66.寝不足
エドウィンの報告を聞いた後もヘルムートは部屋に留まった。妹が少し心配であったというのもあるのだろう。些細な話題を振って様子を見ていた。暫しそうして過ごしていたが、問題無いと判断したヘルムートはお茶を飲み干した後アンネマリーの部屋を後にした。
アンネマリーはそんな兄の背中を見送り、読みかけの本が置いてある窓辺のテーブルへと移動する。だがそれを読む気には当然なれず、部屋に造り付けられている本棚へと戻した。
トン、と本を収納し、本棚に手をついたまま先程の言葉を反芻する。ヘルムートはオブラートに包む事をしない人間だ。だからあの言葉は本当の事だろう。誇張もしていないと思う。
正直、アンネマリーはエドウィンがどの程度の事を想定していたのかも知らない。突然国へ帰ると聞かされた際も多くを聞かなかった。彼が大丈夫だと言ったからだ。詰め寄って聞く事も出来ただろう。そうしたらアンネマリーに甘いエドウィンの事だ、教えてくれたに違いない。だがアンネマリーはそれをしなかった。ただただエドウィンの言葉を信じて、何も聞かずに送り出した。
(帰ってくるって言ったもの)
聞けばよかった、と今更ながら後悔をする。本棚に額を寄せ、溜息を吐いた。
どうやら長い夜になりそうだ、とそっとアンネマリーは瞼を閉じた。
翌朝、予想通り悶々と考えあまり眠れなかったアンネマリーは、ぼーっと寝不足で火照る頭をゆっくりと動かしながらベッドから起き上がった。アンネマリー付きの侍女が朝一の白湯をベッド脇のサイドテーブルに置く。そのカップを手に取るのさえ億劫な程体にだるさを感じた。
(いや、本当これ寝不足つらいわ)
笑顔で急かす侍女の視線を感じながら白湯を飲む。全く冴えて来ない頭は飾りのようだった。
それでも身支度を整え朝食の場に行けば、まず母親であるエリゼがアンネマリーの顔を見て首を傾げる。
「あら、体調が悪いのかしらぁ」
語尾を伸ばすのはエリゼの癖だ。それは知っているのだが、今日はやけに鼻につく。内容がアンネマリーを心配している言葉だとしてもだ。
火照る頭に手をやり、アンネマリーはエリゼの言葉に頷いた。
「あまり良く寝られなくて」
「あらあら、そうなのぉ?」
心配はしてくれているのだが、甲高い声が頭に響く。うぅ、と眉根を寄せればギュンターも心配の声を上げた。
「大丈夫かい?あれだったら学校を休むというのも手だよ」
「寝不足だけで休むというのはちょっと」
今まで登校していなかった癖に何を言っているのか。ヘルムートが怪訝そうな目を向けて来た。言葉を発してから自らの矛盾に気付いたアンネマリーは強い視線を寄越してくるヘルムートを見る。目は口程に物を言うとは良く言ったものだ。一目で言いたい事が分かった。
いつもだったら何か言うところだが、本当に今日は頭が働かない。スッと視線を逸らし、グラスに注がれている水を飲んだ。
「本当に休んだらどうかしらぁ」
「父さんもそう思う」
反応が薄いアンネマリーを見て頷く二人。
確かに体調は良くない。寝不足だからだ。そう、寝不足、風邪ではない。なので休むのはどうかと思う。アンネマリーは眉根を寄せ、首を横に振った。
「いえ、寝不足なだけなので行きます」
ぽやっとした顔で言われ、三人は顔を見合わせた。そしてヘルムートが溜息を吐く。
「今日は休め。そしてもうベッドへ帰れ」
無理矢理椅子から立たされ、腕を引かれる。ヘルムートは至極面倒臭そうな顔をしていたが、進む足は緩やかだった。抵抗しようとすれば出来たのだが、やはり頭が回らない。ふらふらとする体に思考までもがポンコツ。驚きの声も一音も出ず、アンネマリーは引かれるがまま着いていく。
「悪かった」
前を歩くヘルムートがぽつりと言った。何の謝罪だろうと俯き気味だった顔を上げれば自分と同じ髪色が目に入る。顔は全くアンネマリーからは見えなかった。
「何をですか」
「…………」
疑問を口にすれば、ヘルムートはチラリと振り返る。冷たさを感じる瞳に後悔が見え、アンネマリーは益々困惑した。無言で見られ、直ぐに視線を外される。だが歩く速度は緩やかなままだ。
「エドウィン殿下の事だ。お前がそんなに思い悩むとは正直思っていなかった。休み前に言えば良かったな」
酷い言葉も一部入ったが、あまりない兄の謝罪にアンネマリーは目を丸くした。基本冷たい男なので、謝る事は少ない。謝るよりも見下す事の方が多い。そんな兄の言葉にアンネマリーは回らない頭を動かし、素直な自分の言葉を告げた。
「私もこんなになるとは思ってなかったです」
そういうアンネマリーの顔は切なげで、ヘルムートは複雑そうな表情をする。
妹の女の顔は中々見たくないものだ。暴言を吐きたくなる気持ちを抑えて、ヘルムートはアンネマリーの部屋まで急いだ。




