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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

真実マッチングアプリ

作者: 青井青

(32歳で年収1100万?……)


 リビングのソファ、絵里は寝転がってスマホを見ていた。画面には爽やかなイケメンの顔写真とプロフィールが掲載されている。


名前:カズヤ

年齢:32歳

身長:178センチ

学歴:都内有名私大卒

年収:1100万

職種:財閥系の商社勤務

趣味:海外旅行、ドライブ

特技:英語、ビリヤード、ダーツ

喫煙:吸わない


 絵里はスマホのホーム画面に戻り、「真実マッチングアプリ」と書かれたドクロを模した黒いアプリを立ち上げた。男のニックネームとIDを打ち込むと、改めてプロフィールが表示された。


名前:近藤和也

年齢:42歳

身長:169センチ

学歴:高校中退

年収:340万

職種:倉庫勤務(契約社員)

趣味:パチンコ

特技:なし

喫煙:吸う


 二つのプロフィールを見比べ、絵里はあきれたように片眉を持ち上げる。


(なーにが商社勤務よ。倉庫勤めの契約社員じゃない。10歳もサバ読んでるし……)


 特に違うのは顔写真だ。マッチングアプリでは〝雰囲気イケメン〟っぽくなっているが、真実マッチングアプリには肌もたるみ、白髪まじりの42歳の疲れた男が写っていた。


(完全におじさん……詐欺もいいところ……)


 今度は別の女性会員のプロフィールに目を移す。


名前:レナ

年齢:24歳

身長:165センチ

年収:320万

職種:アパレル関係

趣味:カフェ巡り

特技:料理

喫煙:吸わない


 絵里が真実マッチングアプリに女性のニックネームとIDを打ち込むと、別のプロフィールが表示された。


名前:畑山玲子

年齢:34歳

身長:161センチ

年収:290万

職種:アパレル関係(契約社員)

趣味:ショッピング(散財全般)、パチンコ

特技:どこでも寝れること

喫煙:吸う(ヘビースモーカー1日25本)


(この女の人も年齢サバ読み……本当の趣味はパチンコって……さっきの男の人と同じだから相性は良さそう……)


 こちらも実物の顔写真はひどい。煙草の吸い過ぎで目の下に黒いクマができ、肌もやつれていた。


(ソフトの加工っていうより、これもう別人だよ……)


 絵里は真実アプリの威力に改めて感心した。

 

(このアプリ、本当にすごい……マッチングアプリの嘘がバレバレ……)


 提供元もわからない謎のアプリは、ある日、突然スマホにインストールされていた。ニックネームと元のマッチングアプリのIDを打ち込めば、真実のプロフィールが表示される仕組みだ。


(最初は気持ち悪くてアプリを削除しようとしたけど、だんだん見てるのが楽しくなってきちゃったんだよね……)


