シャンティとお出かけ
昼食を共にしてからレオンは、目に見えてシャンティを気にかけてくれるようになった。
相変わらずノエル家の侍女はシャンティの手を鞭で叩いたが、その行為や怒りが爆発する前に、使用人やレオン自らが呼びに来て引き離してくれたのだ。そして出来る束の間の自由時間を、シャンティは心待ちにするようになるのは、ごく当たり前の事だった。
「……明日は、私と一緒に視察へ行かないか」
「あら素敵。街の中を見て回るの?」
またロロナナに会いたいなと思っていたところだ。シャンティはレオンの申し出に即座に飛びついた。
「街だと色々と自由が利かないだろう。だからその、馬に乗って少し遠出を」
「へえ、良いわね。どこに連れて行ってくれるの?」
「君はセウィ族に偏見がないようだから、彼らの、ロロナナの住む集落に案内するよ」
それは楽しみだとシャンティは声を上げて喜んだ。
だけれども。
ノエル家の侍女は案の定、シャンティとレオンが二人きりで出掛けるのに難色を示したが、行き先が山の方であると聞くと、あっさりと屋敷にいると言った。もう少しで雪が降り出す季節である為、馬に乗って走るのは、寒さが堪えるのだろう。
「良いですか、お嬢様。ノエル家の令嬢として、節度ある行動をなさってください」
「はいはい……いっ」
適当に返事をしたシャンティの背中を、ノエル家の侍女が抓ってきた。最近は鞭を使う事に対してレオンから、花嫁の手が傷だらけなのは結婚式で恥をかくと言われた為、こうして目立たない場所を抓る事が多くなっている。
本当に次から次に良くもまあ考え付くものだと、ある意味関心しつつも呆れた。
「……わかっておりますわ、ご安心なさって」
「ならば結構。貴方の行動に関しては、常に奥様がご心配なさっているのをお忘れでなく」
ノエル家の侍女が睨み付けてきたので、シャンティは無言を貫くことで、僅かながらの反発と抵抗を示した。
侍女から早く離れようと馬小屋へと向かうと、すでにレオンが待ち構えていた。
「馬には乗れるというから、鞍を付けておいた」
「ありがとうございます、レオンさま」
馬へと跨ったシャンティは、早く行こうとレオンを促す。下手に此処に止まっては、ノエル家の侍女にさらに面倒臭い事を言われかねない。
そんなシャンティの意図を理解したのか、レオンは頷くと馬を走らせた。その後ろをシャンティも追い掛けて行く。
城壁の外へと出ると、長閑な風景が目に飛び込んできた。どこまでも続く草原と、連なる山々。
しばらく走ると岩肌がむき出しになっている山裾へと辿り着く。
そこにはこの地にのみ生息するシピの群れに交じって、シャンティでも知っている羊や山羊が走っているのが見えた。
「羊や山羊の畜産は、セウィ族とクレーナッツ一族が手を取り合って行ってきたんだ。はるか昔から、彼らとは交流があって、持ちつ持たれつで暮らしてきたんだ」
ここから山を登ると言われたが、それなりに険しい道だった。王都に住んでいたら、絶対に訪れない様な場所だけに、シャンティは凄いわと素直におどろく。
「百年以上前の戦争で、セウィ族と同じく高地に住む民族が、帝国に味方をしてこちらに攻めて来たんだ。それを王都の人達は、セウィ族が攻めてきたと勘違いして……。彼らはむしろ、僕達と一緒にこの地を守ってくれたというのに」
「そうだったのね。勘違いされて信じて貰えないのは、とてもつらい事だわ」
「……君はとても聡明な人だね」
そんな事初めて言われた為、シャンティはどう反応して良いかわからなかった。
何せ生意気な小娘とか、口煩い小賢しい女とか、もっと酷ければ性悪女とか。そういうことしか今まで言われたことがなかったからだ。
シャンティの顔は、誰が見てもわかるほど赤くなる。そして前を走るレオンには気付かれないほどの小さな声で、そっと呟いた。
「私の事をそういう人、貴方が初めてだわ」
しばらく山道を登って行った先で、少しだけ開けた場所に出た。レオンに促され馬から降り、眼下に広がる景色に魅入る。
牧草地と森、それから点在する建物から煙が上がっているのが見えた。
「王都と比べれば何もない領地だ。けど私は、ここで生まれ育ったから、この土地で暮らす人々を守りたいと思っている」
あまり良い思い出もないけれども、ここが好きなんだよと、レオンが苦笑した。士官学校は王都にあるため、そちらの寄宿舎に入っていたが、王都にはどうにも馴染めなかったのだという。
「嫌な事があっても、カルホルモカ山脈をみていると、なんだかちっぽけな悩みに思えてきてね。不思議と心が落ち着くんだ」
「その気持ちはすごいわかるわ!」
シャンティもまた、雄大な山脈を見て、なんともいえない気持ちをやり過ごしていた。力強く同意すると、レオンは目を細めて表情を緩めた。
「叔父は、王都の貴族に気に入られたいがために、野蛮だと言われているセウィ族を排斥しようとしているようなんだ。それに、それだけじゃない」
シュリーロワ公爵寮の炭鉱の話をしただろうと、レオンが言った。
「君が言ったように、叔父も山脈には石炭があると思っているんだ。だから邪魔なセウィ族を追い出して、炭鉱を掘り当てようとしている。石炭があれば、領地は潤うだろうけれど、でも、それは違うと思うんだよ」
王都では石炭の需要が高まっているから、炭鉱があれば労働者も集まるだろう。けれどもそれに付随する問題を、レオンは懸念しているようだった。
