63.不良貴公子
エドウィン出立の日、アンネマリーはエドウィンを見送る為、エドウィンが滞在していた屋敷の門前に居た。既に荷物は積み終わり、後はエドウィンが馬車に乗り込むだけ。絢爛たる馬車の前にエドウィンはいつもよりもキッチリとした皇族らしい服を着込んでいた。数日間に及ぶ道程。その豪華な装いは肩が凝りそうである。
アンネマリーは自分の目の前に居る婚約者に微笑み掛けた。
「気を付けて。何かあったら手紙くれたら嬉しいわ」
「何も無くても送ろう」
「無理はしないで……手紙もそうだけど、色々と」
「そうだな、覚えておく」
ふわりと笑ったエドウィンは流れる様な動作でアンネマリーの髪に触れた。角度により輝きが変わる髪をサラリと撫で指を通す。痛みのない髪、引っかかる事無くするりと指が落ちた。
「だが早くアンに会いたいからな、多少の無茶はすると思う。すまない、予め謝っておく」
ぜんぜん申し訳なさそうでは無い顔にアンネマリーは呆れた様に口端を上げる。自分を免罪符にすれば何でも許されると思っているのだろうか。口端は上げながらも眉を下げ、瞬きを一度すれば眼前にエドウィンの胸が見えた。
あ、と思う間も無くエドウィンの温度が額にもたらされ、口付けられたのだと理解した。アンネマリーは一瞬にして真っ赤になり、あわあわと口を動かすと両手で額を覆った。
「こんな人前で!」
「ははは!」
「ははは!じゃなくて!」
真っ赤な顔で抗議してもエドウィンは楽しそうに笑うだけ。アンネマリーは何の手応えも感じず、口をへの字にする。そんな顔もエドウィンには愛おしく感じるのだろう。目元を緩めた。
「行ってくる」
朝とも昼とも言えない、まだ澄んだ空気が残る時間。エドウィンはそう言うと馬車に乗り込んだ。コツンコツンという靴音がやけに耳に響く。
(あ、本当に帰ってしまうのか)
馬車の扉が閉まる音でアンネマリーは漸くエドウィンが居なくなる事を理解した。いや、分かってはいた。だが、何処かで他人事の様に思っていた自分が居たのだ。当事者は自分であるのに。
馬車のカーテンが開けられ、エドウィンが手を振る。微かに動く口元は『はやくかえる』と言っている様に見えた。もしかしたらアンネマリーの願望かも知れない。だが、そういう事にしておこう。
「待ってる」
アンネマリーも手を振りながら、そう呟いた。馬車の中のエドウィンが頷く。緩められた目元、だがその中に彼の決意を感じ、この帰国が一筋縄ではいかない事をアンネマリーは悟った。
ゆっくりと動き出す馬車。追いかけたい気持ちを抑えて、目でその動きを追う。軽快な音と共に速度を上げる馬車、その馬車はカドリック帝国の紋章である鷲とエーデルワイスが装飾されている。
アンネマリーはその馬車が見えなくなってもその場に留まり続けた。考えるのはエドウィンの事。無事に再会出来る日を祈り続けた。
エドウィンが帰国してからアンネマリーはぽっかりと空いた心を埋める様に魔石の研究に本腰を入れた。ぼーっとしていると思考が旅をしてエドウィンの事ばかり考えてしまうからだ。何かに集中しているとその頻度が減る。その為、ここ最近は研究棟に篭り魔石ばかり眺めていた。
登校日も学園には行くが、何処かでエドウィンを探している自分が居て、それに気付く度、虚しくなる。気鬱な日々の中、サラが何事もない様に接してくれるのだけが嬉しかった。ファンクラブも心なしか遠慮気味に遠巻きにしてくれている。意外に常識的な対応に少し驚いた。だが考えてみれば会長であるケイシー・サンジェルマン公爵令嬢は出来た女性だ。そのくらいの心配りは出来よう。
珍しくサラと別行動をしていたアンネマリーは日課となった温室へ足を運んでいた。季節は夏。もうじき長期休暇に入る。
「長期休暇、か」
本来であればカドリック帝国で婚約式を行う筈だった。だが予定は立ち消えた。式は延期、時期も未定だ。もう正式な婚約はしている。今更白紙や破棄になる事は無いと思うが、何処か不安がっている自分が居る。
アンネマリーはのろのろと歩いていた歩みを止め、溜息を吐いた。
