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2.家族との晩餐


 ヘルマン侯爵家の家訓には『食事は成るべく家族全員で取るべし』という何とも貴族らしからぬものがある。これは先代侯爵の時代に作られたもので、背景には何の事はない家族愛、と言う事らしい。


 アンネマリーは運ばれて来た料理を音もなく、流れる様な美しい所作で口に運んだ。程良く厚い唇はリップを塗ってもいないのにいつも桃色に色付いており、引き篭もりとは思えない程健康的である。


 前世では食事を蔑ろにしていたが、今世は違う。寧ろ食事中心の生活をしていると言っても過言ではない。食事は満足感も幸福感も与えてくれるものと知ってからは一日の楽しみは三回の食事と数回のおやつとなった。

 アンネマリーはいつも通り美味しい食事に舌鼓をうちながら、自分でも作れたら良かったと心の中で一人嘆いた。


 色々なものを作るのが趣味なアンネマリーだが実は料理が苦手だ。分量通りに作っていても何故だか全てゴミになる。火を通せば炭になるし、通さないものは不思議な事に生臭くなる。2年くらい前までは意地で絶対料理上手になってみせる!と毎日の様に練習していたが上手くなるどころか不味くなる一方だったので諦めた。あと食材を無駄にするのが偲びなかったという事もあるのだが。


 だからだろうか。美味しい料理を食べると感謝の気持ちと尊敬の念がうまれ、自然と笑みが浮かぶ様になってしまった。ちなみにそれが最高潮に達すると涙が流れてしまうので家族や料理人を驚かしてしまったりする。


 アンネマリーはそんな楽しい食事をしながら家族の会話に耳を傾けた。今は父と兄が今度行われるらしい東部演習の話をしている様だ。演習なのでそこまで気を負う事はないのか二人とも気楽に談笑している。


 父兄共に王国魔術師団に所属している。父は五つの王国魔術師団を纏める総長、兄は第二魔術師団の団長を勤めている。ヘルマン家は所謂魔術師家系だ。祖先に妖精がいた事があるらしく、そこから魔力の高い人間が生まれる様になったらしい。ヘルマン家の蔵書にそれを記録した書物も系譜もあるのでそれは恐らく本当の事だろうが、アンネマリーは信じていない。


 今は消えたと言われている存在の妖精。前世の時代は確かに居たが、それでも人間と結婚をし、ましてや子供を成すなど聞いた事がなかった。自身も妖精を見た事はあったがどれも体が掌サイズでそれとどうこう等出来るはずもない。

 何故ヘルマン家がその様に記録を残しているのか…どの文献にも残っていない為不明だが、きっとのっぴきならない理由があったのだろう。世界に妖精が消えた今となってはそれを知る術は殆どないのだが。


 また、ヘルマン家の血筋を継ぐ者は髪色に特徴がある。その妖精と同じ『白みがかった金髪』で産まれるのだ。ただの金髪であれば何処の国にもおり、珍しくもない。

だが、白みがかった金髪はヘルマン家にしか無い髪色なのである。通常にしていれば少し薄い金髪にも見えるが、光が当たると白が発光する様に輝き、角度によっては多彩な輝きを放つのだ。それはまるで妖精の粉を被ったかの様に。


 父、ギュンターはヘルマン家の象徴的な髪を持つ大層な美形だ。少しうねりのある癖毛を短く整え、清潔感を出す為に形の良い額を出す姿は子持ちとは思えぬ程美麗であった。今年46歳となるのだが若い頃に社交界を騒がせた色香は健在であり、未だ多くの令嬢を魅了している。


 アンネマリーがそんな父に視線をやれば、はたと父と兄の会話が終わった。ギュンターはアンネマリーと視線を合わせると父として甘い笑みを浮かべた。


「今度の火曜日から学期試験が始まるらしい。9時の試験時間に合わせて試験官が来るみたいだから早起きしてね」


「もうそんな時期ですか。時が経つのは速いものですね」


 食事の手を止め、今日の日付を思い出す。確かに言われてみれば、試験が始まる時期だ。


「ねぇ、アン。そろそろ学校行ってみない?」


 その言葉にギュンターに目をやれば、少し悲しそうな顔をしていた。

 娘が5年も不登校をしているのだ。当然の表情かもしれないが、その表情に慣れているアンネマリーは一瞥しただけで食事を再開した。


(きたきた、今日だったか)


