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70.サラと婚約者と浮気


「アン、最近楽しそうにしてるよね」


 学校でのランチ中。いつもと同じ食堂のテラスでサラダを咀嚼している時、アンネマリーの目の前にいたサラが不思議そうに首を傾けた。その言葉に咀嚼を一瞬止めたアンネマリー。咀嚼もそこそこに口の中のものを飲み込み、グラスに入った水を飲み干した。


「わ、わかる?」

「そりゃあね。一時期つまんなそうにしてたもん」

「あー……」


 そうなのだ。最近アンネマリーは楽しくて仕方がない。サラが言っていたように一時期はエドウィンがいない事に慣れず、ボーっとエドウィンを探している事が多かったがあの原石を手に入れてからはそんな事も無くなった。それまでもずっと魔石を調べてはいたが、加工後の魔石を研究していたせいか結果が出ずどん詰まりで少し苛立ちもしていた。その反動もあるのか今は水を得た魚のように楽しく研究している。

 学校へは転移術で登校し、帰宅も転移術。馬車通学に充てる時間を研究に使用し、学校の時間以外は全てあの魔石の原石の研究に費やしている。まだわかる事は少ないが、少しずつ判明する事実が楽しい。何度も同じ事の繰り返し手詰まり感はあるが、些細な事を変えただけで分かる結果もある。それがパズルのようで楽しかった。加工後の魔石を調べている時には全く感じなかった充実感と遣り甲斐がある。これを最初から手に入れていれば、と少しカーティスを恨む気持ちもあったが、今は置いておこう。


「ちょっと、今調べてる事が面白くて」


 今日は帰ってから何をしようか。そう考えながら答えるとサラは『ふ~ん』と気のない返事をした。自分から話を振っておいて興味がない事には反応が薄いサラ。無関心な事が丸わかりの返事にアンネマリーは苦笑した。きっとサラは説明されても解らないから、という事で反応が薄かったのだろう。その態度で全てを察したアンネマリーは食べ進めていたサラダを口に運ぶ。ドレッシングが多くかかった場所だったのか、しょっぱさに口が少し歪んだ。


 サラはもう食事をする気がないのかフォークを持つ手を止め、そのまま定位置へ戻したかと思うと何処かぼんやりと遠くへ視線をやった。アンネマリーの遥か背後をどうやら見ているようだ。


 最近、サラの様子がおかしい。

 それは人の機微に疎いアンネマリーにも分かった程だ。ボーっとすることが増え、ふとした時眉間に皺が寄っている。言いたく成れば言うだろうと放っておいたが、時間が経てば経つほどおかしい時間が増えた。そろそろアンネマリーから聞くべきなのかもしれない。そう思ったアンネマリーは敢えて心配しているそぶりをあまり見せずサラの名を呼んだ。


「サラ、最近どうしたの?何かある?」


 何でも無いような声色で言えば、サラは意識を戻すようにひと瞬きした。僅かに口を開いたサラは視線をアンネマリーに移す。そして目に明らかな力を入れ、『ねえ』とワントーン低い声を出した。先程のぼんやりとした感じは何処へいったのかと思われる程の活舌の良い力強い声にアンネマリーはきょとんとサラを見つめ返す。


 サラは強い感情を宿した顔を僅かに歪ませた。


「浮気ってどう思う?」

「最低だと思うけど」


 間髪入れずアンネマリーはポンと返事をする。悩むまでもない答えにアンネマリーの眉が不快に上がった。当たり前の事に何を言っているのか。別に結婚に夢を持っているわけではないが、浮気は駄目だ。ないがしろにされていたという事実に腹が立つ。するなら上手く隠して欲しい事のナンバーワンだ。


 アンネマリーは具体的にエドウィンの事を思い浮かべ、祖国で彼に恋慕しているという令嬢の事を思い出した。今回エドウィンが帰国した原因の一つという令嬢。顔も名前も知らないが、もしかしたらエドウィンは今その令嬢といるかもしれない。そう考えだしたらふつふつと怒りが湧いてきた。事実は分からないのに、だ。