いつの間にこんなにエドウィンに依存していたのだろう。今では居なかった時間、どうやって暇を潰していたのか分からない。落ち着かない気持ちを整える為、アンネマリーは数度深呼吸をした。新しい酸素に脳が活発になった気がする。まあ、思い込みの一種だが。
再び温室までの道を歩き出すと視界に見知った、そしてエドウィンの次位に会いたかった人物を見つけた。その人物は輝く金髪を緩く三つ編みにした、あの魔石が発掘された領地の主。
「カーティス殿下」
アンネマリーは少し歩幅を広くし、カーティスへ近寄る。気怠げに緩慢な動きで振り向いたカーティスはアンネマリーを見ると片方の口端を上げた。
「んあ?婚約者が国へ帰ったヘルマン侯爵令嬢じゃねえか」
事実だが、少し意地悪さがある言葉にアンネマリーは微笑む。カチンと来たが、カーティスに怒っても仕方が無い。王族に怒りをぶつけたら不敬罪だ。淑女らしい笑みの中に怒りを隠し、声を掛けた事を謝罪した。
「突然、声を掛けて申し訳ございません。少しお聞きしたい事がありまして、宜しいでしょうか」
アンネマリーの言葉にカーティスはくるりと体をアンネマリーに向けた。そしてニヤついた顔のまま顔を傾ける。手入れされた髪がサラリと耳から落ちた。ゴテゴテしたピアスが陽光に照らされ、シルバーが鈍く光る。その輝きのせいなのか、はたまた彼自身の容姿のせいか『不良貴公子』という言葉が頭をよぎった。
「どうぞ、宜しいでございますよ?」
綺麗な顔でそう言われ、アンネマリーは苦笑した。馬鹿にした様な物言いだが、嫌いになれない言葉選びである。アンネマリーは一度コホンと咳払いをした後、本題を切り出した。
「殿下の領地で採れる魔石の事なのですが、あれはどういう物なのでしょうか」
カーティスに会ったら聞きたかった事。それは魔石の事だ。調べても調べてもおかしな点は見えない魔石。だがアンネマリーにはこの魔石が絶対に問題の核であろうと確信があった。
家に居る間は常に魔石の研究をしている。何度調べてもおかしな点が無いそれにアンネマリーは完全に手詰まりだった。唯一のおかしな点とすればカーティスに手渡された時のあの魔力を吸い取った事。触れるだけで魔力を吸い込むものなど聞いた事がない。だが、それだけだ。
色々な応用が出来そうなものではある。だが調べて分かった事はどれも既存の魔石の方が使い勝手が良い事。これの上位互換は沢山あるという事実だ。
カーティスはアンネマリーの問いに眉根を寄せた。
「前言っただろ?魔石かもよく分からねえもんだって」
確かに言っていた。だが、アンネマリーはこれは魔石だと自信を持って言える。
「なんて答えを求めてんだ?」
小馬鹿にした様に笑いながら言われ、アンネマリーはじっとカーティスを見る。カーティスも同じ様にアンネマリーを見て、にやりと笑った。輝く空色の瞳が楽しそうに歪められ、コツンと一歩アンネマリーとの距離を詰める。反射的にアンネマリーは数歩後ろへ下がった。
「リリー・バルトのペンダントにあった石はそれなのではと考えてます」
「理由は?」
「説明は出来ないのですが、勘のようなもので」
やり取りをしている間もカーティスは面白そうにアンネマリーと距離を詰める。じわじわと近寄るカーティスに対して捕食をされるネズミの気持ちになってくる。アンネマリーは此処が外である事に感謝した。何故なら壁がない。あとは転ばない様にすれば一定距離を保てるというものだ。
カーティスはニヤついた顔のまま『ふ〜ん』と顎に手をやると一気にずいッとアンネマリーの顔を覗き込んだ。
「まあ、お前に渡した石じゃあ何もわからねぇだろうな」
予想外の言葉にアンネマリーは距離を取る事も忘れ、ポカンとする。
「あれはお前用に少し弄ってあったんだよ、パズルみたいになぁ」
大きく見開いた瞳に、カーティスは楽しそうに制服のポケットに手を突っ込むと親指と人差し指で摘んだそれをアンネマリーの眼前に見せてきた。
「元はこれ」
目の前にあるそれはガラス玉の様に透き通る、おおよそ魔石とは思えぬ何も感じない石だった。
石越しに見えるカーティスの口元が一段と楽しそうに歪んだのが見え、アンネマリーは自身が今まで騙されていた事に気付いた。