 これはヘルマン家の恒例行事となっている『不登校解消会議』だ。毎日はないが、前回を忘れた頃に父ギュンターの『学校へ行かないか』の声で開始される。


 それは紛糾する事もあるが、淡々と終わる事もある。結果はいつも同じで『登校せず』で決着するのだが。


 突然の会議にどうしたものかと考える。だが、自分も絶対に行きたくないという訳ではないので毎回話が上がる度に『よし!行こう』と口にしたくなるのだが、例の警鐘が怖くて行けないのだ。


(さてさて、今回はどんなもんか)


 もくもくと食事を進めるアンネマリーに対して、ギュンターは溜息の様な声で『アン』と言うとアンネマリーの横に座るヘルムートに目配せをした。


「妹よ、お前が賢く、もう勉学を必要としていない事は解っている。だが、学校は勉学の場だけではない」


 父に促されて言葉を発した兄ヘルムートは熱のない言葉で妹を説得した。如何にもやる気無さげに目線は皿を向いたままだ。

 そんな兄の姿にアンネマリーも目の前の食事を進めながらそれに応じる。


「知ってますよ。貴族社会の縮図とかいうやつですよね」

「そうだ」

「何だかとっても気疲れしそう」

「それは生きていく上でしょうがない事だ」


 ヘルムートは食事の作法も完璧で口を開いて食べ物を咀嚼しているだけなのに色気を漂わせる事が出来る。そのせいかヘルムートの反対側に座る母に控えていた新人の侍女が顔を赤らめて彼を見ていた。


 兄ヘルムートも父の血を継いでいる為、目の覚める様な美形である。


 ギュンターが憂いを帯びた傾国の美だとしたら、ヘルムートは壊れ物の人形の様な美しさを持つ。冷たい、感情が見えない灰色の瞳は角度によっては薄緑色に見えた。また髪色と同じ睫毛が瞳へ翳りを落とせば、まさに人外の美しさとなる。


 薄く形の良い唇は申し訳程度に彩られており、男が見ても心が昂り、揺れてしまう程。整った顔立ちと病的なまでに白い肌、感情の起伏の少なさから『氷結のマリオネット』と言われていた。


 当然、女性に大変好意を持たれるのだが、性格は歯に絹着せぬ発言が多く、言い寄る女性をことごとく撃沈させ、今では観賞用として遠巻きに見られている。現在、24歳。もう結婚をしていてもいい歳なのだが、当然の様に婚約者はおろか恋人もいない。


 ヘルムートはワイングラスを傾けながらアンネマリーへ視線を向けると少しばかり顔を傾け、意地悪く笑った。


「友も出来るぞ」


 その言葉に食事の手を止め、横を見れば、目が合ったヘルムートはそれはそれは面白そうに口元に弧を描く。

 家族からしてみれば彼は全然『氷結のマリオネット』ではない。家族の前では普通に笑う。それが例え悪い笑みだったとしても、ヘルムートが家族には気を許している証拠であった。


「友人、ね」


 アンネマリーは興味なさげにそう言うと、手元のグラスに手を伸ばし果実水を一口含んだ。爽やかな甘さが喉を潤していく。

 その様子を見ていたヘルムートは何故か堪えられない様に声を出して笑うと、目元を緩めてにんまりと笑った。


「誰とも解らぬ相手と文を交わすより、姿の解る気心知れた友とやり取りした方が良くないか?」

「なんで知ってるの!?」


 あまりの驚きにアンネマリーは口をハクハクと魚の様に動かした。何と口に出して良いのか頭も真っ白となる。


 実はアンネマリーは数年前から文通相手を募る雑誌を密かに定期購読し、誰とも解らぬ相手に手紙を書いていた。

 それを何故か兄が知り、家族団欒の場で暴露したのだ。

 社交界にも学校にも行かない引き篭もりのアンネマリーにとって友人が欲しいというのはバレたくはない事だった。何故ならだったら外に出ろ、と言われてしまうからだ。矛盾している行動は弱みになる。だから隠していたのだ。


 完全に隠していたとは言い難いが、隠そうとはしていた秘事だ。こうなったらどうやって知ったのかはどうでも良い。明らかに隠していた事をこの場で言うなんてデリカシーのカケラもない。