 嘘と真実のギャップに驚くやら、あきれるやら、笑うやら、他人のプロフィールを見て、暇つぶしにしている。


 玄関の方でドアが開く気配がして、廊下に足音が聞こえた。


「ただいまー」


 スーツ姿の夫の慎司が仕事を終え、帰宅してきた。


「おかえり。お風呂入ってるよ」


 絵里はソファで寝転んだまま言った。


「ありがとう。じゃあ、入ってくるよ」


 慎司がリビングを出て行くと、絵里はスマホを置いてソファから立ち上がり、キッチンに行った。下準備をしておいた夕食の仕上げを始める。


 ◇


「マッチングアプリ?」


 夕食のテーブル、ビーフシチューをスプーンで口に運びながら慎司が言った。


「うん、周りでやってる人いない?」


 絵里に訊ねられ、夫が首をかしげる。


「どうかな……独身で若いやつはやってるかもしれないけど、そういうのってあんまり人には言わないからなあ」


「そっか。だよねー」


 絵里と慎司はともに34歳、結婚して4年目になる。30年ローンを組んだ分譲マンションで二人暮らしをしている。共働きでまだ子供はいない。


「真剣に相手を探したいなら、マッチングアプリだけは止めろって言ってあげてね」


「なんで?」


「プロフィールなんて嘘だらけ。特に男! 既婚を独身と偽ってるやつの多さ。あんなものでパートナーを探す人の気が知れないよ」


 怒りがおさまらない妻に慎司が苦笑いした。


「えらく詳しいな」


 あわててたように絵里は弁解する。


「ウチの会社でもやってるコが多いから」


 絵里はアパレル系のWebサイトを運営する会社に勤めていた。社員は若い男女が多く、特に女性の比率が高い。


「慎ちゃんはマッチングアプリとか興味ないの? 普通に友達作りで利用してる人もいるみたいだけど」


 興味ないよ、と夫は首を振った。


「顔も素性も知らない人と会うなんて怖いし……第一、仕事が忙しくて友達作りどころじゃないよ」


 慎司は製薬会社の営業マン(MR)だ。病院に行き、医者に自社の薬を売り込むのが仕事だ。


「それより例のアニメ映画、見たやついる? かなり評判がいいらしいけど……」


 慎司はマッチングアプリの話を切り上げ、最近ヒットしている泣けると評判の映画の話題を出した。


「あれ、私の周りでもすごく評判いいよ」


 絵里も身を乗り出し、テーブルの話題は変わった。


 ◇


 その夜、風呂に入った絵里はパジャマ姿で夫婦の寝室に行った。


 シングルベッドが二つ並び、片方のベッドで慎司が寝ていた。サイドチェストのナイトランプが淡い明かりを照らしてる。


 寝落ちしてしまったのだろう、手からこぼれたスマホがベッドの下に落ちていた。


(今日は仕事で疲れていたから……)


 絵里は夫の胸まで毛布を引き上げ、床のスマホを拾い上げた。見慣れた大手のマッチングアプリのアイコンが目に入り、思わず画面を見る。


(なんで慎ちゃんのスマホにマッチングアプリが?……)


 ちらっとベッドで寝息を立てる夫の顔を見る。目を覚ます気配がないのを確認し、アプリを立ち上げ、会員データを見た。


(!…………)


 慎司らしき顔写真が載っていた。


(どういうこと?……慎ちゃん、会員登録をしてるの?……)


 ニックネームとIDを覚え、スマホを慎司の枕元に置き、隣の自分のベッドに行き、布団の下に体を潜り込ませた。自分のスマホで検索をかける。


名前:シンジ

年齢:32歳

身長:176センチ

学歴:大卒

年収:930万円

職種:会社員

趣味:ドライブ、テニス、映画鑑賞

特技:料理(学生時代、イタリアンレストランでバイト経験あり)

喫煙:吸わない


 顔写真を見て夫の慎司だとわかった。本来、独身男性しか登録できないアプリに既婚を隠して登録していた。


(でもたまたま顔が似てる別人かも……)


 絵里は「真実マッチングアプリ」を立ち上げ、夫のニックネームとIDを打ち込んだ。


名前:神尾慎司

年齢:34歳

身長:173センチ

学歴:大卒

年収:760万円

職種:会社員

趣味:映画鑑賞

特技:料理(作れるのはカルボナーラなど数品に限定)

喫煙:吸わない


 本名が表示され、同一人物だと確信する。慎司は独身と偽るだけでなく、年齢を2つサバ読みし、年収も上積みしていた。


 おまけに「アヤ」という女子大生とすでにマッチングしていた。二ヶ月ほど前、慎司がライク(好き)を付けたことから二人の間でやり取りが始まったようだ。


 この真実マッチングアプリは偽のプロフィールを暴くだけでなく、当事者が送っているメッセージのやり取りも覗き見できる。


シンジ:アヤにまた会いたいよ

アヤ:私もシンジさんと会いたいです

シンジ:例のフレンチレストラン、予約できそうだから

アヤ:うれしいです

シンジ:アヤの誕生日をお祝いしよう


 絵里はスマホから目を離し、首をひねって隣のベッドに目を向けた。何も知らない夫が寝息を立てている。


 さっきまで同じテーブルでシチューを食べ、今度の週末、一緒に映画を見に行こうと約束をした――その夫がどこかの見知らぬ女子大生と浮気をしていた!


