シャンティとレオン(二)
温かい食事を嬉々として口にしていると、レオンが唐突にシャンティへ頭を下げた。
何事かと驚いていると、レオンは謝罪の言葉を口にする。
「……色々、すまなかった。最初に君と会った時の態度とか、あり得ないだろう」
全くその通りだったので、同意の言葉しかない。
「ああ、まあ、そうね。いくら本意じゃない妻だとしても、あれはないわね」
いくら親戚筋に押し付けられたいらない妻だとしても。シャンティの言葉に、レオンは眉尻を下げて、情けない表情を浮かべた。
「……ロロナナから、怒られたんだ。知らない土地にわざわざ遠くから嫁いできたのに、酷い態度はダメだと」
不意に出てきた友人の名前に、シャンティは驚きつつもレオンとの関係を訊ねた。
「あら、ロロナナと知り合いなの?」
「従妹なんだ。……私の母は、セウィ族の出身だから」
なるほど、だからレオンの容姿はセウィ族の人達と同じなのね。
シャンティは疑問が一つ減った事に満足して、食事を続けた。
「……母は伯爵夫人として努力していたが、色々と酷い事を言われ続けて、心労が祟って病に倒れたんだ。刺繍と、編み物が好きな人だった。家族で過ごすのが何より好きな人だったから」
うるさい親戚など相手にせず、ずっとそうしていれば良かったのにと、レオンが言った。
最初に顔を合わせた時、レオンが刺繍でもしていろと言ったのは、そういう想いから出た言葉らしい。もっともシャンティは、刺繍や編み物が好きではないし、部屋で大人しくしている性格の持ち主でもない。
ただレオンがレオンなりに考えて、シャンティが煩わしい想いをしないようにとの言葉だという事はわかった。わかったけど、初対面での態度はどうしたって減点でしかない。
殊勝なレオンの態度を見て、許してあげない事もないわと肩を竦めた。
「ねえレオンさま。謝罪はそれくらいにして、食事にしましょうよ。美味しい食事は、二人で楽しんでこそよ」
すでに食べていたシャンティだが、レオンにも食べるように促す。レオンはシャンティを見つめながら、君は本当に変わっているなと、微笑みながら言った。その言葉に嘲りなどは含まれておらず、むしろどこか好意的なものが感じられて、シャンティはレオンを見詰めた。
宝石のような美しい瞳が、シャンティだけを写している。なんだかそれが、とても特別な事のように思えて、食事の手を止めてしまった。
しばし見詰めあっていたが、レオンの方が目を伏せて、そして申し訳なさそうに言った。
「……伯父や伯母から、ノエル伯爵家の令嬢との縁談を結んできた事に感謝しろと、散々に言われていたんだ。優秀で特別な才能を持つ令嬢だからと。祭りの準備も忙しくて、慣れないことも多いところに、そんな話が来てしまって、断りきれなかったんだ」
だからこれ以上、親類に煩わされるのは嫌で苛立っていたのだそうだ。
「レオンさまが一番偉いのに、そんなに口出しされるの?」
シャンティの指摘にレオンは僅かに目を見開いたが、すぐに苦笑して頷いた。
「さっきも言ったが、母がセウィ族出身の所為で、最初は父との結婚が認められず、十歳くらいまでは私生児扱いだった。ただ父の後継になれる男児が私しかいない為、親戚は渋々、嫡男として認めたんだ。それで私は、士官学校には通えたんだが、それだけだから半人前扱いなんだよ」
「レオンさまが伯爵なのに?」
「ああ、伯爵なのにだ」
クレーナッツ家は古くから騎士を、今は軍人として王国を守る為に貢献している一族とは聞いていた。親戚の男性の殆ど、女性でも軍の要職に就いている。何年か軍に所属して、引退してから領地での仕事を引き継ぐのが慣例なのだそうだ。
「私の場合は、両親が亡くなったのが、士官学校の卒業の時期と重なったんだ。ちょうど成人した年齢であったから、私が伯爵となった。けれども半人前扱いだから、後見人として叔父がいて、親類たちも私ではなく叔父に従っている」
どこの家も、口だけ出す親戚っているものねと、シャンティはレオンに同情した。
「君も、令嬢なのにお付きの人間に散々な様子じゃないか」
レオンの視線が、腫れたシャンティの手へと向けられた。隠す気もないので、シャンティは己の手をレオンに差し出した。
「酷いわよね、鞭で打つだなんて。まったく、嫌になっちゃうわ」
シャンティの手を見て眉を顰めたレオンは、温室の端に備え付けられているキャビネットから、小さな小瓶を取り出した。
「これを。そういう傷に良く効くんだ。痛みもすぐに引く」
実感が篭っている声だった為、シャンティは貴方も使ったのと訊ねた。するとレオンは苦笑して、ああそうだと頷いた。
「子供の頃、叔父達から軍人として鍛えてやると言われてね。……私は物覚えが悪かったから」
そしてシャンティの手をとって、小瓶の蓋を開けると、中に入っている軟膏を優しい手つきで塗ってくれた。
偉そうな男という雰囲気のレオンだったが、そうやって密やかに話す姿は、どこか頼りなげにみえた。貴族の伯爵様に対して、そういった事を思うのは、失礼かもしれないけれども。
やっぱり優しい人だわと、シャンティはそっとレオンを見上げたのだった。
「私はだめだな、……君の事を守れていない」
