89.助けたいもの
白い閃光は炎の塊のようであった。
放たれた炎は一瞬にして庭園を白い炎で包み込む。手入れされた花壇も、木々も溶けるように燃え、造形物も変色し倒れていった。結界を張っているのでここまで炎は来ない。しかしここを囲うように炎が揺れている。熱さも遮断している筈なのだが、白い色が眩しいせいか額に汗が垂れた。いや、これは暑さで垂れたのでは無い。ここから見える風景があまりにも地獄であった為、焦りから冷や汗が垂れたのだ。
アンネマリーはこの風景に既視感を覚えていた。これは前世、『絶炎の魔女』と言われていた時代に見ていたものとよく似ている。
全てが焼き尽くされた世界、風が吹くと煤けたものが空に舞い、近くの街へ勝敗を教える。
ドクン、と大きく跳ねた心臓を抑えるようにアンネマリーは左胸に手をやり、服をくしゃりと掴む。
「ど、どうして」
バルト子爵夫人が膝から崩れ落ち、地面にペタンと座り込んだ。視線は先程まで綺麗であった庭を彷徨い、リリーへと戻る。へたり込みながらも華奢な指先で結界に触れたのは、娘に触れたいと思ったからなのか。涙もなく、瞬きさえも忘れた夫人は掠れた声でリリーの名を呼び続けた。
バルト子爵にしても夫人とあまり変わらない。信じられないというように呆然としている。
「これは、なんて」
それは誰の声だったか。
空虚な絶望の声が、アンネマリーの鼓膜を揺らす。
しかし地獄の風景を見ていても物事は好転などしない。アンネマリーは自分の両頬を気合いを入れる為に勢いよく叩くと目の前の結界からするりと抜けた。
その行為を止める声が背後から聞こえたが、アンネマリーは振り向かない。それよりも足元の炎を消す為に片手を振り、水を発生させる。ふわりと光った水が地面を這う様に広がり、白い炎を抑え込む。炎は勢いを無くしジュッという音と共に儚く消えた。残ったのは焼けこげた黒い庭と酷く煤けた臭い。
その臭いが深い記憶を刺激し、アンネマリーを揺さぶる。
アンネマリーはその思考を胸の奥底へまた仕舞い込み、リリーを見上げた。
「リリー!戻ってきて!」
もうリリーの人格は無いのかもしれない。だが、願いはそれだけだった。それはアンネマリーの願いでもあり、リリーを深く愛している者達の願いでもある。
今度こそアンネマリーはふわりと空へ浮き上がった。目指すはリリーの側である。
リリーの黒い瞳はアンネマリーの動きを追っているのだろうか。ゆらりと体が動き、禍々しい翼が周りの空気を集める様に引かれる。そして押し出す様に勢い良く翼を動かした。
アンネマリーを室内から吹き飛ばしたあの暴風が再びアンネマリーを襲う。だがアンネマリーはあの時より混乱していない。腕を一振りし、それをいなす。形のない風は勢いも殺され、シュンと消えた。
「戻りなさい、リリー」
アンネマリーはリリーへ命令をする。こういう態度を嫌うリリーだ。もしかしたらこれに怒り、出てくるかもしれない。そう思ったからだ。
しかし現実はそうはいかない。リリーである黒い異形なものはピクリとも反応せずアンネマリーを見続ける。時間だけが過ぎ、焦燥感が身を襲う。それは下の人達も同じだろう。
やれる事をやらねば。
自分がきっかけであったなら尚更やらねばならない。リリーを死なせる訳にはいかないのだから。
アンネマリーは視界の端に結界を叩くリリーの両親を見つける。2人して結界を叩いている姿に胸に込み上げるものを感じた。
「リリー、あなたは愛されているわ。これ以上ない程に」
両親から溢れる愛を貰い、リリーは育ってきたのだろう。溺愛という名の愛を。だからこそ精神が成長しなかった。しかし、それが何だというのだ。考えが未熟でこんな事に利用されるのは違うだろう?
愛という言葉に反応したのか、リリーは視線を下へ向けた。
(やっぱり……!)
まだリリーはあの中に居るのだ。アンネマリーは僅かな希望に目を輝かせた。いけるかもしれない。そんな気持ちが湧いてくる。
アンネマリーは尚も言葉を続けようと口角を上げ、声を発しようとした。だが事はやはり上手くは進まない。突如として目の前にリリーが現れる。「え、」と僅かな声を発したアンネマリーは振り上げられた華奢な手により空中で体勢を崩し、結界に打ち付けられた。
その華奢な腕からは想像出来ない力で頬を殴られ、口内に血が溜まる。この体では初めての衝撃に、アンネマリーは苦痛と口の中の不快感に顔を歪ませた。ずるりと体が円形の結界から滑り落ちていくが、体が地面につくよりも早くリリーがアンネマリーの首を捕える。
「ァッ」
両手で喉を締められた。細い指に信じられない程の力が込められ、喉が圧迫される。口に溜まった血が口端から落ちていくのを感じた。
喉を押さえられれば当然呼吸は出来ない。息が出来ない苦しさにアンネマリーは自分の喉を圧迫するリリーの腕を掴む。しかし華奢な腕はびくともせず、アンネマリーの首を締め続けた。
腕を外そうと足掻いても反対にその反動で更に指が喉を潰していく感じさえする。
自身で張った強固な結界に背中を押し付けられている為か背中が反り、与えられる力も相まって背骨が軋む音がした。このままではまずい、そう思ってはいても喉を掴む手は力を増すばかり。嫌な音が自身の中から聞こえ、アンネマリーは自身の最期を決意した。アンネマリーのそんな決意を察してか意識がフッと遠退く。
その拍子に張っていた結界がプツリと消えた。支えを無くしたアンネマリーの体が人形の様に地面へと落ちていく。
上から押しつけていた為か、リリーの拘束が僅かに緩む。その一瞬の隙を見てゲオルグが走り、地面に着く瞬間のリリーを力の限り蹴り飛ばした。
「大丈夫ですか!」
吹き飛んだリリーのその先など見もせず、ゲオルグは地面に倒れ込んだアンネマリーを抱き起こす。喉が開いた事により、空気を必要以上に取り込んだアンネマリーは不規則な呼吸を繰り返していた。過剰な空気に時に咳き込む。それを見てゲオルグが背中を摩った。
「ゆっくり、ゆっくり息を吸って、」
言われた通りに息を吸おうと思うが、上手くいかない。ヒッヒッと喉が鳴り、また咳き込んでしまう。だが、背中を摩られていたのが良かったのか段々と呼吸が落ち着いてくる。
アンネマリーは自分を支えるゲオルグの手を「ありがとう」と掠れる声で退かすとゆっくりと立ち上がった。
視線は既にリリーにある。
「ケホッ」
一つ咳き込み、口元を手で拭う。その手は赤く染まっていた。
次回更新は明日16時頃になります。
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