 結婚して四年目、夫婦の間に子供はいない。理由は〝レス〟だ。抱かれていないのだから子供ができるわけない。


(私を抱かずにマッチングアプリで出会った女子大生と……)


 メラメラと怒りがこみ上げた。叩き起こして問い詰めようとかと思ったが、ギリギリで踏みとどまった。


 どうやら自分は〝サレ妻〟だったらしい。他人のマッチングアプリを覗いて笑いものにしていたが、ピエロは自分だったのだ。


(人のことを笑ってたけど、いちばん笑われるのは私だったんだ……)


 スマホを握りしめ、絵里はみじめさに耐えた。


 ◇


「今夜は先生の接待があって、遅くなりそうなんだ」


 朝、玄関で夫の慎司が言った。


「夕ご飯いらないんだよね。大丈夫。私は適当に食べるから」


 行ってらっしゃい、と笑顔で夫を送り出すと、絵里はリビングに戻り、真実マッチングアプリを立ち上げ、夫と女子大生のメッセージのやり取りを見る。


シンジ:夜、仕事が終わったら連絡するよ

アヤ:楽しみです

シンジ:アヤの好きなワインも用意してあるから

アヤ:覚えていてくれたんですね

シンジ:当たり前だろ


 今夜、夫は医者の接待などない。女子大生とフレンチレストランに行き、彼女の誕生日を祝うつもりだ。食事の後、ラブホテルでもご利用されるのだろう。


 夫の浮気を知ってから一週間、表面上は普通の夫婦を演じていた。慎司を問い詰めるのを思いとどまったのは、みじめになりたくないだけでなく、別の理由があった。


 アプリで夫の浮気相手の女子大生のプロフィールを見る。


名前:アヤ

年齢:21歳

身長:162センチ

職種:大学生

趣味:漫画、アニメ鑑賞

特技:なし

喫煙:吸わない


 顔写真を感心したように見つめる。


(アイドルみたいに可愛いコ……)


 絵里は「真実マッチングアプリ」に女子のニックネームとIDを打ち込んだ。すぐに本当のプロフィールが表示される。


名前:西浦彩

年齢:21歳

身長:162センチ

職種:大学生

趣味:漫画、アニメ鑑賞

特技:なし

喫煙:吸わない


 本名のフルネームを隠していること以外、ほぼ正直に申告している。顔写真も加工ソフトも使わず、美少女のままだった。


(問題は……)


 目がプロフィールの備考欄でとまる。


備考:三度の自殺未遂歴あり(二度目のときは相手の男性と心中未遂をし、警察沙汰になる)。リストカットの常習者。


 絵里の唇の端に冷たい笑みが浮かぶ。


(こいつ、メンヘラじゃん……)


 当然、夫は知らない。浮気相手の素性を知り、夫への怒りがおさまった。このまま付き合ったら絶対にトラブルになるが、慎司に忠告してやろうなんて気は当然ない。

 

(メンヘラ女と付き合って痛い目に遭えばいいんだ……それに懲りて二度と浮気をしようなんて思わないはず……)


 絵里はマッチングアプリを立ち上げた。そこには絵里の顔写真があった。ニックネームは「エリ」。独身で登録していた。すでに男性から大量のライク(好き)が届いている。


(慎司が浮気してるなら私だって……)


 夫の浮気を知り、絵里は別の復讐法を思いついた。それは自分もマッチングアプリで浮気をするというものだった。


(夫は家の外で若い女を抱いて、家では妻とはレス……バッカみたい……)


