85.アンネマリーとリリー
アンネマリーが与えられた部屋へ戻り、暫くすると体調を崩した筈のリリーが部屋を訪ねてきた。まだ解散してから1時間も経っていない。もう体調は良いのだろうか。それにしては顔色が悪かった。
「まだ体調が悪いのであれば無理はしないで下さい」
アンネマリーは正面に座るリリーへ労わる声を掛け、様子を伺う。リリーは困った様に眉を下げながら頷いた。それがどれに対する肯定なのか分からず、アンネマリーはその場の空気に合わせ、微笑む。
「続きの予定ですか?」
それしか無いだろうが一応聞けばリリーは再び頷いた。そして予め書いてきたのだろう、次の日程が記載された紙を渡される。丸文字の特徴的な文字はまさにリリーの文字だ。その字で記されているのは『夕食後。時間は30分程』とだけ。
アンネマリーはメモから目を外し、頷いた。
「承知しました。手短に済ませる様に致します」
紙に書かれた内容を他の2人にも伝えるよう、ナディネに指示する。ナディネは心なしか顔を赤くし、部屋から出て行った。それを見てアンネマリーはあからさまな好意に苦笑を漏らす。
アンネマリーの突然の苦笑にリリーがどう思ったのかは分からない。だがリリーもナディネの顔が赤いのを気付いた筈だ。その証拠に視線がナディネを追っていた。言葉を無くす前のリリーであれば直ぐに疑問を口に出していただろう。しかし今は筆談で伝える事しか出来ない。故に視線を寄越すだけで何も伝えては来なかった。
要件だけ伝えて直ぐに去るかと思ったのだが、リリーがソファーから腰を上げる様子はない。
(まだ何かあるの?)
アンネマリーはじっと紙に文字が書かれるのを待つ。だがリリーはナディネが出て行った扉を見ているだけで何も伝えてはこなかった。暫し無音となった室内で、アンネマリーはどうしたものかと話題を探すが全く何も湧いて来ない。仕方が無しにアンネマリーはリリーの名を呼んだ。
「リリーさん、何か気になる事でもありますか?」
無難に声を掛ければ、リリーの視線がこちらへ向く。一瞬視線は合ったが直ぐに逸らされ、リリーは手元の紙へペンを走らせた。
『トレッチェル卿とは知り合いですか?』
紙に書かれたのは意外な言葉だった。アンネマリーは首を横に振る。
「此処に来る前に初めてお会いしました。リリーさんはお知り合いで?」
リリーもふるふると首を横に振った。
『あなたの周りにはいつもカッコいい人ばかりいる』
まさかの指摘にアンネマリーはポカンと口を開けた。まさかそんな事を言われるとは思っていなかったからだ。
「正直、どう反応して良いのかと困惑してます」
アンネマリーは正直な感想をリリーへ伝えた。表情も言葉と連動しているように困惑に満ちている。
確かにアンネマリーの周囲は美形がいるかもしれない。だがそれはエドウィンしかりカーティスしかり王族が見目のいい血筋を取り込んでいるからだ。世代によっては国一番の美女が国王に嫁いでいたかもしれない。そんな美しい血筋が脈々と受け継がれれば当然美形が生まれるだろう。
あとこの国には妖精を先祖に持つ家系が幾つかある。その家系は総じて美形が生まれやすいと言われている。ヘルマン家にしてもそうだ。アンネマリーの姉ユリアンも兄ヘルムートも二度見三度見される程の整った容姿をしている。父であるギュンターも3人の子持ちには見えない若々しさだ。顔も当然整っている。
(トレッチェル男爵の顔、ね。確かに普通よりは整っているけども)
ゲオルグの顔を思い浮かべたアンネマリーは何とも言えない顔をした。確かに普通よりは整っていると思う。だが、王族や妖精を先祖に持つ家系の人に比べたらなんて事はないのだろう。比べる基準が高すぎるのかもしれないが。
『良いわよね、色々選び放題で』
「選び放題、ではないと思いますが。もう婚約者もおりますし」
『あなたって本当にずるい女』
