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第零話 私のままでいたかった

 ガラスの割れる音が耳を(つんざ)いた。

 机が傾いたことに気付いた瞬間、暴力の気配が少女を飲み込んだ。

「やめ……て……」

 少女は(うめ)いた。生命がいとも容易(たやす)く挫ける予感が、鬱血していく意識の中を充満した。

 どうして肉体は大事なところに限って細いのか、どうして(てのひら)で握りつぶしてしまうことが出来るのか、少女はこの世の成り立ちをただただ恨むしかなかった。

 人が、最初から最後まで善い生き物である前提なんてないのに、どうして、と。

「おね……が……い……」

 人が人を殺すことが信じられなかった。殺人事件のニュースはいつだってテレビの向こう側だけで起きていた。

 虚構だと思っていたものが現実に存在すると知った時、人はそれを実感できず、体がふわふわしてしまうんだな、と少女は思った。それは過去、一度だけ街中で芸能人とすれ違った時の感覚に近かった。

 視界がチカチカと明滅する。その瞬間が来てしまう恐怖と不安と、それを搔き消すようにして渦を巻く「許せない」という言葉が、少女の頭の中を支配していた。

「わたし、は……」

 私は善良だった。

 私は無害だった。

 私は人に愛されていた。

 私は、私のままでいたかった。

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