4.初登校
屋敷中の人が登校準備をしつつ、日々を暮らしていたらあっという間に月曜日になった。つまり初登校日である。
朝から丁寧に身支度をされ、初めて制服に袖を通せば侍女が泣きそうな程目を潤ませた。大袈裟なとアンネマリーは思ったが、そういえば彼女も不登校を反対していた一人だと思い出し申し訳程度に声を掛けた。
「ジェリーにも迷惑掛けたでしょう」
わざとらしく眉を下げれば、ジェリーの目から涙が溢れる。本当ならば5年前に見たかった光景だろう。もしかしたら二度と見れないかもと思っていた制服姿に感極まってしまったらしい。
「いえ、本当に大きくなられて。ジェリーは嬉しゅうございます」
ジェリーは涙を拭いながら最後は笑顔でそう言い、アンネマリーを鏡の前にもう一度立たせる。
「こんなに美しくなられたのです。学校へ行けば釣書が山の様に届くでしょうね」
「そ、そうかな」
優しい面差しで見られ、アンネマリーはほんの少し気まずい気持ちになった。学校には行くが、決して結婚相手を探しに行く訳ではない。ヘルマン家に似つかわしくない悪しきあだ名を払拭する為に行くのだ。もし、ジェリーの言う通り釣書が沢山届いたとしても全てお断り予定である。
鏡の中の自分をまじまじと見れば、いつもより少し小綺麗なアンネマリーがいた。
丁寧に梳かされて輝く、ヘルマン侯爵家特有の金髪。少し揺らめかせば一部がオパールの様に輝く。
引き籠り故の白い肌に、幼い頃からルビーの様だと言われている赤い瞳。大きく丸い、垂れ目がちな瞳は長い睫毛で彩られ、身内には兄同様『人形』と称されている。
既に公爵家に嫁いでいる姉ユリアンは小さい頃からアンネマリーを『私のお人形ちゃん』と呼び、どこに行くのにも、何をするのにも連れて歩く程だった。
(悪くはないと思うけど、十人並。兄様の方がよっぽど綺麗)
溜息を吐いて、部屋を出る。後ろからジェリーが静々と付いてきた。
これから行く食堂でもジェリーと同じ様な反応をされるのだろうか。重くなる足取りを気力で動かし、家族の元へ向かう。開かれた扉の向こうを見ればヘルムート以外の家族が目を見開き、そしてギュンターが静かに涙を流した。
早すぎる涙に困惑しているとヘルムートも同じ事を思ったのか『父上…』と呆れた声を出す。
これから波乱の朝食が始まるのか、とアンネマリーは諦めにも似た感情で席に座った。
そして思い描いた通り、面倒臭い絡みをされたアンネマリーは学校前から気力が尽きては敵わんといつもなら完食する朝食を少し残して、早めに馬車へ乗り込んだ。
馬車から流れる車窓を見れば、これからの生活に対しての緊張が襲う。何事も無ければいいのだが、嫌な予感が物凄くする。それは楽観的になろうとすればする程、存在感を主張していた。
警鐘が無くなったと思えば、今度は『前世』がチラつく。頭の8割では前世なんてと思っているのだが、残りの2割がじゃあ今までのお前の生活は何だったのだ?と怒鳴り付けてくる。
アンネマリーは頭の声を消す様に頭を振り、また視線を窓の外に向ける。段々賑やかになる景色に学校が近くなった事を悟った。
―――王立聖スピカ学園
王族と同じ星の名前を持つ学園は貴族の入学が義務化されている。一方平民は難易度の高い入学試験に合格した者だけが入学出来るのだ。
学費が高い為、実際平民で入学する者は少ない。するとしたら豪商の子供だけだろう。
馬車が止まり、馭者がアンネマリーに声を掛けた。アンネマリーは遂に着いてしまったと頭の中で嘆き、扉が開かれるのを待つ。緊張からじわじわと背中が汗ばんでくる。
ガチャン、とゆっくりと開かれる扉から徐々に広がる景色。
まず入ってきたのは大きな校門。校舎まで真っ直ぐ続く長い道は両端が様々な花で彩られていた。
季節によって植えられる花が違うのだろう、満開の一年草が美しく咲き誇っている。
花壇の奥にはこの学園のシンボルツリーとも言えるチェリーブロッサムの木が存在感を象徴し、そこに鎮座していた。花盛りを過ぎたそれは今は緑の葉で覆われている。幹の太さからいえば大層な樹齢に違いない。
こんな立派な木であれば開花も見てみたいとアンネマリーは思ったが、来年の開花時には卒業をしている予定なのでもう見る機会は訪れないだろう。少し勿体ない事をしていたとほんの少し後悔をした。
呆けながら眺めていると、馭者がアンネマリーに手を差し伸べているのに気付いた。馬車から降りるのに手を、という事なのだろう。
あまり出掛けないアンネマリーには馴染みが薄い。一瞬の戸惑いの後、そっと手を乗せた。
「ありがとう」
礼を言いながら降りれば、目に入ったのはこれから共に学ぶ学生達の双眸。馬車の紋章で誰なのか察した事による驚きなのだろう。総じて目を見開き、その場に立ち止まっていた。きっと普段であれば声で溢れる登校時間は静寂に包まれている。
注目される事に慣れていないアンネマリーは居心地の悪さを感じた。だが此処で動揺してもしょうがないと腹を括り、口元に力を入れる。
「行ってらっしゃいませ」
馭者にきちりと礼をされ、アンネマリーはそれに対して微笑んだ。
「行ってくるわね」
『微笑む』それだけの事なのに静寂を守っていた空気が乱れ、そこかしこから小さい声が漏れる。
その声は主に驚きとアンネマリーの容姿の事であったのだが、アンネマリーは緊張からかそれには気付かず、家人から言われていた案内役を探していた。
(さて、教室はどこだろう。案内役が校門にいると言われたけど)