 絵里はある男性会員のプロフィールを見た。自分にライクを送ってきた男の一人だ。


名前:カズ

年齢:34歳

身長:173センチ

学歴:大卒

年収:430万

職種:会社員

趣味:ネットゲーム

特技:なし

喫煙:吸わない


 顔写真の代わりに犬の写真が使われていた。マッチングアプリでは素顔を晒さない会員にライク(好き)はほとんどつかない。


 このカズという男、34歳で460万という年収も微妙で、女性会員から相手にされていなかった。


 絵里はその男性のニックネームとIDを真実マッチングアプリに入力した。すると隠されていた本当のプロフィールが表示された。


名前:南条和馬

年齢:34歳

身長:184センチ

学歴:国立大学医学部卒

年収:1700万

職種:医者

趣味:サッカー(全国大会出場経験あり)、フットサル、ネットゲーム

特技:料理(学生時代のバイト中に調理師免許取得)

喫煙:吸わない

 

 驚きのプロフィールだった。ようはこの男性は身長も年収も学歴も、実際よりも低く申告していた。つまり〝逆サバ読み〟をしていたのだ。


(顔だって……)


 真実アプリに表示されたのは、俳優かモデルになれそうな超イケメンだった。さらに備考欄には「父親は全国展開するクリニックを経営し、現在は南青山にあるクリニックで院長を務めている」と記されていた。


(将来は父の事業を継ぐ予定って……すごい、本物の御曹司じゃん……こんなハイスペ男、今まで見たことないよ……)


 だからこそ、〝逆サバ読み〟をする理由がわからない。


(なんでわざとロースペックに見せてるんだろう……)


 マッチングアプリではほとんどの男性が自分を実際よりも良く見せようとする。だが、この青山和馬は逆なのだ。


 実際、彼にはライク(好き)が一つもついていない。顔も見せられない低収入のブサイク男だと思われているのだろう。


(まあ、会って理由を訊けばいいのか……)


 この一週間、絵里はこの〝隠れハイスペ男〟にスーパーライク(大好き)を送り続け、マッチした後はメッセージのやり取りをしていた。こんな感じだ。


エリ:カズさんと話してるとなんだかほっとします

カズ:僕もエリさんと話してるのは楽しいです

エリ:今度お会いできませんか?

カズ:いいですね。土曜日の昼、職場の近くでよければ

エリ:お会いするのが楽しみです!


 メッセージを見ながら、絵里はニヤケを抑えられない。


(メンヘラ女子大生に夢中のアホな夫は放っておこう……私はイケメンハイスペと遊んでやるんだ……)


 真実アプリのドクロの黒いアイコンを頼もしげに見つめる。


(これがあれば性病持ちのヤリモクは回避できるし、本物イケメン、隠れハイスペを見つけだすことができる……)


 ◇


「エリさんにお会いできて良かったです」


 南条和馬が言うと、絵里が微笑んだ。


「イメージと違ってたんじゃないですか?」


「いえ、これまでメッセージで何度もやり取りをしていたので、今日初めてお会いした気がしませんでした」


「私もです」


 週末の昼、絵里はハイスペ男・南条和馬とランチをしていた。南条が院長を務める南青山のクリニック近くにある隠れ家的なエスニックレストランだ。


 聞けば、南条はあのマッチングアプリを通して女性と会うのは今日が初めてらしい。これまで女性からほとんどライク(好き)をもらえなかったという。


 苦笑しながら南条は言った。


「たまにライクをもらったら怪しげなネットワークビジネスの勧誘だったり……」


「そうだったんですか……」


 同情混じりに言いながら絵里は内心で思っていた。


(プロフィールの情報だと、年齢のわりに年収も低いし、顔写真も出してないんじゃ無理ないけどね……)


 だが、絵里だけは真実アプリの力で彼の正体が、超イケメンの優秀な医師であることを知っていた。


「実は……エリさんに言わなくてはならないことがあるんです」


 神妙な顔つきで南条が切り出した。


「実は僕は嘘の情報をプロフィールに書き込んでいたんです」


「といいますと?」


「会社員と書いていたのですが、実は医者なんです。今は親の経営するクリニックの一つを任されています。開業医ですから、自営業だと思います」


 生真面目な顔で南条は告白する。


「お医者さま……そうだったんですか……」


 絵里は驚いたフリをした。


(ちょっと今のはわざとらしかった?)


