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39.闇の形


「何で!何で!!何でエドウィン様は私の事が好きなのよね!?」


 慟哭にも似た叫びにエドウィンは目を丸くしながらそれを聞いた。一瞬口を開こうとしたが、リリーがまだ喋りそうな気配を出した為、グッと口を噤む。その顔はやはり不思議そうで、地雷を踏み抜きそうな予感がバンバンした。

 アンネマリーも散々リリーに酷い事を言ってはいたが、好意を寄せている人に言われると更にショックが大きそうだ。アンネマリーはリリーの八つ当たりを避ける為に数歩エドウィンから距離を取った。


「エドウィン様!私をあの女から守ってよ!!見て!こんなに酷い事をされたの!!酷いでしょ!?その女がやったのよ!!」


 エドウィンはアンネマリーを見る。事実確認というところだろうか。どうなんだ?と言いたげな顔にアンネマリーは首を横に振る。

 髪を振り乱すリリーはアンネマリーの否定に『嘘吐き!!!』と叫んだ。分かっていた事だが、何度も責められると心に来るものがある。何故こんなにも憎まれてしまったのか。あぁ、エドウィンと一緒にいるからか。

 アンネマリーは諦めの境地でその場に立っていたが、エドウィンは初めて接する激情型のリリーに不敵な笑みを浮かべて応戦した。


「嘘を吐いているのはお前だろう。何故アンネマリーがお前を攻撃する必要がある?」

「私は嘘吐いてなんかいないわ!!あの女は私がエドウィン様に好かれているのが気に食わないって嫉妬したのよ!!!」

「俺がお前を好いている?何故そう思っているのか疑問だな。俺はお前に好意をこれっぽっちも持っていない」

「嘘よ!!好きって言われたわ!!!」

「誰に?俺に?俺はお前とかち合わない様に生活してるんだぞ?言うわけないだろう」

「嘘!!嘘!!!」

「あとアンネマリーが嫉妬だと?それこそおかしい。俺はアンネマリーに婚約を申し出ているが、まだ承諾されていない」


 突然の婚約話にリリーは一瞬言葉を止めた。だがその言葉を理解した瞬間、歪んだ顔で口を開く。

 

「な、なんでエドウィン様があんな女に婚約を申し込むわけ?」

「何故って、俺がアンネマリーに好意を持っているからだ。俺が好意を持っているのはお前ではなく、アンネマリーだ」


 はっきりとした拒絶にリリーは顔を固まらせた。先程まであんなに動いていた口も中途半端に開いたまま固まっている。

 エドウィンはリリーから目を逸らさず、もう一度念を押す様に口を開いた。


「俺が好きなのはアンネマリー1人だ」


 まさかこんなところでそんな事を言われるとは思っていなかったアンネマリーはポカンと口を開いたまま、エドウィンを見た。何度も言われる自分への好意に心が追い付かず、心の中で何度も『え、え、え、』と動揺してしまった。嬉しい?まあ嬉しい。嫌われるよりは良い。だが何度も言われると居た堪れなくなる。


 エドウィンもリリーから視線を外し、アンネマリーを見る。その顔は心なしか誇らしげであった。どういう感情からの表情なのか。アンネマリーはにへらと笑い、取り敢えずその場を凌いだ。


 目の前から注がれる強い視線の主は今にも噴火しそうな程、怒りを全面に出していた。赤い顔で目を吊り上げている。皺の寄った鼻がピクピクと動き、それと連動して口元も細かく動いていた。


 アンネマリーは凄まじい怒りの形相を正面から受け止め、じっとリリーを見る。元は可愛かったのに、怒ると本当に恐ろしくなる。


 ふと、アンネマリーはリリーの胸元に光るペンダントが目に入った。それは黒い石が中心にある花のペンダント。可愛い趣味そうなリリーに似つかわしくない色の物だった。しかもそれを良く見ていると何故かそこだけがぼやけて見え始めた。


(認識阻害?いや、これはモヤ……?)


 ペンダントから薄く薄くモヤが漏れている事にアンネマリーは気付いた。どういう事だろうとそれを観察していると怒りが最大まで膨らんだリリーが身振り手振りで爆発する。


「何で私じゃないの!?」


 真っ赤な顔でエドウィンを責めた。だがエドウィンの平然とした顔を認識したリリーは喉が切れんばかりに叫んだ。


「私がお姫様なのよ!!!」


 その瞬間、リリーの胸のペンダントが弾けた。パリンと言う音と共にリリーの体がぐらりと地面に倒れる。突然意識を失ったのか、受け身も取らずに崩れ落ちた様は人形の様であった。

 その様子を呆気に取られて見ているとリリーの胸から黒いモヤが空へ上がっていく。そのモヤは元は黒い石であった事がペンダントから立ち上がってくる様子で分かった。


 黒い石がふわりと空へ溶けていく。石であるのにまるで液体の様に気化して上へ上へ広がっていく様子にアンネマリーは違和感を覚えた。それと同時に妙な不安感が襲い、倒れているリリーに急いで近寄った。

 何も考えず体を起こそうとアンネマリーが触れたせいでバチンと結界に弾かれる。アンネマリーは失念していた事に歯噛みをし、自身に掛けた結界を解除した。そしてリリーの上半身を抱え、パチンパチンと頬を叩く。先程の結界の弾きにも起きなかったのだ、頬を叩いた程度では起きもしなかった。


