40.実態のある闇
「生贄……」
アンネマリーの言葉にエドウィンは眉を顰め、呟いた。近年あまり聞かない言葉に戸惑いが声から滲んでいる。
生贄、何かの媒体ともなり得るもの。リリーは何かを代償としてこれを生み出す手伝いをされたのかもしれない。しかも自分の知らない間にだ。これが何なのかは分からない。だが、こんな見ただけで禍々しいもの普通の魔の物ではない筈だ。
魔物?魔族?いや、それを生み出すものなのでは?
アンネマリーは自分の馬鹿げた推測を立証しようと闇を見つめ続ける。すると突然、頭上の闇がゆっくりと垂れていくのに呼応する様にリリーが勢いよく起き上がった。
「えっ!」
意識などないと思っていたアンネマリーは突然の行動に驚きの声をあげる。意識が戻ったのかとリリーの顔を見上げたが、真っ黒な瞳と低音を発したままであった。
「意識は無さそうだな」
同じ事を思ったエドウィンが憎らしげに声を出す。それにアンネマリーも頷き、リリーをこの場から逃さぬ様腕を掴んだ。アンネマリーの考えが正しければ、あの闇の元で行く気であろう。どう考えてもあの闇へ行くのは悪い気しかしない。リリーがそこに行く事が今起きている事の起爆剤になる確率が高い。
その証拠に頭上の闇はリリーを欲しそうにタラリと垂れ続けている。アンネマリーが腕を引っ張り、エドウィンがリリーの肩を下へ下へ押していく。だが、何の力が働いているのかリリーの体は闇を求め、上へと手を伸ばした。
「クソっ!」
エドウィンは先程リリーに使用した術を発動させている様だが、全く効かないのか焦りから汚い言葉を吐く。闇とリリーの距離を確かめながら掛ける力を増していくが、それでも距離は開く事なく、とろりとろりと闇はリリーを絡めとろうと落ちてくる。
あと少しでリリーの手に届いてしまう。混ざり合う闇がリリーの指先に触れる瞬間、アンネマリーは思いついた様に結界を張った。力でリリーを抑え切れないのであれば封じてしまえば良い事。三人まとめて結界で覆えば、闇はリリーに届く事は無く結界の膜の上を探る様に滑っていく。
その様子を安堵の面持ちで二人は見て、緊張から解き放たれたからか同時に大きく息を吐いた。最悪の事態は回避できたと思う。リリーから手を離し、頭上を見る。複雑な色をした闇がリリーを欲して結界を舐める様に滑っていた。リリーも結界から出ようと爪でカリカリと引っ掻き続けている。リリーの低音が結界内に響き、緩んだ意識が引き戻された。
このままこの場に居ても何も解決はしないだろう。どうしたものかとアンネマリーはエドウィンを見る。
「さて、これからどうするか」
「そうですね」
顎に手をやり、アンネマリーは暫し思案した。リリーを此処に隔離したとしても外の闇をどうにかしないと状況は何も変わらない。だとしたらリリーを此処に残してアレをどうにかするしか無い。だが、方法は?あの不定形なものを結界で封じる事は可能なのだろうか。
頭上でリリーを探す様に蠢く闇を見る。見た事無いものだが、結界にへばりつく様子を見ると実態はある。ならば封じる事も出来る筈だ。アンネマリーは一人頷き、エドウィンの名を呼んだ。
「私はこの外に出て、アレを封じれるか試してみます。リリーさんの事を頼めますか?」
本当に封じれるかは分からない。だが、試さない事には事態は解決しない。もし封じれる事が出来なくても他の手段を考えられる何が起こるかもしれない。
決意を固めたアンネマリーは自身が張った結界に触れる。エドウィンの返事を待たずに出ようとすると不意に肩を掴まれた。肩の手を見てからその主に視線を移すと険しい、必死そうな顔のエドウィンが首を横に振っていた。
「駄目だ。俺がやる」
ギリリと肩に食い込む指。普段だったら痛さを感じるだろうが、アンネマリーはこの状況の緊張感からか痛みは感じなかった。それよりも止められた事に対しての不快感が勝つ。アンネマリーは肩の手を払う様に身を捩ると止めるエドウィンの言葉を無視して半笑いで結界から抜け出て行った。
「大丈夫です、何とかしてみせます。それに私、こういう謎みたいの解くの好きなんですよ」
結界越しにそう言えばエドウィンは絶望にも似た表情をした。ガンガンと結界を叩き、何度もアンネマリーの名を呼ぶ。
「ならば俺も此処から出せ!共にっ!」
必死な形相でそう言うエドウィンに嫌味じみた微笑みを向ければ、結界を叩く音が一層大きくなった。この結界はアンネマリーが作ったもの、エドウィンがどんなに叩いても早々破れるものではない。
アンネマリーは笑みを消し、視線を結界の頭上にある闇に向ける。中心が蠢く闇に鳥肌が立つ。これは恐怖?それとも単に嫌悪感?ぞわぞわと粟立つ腕をひと撫し、アンネマリーは瞳に力を込めた。
「さて」
やろう。取り敢えずやろう。アンネマリーは蠢くソレに向かい、手を伸ばす。ふっと息を小さく吐き、心を落ち着かせる。頭の中で術式を編み、闇の遥か上空に籠を出現させた。その籠は金色に輝く、格子状の檻にも見える。闇はやはり意識を持っているのだろうか。自身の頭上に籠が現れた瞬間、その動きを止めた。そしてずるりと下から上へ動き始めたのだ。
「本当、あなたは何者なのかしらね」
自嘲気味にアンネマリーは言い、広げていた指を順々に握ると、グッと腕を引き拳を作った。
―――キンッ
金属音にも似た音が響き、金色の籠が真っ直ぐと落ちる。そしてしゅるりしゅるりと闇を絡み取る様にその籠に納めていく。闇が逃げる様に籠の隙間から溶けていくが、それさえも逃さないとばかりに金色の糸が道を塞いだ。逃げ惑う闇を捕食する様に籠へ納める様子をアンネマリーは集中を切らさぬ様に見つめ続けた。
全て納め終わればきっと全てが終わる。籠に納めたら空間魔術で結界内を圧縮し、消滅させれば良い。そう考えたアンネマリーは順調に闇を捕らえる自身の術に込める魔力を増やしていく。魔力を増やしていく毎に絡め取る速度が増していき、ものの数秒で闇は全て籠に収納された。
籠の中で暴れる闇は籠を壊そうと膨張をしているようだ。空から不快な音が聞こえるが、入ってしまえばこちらのもの。アンネマリーは口端をニヤリと上げた。
「さようならね」
―――パチン
アンネマリーが指を弾く。その音を合図に籠がどんどんと収縮していった。ゴウンゴウンと抵抗している音が響くが、それも籠が小さくなるにつれ、小さくなる。空に残る籠はあと少し。アンネマリーがひと瞬きするとそれはシュポンと跡形も無く消えた。