 彼が医者で、年収1700万で、父親が全国展開している年商100億円のクリニックを展開していることをとっくに知っていた。


「あの……なぜ顔出しをせず、本当のプロフィールを隠しているんですか? 南条さんって、すごくかっこいいし、お医者さんだし……隠さない方がモテるんじゃないかって……」


 南条は困ったように頭をかいた。


「最初に登録していたマッチングアプリでは、正直に本当のことを書いたんです。そうしたら女性の方からのメッセージがすごくて……」


 疲れたようにため息を洩らす。


「いいなと思った人とは会ってみて、何度かデートをした人もいたんですけど……結局、正式にお付き合いは誰ともしませんでした。お断りした女性の中に、私の家や職場を突き止めてストーカーをする女性もいて……」


 このままではクリニックの患者にも迷惑をかけてしまうのでマッチングアプリを退会したという。モテる男はつらいというわけだ。


「ただ、やっぱり出会いが欲しいので、別のマッチングアプリに改めて登録することにしました。ただ、今回は素性を隠すことにしました。年収とか職業とか、スペックでしか自分を見てもらえないことにうんざりしていたので……」


 絵里は、わかります、と深くうなずいた。


「でも、南条さんってアプリを使わなくても女性と付き合えるんじゃないんですか? 職場の看護師さんとか……」


「職場の女性と付き合うなんてあり得ません。すぐにバレますし、女性の集団は怖いですからね」


 聞けば、南条は中高一貫の私立男子校に通い、子供の頃から親から医者になれ、と言われて勉強ばかりしてきたので、女性に免疫がないのだという。仕事に打ち込むうちに30代になってしまったらしい。


(本当にこんな人がいるんだ……)


 ヤリモクだらけのマッチングアプリに超絶優良物件が潜んでいるなんて! 真実アプリの力を借りなければ絶対に出会えなかっただろう。


 その日の別れ際、南条が言った。


「絵里さんとは今日が初対面なんですが、とても話しやすかったです。よろしければ正式にお付き合いしていただけませんか?」


「ありがとうございます。ただ……まだ私たち出会ったばかりです。お互いのことをもっとよく知りたいので、しばらくこの関係を続けてみませんか?」


 そう言って絵里は答えを保留した。


 ◇


 南条とはメッセージのやり取りをこまめに続け、たまにデートをしていた。


 紳士というか、奥手な南条はホテルなどには誘ってこないが、毎回、結婚を前提にした真剣な交際を申し込まれていた。


(ただの遊び相手にするには、南条さんって真面目すぎるし、スペックも高すぎるんだよね……)


 スマホを見ながら絵里はため息をついた。


 一方、夫の慎司も女子大生との付き合いを続けていた。真実アプリで監視しているのですべてが筒抜けだった。

 

 二人の関係はすでに悪くなっていた。真実アプリで覗き見した最近の二人のメッセージのやりとりを読む。


シンジ:もう終わりにしたいんだ

アヤ:私を捨てるの?

