78.バルト子爵邸
バルト子爵領への道程は通常であれば二日である。王族が同行している事もあり、夕方には決められた街へ必ず着かなければならない。そこの領主の屋敷をその日の宿とする為だ。いくら不良王子であっても野宿はいけないらしい。
アンネマリーはこの退屈な馬車の中、持ってきていた本を読んでいたが、ずっと下を向いていたせいか多少の胃液が上がってきた。慣れない馬車旅は精神的にも肉体的にも辛いものがある。そんな中でも即席で作成したお尻保護用のクッションは思った以上の働きをしてくれた。出発をしてから5時間経過した今でもお尻の負担はほぼ無いに等しい。お尻を包み込む、重力を感じさせない羽のような空気のようなクッションは中々のものだ。同乗の侍女にも渡したが、アンネマリーと同じく感動をしていた。商品化をしたらどうか?と興奮気味に言われアンネマリーもまんざらではない。
もう少し改良を加えたら何処かに権利を卸そうかと思っている。
そんな素晴らしいクッションとの道程。バルト子爵領へは特に問題もなく進み、二日目の昼過ぎには子爵領へと馬車は入った。
最初のアクションがあまりにも心象に悪く、ゲオルグを警戒していたがあの朝以外には特に気にするような接触は無く、ただ挨拶を交わすだけ。休憩中の視線はやはり気になったが、見られているだけなら支障はない。気にせず侍女と過ごした。
そして着いたバルト子爵邸。馬車から降りれば王族も居るからだろう、総出で出迎えられた。その中には当然リリーも居た。記憶のある姿より少し痩せていたが、変に自身のありそうな顔は健在だ。
当初の目的はリリーのペンダントの聞き取りであったが、この出迎えられ方はその目的を忘れそうな程な大仰である。王族であるカーティスは慣れた様子で適当に挨拶をしているが、アンネマリーはこの大袈裟な出迎えに怯んでしまった。どうしたものかと視線を彷徨わせ、リリーを見る。だが、リリーの視線はアンネマリーへは向かずカーティスを見つめている。学校に居た時もそうだったが、まだ懲りずに媚びる視線を向けるとは何と豪胆な女だろう。
リリーの様子を見ていたら少し気が抜けたアンネマリーは、小さく息を吐きバルト子爵の前へ立つ。
「この度は訪問の許可を頂き、ありがとうございます。アンネマリー・ヘルマンと申します。ご息女とは同じ学園で共に学んでおりました」
「これはこれは、ヘルマン侯爵家と言えば魔術師の家系の祖と言われるほどの名家。ご訪問の連絡を受けた際は驚きました。何もお構いは出来ませんが、ゆっくりしてください」
少し癖のある挨拶をされ、アンネマリーは口端を優雅に上げた。その様子を見ていたカーティスがくつくつと喉を鳴らす。一体何が面白いのか、睨みつけたい気持ちを押さえアンネマリーは挨拶を終えた。
一通りの挨拶が終わると屋敷の中へと招き入れられる。屋敷の中は造りとしてはシンプルだが、小物のセンスがまるでない、いやアンネマリーのセンスには合わない装飾で溢れていた。屋敷の造りは良いので、たんに女主人の問題だろうと思う。
このバルト子爵家へは二泊する予定だ。案内の侍女を付けられ、客室へと向かうと後ろから声を掛けられる。反射で振り向けばゲオルグがにこやかにこちらを見ていた。
「どうされました?」
「あとで少しお時間を頂けますか?お話ししたい事があります」
話したい事とは何なのだろうか。アンネマリーは断りたかったが、ほぼ初対面の人の申し出を事も無げに断ることも出来ない。戸惑いを見せつつも微笑んだ。
「ええ、分かりました。では後程」
アンネマリーはゲオルグの反応も見ずに前へ視線を戻す。階段を登りながらもやはり感じる強い視線はどうも慣れない。可視化できるのであれば絶対に粘度のある視線は背中を払いたくなる。
本能的に彼とは合わないだろうなとアンネマリーは感じた。
通された部屋に荷物を置いていると部屋を二回ノックされ、アンネマリーは動きを止めた。まさかゲオルグか?と思ったが返事をしないという選択肢は無いので、侍女にアイコンタクトを取り部屋の扉を開けてもらう。居たのはリリーだった。
声が出せないというリリーは手にノートを持ち、軽くアンネマリーに会釈をした。
「リリーさん」
警戒する相手では無い事が分かり、アンネマリーは扉まで近付いた。気まずそうな顔をしているリリーは何かを言おうとはくはくと口を動かしたが、前情報の通り声は出ない。読唇術は出来ない為、アンネマリーは眉を下げた。
「ごめんなさい、読唇術は出来なくて。明日の事?」
そう言えばリリーは思い切り顔を顰めた。読唇術も出来ないのかよと言いたげな顔に『そういえばこういう子だった』とアンネマリーはあの事件前からの出来事を思い出した。我が国の第二王子と隣国の皇子を手玉に取ろうと奔走していたリリー。全てが空回りであったが、今考えるとそれでも諦めないガッツがあった。その情熱を他の方向へ向けていたらきっと彼女の人生はもっと違うものになっていたに違いない。
視線を泳がせる侍女の反応を視界に入れつつ、アンネマリーはリリーのアクションを待つ。舌打ちでもしそうな顔をしたリリーは手に持っていたノートにペンを走らせた。
『婚約したんだって?』
可愛らしい丸文字で書かれた言葉は婚約の事だった。
そういえばあの事件の後に婚約をしたので婚約後にリリーと会うのは初めてである。
「ええ、エドウィン殿下としたわ。今は祖国へ戻っているけど」
『早速捨てられたの?』
「そういう事じゃないわ。少し国でやる事があるみたいなの」
『そういう体なんじゃないの?』
懲りもせず婚約者の座を狙っているのだろうか。棘のある言葉に思うところが無い訳ではないが、それでももうリリーとエドウィンが結びつく事はない。子供の戯言だと受け流した。そんな余裕のあるアンネマリーの態度が気に食わなかったのだろう。リリーは勢いよくノートを閉じるとアンネマリーに背中を向けた。相変わらず激情型だ。
「リリーさん」
入り口から顔を出し、アンネマリーはリリーを呼び止める。ぴたりと歩みを止めたリリーは口を尖らせながら振り向くとノートを開いて、それを見せた。
『晩餐は18時。時間厳守!』
恐らく本来の目的はこれだったのだろう。すぐにノートを閉じたリリーは見るからに怒った歩き方で去っていった。当然、アンネマリーの返事など聞かずにだ。
アンネマリーは去った元同級生の背中を見送った後、部屋の荷物の元へと戻りすぐに使いそうなものを取り出していく。その様子を全てを見守っていた侍女が渋い顔をして見ていた。




