73.リリーからの返信
招待状が届いた翌日、アンネマリーはサラとケイシーと共にお茶を嗜んでいた。話題は勿論来月に行われる夜会の事である。
アンネマリー以外の二人は王宮の夜会は何度か行った事があるようで、その時の話をアンネマリーに聞かせてくれた。特にケイシーは兄が王太子の側近という事もあり、夜会以外でも王宮に行く事があるらしい。兄弟仲が良さそうな関係にアンネマリーは胸がほわほわと温かくなった。
「ケイシーはどなたと行くの?」
「お兄様とまいりますわ!」
パートナーの話となりアンネマリーがそう尋ねるとケイシーは元気に即答をした。その答えにアンネマリーは意外そうに相槌を打つとサラへと話を振ろうと横を向く。
「サラは」
そう口にしたところで、先日の婚約者浮気話を思い出し思わず固まる。名前を呼ばれたサラは次の言葉を待っているのか軽く微笑んでいた。
「どうしたの?アン?」
いつもと同じ笑顔に見えるが少し怖くも見える。最近は調子が戻ってきていたので気を抜いていたが事は浮気だ。そう解決する問題でもないだろう。そんな中、サラに『サラは婚約者と行くの?』など言える筈もない。話題のチョイスに失敗したとアンネマリーは心の中で後悔した。
どう誤魔化すか、にっこりと張り付けた笑みで悩んでいるとアンネマリーの困惑を察したのかケイシーが助け舟を出す。
「サラお姉様は婚約者の方と行かれるんですの?」
いや、ケイシーは助け舟では無く爆弾を投げ込んできた。確かにあの話の流れではこの質問が正解だろう。だが今のサラにとってこれは地雷なのだ。婚約者と言うワードが地雷中の地雷なのだ。
笑顔のまま、顔を青く変化させたアンネマリーはサラに顔を向けたまま神に祈った。神に祈る事などあまりした事はないが、これは間違いなく祈る事案だろう。地雷処理の仕方など知らぬアンネマリーは一秒が何分にも感じられる程緊張した中でサラの反応を待った。
サラはいまだ笑顔のままである。
「うん、私は婚約者と行くよ」
「え!」
普通に答えた事に驚いたアンネマリーは青い顔のまま、声を上げた。
「どうしたの?」
何故驚くのかと言わんばかりの不思議そうな顔にアンネマリーは困惑した。こちらからしてみればこちらこそ『どうしたの?』なのだが言える筈もない。アンネマリーはケイシーへちらりと視線を向けたあと、サラの耳元に顔を寄せた。
「えと、あれは?浮気の件」
気を使って小声で話したのだが、当の本人は至って軽く『ああ』と相槌をうつと、声量を落とさず笑いながらその事について話し始めた。
「あれ勘違いだったの。従姉妹だったんだって。当日従姉妹の旦那さんがドタキャンして、たまたま予定が空いていた彼が行ったみたい。ほら、女一人で美術館とかまだあまり良く見られてないでしょう?」
サラの説明に脱力していったアンネマリーは魂が抜けたように呆けてしまった。力なく椅子に寄りかかり、小さく頷く。
「そ、それは良かった…ね」
一体先日の落ち込みようはなんだったのか。若干振り回された感を感じたアンネマリーは笑顔のサラを見てからケイシーを見た。何かを察したケイシーは可愛らしく『ふふふ』と笑い、ティーカップを口元に運ぶ。
「お姉様。男女のあれこれは話半分で聞いた方がよろしいですわよ」
年下の筈なのだが、達観した考えに思わず苦笑する。これが経験の差と言うものなのかも知れない。引き篭もりをしていたアンネマリーには分からなかった事だ。
これからはケイシーの言葉を胸に話を聞いていこうとアンネマリーは決めた。
「でもあの時は本当に落ち込んだのよ」
「分かってる。本当に様子がおかしかったものね」
だが、あの時のサラの感情を否定する事は勿論しない。アンネマリーだって自分の身に同じような事が起きれば落ち込むと分かっているからだ。
アンネマリーはうんうんと頷き、サラのティーカップにお茶を注いだ。
「そういえばケイシーは婚約者はいるの?」
サクサクとクッキーを口に入れていたケイシーは口元を手で抑えながら、咀嚼をする。そして口の中の物が無くなった後口を開いた。
「おりませんわ。まだいらないとお断りしてますの」
ケイシーは公爵令嬢である。中でもサンジェルマン公爵家は名家中の名家だ。何代か前の王女がサンジェルマン公爵家に降嫁した事もある。つまり王家の血を引いている家系でもあるのだ。その由緒正しい公女にまだ婚約者がいないとは正直驚きである。一般的に考えると早々に王家と婚約しそうなものだが、それもしていない事に二重驚いてしまった。
「王家から打診は?」
サラもアンネマリーと同じ事を考えていたのか、同様に疑問に思っていた事を質問してくれた。
「来ましたわ。カーティス殿下とのお話が。でもお断りさせて頂きましたの」
「断れるの」
「ええ、お断りしましたわ」
さすが名家と名高い公爵家は王家の打診も断れるらしい。その事実に二人ともポカーンと口を開いたまま固まってしまった。
話題を変えたのは一人呆然としていないケイシーだ。呆ける年上二人を交互に見たケイシーは『そういえば』と不思議そうな声を出した。
「お姉様はどなたと行かれますの?エドウィン殿下がこちらに戻られるという事はございませんわよね?」
その質問の仕方にケイシーもエドウィンが今どういう状況にあるのか少なからず知っている事が分かった。サラはきょとんとしているので調べようとしなければ入らない情報なのだろう。さすがは公爵家と心の中で苦笑し、アンネマリーはその質問に端的に答える。
「私も兄様がパートナーなの。ケイシーと一緒ね」
感情を出さないように微笑んでそう言えばケイシーは目をキラキラとさせ、弾んだ声を出した。
「まあ!ヘルムート様がパートナーですの!わたくしヘルムート様のファンでもありますの!お姉様と二人で入場される様はさながら神の降臨のようでございましょうね……」
うっとりとした顔で言われ、アンネマリーの顔は引きつっていく。助けを求めるようにサラを見ればサラも何かを想像しているようだった。
「サ、サラ」
「ヘルムート様、素敵よねぇ。あのクールな感じがたまらないわ」
アンネマリーは思う。確かに兄であるヘルムートは美形だ。それも中々お目に掛かれない程の美形である。だがそんな幸せそうな顔で思い浮かべるような人物では決して無い。何たって『氷結のマリオネット』というおかしなあだ名をつけられているのだ。性格だってそんなに良くはない。
なのにも関わらず……
アンネマリーはキャーキャーと自身の兄の話を続ける二人を尻目にクッキーを口へ放り込んだ。バターの香りが鼻に抜ける幸せを感じていたが、ふと先程のケイシーの言葉を思い出しゆっくりと咀嚼が止まる。
夜会に来られない婚約者、もう随分会っていない気がする。無事に元気にやっているだろうか。アンネマリーは息災を祈る様に隣国へと繋がる空を見上げた。空は繋がっている、だから大丈夫だという言葉がある。だが繋がっているだけでは何も出来ないし、何も見えない。
もどかしい気持ちを抱えながら、アンネマリーは隣国にいるエドウィンに思いを馳せた。
そんな話をしていた数日後、アンネマリーの元に待ち望んでいた手紙が届く。それは以前送ったリリー・バルトへの手紙、その返信だった。




