ハズレスキル「鍋奉行」で世界最強!
除夜の鐘が鳴った。
目の前にはこたつ。その上には、ぐつぐつと香りよく煮えたぎる鍋。
吸い寄せられるようにこたつに座った魔王は、途端に脂汗をかきこう言った。
「……で、出られない!?」
魔王は周囲を見渡した。
魔王の部屋の中に、いつの間にか強力な結界が発動していたらしい。
魔王は広い城の中、孤独に暮らしている。この古い魔王城には断熱材が使用されていない。城内は、夏はとにかく暑くなり、冬は冷え込みが酷い。
だからこたつは魔王にとって、今冬の生命線となるはずだったのだ。
歴代魔王のよく使っていた玉座をセカンドストリートで売っ払い、同じセカンドストリート内でこのこたつを中古で購入した。現魔王は鉄仮面に悪魔の角を生やしているので、怪しがった店員に運転免許証の顔写真の提供を求められた。咄嗟にその店員の脳波を黒魔術でコントロールしてまで購入に漕ぎつけたのに、まさか──
「……遅かったな」
部屋の隅から、声がする。
魔王は座ったまま振り向いた。
そこでクックック……と声を押し殺すように笑っているのは、見たこともない少年。
「貴様は誰だ……!?」
悪魔らしく人間に憎悪を向けてみるものの、いかんせんこたつに座しているので魔王本来の迫力は皆無だ。
「誰って……俺が勇者だよ、魔王」
言うなり、対面によいしょと勇者が座る。
「貴様が……勇者、だと?」
「ああ。王から魔王討伐の命を受け、ここにやって来た」
「よくわからないこの足止めの術は、お前が……!」
「ああ。日本中のこたつにスキル〝鍋奉行〟の結界紋をつけて回った。……長い旅路だったぜ」
「……何だそのクソスキル」
そう罵られ、勇者はふふっと笑う。
「俺にもよく分からない……スキル付与イベントにおいてスキル〝関口宏〟の持主である王にルーレットダーツを行うよう強制され、やけくそでダーツを投げたらスキル〝鍋奉行〟に当たってしまったのだ」
「お前……自分が何を言っているのか分かってるのか!?」
「……言ってる俺も、よく分かっていない」
除夜の鐘がまたひとつ、鳴り響いた。
「ま、つまり俺と鍋を囲んでいる限り、全員を言いなりにさせるスキルを持っているんだ。こたつという人類ホイホイに鍋なんか乗せたら、誰もが思考を放棄し、すんなりと入って俺の言いなりになってしまう。そうだろう?」
「理屈は分かるが……いや、分からないな……」
「……言ってる俺も、よく分かっていない」
分からないことを分かっている──彼は、妙に悟りを開いている勇者なのであった。
魔王は、鉄仮面に蒸気の汗をかきながら鍋を眺めた。
昆布だしの香りがふわりと鼻をかすめる。ふつふつと揺らぐだしの中に、小さく同じリズムを刻む豆腐たち。ねぎは斜めに切りそろえられ、まだ投入されたばかりの水菜が青々と彩りを添えている。
む、と魔王は声を出す。
鍋の下層で白菜と豚肉がミルフィーユ状になって、みっしり詰まっていたのだ。
「ほう……」
魔王は感嘆した。
「……なるほど。白菜に豚肉の旨味をしみこませるためのアイデアか」
「ああ。それにこうしておくと、肉が少なめでも肉汁を吸い込んだ白菜を味わえ、満腹感が増す」
「……貴様は貧乏性だな」
「うるせぇ」
魔王は欲望のまま、すいと鍋の湯面に箸を滑らせた。
その時。
「ちょっと待った」
勇者がそれを止め、首を振った。
「大事なものを忘れてるぜ」
勇者がごそごそと取り出したもの、それは──
ゆず味噌。
「な、何だそれは?」
「ゆず味噌だ」
「ゆず味噌とは何だ?私はてっきり、ポン酢で食べるのかと」
「ほう、ゆず味噌をご存知ないとは……地域性なのかねぇ」
「……知らんっ」
瓶を開けると、ゆずと味噌の甘い香りが溶け合って、魔王の鼻孔をくすぐった。
「すごく……いい匂いだな」
「俺のお手製だ。そしてこのゆずは、実家の庭で取れたものだ」
「お手製……実家の庭……」
平和な言葉がその口を突いて出た時、魔王の額に鈍痛が走った。
「ぐっ。馬鹿な……!」
「おやおや。ゆずの香りで、もう心身を浄化されそうになっているのか?」
勇者はふっと笑って、魔王の取り皿にれんげでゆず味噌を乗せてやった。
「……まあ、騙されたと思って食べてみろ。俺が丹精込めて作ったゆず味噌だ。文句は言わせないぜ」
魔王の震える手が、取り皿を受け取る。
確かに、全く逆らえなくなってしまっている。
くたくたになった白菜と豚肉を、ゆず味噌に恐る恐る乗せる。ちょんとつけて口に運べば、鼻の中に一気に甘いゆずの香りが広がった。同時に、舌の上で溶け出す脂身多めのバラ肉。
天国だ。魔王は魔界にいながら、そう思った。
除夜の鐘が鳴った。
気づけば、魔王の箸は止まらなくなっていた。口に残る豚肉とゆずの後味が、更に次のミルフィーユを口に運ぶよう要求する。腹は満杯なはずなのに、次だ次だと口が要求する。
(止まらない……!)