 だから結婚出来ないんだよ!と叫ぶ一歩手前だったが、それを言ったら場が凍る気がしたのでグッと我慢した。


 睨み付けるアンネマリーの視線など何処吹く風のヘルムートは揚々にワインに口をつけ、薄く形の良い唇を開いた。


「定期購読しているそれは、友人の事業の傘下でな。まぁ、色々とあって知った」

「個人情報の漏洩じゃないか!」

「私の友人に変なケチをつけないでくれ。これは正規ルートで知った事だ」

「どんな正規ルートであっても個人情報は個人情報よ!もう定期購読きってやる!」


 メラメラと怒りを腹に溜めていると斜め前の母が『あら』と朗らかな声を発した。今の雰囲気に合わない声にアンネマリーはグッと顔面に力を込めて斜め前にいる母エリゼを見る。


「でもお友達が欲しいならそれこそ学校へ行ったらどうかしら?」


 不思議そうな顔でエリゼはそう言い、のんびりと喋り始めた。


「今までお茶会にも出なかったからお友達が欲しかったなんて知らなかったわ。でもお茶会よりも今は学校ね。きっとアンちゃんは可愛くて綺麗だからいっぱいお友達が出来るわ。頭も良いし。あら?もしかしたら恋人まで出来ちゃうかも。そしたら本当素敵な事よね」


 何処か夢見るふわふわお菓子を思わせる母エリゼはふふふ、と優雅に笑いながらアンネマリーを見る。


 エリゼはアンネマリーが幼い頃からほぼ容貌が変わっていない少女の様な人だ。今は年齢と見た目を合わせようとしているのか、首元まで覆った露出の少ないドレスに、茶色い髪を優雅に結い上げ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 見目麗しい、競争率が高かったであろう当時公爵令息の父ギュンターを射止めたのだから、それなりの芯の強さと強かさを持ち合わせているのは確かだろう。だがそれを表には出さず、柔らかい綿菓子の様にいつまでも振る舞っている。


 アンネマリーは母の言葉に頬を引き攣らせるとチラリと父を見た。ギュンターはギュンターで『恋人』という言葉に反応をしており、エリゼとアンネマリーへ交互に視線を送っていた。


「父様、恋人は母様の戯言です」

「え、あ、そうか。あぁ、でも恋人作っても別に父さんは良いぞ。孫が見たい」

「孫は姉様がすぐにでもこさえるでしょう」

「まっ、アンちゃん!そんな言い方ダメだわ」


 頬を膨らませながら言うエリゼにアンネマリーは『わあ』と内心引いた。だがギュンターはこれを可愛いと思うのだろう。嬉しそうに眺めている。ちなみにヘルムートはアンネマリーと同じく引いている様な表情を浮かべ、ワインを飲んでいた。



 学校の事で言うとアンネマリーは入学から今まで首位をキープし続けている。


 試験はいつも学校で試験が行われる同日同時に試験官が家に来て行う。実技試験も然りだ。

 他人と交流など不登校なので一切ないのだが不正対策でそのようになっている。入学当初は試験官は一人しか来ていなかったが、年々増えて行き今では5人も来ている。


 筆記試験時は魔力を一切使えない様に魔導具をつけられ、部屋には外部からの侵入を遮断する魔術を施される。そして5人がアンネマリーを中心に円形で監視をするのだ。試験官とアンネマリーとの距離はほぼ1.5m程。人との距離が近いと不快なのだが不正対策なら仕方ない。納得はしているが正直異様な光景だと思っている。


「でもねぇ、やっぱりアンちゃん、学校は行った方が良いわぁ」


 暫し、黙々と食事をしていたアンネマリーはその手を止めずに母を見た。

 エリゼはアンネマリーと目を合わせると頬に手をやり、心なしか悲しそうに眉を下げる。そしてギュンターとヘルムートを順繰りに見ると、ほぅ、と長い溜息を吐いた。


 一体何が行われるのか、と俄に顔を引き締めればエリゼは『困っちゃうわよねぇ』と悲しみを湛えた瞳を僅かに伏せ、鈴の様な声を発する。


「アンちゃん、変なあだ名ついちゃったのよ」

「へ、変なあだ名……」


 アンネマリーは変なあだ名と言う言葉に首を傾げるとエリゼ以外の二人も大きく頷く。


「ど、どんなあだ名です?」


 社交界にも学校にも登校していない自分に何故あだ名等出来るのか。訳がわからない現象に恐る恐る口を開けば、可愛らしい母の声が鼓膜を揺らした。


「ゴーストレディよぉ」




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