呟くように吐き出された言葉に、シャンティは言葉を返した。
「そう、私は充分だけど。別に殺されるわけではないから」
今日のように食事を一緒にとって話ができれば、シャンティは満足だった。
こんなに優しいと、貴族の当主をやるのはとても大変だろう。なんだか面倒ごとを押し付けられそうな雰囲気だし。真面目で融通が利かなそうなところもあるし。血族同志の骨肉の争いとか絶対無理そう。
レオンとの間に沈黙が訪れる。
シャンティはよく喋る娘だとか言われるが、別に沈黙が苦ではない。シャンティの手を労わるように優しく握る手の暖かさは、心地良いものだった。
「あ、その、すまない。女性の手をずっと触ってるだなんて」
慌てるレオンに、シャンティは頬を染めながらも別にそれは触ってて良いのでそう答えた。
「別に触るのは構わないわ、夫婦なんですもの。まあちょっと、その、恥ずかしいけれど」
「そ、そ、そうか…」
「なんだか喉が乾いちゃった。ねえ、レオン様、何か飲みましょうよ」
「ああ」
そうしてお互いがぎこちない仕草でお茶を飲み、一息ついた所で再びレオンが口を開いた。
「その、君は私と話すのは退屈じゃないか? 面白い事なんて話せないし、気の利いた事もできないから」
気遣うようにレオンが訊ねてくる。不安げな様子は、最初の印象とはガラリと変わっていて、なんだかとても放っておけないような気持ちになってしまう。
「あら、別に面白い話なんてする必要ないわ。こうして一緒にいるだけで、私は結構楽しいわよ。それに、私って喋りすぎだってよく注意されるのよね。子供の頃も教師に鞭で叩かれたりしたわ」
確かあれはと、シャンティは幼い頃の思い出話のひとつをレオンに語った。
「先生も躾のために鞭を使うっていうのは、まあ仕方ない事だと思うのよ。でもね、私は絶対悪くないって事があったのよ」
思い出しても腹立たしいことこの上ない。
シャンティは思い切り顔を顰めながら話を続ける。
「私の髪の毛を、やたらと引っ張って揶揄ってくる男の子がいたの。だからね、仕返しにカエルを三匹くらい背中に突っ込んであげたわ」
「か、カエル?」
「酷いと思わない? 私の髪、ママ譲りのストロベリーブロンドで、自慢なのよ。それを引っ張って、バカ女なんて言うの。もう、私ってとっても寛容だけど、流石に許せなかったわ」
「女性の髪を引っ張るだなんて、それはどうかと思うが」
「でしょう! だからね、二度としませんって泣いて謝るまで、毎日カエルをね」
「……カエル」
「あらもしかしてレオン様、カエルは苦手?」
「いや別に苦手でも得意でもない」
「それは良かったわ」
そこまで喋ってから、シャンティはやってしまったとハッとした。世の中の男性は慎ましやかな大人しい、余計な事を話さない女性がお好みというのも理解していたからだ。
しかしながらレオンは気を悪くした様子もなく、急に黙ったシャンティに対して、不思議そうな表情を浮かべていた。
「ごめんなさい、私だけが喋っていて」
「……いや、君が色々と話してくれるのを聞くのは、……その、とても……楽しいよ」
「そう? それなら嬉しいわ」
シャンティがレオンを見上げると、エメラルドのような綺麗な瞳が、優しげな色を纏って此方に向けられている。
何だか胸がドキドキとしてきたので、シャンティは思わず顔を逸らしてしまった。
「レオンさまって、優しいわよね」
「そうかな、……でも男らしくないだろう」
少しだけ沈んだ声色に気付いてレオンを見ると、目を伏せて気落ちしていた。
レオンの見た目はまさに軍人と言わんばかりで、神経質そうな厳しい表情であったが、この温室での姿は全く違っていた。けれどもそれが、男らしくないかと問われれば、また別の話だとシャンティは思う。
「どの辺が? レオン様は男らしく見られたいのかしら」
「そうだ。……いや、そうであれと言われ続けているんだ」
それはシャンティが淑女らしくあれと言われる事と同じなのだろうか。
しかしながらシャンティはシャンティでしかなく、父はそんなシャンティを愛してくれている。だから小賢しい娘とか言われても、全然気にしていなかった。
「子供の頃から、乗馬も銃剣の扱いも苦手で、父から叱責されていて。叔父上達からも、跡取りがこれだとは情けないって言われててね。……伯爵とは名ばかりで、全ての物事が勝手に決められていく。先ほども話したように、基本的に後見人の叔父が仕切っているんだ」
この結婚もそうだったと、レオンは深く息を吐いた。
「だから私に会った時、あんなに機嫌が悪かったのね。てっきり私は、レオンさまが別に誰か心に決めた人がいるのかと思ったわ」
「そ、そういう人はまだ居ない。……君はどうなんだ?」
「私? 私は今のところ考え中」
「かんがえちゅう」
シャンティの言葉を繰り返すレオンが可笑しくて、つい声を上げて笑ってしまった。
「レオン様って大人な男性の雰囲気があるけど、お話ししてみると結構可愛らしいところがあるから、好きな人は好きになると思うわ」
「はっ?」
「なあに?」
レオンは口篭っていたが、その姿もなんだか可愛らしく思えて、シャンティはニコニコと笑顔を浮かべてお茶を飲んだのだった。