37.疲弊
アーベルの魔力が膨らんだ瞬間、アンネマリーは自分から半径2m程ある円形の結界を張った。まさか魔術師が感情の昂りのまま魔力を暴発させるなんてお粗末な事をするとは。しかもそれを制御する事を教える教師が、だ。
結界の外はまさに嵐で、バキンバキンと物凄い音で森が壊れていく。まるでおもちゃの様に面白い程倒木していく様にアンネマリーは笑えてきた。
(これが教師とか)
魔術師が感情を制御する等、初歩中の初歩。それなのに少し煽られただけでこうなるとは器が知れる。そもそも最初に嫌味を言ってきたのはアーベルなのに、それを返しただけで暴発するとは煽り耐性無さすぎではないだろうか。攻撃する人程、攻撃されると弱いというのは本当らしい。
アンネマリーは暴風吹き荒れる様子をじっと眺め、治まるのを待つ。アーベルは未だ真っ赤な顔で何やら叫んでいる。リリーはそんなアーベルの足元に必死でしがみついていた。もう可愛い髪型も顔もぐしゃぐしゃだ。リリーは赤いと言うよりも青い顔をしている。それはそうか、この暴風の中、何も守るものもなく居るのだ。さぞかし怖かろう。
(そろそろ魔力切れるかな)
アンネマリーがそう考えていると、ちょうどアーベルの赤い顔がどんどんと土気色になっていく。大きく開いていた口も小さくなっていき、目がグラングランと右へ左へ揺れていた。頭もそれにつられて大きく揺れ、次の瞬間、ガクンと膝から後ろに崩れ落ちた。遠目からではよく分からないが、泡を吹いている様に見える。
それと同時に段々と嵐の様に吹き荒れていた風が、そよそよと爽風に変わり、暴れていた葉がはらりはらりとゆっくりと舞い落ちた。どうやら漸く止まった様だ。
アンネマリーは結界を解除し、倒れているアーベルに近付く。見事な髭は汚い唾液の泡に塗れ、見事に白眼を向いている。
「………」
そしてアーベルの足元を見ればリリーが技をかけられた様に絡まっていた。呻いているところを見るとこちらは意識がありそうだ。
あまり手を貸したくはないが、ここで助けないのもまた騒ぎそうだと思い、アンネマリーはリリーの足を片手で引っ張る。すると勢い余ったのかゴチンという音と共にアーベルの足から抜け出てきた。
「いった!アンタ!ちょっと!!どういう事よ!」
「…………」
助けても助けなくても騒ぐのはどういう事なのだろう。だったら助けない方が静かな時間が過ごせた気がする。アンネマリーは呆れながらリリーから視線を外した。
「アンタが先生に何かしたんでしょ!!何よさっきのアレは!!アンタって本当悪魔ね!!」
「あれは先生の自業自得ですよ。感情を制御出来ないからああなったんです。だから私は全く無関係ですよ」
「嘘よ!!」
リリーは地面に座り込んだまま、そう言うとアンネマリーを指差した。
「今に見てなさいよ!アンタのその偉そうな態度もこれが終わったらおしまいなんだから!!」
「……そうですか」
いい加減リリーの妄想癖には付き合いきれないアンネマリーは深く溜息を吐いた。話が噛み合わない事は辛い。一体リリーは誰と話をしているのだろう?頭の中の誰か?視線はアンネマリーに鋭く向けられているが、会話をしているつもりなのだろうか。
アンネマリーは自分の髪を乱暴にガシガシとかき、そのままかき上げた。
(無残な木々と失神している老人、五月蝿い女)
全てが煩わしい。アンネマリーは目を座らせたまま、視線をやや上に向けた。疲れた、とても。そうとても疲れた。人の悪意は疲れてしまうし、自分の怒りも体力を消耗させてしまう。
喚き続けるリリーの声が膜を張った様にぼやけて聞こえる。顔もふにゃふにゃと歪む。耳の奥で心臓の音だけが聞こえた。
「アンネマリー?」
思考を放棄しようとしたアンネマリーの耳に聞き慣れた低音が聞こえてきた。それにつられて、声の方を見れば険しい顔をしたエドウィンが一人横倒しになった木の上に現れた。
一瞬で戻ってきた意識にアンネマリーは目に光を戻し、エドウィンの名を呼ぶ。
「エドウィン殿下」
エドウィンは辺りを見回しながら近付いてくる。その途中、当然アーベルが視界に入り、目を見開いた。
「何があった」
この残状に、失神している教師を見れば当然の質問だ。アンネマリーは片手で頭を押さえて、顔を顰める。それだけでエドウィンは何かを理解したのか小さく頷いた。
「今、俺のペアに他の教師を呼んで来て貰っている。怪我はしてないか?」
「私はしてないですね」
「エドウィンさまぁ、私怖かったですぅ!アンネマリーさんがぁ」
先程まで声低く口悪く喚いていたのに、リリーはエドウィンが現れた途端キュルンとぶりっ子に変身した。その変わり身の速さに呆気に取られる。
「それにぃ、私足も怪我しちゃってぇ」
リリーはひょこひょことエドウィンに近寄り、体を預ける様にしなだれかかると上目遣いをした。
「いたいんですぅ」
それをエドウィンは冷ややかな瞳で見るとリリーの両肩を持ち、自身から離す。その勢いにリリーは本当に足が痛いのだろう、ふらついてしまった。
「あっ」
「痛いのなら座っていると良い」
エドウィンがリリーの肩をポンと叩くとリリーは力が抜けた様に座り込んでしまった。ペタンと地面に足と手をつき、呆然としている。恐らくエドウィンが何かしら魔術をかけたのだろう。でなければこんなにも大人しく離れる訳がない。
アンネマリーはエドウィンという味方が来てくれた事に安堵した。そして自分を大丈夫かと覗き込む碧眼に微笑み、小さく頷く。
「ありがとう、ございます。エド……」
愛称でそう呼べばエドウィンは驚いた様に目を見開いた後、いつもより柔らかく笑った。その笑顔はいつか見た、『クラウス』の笑顔の様であった。