不自然に見えない程度に周りを見渡していると、一人の男が声を掛けてくる。
「アンネマリー嬢」
それは見覚えのある男だった。何度か試験官として接した事がある。アンネマリーは記憶にある筈の名前を捻り出し、その名を呼んだ。
「ハミルトン先生」
「おはよう、初登校だね」
「おはようございます。先生が教室まで案内して下さるのでしょうか?」
「そうだよ。光栄な任務だよね」
サラリとした黒髪に猫の様な目をした、コリン・ハミルトンは経済学の教師である。伯爵家の四男坊という事もあり、何処か自由さを感じる性格は貴族の枠から少し外れていた。
「じゃあ行こうか」
「はい」
コリンは嬉しそうに目を細めるとアンネマリーの歩幅に合わせて歩き出した。途中にある施設の説明もしてくれるらしい。
玄関から校舎へ入り、長く続く廊下を進みながら、途中途中にある施設の説明を適当な相槌で聞いていれば突然コリンが立ち止まった。
「先生…?」
一体どうしたのだろうと声を掛けると、コリンはアンネマリーの横から真正面に移動し、まじまじとアンネマリーを上から下まで見た。不審な行動に困惑をしているとコリンは自身の顎を指で触り、納得した様に頷く。
「うんうん!」
「うん?」
突然の事に疑問符を頭に浮かべると、彼は何事もなかった様にまたアンネマリーの横を歩き出した。
「制服姿の君を見れるなんて嬉しいな。教師生活していて良かった事のひとつになりそうだ」
(どういう事だろう。そのままの意味で取ってもいいの?)
通常でもニヤケ顔のコリンをアンネマリーは横目で見る。その顔は更にニヤついており、付けてはいけない眉間の皺をつけそうになった。
「……それは、光栄ですね」
気持ちの悪い人だ、と素直に思う。何を思ってこんな行動をするのか理解不能だった。
確かこのコリンという男は試験官で来た時『噂のヘルマン侯爵令嬢がこんなに素敵な人だったなんて』と両手を握ってきた。突然触れられ不快感を感じ、何とパーソナルスペースが狭い人なのだと思っていたが。
(それだけでは納得できない奇怪さを持ってるわ)
コリンに悟られない様にじわじわと距離を取っていると不意に横から顔を覗き込まれた。
にんまりとした猫目が視界いっぱいに入り、アンネマリーは後ろと横に一本づつ下がる。顔が引き攣るのはご愛嬌だろう。
「ねえ知ってる?アンネマリー嬢はここの教師に人気なんだよ」
顔を前にパッと戻し、コリンはそう言った。
「え、」
色々と処理が追いついていないアンネマリーは少し前を行くコリンの背中をジッと見た。コリンは楽しそうに言葉を続けていく。
「入学時からずっと満点首席なのに一度も登校してこない。不正をしているのでは?と普通よりも厳しい監視の元、試験をすれば逆らうこと無くそれを受け入れまた満点を取る」
普通じゃありませんよ!と笑いながらいうコリンにアンネマリーはやはりあの体制は普通ではなかったのかと改めて認識した。
(まぁ、自分もおかしいと思ったはいたけど。魔力遮断具まで使うなんて犯罪者扱いだもの)
「そんな令嬢気になるに決まってるじゃん!だから出張試験官の倍率の高かった事高かった事!」
「…………」
「希望者は最近は30人程だったかな?で、定員が5人!倍率はなんと6倍!本当は不正しなさそうと分かってからは1人でも良かったんだけど、噂の令嬢を見たいというミーハー根性丸出しの教師達がもっと増やせと抗議して5人に落ち着いたってわけ!」
そんな理由で多くなったのかと隠しきれない苦笑いをハンカチで覆った。
学校とは変人の集まりなのだろうか。確かに研究者には一つのことにのめり込む体質の人が多くいる事から変人は多くいると聞く。だが学校の教師は世間と関わりがある為、ある程度の常識はあると思っていた。自分の好奇心の為にそんな抗議をしていた等ちょっと頭おかしい。
明らかに引き気味のアンネマリーを知ってか知らずかコリンは『私は色々と優秀だから結構勝ち取ってたんだよ!』と跳ねる様な声で言った。
(そんな事言われても……)
「…ははは」
久しぶりの俗世は刺激が強い。どう処理していいのか分からない事ばかりだ。
まだまだ話しているコリンを横目にアンネマリーは校門から途切れない沢山の視線の存在をふと思い出した。
そういえばずっと見られている、と時々合う視線に笑みを返せば、誰も彼も小さく悲鳴を上げていく。
(凄い化物扱いされてる。まぁ、ゴーストレディだからなぁ)
仕方がないか、と止まらないコリンの話を『まぁ』『へぇ』『そうなんですね』で聞き流していると窓の外にドーム型の温室が見えた。
「自分は魔力が少ないから本当にアンネマリー嬢を尊敬していて、いやそれ以上でほん」
「ハミルトン先生」
言葉を遮り名を呼べば、漸く止まった声にアンネマリーは目線を外に向けたまま口を開く。
「あれは温室、でしょうか?」
「ああ、そうそう!温室だよ!でも結構廃れててね。椅子もテーブルもないからあんまり人は近付かないかな」
「そうなんですね。どういうものが植わっているのでしょう」
「自分も行った事ないからわかんないなぁ。今度行ってみたら?良かったら着いて行こうか?」
「いえ、一人で行ってみます。お気遣いありがとうございます」
今日の放課後にでも行ってみようと止まっていた足を動かす。コリンはツレないねえと猫の目を細めてクツクツ笑った。
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