44.竜とアンネマリー
遠くにあっても肌にピリピリと感じる魔力はあの竜のものだろうか。巨大な体躯をゆるりと動かし、辺りを見回しているだけなのに体が支配された様に動かなかった。感じた事のない体の奥から湧き出る死への恐怖にエドウィンの思考は一瞬にして空白になった。
竜、それはかつて世界を支配していたという存在である。御伽噺にも似た創世の古文書に姿を描かれている。竜自体は今も存在しているが、竜と言うよりトカゲに似ており、体長も大きい種類で10m程。他の魔獣よりは巨大な部類には入るが、体格が巨大な分動きが鈍く、経験がそれなりにある人物であれば三人で討伐可能だ。それ程恐ろしい存在ではない。
だが今、見える竜はこの森の木よりも遥か巨大であり、恐らくだが20m以上はある。もしかしたらもっとかもしれない。しかもあの翼。見掛け倒しではなく飛べそうだ。
エドウィンは自国で読んだ創世記の内容を思い出そうとした。確かあれに出ていた竜は一ヶ月で大陸を滅ぼし、妖精に世界を作り直させたとあった筈だ。
呆然と竜を見ながら必死に記憶の蓋を開けていく。あれこれと紐づけて、細切れな記憶を繋ぎ合わせる。周りから聞こえる悲鳴をシャットアウトし、記憶の中の竜の情報を組み上げれば一つの仮説にたどり着いた。
エドウィンの記憶によると原色に近い竜は原初の竜と言われているものだ。あの竜は黒みがかった深い紫の鱗を持っている。その事からその原初のものである可能性が高い。だが、それだとおかしい事もある。創世記によると原初の竜は確か妖精により深い眠りに落ち、二度と目覚める事は無い筈なのだ。大陸を滅ぼした一匹の竜のせいで連帯責任を取らされた原初の竜達は大人しくその罰を受け入れ、眠りについたと、そう言われている。ちなみに眠りについた場所が大陸にいくつかある山だと言われている。
紫が入っているから違うのかも知れない。だが、限りなく黒に近い鱗だ。紛い物、そんな言葉が浮かび、頭を振る。紛い物を作る技術など無い筈だ。あってはならない。
竜はその場から動く事なく、まだ辺りを見回している。獲物を探しているのか、はたまた此処は何処なのか考えているのか。いかんせん、竜の考えなど分かるわけもないので緊張感ばかりが増していった。
アンネマリーは無事だろうか。あの竜が居る辺りに恐らくアーベルが居た。ならばアンネマリーもそこに居る筈なのだ。
エドウィンは呆けていた頭を戻し、竜を目印にアンネマリーの元へと戻る為に森へ目を向ける。
「君はひとまず救護テントへ行くと良い。そこに人が集まっているだろうから」
そして背後で腰を抜かしているペアの子にそう言えば、ペアは何度もカクカクと頷き、体勢を低くして救護テントへ向かっていった。
その背中を見送ってエドウィンは森へと足を向けた、その時だった。
魔法陣が不意に地面に浮かんだのだ。それも一つではない。地面を覆い尽くす量の魔法陣が紫色に淡く発光している。拠点に居た人々は竜の出現と間を置かず現れた魔法陣に恐怖と怯えの悲鳴を上げた。この場から逃げ出したい。だが、そこかしこに魔法陣がある為、変に動く事も出来ず、その場に震えながら立ち尽くすしかなかった。一体これ以上何が起きるのか、エドウィンも反射的に身構えた。すると目を覆う程の眩い光が陣から漏れ始める。目を逸らせば何かが起きた時に対処が出来ないかも知れないと、僅かに開けた瞳で見ていれば、そこに見知った制服の生徒達が現れた。
皆がきょとんとした表情をしたまま、魔法陣の上に居る。ある人は座り込み、またある人は立ったまま呆け、拠点にいる事を理解出来ずにいる様だった。
元々此処に居た人達も同様で、現れた友人達に理解が追いついていない。だが、段々と理解が追い付いてきた者から友人に駆け寄っていった。その頃には地面にあった魔法陣も消え、何もなかった様に草が所々ある地面が見えるだけだった。