シンジ:仕事が忙しいし、あまり会えないから……

アヤ:私、絶対に別れないからね


 恐らくアヤがメンヘラであることに夫も気づいたのだろう。最近は露骨に距離をとろうとしていたが、女子大生が別れを拒否していた。


(ふん、いい気味……)


 夫は最近、まるで絵里に媚びを売るように妙に家事をやろうとする。浮気に気づかれたとは思っていないだろうが、夫婦の関係を改善したいのだろう。


 だが絵里の心はもう夫にはなかった。


(離婚して、南条さんと一緒になれたらなー)


 青山は本気で自分との結婚を考えている。だが、絵里は既婚を独身と偽って青山と付き合っている。バレた時点で青山は自分のもとを去っていくだろう。


(既婚者じゃなければ?……)


 独身に戻るには今の夫と離婚すればいい。夫は女子大生と浮気をしていたし、真実アプリのおかげで山ほど浮気の証拠を掴んでいる。


(これを突きつければ、離婚することはできるんだろうけど……)


 夫がすんなり離婚に応じるかはわからない。相手がメンヘラとわかって手の平を返すように別れようとしているし、もともと女子大生と遊びのつもりだったのだろう。


(別れるって言ったら、土下座されてやり直したいとか言われそう……)


 このマンションは夫の名義で購入し、ローンも夫が払っている。多少の慰謝料や財産分与は請求できるだろうが、離婚したら自分は家を出て行かなくてはならない。


(何か方法がないかな……独身になって、この家を私だけのモノにする方法……)


 一つだけ方法があった。それは――


(夫が死ねばいい……)


 あのメンヘラ女子大生が夫を巻き込んで〝無理心中〟でもしてくれれば、未亡人の絵里が夫の遺産であるマンションを相続し、債務者死亡なので団体信用生命保険でローンは完済される。


(完璧……)


 南条には前の夫は〝事故〟で亡くなったと言えばいい。バツイチよりも未亡人の方が印象はいい。


 絵里は真実アプリに表示された女子大生の顔を凝視した。


(ねえ、アヤさん、あなた、夫と一緒に心中してくれないかしら?……)


 ◇


 夫とアヤの別れ話は泥沼になっていた。かたくなに別れを拒否するメンヘラ女子大生に、メッセージのやり取りも日に日に激しくなっていた。


シンジ:会社に来るなって言っただろ!

アヤ:だってシンジさん、家を教えてくれないから……

シンジ:会社の借り上げマンションだから同僚の目があるんだよ

アヤ:本当に一人暮らしなんですか? 女の人と一緒に住んでるんじゃないんですか?


 夫は既婚を独身と偽ってマッチングアプリに登録していた。家には一度も招かず(招けるわけがない。妻がいるのだから)、逢い引きはホテルばかり使っていたのだろう。


 絵里はアヤのアカウントに書かれた「日記」を見た。そこは会員が他愛のない近況報告をするページだった。真実アプリはそんな日記でさえ、すべて本音に変換して見せてくれる。


アヤ:昨日、救急車で病院に運ばれた。毎日、薬を飲む量が増えている。お医者さんからは治療入院が必要だと言われた。嫌だ。病院には絶対にぜったいに行きたくない……


アヤ:すごく死にたくなるときがある……もうこんな人生、終わらせたい。親も学校も何もかもがうんざり……


アヤ:死にたい死にたい死にたい。でも一人じゃ怖くて死ねない。誰かアヤと一緒に死んでくれない?


 絵里はスマホをじっと見つめた。かなり精神的に追い込まれているようだ。


(一人で自殺されたら困る……慎司を巻き添えにしてもわらないと……)


 真実アプリを見ていると、「なりすまし」というボタンがあるのに今さらながら気づいた。ヘルプボタンで機能を見る。


 なりすまし――これを使うことで、マッチングアプリの登録者に「なりすまし」て、ライクをつけたり、メッセージを送れます。


(慎司に〝なりすまし〟てアヤにメッセージを送れるってこと?……)


 さっそく絵里は機能を試してみた。真実アプリで慎司の登録情報を呼び出し、「なりすまし」ボタンを押す。それからアヤに送るメッセージを作った。


『クソ女! おまえの顔を見るだけでうんざりなんだよ。死ねよ、メンヘラ豚。おまえが死ねばみんなが喜ぶよ。おまえはみんなに嫌われてるんだよ。消えた方が世の中のためだ』


