12.温室
午後の授業も始まってみれば早いもので、あっという間に放課後になった。朝に気になった温室へ行ってみようと帰り支度をしているとサラが声を掛けてきた。
「私はこれからクラブだから、また明日」
「ええ、また明日ね」
一日でよくこんなに気安くなったものだ。微笑みながらサラを見送り、アンネマリーも教室を出た。
温室までの道、やはり視線は途切れず、中には女生徒の鋭い視線も感じた。これが過激派の視線だろうか。ゾクゾクと悪寒が走り、心無し身を屈めながら校舎を抜ければ、目的の第一歩の裏庭に着いた。
裏庭には生徒は疎にしかおらず、アンネマリーの出現に一瞬視線が集まったが、それも本当に一瞬で皆それぞれの事をしていた。ある人は木陰で本を読んだり、またある人は植物の観察をしたり色々だ。
程良い大木があるこの場は直射日光が当たらない為、のんびりするには持って来いな場所なのだろう。
アンネマリーの目的の温室は裏庭の煉瓦の小径を道なりに進むとあるらしい。前方に温室の上部は確認出来るが、全貌は木々や花々で不明だ。アンネマリーは少し草臥れた煉瓦の上を軽い足取りで進んでいく。
散歩のペースで歩き、周りに注意を向ければ自然を思わせるボーダーガーデンに宿根草が多く植えられていた。ジギタリスやペンステモン、カンパニュラ等の背丈の高い草花が風に揺られ、その前にはベロニカやサルビアが可憐に咲いている。下には小さな白い花が絨毯の様に広がっており、それだけで絵本の挿絵の様に見えた。
暫く歩くと白花が多く植栽されたエリアに入り込んだ。これはオルレアだろうか。腰程もある花に目をやり感嘆の声を漏らしていると前方に薔薇のアーチが見えてくる。前面にあるその薔薇はシックな赤色をした大輪の薔薇。近寄らなくとも香る匂いは芳醇で甘美な香りがした。触れようと手を伸ばしたが、鋭い棘が見えたので眺めるだけにする。どの葉の緑緑しており、手入れが行き届いている事が窺われた。
「すごい、きれい」
温室の事を忘れてしまう程、立派な薔薇達は幾つものアーチで彩られている。基本は赤だが、咲き終わるにつれアプリコット色へと変わる薔薇や一重の可憐な薄ピンクの薔薇まで様々な薔薇が乱れる事なく絡みつき、芸術品の様に視界を彩っていた。視線を横や上に彷徨わせながら歩けば、どの角度から見ても完璧な作りで夢の中の出来事にも思えてしまう。
その美しいアーチを抜けるとガラスで覆われたドーム型の温室が現れた。骨組みは青銅色で美しく彩られ装飾されており、植物が美しい裏庭の風景を乱すことなく調和していた。
アンネマリーは温室の青銅製の取手に手を掛け、それを押す。扉を揺らした瞬間、上部にあるベルがカランカランと鳴り響いた。
「わぁ……!」
足を踏み入れた温室は思ったよりは整えられており、嵌め込まれたガラスも濁りなく光を取り込んでいた。
様々な花は勿論のこと、小さな人工の泉の近くには薬草も植栽されている。
(あ、ツキナシ草もある)
円形のドーム状の温室は思ったよりも広く、種別や色彩毎にいくつかのエリアに別れているようだった。花を踏まないように囲いはあるが、最低限しか設置されておらず、隙間から植栽エリアまで普通に入る事が出来る。
草花を虐めるつもりはないので、中に入るつもりはさらさらないが、気にしない人はきっと入るだろう。
アンネマリーは手を後手に組みながら、ふんふんとじっくり温室を見学していると視界に投げ出された足が目に入った。
ん?と全貌を見ようとすれば、どうやらそれは植栽エリアにある木の根元で寝ている事がわかった。
(やっぱりこういう人、一定数いるわよね)
入っちゃ駄目だろうと解っていても入るのはどういう神経なのだろう。アンネマリーは意外と小さな規則は守る人間なので、こういう人種は好きではない。
寝ている男を横目に見つつ、ゆっくりとした速度で道なりを行く。男に起きる気配は無く、気持ちよさそうに寝入っている。あくまで通路側から男を観察すれば、黒髪を持つ長身の人だった。
(足ながっ)
長身ゆえなのか、はたまた寝ているからなのかとても長く見える。身長の半分とは言わないが、それに近い位の長さだ。
隣に立ちたくはないものだとアンネマリーはしみじみ思う。立ったらもしかしたら自分の臍ちょい上に股が来るかもしれない。恐ろしい。
顔の方に目を向ければ、若干うねっている髪は寝癖なのか、癖毛なのか今は判別出来ないが、うねっているにしては綺麗な艶がある。相貌は寝ている為しっかりと判別は不可能だが、鼻の高さや配置のバランスを見ると普通に整っていそうだ。
(だけど、ルールを守らないのは頂けないわ)
冷ややかな視線を送り、アンネマリーは意識を温室に戻した。
ふわり、無風な筈の室内で心地良い風が吹き、軽やかな甘い花の香りが鼻腔を擽る。何処から風が吹いたのだろうと吹いた方を見上げれば天井に空調らしき物が見えた。
「ふ〜ん」
よく見ればキラリと光る魔石が嵌め込まれている事がわかった。魔石を組み込む単純な魔導具なのだろう。にしては大きい魔石を使っているが。
天井を見上げたまま、足元も気にせずのんびりと次のエリアへの道を歩いて行く。不意に、チリリと胸に違和感が走ったがそれは一瞬であったので気にせず歩き続けた。
その時、男が僅かに目を開き、アンネマリーを見ていたのだが、既に背を向けていたアンネマリーには知らぬ事であった。
読んで頂き、ありがとうございます。