「これは……集団転移?誰が」
呆然と人々の再会による歓喜の声を聞いていたエドウィンは、誰?と考えたところで一人の人物を思い浮かべた。先程、自分を同じ様に強制的に転移させた存在。
「アンネマリー……」
確信だった。やるとしたら彼女しかいない。エドウィンの時は接触型だったが、彼女なら遠方にいる人物も出来るに違いない。そう、この魔法陣の様に。
ならば彼女は無事なのだろうか。もしかしたらこの中に居るかも知れない。エドウィンは周囲を見渡し、見える範囲に居ないと解るとアンネマリーを探し、歩き回った。
「エドウィン殿下!」
「サラ嬢!」
「アン見ました!?」
「俺も探している、という事は見てないんだな」
「ええ」
お互い見ていないという事で暗い表情をした。恐らくあのアンネマリーだ、無事だろうと思うが姿を見ない事には落ち着かない。
エドウィンとサラは別々に探そうと別れ、反対方向へ駆けていく。そうこうしているとある方向から騒めきが聞こえてきた。エドウィンはその騒めきの方へ方向転換すると既に出来ていた人の壁をすり抜ける。
「すまない!通してくれ!」
切羽詰まった声で掻き分け辿り着いた先には探していた人物、アンネマリーが居た。
だがアンネマリーだけではない。アンネマリーの横にはふわふわと浮く球体があった。
エドウィンはそれを驚愕の表情で見た。その中に居るのはアーベルだった。真っ黒な瞳のまま、気を失っているそれは体から粘着質な黒い液体をとろりと垂らしており、その液体が球体の底に溜まっていた。
周りの生徒達は見覚えのある教師の異常な状態を青ざめた顔で見ていた。悲鳴をあげる者も居た。当然だろう。人から黒い液体が漏れるなどある筈もないのだから。黒い瞳も明らかにおかしい。だが、何故か次第とそれよりも横に居るアンネマリーの異質な様子に皆、視線を奪われていった。
作り物の様に美しい顔が疲れからか憂いを帯びて見える。その気怠げな様子に男女共に息を飲んだ。いつもの半分も開いていないルビーの瞳が更に伏せられ、隣の球体を軽く押す。するとふわりふわりと球体が前進した。球体は完全密封の結界だろう。中の液体がとぷんと揺れた。
明らかに疲れているアンネマリーはくしゃりとホワイトゴールドの髪を片手でかき上げ、ふぅと息を吐く。いつの間にやら囲まれている状況に首を傾げ、視線だけ左右に動かした。一定の距離を取られていたが、その中でも見知った男が一人飛び出してきた。
「アンネマリー!」
エドウィンが今にも抱き着きそうな勢いで近付いて来て、アンネマリーは数歩下がる。右手で動きを制止し、心にも無い笑みを浮かべた。
「殿下、無事着いてて良かったです」
アンネマリーは腕を掴まれていた時の事を根に持っているのか、壁を感じる呼び方をした。感情も篭っていなさそうな声にエドウィンは少しばかり悔しそうにしたが、気にしていない体で球体に包まれているアーベルを見た。
「生きているか?」
その問いに軽く首を捻り、何とも言えない笑みを浮かべる。
「分かりませんね、どうでしょう。ここから出すのもちょっとまだ怖いんで」
「そうか」
アンネマリーが言う通り、球体の中にある液体を放出するのはあまり勧められない。それにエドウィンが最後に見た時はこんな事は無かった筈だ。という事はあの後にこうなったという事だろう。
「これは何だ……」
「知りません、ですが」
視線をアンネマリーは後方の竜に向けた。
「地面に落ちたコレからあの竜が出てきました」
スッと細められた瞳に恐怖は見えず、ただアレをどうしようかという戦意だけが見える。
まさかアレを殺る気なのか、とエドウィンはアンネマリーの腕を掴んだ。その衝撃にアンネマリーは竜に向けていた瞳をエドウィンに戻し、首を傾げ、口元を引き攣らせながら笑った。
「まさかまた止める気です?」