「リリーさん!リリーさん!貴方何を持っていたんですか!?」


 声を荒げ、呼び続けてもうんともすんとも言わず、リリーの顔色は青白くなっていく。アンネマリーが体を抱えている間にも急激に体温が下がっているのが分かった。


「アンネマリー、あれを見ろ」


 リリーを呼び続けていると、それまで状況を見ていたエドウィンが険しい声を出した。アンネマリーはエドウィンが指差す方を見る。


「え、」


 そこにあったのは渦巻く様な闇だった。空にぽっかりと空いた穴が黒や紫、黒に近い緑と様々な色でうごうごと渦巻いていた。何かが這い出てくるのか、それとも引き摺り込もうとしているのか、動くそれは意志を持っている様にじわりじわりと闇を増やしていく。


「何、あれ」


 前世でも見たことの無い事象にアンネマリーは自身が鳥肌が立っていくのがわかった。あれは深く考えなくても分かる。とてもいけないものだ。見ているだけで邪悪さに身震いする。空間を作る魔術は多くはない。だがどれもこれもこれとは違う。全く違う構造のものだ。

 従来のものは空間を繋げる事が主である。だがこれは繋げているというより、作り上げているに近い気がする。それも意志を持って。徐々に大きくなる穴に目を離せないでいると膝で寝かせていたリリーの体がビクリと動いた。


「リリーさん!気がつきました!?貴方何を……」


 起きたのならあのペンダントが何なのか聞かなくては、アンネマリーは穴から視線を勢いよくリリーに戻しながらそう早口で口にした。だが言葉は最後まで紡がれる事はなく、口が言葉を成せずに固まった。


 リリーの瞳が真っ黒だったのだ。白目と黒目の境界も無く、只々真っ黒な瞳がどこかを見ていた。口を大きくポカンと開き、真っ黒な瞳が瞬きもせず揺れもしない視線を何処かへ向けている。

 そのゾッとする光景にアンネマリーは息を呑んだ。生きているのだろうか、これは。あまりに人間離れした様子に心臓の鼓動が速くなり、吐き気を催した。


 これは一体何が起きている?空にある闇と真っ黒な瞳となったリリー。そして黒い石が嵌め込まれたペンダント。リリーの胸にある石の無いペンダントを見るが、土台には不思議な点は無い。だとしたらやはり問題はあの石だろう。


「アンネマリー!それを持って避難するぞ!何が起こるか全く予想がつかない!」


 焦るエドウィンの声を何処か遠くで聞きながらアンネマリーはリリーを見て、空を見る。渦巻く闇は最初よりも倍近く大きくなっていた。


「石、闇……リリーさん、黒い瞳……」


 何も繋がらない。でも、何処か引っかかる。石はきっと魔石に違いない。黒い魔石なら闇属性だと思う。だが、こんな事が起こる魔石は見た事が無い。ならばこれは?

 アンネマリーはリリーの黒い瞳を見る。真っ黒な光を一切感じない瞳。開いたままの口からは『あーーーーー』と低音が息継ぎもなく発せられて始めた。


「アンネマリー!!」


 リリーの声に意識を持っていかれているとエドウィンに肩を掴まれた。突然の接触に大袈裟な程体を跳ねさせ、振り返ればリリーの様子を初めて認識したエドウィンが大きく目を見開き、息を短く吸い込んだ。


「何が起きている……?」

「分からない」


 エドウィンはアンネマリーの肩から手を離し、その場にしゃがみ込み、リリーの顔を覗き込んだ。ただでさえ見開かれているリリーの瞳を親指と人差し指で更に開き、凝視をする。瞼を閉じようともしたが、一向に閉じる気配は無かった。


「これは、なんだ……」


 二人とも知らない事象に黙り込む。アンネマリーは空の闇に、エドウィンはリリーを見て考え込んだ。


 リリーは何をしたのだろうか。いや、これはリリーがしたくてした事ではないのかもしれない。リリーの性格からすると自分が犠牲になる事は決してしないだろう。だとすると彼女は偶然何かをしてしまったか、利用をされた可能性が高い。偶然だとしたら恐ろしいが、利用されていたとしたら何が目的なのだろう。


 アンネマリーは直前までのリリーを思い出す。感情が昂り、エドウィンにまで怒りをぶつけていた。でもアーベルとは違い、魔力の暴走は起こしていない。魔力の揺らぎも無かった。


(あんなに感情的だったのに魔力暴走しないなんてある?)


 しかもリリーは魔力制御が苦手の様だった。それなのに魔力は普通にあった。普通であれば暴走していてもおかしくない事例だ。だって今日だけで何度リリーは声を荒げた?それなのに漏れ出る魔力を全く感じなかった。


(実は魔力制御が出来ていた?いや、申し訳ないけどそんな筈はない。彼女は魔術はからっきしだった)


 ならば何故?


 アンネマリーはいつぞやにカーティスから貰った魔石を思い出した。あれは確か魔力を溜められる様なものだった気がする。まだ何も研究出来ていないが、使い様によっては魔力を吸い上げ続ける事も可能な気がする。


「魔力を魔石が吸い込んでいて、暴走を防いでいた?」

「どういう事だ」

「リリーさんは魔力制御が苦手だったの。でも怒りで暴走をしなかった。あんなに怒っていたのに、揺らぎさえも感じなかった」


 そう考え出したらそうとしか思えなくなってきた。


「ペンダント、ペンダントが吸い込んで、でも何でこんな」


 声に出して頭を整理する。片手を口元に当て、リリーを見る。黒い瞳を、そして止まらない低音の声。


(まるで呪われているような)


「エド」

「なんだ」


 アンネマリーはリリーを支える腕に力を込めた。


「リリーさんは誰かに生贄にされたのかも知れない」


 くしゃりと顔を歪めて言えば、エドウィンが息を呑んだ音が聞こえた。空の闇はとろりと溶ける様に円を崩していく。その垂れた先に居るのは自我の無いリリーだった。




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