 エドウィンに限って浮気などないだろうと冷静な自分がたしなめるが、過激な自分が怒りゲージを勝手に上げていく。

 そこまで考えて、ふと思考を止める。最初はあんなに婚約したくないと思っていたのに絆されたものだと少し自分自身に呆れた。


 そうこう考えているとサラは真っ赤な顔をしてダンッとテーブルに両手をつき、勢いよく立ち上がった。その勢いにアンネマリーは思わずのけぞる。ついでに周りを見れば音に驚いたのか皆サラに注目していた。


「そうだよね!最低だよね!聞いて!私の婚約者が私以外の人と美術館に行ってたの!」


 注目を浴びる中、発せられた言葉に驚いてこちらを見ていた人々は更なる驚きで目を丸くする。それはアンネマリーも同じであった。アンネマリーは目を見開いたまま、真っ赤なサラを見ていた。


 そして考える。アンネマリーはサラの婚約者の事をあまり知らない。確か年上の幼馴染であったような気がする。卒業後は結婚を直ぐにするとも聞いた事がある。だが、本当にそれ以上の情報がない。だから返事に大いに困ってしまった。変に慰めて知らない人を貶めるのも嫌だし、だからと言って知らない人の肩を持ち『勘違いじゃない?』と言うのも嫌だった。この言葉は今まで散々悩んできたサラには酷な言葉だろう。それは今まで人間関係をあまり築いていなかったアンネマリーにも分かる事だった。


「この間、たまたま街に出て買い物をしてたの。勿論侍女と一緒よ?そこで植物園にも寄ろうかって話になって向かう途中、美術館の入り口に見覚えのある背格好が見えて」


 アンネマリーの返事を待たず、勢いよく話し始めたサラだったが説明をするにつれ、段々と声に張りが無くなってくる。恐らくその時の事を思い出しているのだろう。真っ赤だった顔が色を段々と無くしていった。


「最初に気付いたのは私。そのあと侍女も気付いて、真っ青な顔で意識をそらされたわ。でもそれで分かったの。あれは本当にハンスだったんだって」

「ハンス……」

「婚約者の名前よ。ハンス・アラゴン……」


 サラは囁くような声でそう言うと、力なくストンと椅子に腰を下ろす。サラの声はもうアンネマリーにしか聞こえない。もう誰にも注目されてはいなかった。


「優しい人なの。とても、本当に優しくて。だから」


 そこで言葉を切ったサラは俯き、口元を手で覆った。


「同情で婚約してくれたのだとずっと思ってて、やっぱりそうだったんだなって……」


 真っ白な顔で絶望にも似た声を発したサラ。次の言葉はいつまでも紡がれる事はなく、他の生徒の笑い声が鼓膜に掠る。沈黙し続けるサラにアンネマリーはどう声を掛けたら良いか思考を巡らせた。だが、どう考えても気の利いた言葉は出てこない。自分の語彙力の無さにこういう時、悔しく思う。どう言葉にすればサラが前を向いてくれるのか、悩みが軽減するのか、自分であったら?あれそれと考えるが、言葉は喉を通る前に頭で止められる。


 目の前のサラダをもう食べる気にはなれず、アンネマリーもフォークを置いた。


「サラはどうしたいの?」


 絞り出した言葉は疑問だった。俯いたままのサラは『私は…』と呟くと両手で顔を覆った。


「結婚をしたいわ、彼と。でもあれが浮気ではなく、彼の本気であったら」

「サラ」

「それが怖くて、申し訳なくてしょうがないの。政略結婚と割り切れば良いのだけど、私はハンスが好きだから中々開き直れなくて」


 辛いわね、とサラは両手を顔から離し、寂し気に笑った。痛々しい笑顔にアンネマリーの胸までもズキリと痛んだ。


 結局あまり食事を取れず、二人は食堂を後にした。あの話の後、少しサラは話を引きずってはいたが、休憩時間が終わる頃にはいつも通りに戻っていた。それに安心して良いのか、心配しても良いのかアンネマリーは痛む胸で考えたが、敢えてこちらから蒸し返す必要もないだろうと少し様子を窺うだけに留めた。目が合えば笑ってくれる、それだけで少しほっとした。




