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35.始まりの転倒


 森が深くなればなる程、愛玩動物にも似ている魔獣が出現し始める。それはウサギに似ているが、攻撃は見た目と反して可愛らしいものではなく、口から毒を吐き出すというものだ。しかもその毒に触れると肌が赤く爛れ、一週間は熱が引かないという厄介なもの。

 その魔獣、キラーラビットをアンネマリーは得意の炎でポンポンと屠っていくが、先頭を行くリリーは見ているだけで本当に何もしなかった。


 リリーはキラーラビットを最初見た時、いけるかもしれないと構えていたが、毒を吐かれた瞬間やる気を消失したようだ。物凄い速さでアンネマリーの背後に回った。

 しかも『早く倒しなさいよ!』と周りに人がいないからかぶりっ子をやめて叫んでいた。アンネマリーは『そうそう、この反応よね』と心の中で頷き、リリーの言う通りキラーラビットに炎をお見舞いしてあげた。因みにお礼は無しである。


 キラーラビットを倒すとリリーはまたアンネマリーの前を行く。先程の毒が余程怖かったのだろう、歩みは最初の時より大分遅くなっていた。


(怖いなら先行かなきゃ良いのに)


 ごく当たり前の事を思い、アンネマリーはリリーが気付かず通り過ぎた魔獣を燃やしていく。この森にはキラーラビット以外にも甘い臭いを放つ蜘蛛が居る。それはサムサロスパイダーと言い、その甘い臭いで思考を鈍くさせ、餌場に誘導する厄介な奴。これは集団で狩りをするタイプの魔獣だ。大きさは10cm程と小さいが、餌場には何百もの個体がおり、来たところを集団で襲い掛かり喰らい尽くすという何とも恐ろしい魔獣である。


 それが雑草の葉の裏や、木の影にいるのだから燃やさない訳にはいかない。しかもリリーはアンネマリーがサムサロスパイダーを燃やしている事も気付いて無さそうだ。そんなに離れてはいないのにどうしてこんなにも魔力に鈍感なのだろうか。


 アンネマリーはポンポンと炎を飛ばしながらリリーを見る。何もせず、ただ歩いているだけで本当に何もしていない。たまに独り言を言っているようで、ボソボソと聞こえる。だが本当に小さくて何と言っているのかは聞き取れなかった。


 二人ほぼ無言のまま、森の中央まで歩く。ザクザクという足音とたまに聞こえるアンネマリーのボッという炎の魔術の音が嫌にはっきりと聞こえ、アンネマリーは息苦しさに口をへの字にした。早く演習を終えて帰りたい。期待していた程、魔力も消費出来ないし、何よりこの変な緊張感に疲れた。


 目の前のリリーの揺れる髪を見る。


(普通に可愛い子なのになぁ)


 ぼんやりと見ていると急にリリーが振り返った。その顔はニヤリと酷く感じの悪い笑みを浮かべている。


(なに)


「どうし」


 アンネマリーは『どうしたの?』そう聞こうとした。だが、その言葉は最後まで紡がれる事無く、悲鳴によって遮られた。


「キャーーーー!!」


 リリーは悲鳴と共に地面に横たわった。どしゃん、と勢い良く滑る様に倒れ、靴も脱げている。手もつかなかったのだろう、服も泥で汚れていた。

 突然リリーが悲鳴と共に倒れた為、アンネマリーは咄嗟に前を見た。だが魔獣の姿は無く、サムサロスパイダーの臭いもしない。


(魔獣はいない。でもだとしたら何で、何が起きたの)


 アンネマリーは倒れているリリーに駆け寄り、声を掛ける。


「大丈夫ですか!?何処か痛いところは?」


 何が起きたか全く分からないが、人が倒れたのは事実だ。アンネマリーは倒れているリリーの全身を目視し、怪我を探した。だが、見える様な外傷は無く、服が汚れているだけ。もしかしたら内側だけがやられてしまったのか?でもそんな事が出来る魔獣等いない。

 アンネマリーはリリーに声掛けを続けた。


「どうしたんですか?何があったのか教えて下さい」


 じっと動かなかったリリーがゆっくりと上体を起こす。髪も乱れ、顔にも泥が付いている。そしてその目はうるうると潤んでいた。


「酷い!私がエドウィン様とカーティス様に好かれてるからって攻撃するなんて!」


 声を張り上げ、リリーはしゃくり上げながら顔を覆った。


「………は?」


 あまりの出来事にアンネマリーは眉根を寄せる。全く意味が理解出来ず、短い声しか出ない。視線は目の前でひぐひぐと良く聞けば演技っぽい声で悲壮感を出している女に固定している。何を言っているのか分からなくて何度も何度もリリーの言葉を反芻した。


(エドウィン様とカーティス様に好かれている?誰が?)


 リリーは自分が二人に好かれていると考えているらしい。その認識にまず驚いた。言っては悪いが、恐らく好かれてはいない。

 しかもどうやらリリーの中ではアンネマリーが攻撃した事になっているらしい。アンネマリーがエドウィン等に好かれているリリーを嫉妬して手を出したと。


 全く意味の分からない出来事に白目を剥きそうになった。


 その間もリリーは顔を覆い、肩を震わせている。だがアンネマリーには分かる。泣いてない、絶対笑っている、と。


 どうしたものかと立ち尽くしていると、背後からガサガサと音が聞こえていた。アンネマリーは反射で振り返ると、これまた意地悪そうに笑みを浮かべた魔術の教師アーベル・バーゲンが居た。


「魔術を人に向けるとは、これは処罰は免れんな」


 見事に蓄えた髭を撫でながら、楽しそうにアーベルは言うと倒れているリリーに手を差し伸べる。リリーは涙で濡れていない乾いた顔をわざとらしくクシャリと歪めた。


(あ、これ嵌められたんだわ)


 アンネマリーは今世で初めて浴びた濃厚な悪意に心臓がバクバクと早鐘を打つ。


「先生、わたし怖かったですぅ」


 老人にしなだれかかる悪意の塊にアンネマリーは気を失いそうになった。




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