10.婚約話
婚約、その言葉にアンネマリーは目を丸くした。後ろに居るサラの息を呑む音が聞こえたので自分の聞き間違いではない筈だ。
「婚約、ですか」
流石に戸惑いが声に出たが、これはしょうがない事だろう。眉間に指を当て、相手の様子を窺ったがカーティスの表情は先程と変わらぬ意地の悪い顔をしていた。
婚約の申し出を登校初日でされるとは思っていなかった。あの忌むべきあだ名の女に求婚する男などいないだろうと思っていたからだ。自分で言うのもアレだが頭は良い、血筋も良い、魔力量だって申し分ない。こう言うと優良物件だが、社交界で恐らく蔑まれている存在だ。社交界なんて知らないから良くは知らないが、家族の話を聞くに絶対そんな存在だろう。
それなのにこの展開、引き篭もっていたせいで起こらなかった出来事が雪崩になって襲ってきている様だ。
「本気です?」
「本気と言っただろうが」
「そうですか、本気、本気ですか…」
そしてその相手が王族。厄介以外なにものでもない。王族の婚約者は10歳前後で決まると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。だが、王太子は長年支えてくれている公爵家の婚約者がいた筈だから、きっとこの第二王子が例外なのだろう。
本気、本気、と呟きながら空色の瞳を見れば、カーティスは『あ?』とにこやかに凄んできた。意味がわからない。
そもそも、この不遜な王子は何を考えて婚約など言い出したのか。眉間の皺をグリグリと解しているとカーティスがアンネマリーに近付いてきた。
「受けるだろ?」
高慢な態度に溜息が漏れそうになる。こちらは断る気満々だが?
視線をカーティスに固定したまま表情を変えずに居るとニヤニヤとした顔が近付いてきた。その耳のゴツいピアスをぶん取ってやろうかと思ったが、そんな事をしたらそれこそ不敬罪だ。
アンネマリーは自身を落ち着かせる為に小さく息を吐いた。
「殿下はご存知無いかもしれないですが、私の姉は王弟殿下…いえ今はソマリン公爵でしたね、ソマリン公爵に嫁いでおります。王家との縁はもう強固なもの。これ以上の縁は不要と私は考えます。恐らく父も同じ考えでしょう」
「叔父上の奥方の事は勿論知ってるぜ。だがそれでもお前が良いとしたら?」
「……随分と熱烈ですね」
会ってたったの数分で何がそんなに良いのか。全く理解できない状況に戸惑いしかない。
アンネマリーは姉ユリアンの事をふと思い出す。姉はソマリン公爵との婚約時代、それはそれはふわふわと柔らかい笑みと上気した顔で恋を語っていた。
こちらとしては何でもない内容を嬉しそうに語り、何度も名前を口にしてはキャーキャーと恥ずかしがっていたのは良い思い出だ。
それに比べると彼の様子は明らかに恋愛のそれではない。どちらかと言うと面白がっているような、おもちゃを見ている様な……
(…あ、これ、おちょくられてるな)
世間慣れしていないゴーストレディを弄ぼうとしたのか?だとしたら何と性根の悪い。それに王族ジョークは否定しづらくて困る。ニヤニヤといやらしい顔を見ていたら段々腹が立ってきた。
これでアンネマリーが喜んで婚約します!と言っていたらどうなっていたのだろう。ひと笑いされ、冗談でした!とか言われたら一生モノの傷になるところだ。貴族令嬢に対して冗談の趣味が悪すぎる。
そもそも婚約するつもりなど更々無かったのでそんな事は起こる筈も無いのだが、それでも苛つく。
だから未だに婚約者がいないのかしら?性格の悪さが血筋を凌駕するという事?顔立ちも整っているのに全てを帳消しにする性格の悪さ。ふつふつと湧いてくる怒りを吐き出す様にアンネマリーは口を開いた。馬鹿にされるのは嫌いなのだ。
「有り難いお話ですが、お断りさせて頂きます」
「ああ?何故だ」
何故だ?も何もない。カーティスが揶揄った時点でこの話は無しだ。それにアンネマリーに結婚する気は無い。姉も良いところに嫁ぎ、兄も順調に出世している為、家は安泰だ。末っ子のアンネマリーが結婚しなくても家が傾いたりする事はない。
「理由は先程のが主ですが、そうですね。私は引き篭もっておりましたからまだ世間の事が分かっておりません。見聞を広めてから、そういう事を考えようと思っているのです」
それらしい理由を言えばカーティスはやはり冗談として言っていたのだろう、断られたところで顔色も変えずアンネマリーを見ている。
「そっか、んじゃまあ、そういう事にしといてやるよ」
これはどう解釈して良いのか。何故か譲歩された様な言い方をされ頭に疑問符が浮かぶ。アンネマリーは様子を窺いつつ、『ありがとうございます』と伝えるとカーティスはフッと笑い、アンネマリーへ手を伸ばした。
―――バチン
防御結界が発動し、静電気を強めにした様な音が響く。カーティスは弾かれた手を面白そうに見つめ、指輪の一つを撫でた。それは少しばかり黒く変色しているようだった。
「また気が向いたら声かけるわ」
ひらひらと手を振りながら去っていく後ろ姿にアンネマリーの眉間の皺が深くなっていく。恐らくあの指輪で何かしらをしようと試みたのだろう。だがそれはきっと失敗に終わったのだ。ふん!と鼻を鳴らし、カーティスの背中を睨み付ける。
そうこうしていると息を殺して様子を見ていたサラがガチャンという大きな音を立てて近くに寄ってきた。どうやらフォークを落としてしまったらしい。
「アン、大丈夫?」
不安げな瞳が視界で揺れた。会って初日でこんな出来事に巻き込んで申し訳ない。
「大丈夫、大丈夫よ」
びっくりしたね、とぎこちなく笑えば釣られてサラも笑ってくれた。
チラリとご飯を見ればもう冷え冷えで、もうこんな学園生活嫌だな、と少し悲しくなった。
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