 授業が終わり、放課後。いつもなら直ぐに帰宅するアンネマリーなのだが昼間のサラの話で気持ちが妙に落ち着かない為、温室へ足を運んでいた。


 場所の割にはきちんと管理されている温室。エドウィンと初めて会った場所でもある。そして、前世で自分を殺した男を見つけた場所。

 あんなに恐れていた事だったのに実際は拍子抜けするくらい何も無かった。いや、何も無いというのは語弊がある。何かはあった、何と前世自分を殺した男と婚約したのだ。驚くだろう。当時を思い出してアンネマリーは少し声無く笑った。


 のんびりと温室を巡る。後ろ手を組み、何を見る訳でもなく歩く。心地よい香りが鼻腔を擽り、頭をすっきりとさせてくれる。

 アンネマリーは暫くそうしてのんびりとしていたが、不意に背後に人の気配を感じ反射で振り向いた。


「よう、ヘルマン侯爵令嬢。元気してるかぁ」


 王族のわりに砕けた言葉と、服装。緩く結われた三つ編みを揺らした男は振り向いたアンネマリーへ楽し気に手を振ってきた。


「殿下」


 最近遭遇率が上がったな、と思いつつ頭を下げたアンネマリーの動きをカーティスは片手で制止する。


「そんな真似すんな、俺とお前の仲だろうが」

「私達の間にはそんな親しい縁は無いと思っておりますが」


 くつくつと笑うカーティスを尻目にアンネマリーは冷静に返事をする。カーティスとアンネマリーの間には何もない。しいて言えばクラスメイトという事くらいだ。それか王族と臣下だろう。決して気安い関係ではないし、なるつもりもアンネマリーには無かった。


「まあ、そう言うんじゃねぇよ。それよりどうだ?解析はうまくいってるか?」


 小馬鹿にしているような笑顔を向けてきたカーティスはふらりと体幹を揺らしながらアンネマリーに近付いてくる。無意識にアンネマリーは後退した。


「そうですね、お陰様で楽しく見させて頂いております」

「そりゃあ良かった。あれに魔力を吹き込めたか?」

「……意地の悪い質問ですね。でも、そうですね。先日ようやく法則がわかりましたよ」


 アンネマリーの言葉にカーティスは珍しく目を丸くした。だが直ぐに目を細め喉の奥から低い笑い声を出す。その様子を微笑みの仮面を着けて見ていたアンネマリーは心の中で暴言を放つ。本当にこの王子は性格が良くない。彼はあの魔石の原石が普通に魔力を込められない事を知っていた。だが、それを敢えて言わずにアンネマリーに渡したのだ。何故言わなかったのだ、と子供のような事言いはしないが少し思うところはある。カーティスの持つ情報も少しはくれても良いのに、と。そうしたらもっと研究も進み、これの事が分かる。


 そう考えたところで、ふとアンネマリーは一つの事を思いついた。目の前でカーティスが楽しそうに何かを言っているが、それを無視して『殿下』とカーティスを呼んだ。カーティスは小馬鹿にしたにやけ顔のまま小首を傾げる。


「ん~?」


 さらりと、結われた三つ編みを後ろへ流す。顔だけ見れば貴公子なのだが、言動と行動に品位が無いせいでそれを帳消しにしている。

 アンネマリーはにんまりと口元に弧を描いてこう提案した。


「共同研究しませんか?」


 その申し出にカーティスは再び目を見開いた。そして腹を抱える程笑うとアンネマリーに魔導具だらけの手を差し出す。それは承諾という意味の握手だった。アンネマリーは偽りのない笑みを浮かべカーティスへ近付くと、その手掴んだ。


 そうしてアンネマリーは研究仲間を得たのだ。




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