 送信ボタンを押し、絵里はニヤリと笑った。


(これでいい……)


 アヤが一人で自殺する可能性もあるが、真実アプリで彼女の本当の姿をずっと見てきた自分の分析は違う。


(あのメンヘラ女は絶対に誰かを道連れにしようとする……まあ、心中じゃなくて慎司だけを殺してくれてもいいんだけどね……)


 夫が死ねば、夫の貯金とこのマンションは妻である自分のものになる。その後はハイスペ男の南条と付き合いを続け、いずれは結婚、そして院長夫人の座に……


 絵里は冷たい笑みを唇の端に浮かべた。


 ◇


『みなさん、見えますでしょうか。すごい勢いで炎が噴き出しています! こちら、南青山にある7階建てのビルで火災が発生しています!』


 テレビの中で女性レポーターが叫んでいた。


『ビルの4階にある南条メンタルクリニックが火災元と言われていますが、すでにビル全体が炎に包まれています!』


 ビルの窓からモウモウと赤い炎が吹き出し、黒い煙が建物全体を覆っている。ビルの前には消防車や救急車が停まり、警察が野次馬を遠ざけようとしている。


 現場の女性レポーターがスタッフにメモを渡され、それを読み上げる。


『えー、ただいま情報が入りました。警察はビルにガソリンで火を放ったとして、現場にいた21歳の女子大生、西浦彩容疑者を逮捕しました。えー、関係者の話によりますと、西浦容疑者は南条メンタルクリニックに通院していた患者だったそうです』


 同じタイミングでテレビ画面の上部にニュース速報で容疑者の名前が流れる。「西浦彩」という名前を見て絵里が目を見開く。


(西浦彩?……)


 夫と付き合っていたメンヘラ女子大生の本名だった。彼女は精神科医である南条和馬の患者だったのだ。自分が送ったメールがきっかけで自暴自棄になったのだろうか。


(なんで慎司ではなく主治医の南条さんを……)


 テレビの中では、女性レポーターが炎に包まれるビルを見上げている。


『ビルの中にはまだ大勢の人が閉じ込められていると考えられ、現場では必死の消防と救助活動が行なわれています。あ、今ビルの窓から人が飛び降りました!』


 コンクリートの地面にドンッと黒い塊が落ちてきた。カメラに手足が変な方向に曲がった男性の姿が映し出される。


 急にスタジオの映像に切り替わり、男性キャスターが神妙な顔で告げる。


『えー……ただいま現場は大変、混乱した状況にあるようです……ビルの中に残っている人たちの安否が気遣われます――小杉先生、現場で逮捕された犯人が21歳の女子大生ということですが、どう思われますか?』


 キャスターがコメンテイターの大学教授に振るが、絵里の耳にはテレビの音はもう入ってこなかった。


(こんなことになるなんて……)


 いずれは警察も犯人の女子大生がマッチングアプリを通して付き合っていた男性会社員の存在に気づくだろう。この家にもマスコミが押しかけてくるかもしれない。


(慎司に連絡を――)


 電話を掛けようとスマホを見た絵里の目がけげんそうに細まる。おなじみの真実アプリの黒いアイコン、そのドクロの口がニタリと笑っていた。


(完)

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― 新着の感想 ―
[良い点]  まるで猿の手のような悪魔のアプリだあ‥‥‥(恍惚
[良い点] 面白かったです。 夫婦のギスギスした雰囲気や、絵里がだんだんアプリの力に溺れていく様子がリアルで、 緊張感がありました。 アプリ自体が実はデタラメ…という予想もしましたが、真に恐ろしいアプ…
[良い点] 何といっても最後の<オチ>でしょうか? 著者様の作品の特徴は読み終わると<オチ>が当然と思えるんですが、読中はそれに気づかせない文章力の高さに常に脱帽致しております。 [気になる点] 本当…
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