・ベネローマ夫人の事が話題に上がった途端、レオンは従妹を心配するような目で見ていたが、最後はロロナナに押し切られ、手紙とリボンの付いたベネの木の枝を受け取ったのだった。


「それじゃ、また、遊びにきて。……領主さまも」

「ああ、機会があったら」

 レオンはロロナナにそう答えたけれど、その機会とやらは来るのだろうかとシャンティは思ったのだった。




 そして帰路に着くが、日の入りまではまだ時間があるものの、顔に当たる風が冷たい。湿り気が混じりはじめたような気がした。

 空を見上げれば、透き通った青だったのに、今は分厚い雲が広がっている。

「ねえ、レオンさま」

「ああ、わかっている。山道を降りた先の森の中に、小屋がある。そこに避難しよう」

 急激に寒くなり、ポツポツと降ってきた雨はすぐに勢いを増した。泥水を跳ね上げ、薄暗くなる中でレオンの背を見失わないようにシャンティは必死に馬の手綱を握って追いかけた。

 着ていた衣服全てが濡れ、体が冷え切り凍えそうになる中でようやく、レオンが言った小屋に辿り着いた。

 馬を近くの木に繋ぎ、大急ぎで小屋の中へと入ると、シャンティは着ていたドレスを脱ぎ捨てた。下着やドロワーズまで濡れていたので、躊躇う事なくそれらを全て脱いで、荷物の中からロロナナから貰った外套を被った。

「つ、つ、慎みってものはどうしたんだ!?」

「体が冷えて生きるか死ぬかって時に、慎みってそんなに大事!? ほら、レオンさまもさっさと脱いで。炉があるから、火を起こしましょ」

 火おこし道具は濡れないようにしておいたので、問題なく炉に火がついた。小屋の中には小枝が積まれており、シャンティは遠慮なく炉に焚べていく。

「ロロナナからシピの毛を織り込んだ外套貰ったの。これあったかいから、一緒に被りましょ……」

 振り返ってみれば、ちょうどレオンがシャツを脱いでいた。炉の灯りに照らされて、その背中が顕になる。

「……っ」

 無数の線のような傷痕があった。

 思わず息を呑んだシャンティに気付いたのか、レオンが振り返り苦笑した。

「……醜いだろう。女性に見せるものではないな」

 稽古の時に着いたのだと言った。物覚えが悪くてと、レオンが戯けているが、シャンティは眉間に皺を寄せたまま唇を噛み締めた。

「見たくないかもしれないが、少し我慢を……」


「何よそれ、何なのよ! 酷いじゃないの!!!」

 

 拳を握り締め、シャンティは立ち上がって叫んでいた。まったくもって我慢ならない事だ。

「それ、レオンさまの伯父さまとかが付けたんでしょ!? 子供になんて事してんのよ!!! 稽古なんて理由で、鬱憤を晴らしただけじゃない!! いいわレオンさま、今度会う時私が仕返しをしてあげるわ!!!!」

 弱い者虐めをする人間を、シャンティは軽蔑していた。最近の軽蔑すべき人間第一位はノエル家の侍女であったが、即座に入れ替わる。

「往復ビンタしてやりたいくらいだけど、私が悪くなっちゃうし。……そうだわ、夜会とかそういう所で、転んだ振りしてワインをぶっかけてやるのはどうかしら」

「ちょっ、ちょっと落ち着いてくれ」

「あ、ワインが勿体無いか。それなら馬車に乗る時、転んだ振りをして馬が粗相した物の上に転がしてやろうかしら」

「本当にちょっと待ってくれ!」

 シャンティの腕を掴み、縋るようにレオンが叫んだ。見下ろしたその顔は、困った様な、それでいて泣き出しそうな情けないものだった。

 シャンティは瞬きをして、そのままレオンの隣に座り、潤むそのエメラルドのような緑色の瞳を見詰めた。

「……君は、怒るんだな」

「当たり前じゃない。酷い事をする奴は嫌いなの」

「……そうか」

「そうよ」

 もしシャンティが幼い頃にレオンに出会っていたのなら、間違いなく親である伯爵やその叔父に文句を言いに行ったに違いない。

 肉が少し盛り上がっているその傷跡に、シャンティはそっと手を伸ばして触れた。指先が触れた瞬間、レオンの肩が大きく揺れる。

「……そう。ねえ、この傷。今は痛くないの?」

「見た目は酷いが、痛みはもうない」

「レオンさまが痛くないのなら、それが一番よ」

 言いながらシャンティは、自身が包まっていた外套をレオンの肩に掛けてやった。酷く冷たいレオンの肌に体を寄せて、少しでも温まれば良いとその手を握る。


「……目も覆いたくなる傷だ。女性はこういうものを、嫌うと思っていたんだが」

「そういうのは人それぞれよ、レオンさま。女性だからって全て同じじゃないわ。それに私のママは、見た目より中身が大事よって教えてくれたもの」


 たかが目に見える皮一枚程度で、全てを判断しまうのは愚かしい事だと、母は娘に伝えていたのだ。人を見た目で判断するような連中は、本当にどうしようもない事だと、そう思う。