炭鉱から出る廃水は危険なものだと聞いているが、そこで生活するわけでもない貴族の方々からしてみれば、何の問題もないものでしかない。それに労働者が集まっての治安の悪化も、王都のタウンハウスで過ごしているならば、やはり関係のない事だろう。
だからレオンのように、そういった事を憂う貴族というのは、とても珍しい気がした。
「立派な考えだわ」
素直に称賛すると、レオンは苦笑して首を横にふる。
「……思ってるだけで、叔父はなかなか聞き入れてくれないけれどね」
目を伏せたレオンが、ここで休憩しようと馬から荷を下ろす。敷布を広げシャンティに座るよう促すと、レオンが手際良く火を起こしお茶を淹れてくれた。
冷えた体にはとても嬉しいもので、素直にお礼を言って受け取った。
「小腹が空いているのなら、肉とパンもあるが」
「是非に頂くわ!」
朝食は朝から煩かったノエル家の侍女のせいで食べていなかったので、シャンティは空腹であったのだ。
味付きの肉は美味しくパンがより美味しく感じる。こういう食事は大歓迎だわと嬉々としていると、その様子を見ていたレオンが口を開いた。
「君は随分と美味しそうに食べるんだな」
「美味しい物を美味しそうに食べないで、どうするのよ」
「……それもそうか」
そうして食後のお茶を飲んで一息ついていると、見知った顔がやってきた。
「領主さま、奥さま、ロロナナ、来た」
毛の長いシピの手綱を引いて、暖かそうな外套を羽織ったロロナナがやって来た。
「こんにちは、ロロナナ。久しぶり」
「……久しぶり。元気そうで良かった。領主さまも、元気そう。二人、ちゃんと話、した?」
「ああ、ロロナナに言われたからな」
「そう、良かった」
ロロナナが微笑みながら、シャンティとレオンを見ていた。なんだか照れ臭くなって誤魔化すように笑ったシャンティにつられるように、レオンもまた笑っている。
「まったく、領主さまは、世話が焼ける。彼女は、ロロナナの友達。街が嫌になったら、村に来て」
「あら、それはありがとう。でも、街が嫌にならなくっても、遊びに行っても良いかしら」
お友達のお家に遊びに行くのは、楽しいものである。なのでシャンティは、ロロナナの家に遊びに行きたかった。
「……いい。貴方が来たいなら、いつでも」
「それなら今日は?」
「今日は、構わない。……領主さまは、どうする」
「私は馬を見ている。ここからは馬では行けないからな。日が暮れる前に街へ帰りたいから、それを見越してここまで送ってきてほしい」
「うん」
一緒に来ないのと驚くシャンティの手を引いて、ロロナナが行こうと促した。山道は厳しいから、シピに乗って良いと言われ、初めての生き物に恐る恐る跨った。
「それじゃ、またあとで」
どうやらレオンは、本当にここで待つ気らしい。楽しんでくるといいとシャンティを送り出してしまう。シピを操るロロナナの後ろに乗ったまま、シャンティは疑問を口にした。
「レオンさまには、セウィ族のお母様が居たのよね。ロロナナは従妹って聞いたわ。なのにどうして、一緒に来ないの? 馬を狙う強盗とか、この辺にいるわけじゃないでしょ?」
何せ今日のお出かけは、随従すらついていない。無用心すぎないかとシャンティは思ったが、レオンが大丈夫だと言うから、口を出す事はしなかった。
ロロナナは強盗の類はあまり出ないし、出たとしても山道は険しすぎていないと言った。この道を通るセウィ族を襲っても実入りが少ないからいないとも。
「じゃあどうして?」
「……領主さまの母は、ロロナナの伯母。ロロナナの母の姉。二人の兄は、とても乱暴者。ロロナナの母と領主さまの母、よく殴られてた」
いまもむかしも、そしてどこにでも、屑野郎というのは存在するらしい。最低と顔を顰めつつロロナナの話を聞けば、その人物は、働かず幼い妹達が稼いできたわずかな金を使い、街で賭け事や酒に溺れていたのだという。
村の男達が何度か注意をしたそうだが、両親が亡くなった為、妹達は自分の物だから何をしたって良いだろうと言って、聞く耳を持たなかったという。段々と妹達への暴力が酷くなり、遂には街の往来で妹を庇う姉を酷く蹴っていたそうだ。それを見た前領主が助けに入ったのだという。
「……伯父、お酒飲むと、見境なく暴力を振るう。領主さま関係ない。だから、その時、護衛に殺された」
「えっ、あ、でも貴族さま、それも領主さまに突っかかって行ったら、そうなるわよね」
「伯父、その時、売るつもりだった、ナイフ持ってた。領主さまの護衛、危険、判断した。仕方ない」
結局、その時に伯父は死んだのだという。
「別の村で、伯母が領主さまに頼んで、殺すよう命じた、噂でた。私の村の人、誰も信じてない。でも噂、耳に入る。領主さまが子供の頃、一度だけ来た時、噂きいてしまった。兄殺しの娘の子、一番酷い噂」
「そんなのって……」
「領主さま、それから村には来ない。村の人、気まずい。私だけ、領主さまと時どき話す」
この前聞いた話では、レオンはセウィ族の血を引いているから、息子として認めて貰えなかったと言っていた。
クレーナッツ伯爵の血を引いているのに、一族の人間として見て貰えない。そしてセウィ族からもそんなふうに見られていたのなら、幼いレオンは一体どれだけ嫌な想いをしたのだろうか。
もし私が。
そうもし私が、幼いレオンの側にいたのなら、きっとその親戚と悪い噂を流した連中に、喧嘩を吹っ掛けに行ったに違いないわねと、シャンティは思った。
「……シャンティなら、やりそう」
「えっ、うそ、私声に出てた?」
「うん。……でも、ありがとう」
ロロナナが静かな声でお礼を言った。私にはそれが出来なかったからと、そう呟きながら。