6.初めての教室
教室の前に着いたアンネマリーは開いたままの教室へ軽く息を整えて入った。コリンのせいというか、お陰というか緊張感はほぼ消えていた。その代わり、あの男への嫌悪感が生まれていたが。
顔に笑みを貼り付けて、一歩二歩と侵入すれば教室内がシン…と静まり返る。これは、今日何度か見た光景だ。
(自分の席はどこだろう)
席を探そうとしたが、名札が置いてある訳ではないので見た目では分からなかった。アンネマリーはしょうがなしに近くにいたクラスメイトに話し掛ける。
「はじめまして。アンネマリー・ヘルマンと申します。大変お恥ずかしいのですが、初めて登校致しまして、自分の席が分からないのです。宜しければ教えて頂けますでしょうか?」
アンネマリーは出来るだけ謙虚に見えるように挨拶をした。1年しか通わないが敵を作りたくないからだ。ひっそりと1年を終えたい、それが小さな目標でもある。
話し掛けられたクラスメイトは動揺したのか口をパクパクと動かし、同じ様に自己紹介をしてくれた。
どうやらクレア・アイムズというらしい。もじもじとしながら言う姿に小動物を思い浮かべ、乱れたこころが少し和んだ。
「ご、ご案内します!」
ちょこちょこと歩く姿はまさにリス。何故か赤面している顔は大きな瞳を隠す様に眼鏡をしていた。
アンネマリーはクリスの後を歩き、席まで辿り着く。席は窓際の前から三番目にあった。
「ありがとうございます」
癒されたお礼も込めてそう言えば、更に赤面し、『そそそそんな、いいいいえ、めめめっそうもないです』と尻すぼみに言われ、手を目の前でブンブンと振られた。
(そんなに怖いのだろうか)
思わず真顔になりそうな気持ちを抑えてクリスのパタパタと走る背中を見る。
(ゴーストレディ、これは中々厄介な名前ね)
アンネマリーは鞄から教科書とノートを取り出し、引き出しに詰め込む。筆記用具は机の上に置き、ほっと息を吐き出した。教室に辿り着くまでに疲れたのだ。具体的に言えば、星環証のやり取りあたりでどっと疲れた。
左手の星環証を見れば、先程と同じく赤く輝いていた。傾ければ中にある小さな結晶達が緑や青、黄色に輝き、確かにヘルマン家の髪の様だった。
(姉様や兄様も同じだったのかしら)
何度も何度も傾けながら星環証を見る。
(確かに綺麗だな)
コレクションに加えたい気持ちも分からなくはないと少し思ったが、唇の感覚を不意に思い出して鳥肌が立った。やはり無いなと考え直し、黒板をただただ眺める。
(静かだ…まだ担任は来ないの)
教室とはこういうものなのだろうか。挙動不審にならない程度に顔を動かせば、クラスメイトはまだアンネマリーの様子を見ていた。いつまで見ているのだろう、と居心地の悪さを感じ、視線を黒板に戻す。
何人かは話し掛けたそうにしていたが、アンネマリーの迫力に怯み、またなんと声をかけるのが正解なのかと深く考えすぎて行動出来ずにいた。
それはそうだろう。5年間首席を守ってきた人物と初めて会うのだ。しかもただの首席ではない、毎回満点でその座に居る存在だ。
クラスメイトにはアンネマリーが今日から登校する事は知らされていた。一体どんな人物なのだろうとクラスメイトは大なり小なり想像をしてその日を待っていたのだ。
そして今日、初めて見たその姿に皆が驚愕した。
―――なんと美しいのだろう、と。
ヘルマン侯爵家は独特の髪色を持つと言われているが、その髪色は宝石の様な輝きを纏っていた。美しい髪は腰あたりまであり、緩いウェーブが掛かっている。すっ、と通った鼻筋は彫刻の様に美しく、長い睫毛に彩られた瞳は本物のルビーに見える。程良く厚い桃色の唇は果物の様に瑞々しく、見過ぎていると思わず手が伸びそうになる程だ。
スラリと華奢な手足に、女性的な曲線の体はまさに『動く人形』
ヘルマン侯爵家は美形一家で知られている。誰かしらが夜会やお茶会に出ればそれだけで宣伝効果がある。
ヘルマン侯爵家嫡男は同性をも魅了する色気があり、王弟殿下に嫁いだソマリン公爵夫人も女神の様な美しさで社交界に君臨している。彼女が微笑めば、どんな相手でも是と頷くとの噂だ。
クラスメイトの中でも2人を見た者はいる。皆、総じてその美に心奪われたが、そんな2人と比べてもアンネマリーは遜色無い程の美しさを持っていたのだ。
ソマリン公爵夫人が女神ならアンネマリーは天使か妖精か。いや、同じ女神にもなろう。
彼女が微笑みながら教室に入った時のあの衝撃。同じ人間か?と誰しもが息を呑んだ。
席が分からず、顔を少し動かしただけでも揺れる髪は宝石の様に美しく、声も鈴の様だった。
―――この容姿で頭も良いとは!
天は二物を与えずと言うが、与えているでは無いか。
実を言うと彼女が来るまでは社交界にも出ていない為『ヘルマン侯爵家の美を引き継いでいない子』と言われていた。なのでどんな醜女が来るのだろうと意地の悪い者は別の意味でも楽しみにしていた。だが、見事にそれは裏切られた。
アンネマリーは間違いなくヘルマン侯爵家の血筋の顔をしている!
そわそわと男女共にアンネマリーを見ていれば時間になったのか担任が入ってきた。
結局誰も話しかける事が出来ず、皆一様に肩を落として席に着く。
「アンネマリー・ヘルマンだな。担任のクライン・テンペストだ」
「はじめまして、アンネマリー・ヘルマンと申します。よろしくお願い致します」
クラインはほう、とアンネマリーを見つめると『流石はヘルマン侯爵家の血筋だ』と口角を上げた。
その様子にクラスメイトは自分達も言いたかったと言いたげに担任を睨め付ける。
アンネマリーはと言うと、それはヘルマン侯爵家の者ですし、と心の中で冷静に突っ込み肯定の笑みを浮かべた。
「ホームルームを始める」
ブルーブラックの髪をした男は強気な性格故の傲慢さを滲ませた声でそう言えば、手元の書類に目を向けた。
告げられるのは明日から行われる試験の事と、昨日起こった城下での小競り合いの事。
クラインの低く、教室に響く声を何処か遠くで聞きながらアンネマリーは窓の外に目を向けた。
眼下に広がる風景は学校というより植物園にも見える程美しい。
(学園生活が始まってしまった…)
まだ続くホームルームに欠伸を噛み殺して下を向く。
(あー、家帰りたい)
懐かしい我が家を思い出して、少し寂しい気持ちになった。
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