 レオンの背中の傷は確かに酷いが、目を覆って嫌がるとか、そういう類のものではない。

 少しでも癒してやりたいと、守ってやりたいと、慈しみたくなるものだった。

「この傷があるから、私には妻を娶るという事は難しいと思っていた。……あまり、人に見せたいものでもないし」

「そうなのね」

 出会った時はあんなに横暴で話を聞かなそうだったのに、こんなにも頼りなく見えるだなんてと、シャンティは目を細めた。


 もしかしなくても、この弱々しい姿こそが本当のレオンなのかもしれない。


 母が父の事をよく『可愛い人、私がいなきゃ駄目なのよ』なんて言っていたのを思い出す。そういうところが堪らないのと微笑む母は、とても幸せそうだった。

 シャンティはそんな両親を見て育ったから、やっぱりそういう相手を見つける事に憧れてしまう。

 そしてその相手は、レオンなのかもしれないと、そう思った。


「ねえ、レオンさまは、王都には行かないの?」

「以前にも少し話したと思うけど、馴染めなくてね。あの人の多さが苦手で、それから空気が澱んでいるようでちょっと」

「ああ、確かに。王都は汚水垂れ流しだものね。クレーナッツ領は水も綺麗で、全然違うわ」

「君、やたらと王都の話に詳しいけれど。確かノエル領から出た事がなかったんじゃなかったのかい?」

「あら、そうだったかしら。勘違いじゃない」

 そういう話をクレーナッツ家にしていたのかと、シャンティは焦った。全くもって、そういう設定ならちゃんと説明しておいてほしい。いまいち納得していない様子のレオンだが、ため息を吐いてそれ以上追求して来なかったので、シャンティはホッと息を吐く。

「ほら私って、ノエル領から出たことないじゃない? だから王都とか、他の土地に憧れちゃうのよ。レオンさまはここじゃない何処かに行ってみたいとか、そういう事は考えたりしないの?」

「……それは、考えた事がなかったな。私は一生、この土地で生きて死ぬのだと思っていたから」

「あら、そんなの勿体無いわ。ここじゃないどこかへ行くっていうのも、きっと楽しいわよ」

 シャンティの言葉に、レオンは小さく笑った。


「……そうだな、君となら」


 シャンティの握った手に力が込められて、レオンから握り返された。触れ合った肌が、じわりと熱を持ち始める。

 それがなんだかとても嬉しくて、シャンティは思わず声を上げて笑ったのだった。


 

 一晩中降り注いだ雨は、朝になるとすっかり上がっており、朝日が小屋の扉の隙間から差し込んできた。

 炉の火は消えていたが、寄せあった肌の温かさにシャンティは目を細めた。まだレオンは眠っているようで、名残惜しいけれど起こさない様にそっと隣から抜け出すと、乾かしておいた下着とドレスを身に付けた。

 まだ少し湿っているが、着れない事はない。ドレスも馬を乗る為の外出用なので、一人で脱ぎ着出来るものだった。ちなみに、乗馬の時に男性が身につけるようなズボン等は、はしたないという理由から、貴族の女性が身につける事は禁忌とされている。まったくもって意味がわからないと文句を言いながら、シャンティは身嗜みを整えた。


「レオンさま、夜が明けたわ。そろそろ帰らないと、みんな心配してるわよ」


「そうだな、……ネーバルあたりが、詰め寄られて困っているかもしれない」


 シャンティが着替えている間に、レオンも起き出して衣服を身に付けていた。

 小屋の外に出ると、朝日に照らされて雄大なカルホルモカ山脈の姿があった。連なる山々は白く、雪が積もっているようにも見える。


「クレーナッツ伯爵家からも、セウィ族からも受け入れられなかったけど、私はここが好きなんだ。父も母もこの地を愛してた。上手く説明出来ないが……」


「好きなものに理由なんてないのよ」


 心がそう感じれば、好きなのだから。シャンティが己の持論を言えば、レオンは嬉しそうに笑う。

 そして馬に乗りながら、甘さを乗せた声色で言ったのだった。


「ノエル家から来てくれたのが、君で本当に良かったよ」


 シャンティはレオンの言葉に、貼り付けた笑顔を向けることしかできなかった。

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