言いたい事しか言わないのはずるいとは言わないのだろうか。アンネマリーは久々に浴びるリリーの妬みに乾いた笑いが漏れた。
「あなた、私の事嫌いですよね」
アンネマリーはそのまま笑いを残しつつリリーへ訊ねる。リリーが迷いなく頷いたのを見て、アンネマリーは堪えきれず声を出して笑った。
「正直言うと私もです。まあ、嫌いというかうざったいというか。……結局は嫌いなんですけど」
本当に正直にアンネマリーはリリーへ告げた。ずっと顔を見て話をしている為、表情の変化が分かりやすい。先程までは得意げに頷いていた癖に今は不満そうに口を尖らせている。
(そういうところなのよね)
自分は良くて他人は駄目。自分が物語の中心にいると思っている。
リリーは世間を知らな過ぎた。それは引き篭っていたアンネマリーも同じだが、質が違う。リリーは自分の中の物語の中で生きていた。恐らくリリーは本当にエドウィンやカーティスなどの高位の者が自分に好意を持つと思っていたのだろう。それは物語の主人公が自分だから。
普通であれば子供の頃にその考えは改められる筈なのだが、この歳になるまでそれが抜けなかったようだ。
「でも……」
アンネマリーは目を細め、微笑んだ。
「その分かりやすくて素直な性格、嫌いじゃないです」
別に誉め言葉ではないかもしれない。その証拠にリリーの眉間に皺が寄った。だが、アンネマリー的には誉め言葉のつもりである。
アンネマリーは自分で言うのも何だが、比較的捻くれている性格をしている。好意を抱かれても素直に受け入れる事が出来ない事もエドウィンのお陰で分かった。
まあ、エドウィンの事は色んな事が絡んでいるから一概には言えないのかも知れないが。
そんなアンネマリーと比べて、リリーはとても素直で分かりやすい性格だ。
物にしたい男には媚を売るし、女には辛く当たる。したくない事は絶対にしないし、自分の為なら人を陥れる事だって躊躇がない。その性格は刺激的で歌劇のようだとさえアンネマリーは思う。
リリーは馬鹿にされたと不服そうな顔をしていたが、何か思う事があったのだろう。ふっとその愛らしい顔に似合う笑顔を零すと手に持っていた紙にペン先を走らせた。
あまり見た事のないリリーの悪意のない純粋な微笑みにアンネマリーは驚いたが、それをあからさまに態度にだしたりはしない。絶対に眉間に皺を寄せられるからだ。
なのでアンネマリーは紙に文字を書くリリーの様子を何も言わず、何の表情も見せず見ていた。書かれた言葉に反応しようと、普通の事を思ってリリーの言葉を待っていたのだ。
だがその言葉は最後まで書かれる事無く、ピタリと止まった。さっきまでさらさらと書いていた手が一瞬震えた後、動かなくなったのだ。
「リリーさん?」
アンネマリーはリリーの不自然な動きに声を掛ける。そんな中でもリリーの手は動かない。
「どうしました?」
動きが止まったリリーは何かに驚いたように目を見開いていた。突然の静止に戸惑っているとリリーの手からペンが落ちる。それに続いて紙もぱさりと床へ落ちた。
大きく見開かれた目を見ると、何かを訴える様に揺れていた。やはりまだ体調が良くないのかもしれない。侍女を呼ぼうとしたが、アンネマリーが呼ぶよりも早くリリーの侍女がペンを拾いリリーに声を掛けた。『リリー様』ただそれだけの言葉だったのにリリーは怯え、肩を揺らす。
意味が分からず、アンネマリーと侍女は目を合わせた。
「なんで」
ぽつり呟く声、それは聞き覚えのある声だった。アンネマリーは声の主を驚いた顔で見る。アンネマリーと目を合わせていた侍女も信じられないとばかりに彼女を見た。
その声はアンネマリーでもなく、侍女でもない。
紛れもないリリーの声だった。
次回更新は明日16時頃になります。
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