18.教室にいない男
部屋に帰ったアンネマリーはベッドに腰掛けた。考えている事は勿論、エドウィン・シーウェルの婚約の事だ。ぼーっと何処にも焦点を合わさず、心の中であれこれと考察をする。
何故エドウィンは婚約なんて言い出したのだろう。話したのは温室での一度きり。可もなく不可もない会話だった筈だ。あの時はクラウスの事を思い出して長々と話をする余裕は無く、浅い話しかしていない。さっさとその場から立ち去りたい気持ちで一杯だったのをアンネマリーは覚えている。だからそんなに愛想良く話もしていなかった。
(なのに何故…?)
アンネマリーは枕を抱き締め、ベッドに倒れ込む。
考えても考えても何もわからない。抜け出せない迷路に入り込んでしまったようだ。
やはり前世の事を思い出しているのだろうか。それならば前世で好意がありそうな行動をしていたので納得出来る。でも、前世とは関係なく本当に純粋な気持ちでアンネマリーに好意を抱いていたら?
(前世を覚えてても嫌だし、前世なんて関係無く私を好きだったとしてもそれはそれで何だか信じられない)
一目惚れというのがあるのも知っている。だが一目惚れで結婚して果たして上手く行くのか甚だ疑問だ。一目惚れからの距離を詰めていっての婚約なら分かる。けれども一目惚れ→婚約しようの流れは全く理解出来ないし、それで性格を知って婚約破棄になったらそれこそ笑えない。
(好き?どこが?全くわからないわ)
「ああ!もう!!」
アンネマリーはベッドから上半身だけ起こし、持っていた枕を力一杯殴った。ぼすぼすと何度も殴り、最終的に顔を押し付ける。
「ワッケわかんない!もう知らない!寝る!明日の私が考える!」
バサリと毛布を被り、意地で寝ようと瞼をきつく閉じた。無心になろうなろうとする程、エドウィンの顔が浮かび、その度にアンネマリーは寝たままベッドを殴りつける。その顔は苦悶に満ちていた。
結局、アンネマリーはその後2時間経って漸く寝る事が出来た。
翌朝、当然のように暗い表情で家族のいる食堂に行くと、ギュンターもアンネマリーと同じ様な顔をしていた。他の家族はそんな二人の様子を不思議そうに見て、『大丈夫?』と声を掛けてくれたが二人共大丈夫ではなかったので苦笑いしか出なかった。
後からギュンターに聞けば、エリゼとヘルムートには婚約の件は話していないと言う。ヘルムートは兎も角、エリゼが暴走しそうだからとの事だった。アンネマリーは父の判断に大いに感謝した。
それから学校へ行き、アンネマリーはまず教室を見回した。エドウィンが居るか確認したのだ。だが、やはりエドウィンはHRの時間になっても、授業が始まっても現れず、ポツリとその席だけ空いていた。
「カドリック帝国の皇子って教室来たりする?」
休み時間、アンネマリーはサラにそう尋ねた。サラはエドウィンの席を振り返り頷く。
「基本来ないかな」
「基本?」
「あ、いや訂正するわ。全く来ない」
全く来ない、その言葉にアンネマリーはあからさまに肩を落とした。早めに問題を解決したかったので教室で会えればと思ったのだが、それは難しいらしい。
「エドウィン皇子殿下に用でもあったの?」
見るからにガッカリしている姿を見て、サラは首を傾げた。
婚約の打診が来たから会いたいの、なんて言える訳もなく、アンネマリーは淡々と『興味があっただけ』と抑揚のない声で答えた。その答えにサラは目を丸くすると、いつもより明るい声、そして目をキラキラと輝かせてアンネマリーに詰め寄った。
「それってどういう興味!?ミーハー的な興味?それとも恋愛的な興味?」
その勢いに思わず身を逸らしたが、それでもサラはグイグイと詰めてくる。
「恋愛興味無さそうだなって思ってたけどやっぱりアンもあるのね!素敵!」
「いや、そういうんじゃないの。本当、いや、本当に……」
きらめく瞳に怖気付きながらも否定をした。言いながら婚約も恋愛のそれに入るのか?と思ったが、ここはひとまず否定しなければサラから逃げられないだろう。
「えー!じゃあどういう興味?」
「え、あ、会った事ないからどういう人かなって思っただけよ。本当それだけ。だから興味という程でもないの」
「会った事ないの?」
「ないわ」
嘘だ。本当はある。
だが今は追求を逃れる為に嘘を吐くしかない。
「そっか、まあそれじゃあ気になっちゃうかもね」
「ねー」
引き攣った顔で適当な相槌をうっていると次の授業の教師が入ってきた。その姿を確認して、席に姿勢を正して座る。サラも同様だ。
アンネマリーは教師の登場に感謝しつつ、今日の予定を頭の中で立てる。恐らくエドウィンは温室にいるだろう。放課後、温室に顔を出してみる事に決めた。
そわそわと、もどかしい気持ちで授業を受けていると時間が過ぎるのが遅い事が分かった。人の気分で随分と時間の進みは変わるらしい。
漸く放課後を迎えたアンネマリーはサラへの挨拶もそこそこに足早に温室までの道を行く。途中、アンネマリーの存在に慣れてきた人々が挨拶してくれるのを焦燥感を感じながら笑顔で返す。どうして急いでいる時に限って話し掛ける人が多いのだろうか。口端がピクピクと、痙攣しそうになった。
裏庭へ着き、人が疎な道を行く。いつもはゆっくりと進む道を温室目掛けて一直線に進む。
息が軽く上がったが、それよりも温室だ。温室へ行き、エドウィンと話さなければならない。
ドーム型の輝く温室へ辿り着き、勢いよく扉を開ければ、いつもより激しくベルが鳴り響く。勢いそのままに温室へ足を踏み入れると、目的の男は入口付近でアンネマリーを待ち構える様に佇んでいた。
止まった途端、息が上がり始めたアンネマリーは肩で息をしながら驚きの目でエドウィンを見た。
エドウィンは軽い足取りでアンネマリーの近くに寄ると目を細め、柔らかく微笑む。その笑顔に不本意ながら胸が異音を発し、思わず胸を押さえていると名前を呼ばれた。
「アンネマリー」
声色が低い癖に妙に優しい。不思議な気持ちになった。碧眼も吸い込まれそうな程綺麗。でも身長差があるから顔を見上げていると首が痛くなる。程良い視線になる為に一歩、二歩と後ろへ下がれば、それを追うようにエドウィンも近寄ってきた。
おかしいぞ、と困惑しつつも本能的に下がり続けていると背中に硬いものが当たる。どうやらもう壁に当たってしまったらしい。どういう状況?と視線を泳がせていると顔の両脇に手を置かれた。所謂壁ドン体勢だ。
理解できない状況にアンネマリーが動揺していると頭上から短い笑い声が落ちてくる。
(え、笑われた)
一瞬で動揺から苛つきに感情がチェンジしたアンネマリーは睨み付けようと目線を上げた。だが、その瞬間アンネマリーの視界が碧眼に奪われる。身を屈め、顔を覗き込むようにエドウィンがアンネマリーを見つめてきたのだ。
「来るだろうと思った」
壁際に追い詰めた男はふわりと、それはそれは嬉しそうに笑った。




