67.夢
結局、アンネマリーは学校を休んだ。部屋まで連れられれば反抗する気も失せたのだ。言われるがまま部屋着に着替え、ベッドに潜り込む。
瞼を閉じるとまだ頭の遠いところにエドウィンが浮かんだ。
(寝なきゃ、じゃないと)
ぎゅっときつく瞼に力を入れる。それでも意識をしているからか消えない。黒髪の男はいつも見せていた微笑みを湛えてそこに居座り続ける。
いつの間にこんなに自分の一部になっていたのだろう。アンネマリーは頭の中の幻影を眺める。
前世は自分を殺した男、でも自分に安らぎを与えてくれた男でもある。両極端な関係がアンネマリーの中の感情を揺らす。ぐらぐらとふらふらと揺れて、今の彼の笑顔に落ち着く。
当たり前の事だが、出会うまでは側に居ない事が普通だった。出会ってからは、思えば考える事の大半はエドウィンの事だった様な気がする。
アンネマリーの前世、アナスタシアを殺したから警戒をしていた。だが出会ってからポロポロと思い出される記憶に警戒が解けていった。
グイグイくるところには驚いたし、困惑もした。でも最終的には全て受け入れた。
この感情が何なのかアンネマリーには分からない。これが恋愛感情だと言われればそうなのかと納得するだろう。だが友情の延長だと言われても納得をするに違いない。会えないと寂しい。これは恋愛にも友情にも通ずるもの。
まだこの感情の名前を付けるにはアンネマリーには材料が少ない。まあ、名前なんて後からついてくる。今定めなくても別に良い事ではある。
「はやく帰って来ないかな」
ぽつりとベッドの中で呟いた言葉に、アンネマリーは自分自身で驚いた。無意識の声に思わず笑う。
相当恋しいようだ。
アンネマリーはもぞりもぞりとベッドの中に頭を隠した。まだ眠れそうに無いが、ぐるぐる無意味に回る頭はじきに電源が切れるだろう。
額から広がる熱に全身の力が抜けていく。眠れ眠れと唱え、数度息を吸った。
そうして暫くすると規則正しい寝息が聞こえ始める。静かに、静かに聞こえる音は他の者も眠りに誘える程穏やかな音だった。だがこの屋敷で働く者の中にはその寝息に誘われ眠る者はいない。主人の愛娘の眠りを妨げないよう、部屋に入る者は居ないからだ。
外の光を通さぬ様、カーテンが閉じられた部屋は時間の経過も感じられない。
もう夢の中にいるアンネマリーが寝苦しそうに寝返りをうつ。見ている夢は悪夢か、それとも過去の事か。呻き声と共に布団の中から腕を出し、手の甲を額に乗せる。
「……じ、ょ……」
漏れる声も微かで何を言っているのは分からない。何を意味するのかも分からない声は静かな空間に吸い込まれる様に消えた。
アンネマリーは夢を見ていた。
夢の中のアンネマリーは回廊に居た。夢の中の自分はそこを知っている様だが、現実のアンネマリーには知らぬ場所だった。
夢の中のアンネマリーは永遠とも思える回廊を一人歩いている。カツンカツンとヒールを響かせ、ただ前に進んでいた。
(上官に会いに行かなくては)
夢の中のアンネマリーは上官を探していた。だがアンネマリーはその上官を知らない。現実のアンネマリーがそれは誰だと考える。夢の自分が上官だよ、と子供の様な返事をする。
上官とは、上官とは……
―――上官?
『上官』
回廊の奥に誰かいる。
『アンネマリー』
顔がよく見えない。だがアンネマリーは知っていると感じた。
そうだ、これは上官だ、と顔も分からないのに理解した。
(だって右手に印がある。私の手にもある印が)
夢の中のアンネマリーは視線を自分の手に向ける。左手の薬指にある蔦の様な痣。
それは、それは?
『アンネマリー、次はあの男のいる国だ』
上官が目の前に立つ。だがやはり顔はぼやけて見えない。
『出来るな?』
ピリリと痛む薬指。黒い痣が赤く呼吸する様に変色くる。ドクンドクンと熱を持ち、指が焼き切れそうだ。
ぷつりと何かが切れる。目の前に上官の手が、手のひらが見える。視界が覆われ、頭に痛みが走った。
低い声が頭蓋に響く。責める声が反響する。指が痛い。
―――そうだ、私は
夢の中のアンネマリーは静かに肯定の言葉を口にした。
(そうだ、私は上官には逆らえない)
アンネマリー、いやアナスタシアは左手を撫でる。火照る指に施された隷属の証が夢だというのにじくじくと痛んだ。




