7.初授業
一限目は算術の授業だった。担当教員が黙々と黒板に向かい、ぶつぶつと喋り続ける光景にアンネマリーは恐怖した。目の前の教師が何と言っているのかさっぱり分からなかった。抑揚無く全てが繋がって聞こえるぼそぼそとした声は教える気を全く感じない。嫌がらせかとも思う。自分の思っていた授業と違うと周りを見れば、クラスメイトは慣れているのだろう。ほぼ机の上の教科書を見ているだけだった。
(算術の授業なのに解かせないの?)
疑問に思いながらもクラスメイトと同じく教科書に目をやると突然脳を揺さぶらん限りの大声が鼓膜を突き抜けた。
「じゃあぁぁあ!!!この問題を右3!前4んんん!!!」
―――ひぇ!
黒板とキスせんばかりに近付いていた教師は勢い良く振り向き、叫んだ。そう、叫んだのだ。
思わず肩がびくりと揺れ、小さく声が漏れてしまった。近くの席の人には聞こえていただろう。この人はこれが普通なのだろうか。再びクラスメイトを見れば動じていない。
右3前4と言われた人が立ち、黒板へと歩く。どうやら右から3列目の前から4番目という事らしい。
教師は充血した目で生徒を見ると持っていたチョークをカッカッと走らせ『ここからここまでぇぇぇ!!!』とダイナミックな大括弧を乱暴に書いた。
生徒はうんともすんとも言わず、チョークを手に取り黒板へ向かった。教師の走り書きの汚い問題に生徒は几帳面そうな文字で解答を記していく。
アンネマリーは誰かに聞きたかった。これは普通なのか?とこれが貴族の学校の教師なのか?と。王族も通う学校ではあまりにリスキーな人選ではないか!と。
(個性が凄すぎる!)
これが貴族社会の縮図だと?そんな訳ないだろう。そんな事あったらたまったもんじゃない、と黒板の音だけが響く教室で顔が見えない様に教科書をただ一心に見る。
ドッドっと五月蝿い心臓はまるで命の危機を教えてくれているかの様。
引き篭もりであっても心は強いと思っていたが、自分は世間知らずだったとアンネマリーは登校たった数時間で思い知らされた。
社会には色々な人間がいる。いや、変人8割だ。
そんなこんなを考えていると黒板の音が止まった。どうやら解答を書き終えたらしい。
生徒は席に戻り、教師は再びぶつぶつと抑揚無く喋り出す。そして合っている解答に赤いチョークで丸を書き、舌打ちをした。
それからアンネマリーは息を殺して教科書を見ていた。時折聞こえる叫び声に声が漏れない様に注意しながら時間が経つのを待つ。
そうすると漸くチャイムが鳴り、一限が終わった。永遠とも思えた時間だったが、終わってみればきっかり50分だった。
教師はボソボソと何かを言い、素早い動きで教室を出て行く。
(こんな授業が6限まであるの…?)
呆然とした。全ての教師が変人だったらどうしよう、と。個性的な人でないと採用しない決まりがあるとかだったら全ての教師がおかしいに決まっている。
国で一番の学校な筈なのに、と胸に去来する不安に自然と瞼が閉じられてしまった。
だが、そんなアンネマリーの不安はあっと言う間に解消された。なんと2〜3限目の教師は至ってまともだったのである。
子供の頃の家庭教師の様に普通に授業をしてくれていた。わかりやすい声、見やすい文字、少しの雑談。当たり前の事が嬉しくて、つい表情筋が緩んでしまう。
そんな授業はあっという間に終わり、4限目は実技の魔術の授業だ。つまり移動授業である。
登校初日のアンネマリーは場所が分からない。おまけに着替えるのかもわからない。クラスメイトを見れば教科書だけを持ち、外へ向かっているのでどうやら着替えはしなくても良さそうだが…
この人の波に乗って移動するのも手だがどうせなら誰かと移動したい、と隣の席を見れば茶色い髪を二つに束ねた子がアンネマリーをじっと見ていた。
アンネマリーはこれ幸いとその子に声を掛ける。
「もし良かったらなんですが、一緒に行ってくれませんか。次の授業の場所が分からなくて」
女生徒はパァと明るい笑顔をし、大きく頷いた。
「勿論!私の名前はサラ・ユーティン。サラと呼んで!」
サラは人懐っこい笑みでアンネマリーに手を出した。握手をしようという事なのだろう。
一瞬、気安さに驚いたが学舎の中ではこれが普通なのかも知れないとアンネマリーもその手は取った。アンネマリーよりも一回り小さい手はとても温かかった。
「サラ、これから宜しくね。私の事はアンと呼んで」
「こちらこそ。よろしくね、アン」
今まで同世代の女性と関わってきていなかったからか、砕けた会話に新鮮さを感じた。段々と心の中がほわほわとする。これが友達か。確かに文通では得られないものかも知れない。
「じゃあ、早速行きましょう!魔術の先生は遅刻に厳しいの!」
教科書を手に取り、パタパタと教室を2人並んで出て行く。
(友達……)
ニヤつく顔を教科書で隠しながらアンネマリーは廊下を急いだ。
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