30.アンネマリー仮病を使う
エドウィンを壁にしながら隠れ、じっと潜む。目線でサラと会話をし、リリーの動向を確認しているとサラが遂に眉を顰めた。
「来るかも」
どうやら男子生徒がこちらを指差している様だ。やはり教室から出るのが先決だったのかもしれない。緊張し、エドウィンの服の袖を無意識で掴むと、僅かに身じろいだ気配がした。
「アン、来るわ」
小声で報告され、アンネマリーは諦めた様に溜息を吐く。教室に来るなんて予想外だ。予想外過ぎる。昨日あんなに馬鹿にした態度を取ったのに何故平気で顔を出せるのか。
アンネマリーはエドウィンから一歩離れ、リリーを待ち構える。その顔には何の表情も張り付いていなかった。
「あ!いたいた!」
リリーは声はアンネマリーに向けていたが、明らかにエドウィンを見てそう言った。分かりやすい目的に呆れてしまう。
「ランチ一瞬に食べるって約束しましたよねぇ!一緒に行きましょッ」
サラが驚いた様にアンネマリーを見た。全くしていない。虚言だ。どうしてそう平然と嘘がつけるのか。呆れるよりも感心してしまう。アンネマリーは首を横に振って、頭を押さえた。
「約束なんてしてないと思うけど」
「えぇ!しましたよぉ!」
リリーは舌ったらずな猫撫で声でチラチラとエドウィンに秋波を送る。エドウィンは全くリリーを見ずにアンネマリーの頭頂部を見ている様だ。
アンネマリーは思う。自分と話しているのか、エドウィンと話しているのか、どちらなのかと。自分と話しているならエドウィンを見ずにこっちを見て話をして欲しい。
それに昨日のアレのせいで一緒にランチなど行く気にはなれない。アンネマリーはあまり使いたくは無かったが、行かない為にその場凌ぎの嘘を吐く事にした。
「あ、私今日、具合が悪くなったから今から早退するの」
具合など悪くは無い。寧ろ元気だ。早退するつもりも勿論ない。だがそうまで言わないと彼女は去ってくれないだろう。
「えー!そうなんですかぁ」
わざとらしく瞳を潤ませて、両頬を手で緩く覆うという大袈裟な動きを見せたリリーはチラリとエドウィンを見る。
「残念ですぅ。じゃあエドウィン様一緒にランチ食べましょッ」
グネグネとエドウィンに近付くとエドウィンの袖を掴んで、上目遣いをした。小柄な彼女のうるうるとした庇護欲を掻き立てるであろう仕草にアンネマリーとサラは顔を見合わせ、エドウィンを見る。
エドウィンは見た事が無い程、冷たい顔をしてリリーの手を解くと聞いた事が無い、これまた冷たい声でリリーを精神的に突き放した。
「何故、俺が君と?」
だが、やはりリリーは強い。一度振り払われても食いついて行く。
「わたしぃ、アンネマリーさんとお友達になったからぁ、エドウィン様とも仲良くしたくてぇ」
リリーは再度エドウィンに手を伸ばす。だが、エドウィンは体を引き、それに合わせてアンネマリーの肩を自分に寄せた。突然の衝撃に足が絡れ、あっと思う間も無くエドウィンの腕の中に納められる。
(は?)
ポカンとエドウィンを見上げれば、厳しい顔でリリーを見ていた。
「別に俺とは仲良くならなくて良い。それに俺は今からアンネマリーを送っていく用事がある」
エドウィンは言い終わりと共にアンネマリーを抱く腕に力を入れる。慣れない人肌と知らない匂いに脳がパニック状態だ。
リリーはその様子を最初はアンネマリーと同じ様にポカンと見ていたが、宙に浮いた手の存在を思い出し、激しく上下に振り始めた。
「えぇぇ!何でですかぁ!アンネマリーさんも一人で帰れますよねぇ?」
空気状態だったサラがいい加減にしろと言わんばかりに深い溜息を吐く。リリーは女は視界に入らないのか喚く事しかしない。
アンネマリーは自分の状態と目の前のリリーの状態をどう捌けば良いのか混乱した。こんな格好は恥ずかしいし、目の前の人は早く何処かへ行って欲しい。ふたつを同時に解決出来る方法は無いかと考えたが、雑念ばかりの頭は碌に動いてくれなかった。
そうこうしていると頭上から視線を感じ、アンネマリーは素直に見上げる。じっと宝石の様な碧眼に見つめられ体が硬くなり、思わず名前を読んでしまった。
「ッ……エドウィン殿下」
「エドと」
喚いているリリーには聞こえない声量で請われ、何故今? と思っていたら更に言葉を続けられる。
「親密そうに出来るか?俺に送って欲しいと言ってくれ。出ないと此処から抜け出せない」
アンネマリーはそう言われ、リリーを見る。まだリリーはエドウィンに『行きましょうよお』と潤んだ目で懇願しており、エドウィンが相手をしていない為終わりそうにない。
親密そうに、という言葉を心で反芻し、囲われている腕にそっと指を這わせ、アンネマリーはエドウィンを再度見上げた。
「エド、つらいの。送ってくれる?」
真っ赤な瞳で見つめられ、愛称で呼ばれたエドウィンは柔らかい笑みを浮かべ、頷いた。
「勿論だ」
囲っていた腕からアンネマリーを解放し、鞄を持つ。そしてエスコートする様にその場から立ち去ろうとすると背後からリリーの焦った声が聞こえてきた。
「エ、エドウィン様!」
アンネマリーはリリーを見るフリをしてサラにアイコンタクトを送る。
(先に食堂へ行くから後から来て)
ちゃんと伝わったかは不明だが、サラは力強く頷いた。
「あれは中々凄いな」
リリーから大分離れたところでエドウィンは呆れた様に声を出す。
「令嬢に言い寄られる事はあるが、あんな風に来られた事はないな」
「やっぱりそうですか」
そんな会話をしながらアンネマリーとエドウィンは食堂へ向かった。