魔王はもはや、その異次元のような美味さから逃れられなくなっていた。他方、勇者は平然と腹八分目で箸を置き、魔王の食事風景をしげしげと観察している。それでようやく、魔王は我に返った。
「何だ?私の顔に、何かついているのか?」
勇者は答えた。
「いや、その鉄仮面……食べるのに邪魔じゃない?」
確かに、口元と鼻に穴が開いているだけの鉄仮面は、汗でびしょびしょになっている。
「うむ……確かに」
「脱ぎなよ」
魔王はもう、逆らう気をなくしていた。
がしゃり、と自らの顔から鉄仮面を剥がす。
その下に現れたのは、ショートカットの美少女だった。
魔王──もとい美少女は、わき目もふらず、再び必死に鍋をかっ食らい始めた。
「……ふーん」
勇者は彼女の顔を、穴のあくほど見つめる。
「そういうことかぁ……」
魔王は男と聞かされていたが、実は少女だったようだ。
「……ま、いっか。ここにいる限りは害はないし」
勇者はひとりごち、大食漢の少女の見事な食べっぷりに頬を緩める。
自分の作った料理を、一生懸命に平らげてくれる人がいる幸せ──
「あー、どうしたものか」
魔王が呟く。
「まだ食べられるぞ!」
「じゃあ、〆はおじやにするか?それともうどん?」
「そっちが決めろ、鍋奉行」
「あれ?いつの間にか俺が縛られてんの?じゃあ、これはどうだ」
勇者が取り出したのは、群馬名物ひもかわうどんだ。
「太いうどんだな!」
「……ちょっと味を変えるか」
先程の鍋に、勇者は無情にもカレー粉を投入する。
「やばい!」
魔王は、もはや語彙力を喪失していた。
「〆にカレーうどんはヤバイって!」
その瞳はすでにカレー色に輝いている。
「甘い味噌の鍋の後は、辛いものが欲しくなるだろ?」
「さすがは〝鍋奉行〟!分かっているなッ!」
カレーでとろみがつく鍋の中、ひもかわうどんにネギや白菜、豚バラのくずがとろりとまとわりつく。
少し深めのボウルにひもかわうどんをねじ込み、つるっとむしゃぶりつく。
その太さから、箸のほとんどを覆ってしまううどん。
細うどんをがっつくよりお口の満足度が高い、それがひもかわうどんなのだ。こんなものを食べてしまったら、群馬が全国魅力度最低県なんて二度と言えなくなる。
「し、幸せ……」
「ほら。もう人間界を滅ぼしたくなくなっただろう?」
「うん」
その瞬間。
外を覆っていた魔界の霧が晴れ、大晦日の冴えた星空が現れた。冷え切った魔王城に鍋の蒸気が充満し、何でか知らないが魔王城の壁に断熱材が入った。あと床暖房も。
魔王の心と体は鍋によって浄化され、世界は救われたのだ。
除夜の鐘が鳴った。
魔王がもじもじと口を切る。
「その……私はいつまでここに縛られているんだ?」
「安心しろ、魔王。君はもう魔王じゃない」
「……えっ」
「角がない。人間になったんだ」
魔王は角の抜け去った頭を抱えたが、魔力が抜けた体は別のもので既に満たされていた。
鍋だ。
お手製ゆず味噌、利尻昆布だし、白菜と豚バラ肉、水菜に豆腐、鍋底でとろけたねぎ、ひもかわカレーうどん──
その全てが合わさった時、全てが終わっていた。
魔王は気を取り直したように、肩をすくめて勇者に問う。
「……明日は何の鍋だ?」
勇者は答えた。
「鶏塩ちゃんこ……かな」
勇者のハズレスキル〝鍋奉行〟スキルは、魔王を倒してもなおスキルレベルが上がり続け、人の心を鷲掴みにする。
鍋に限界はない。
人間も魔族も、冬の鍋の前では皆仲間だ。
「冬は毎日鍋でいいぞ!」
「稲葉浩志かよ」
「貴様はここで、ずっと鍋を作り続けるがいい!」
「……考えとく」
これが現在世界で100店舗を経営するかの伝説の飲食チェーン「ちゃんこダイニング魔鍋」の創業物語である。
魔王城の中、夫婦になった二人は日々の商品開発に余念がない。
今宵もまた、除夜の鐘が鳴る。
──勇者の本当の戦いは、まだ始まったばかりだ!
お読みいただきありがとうございました!
こちらは拙著
スキル「全裸なら防御力999」で美少女魔王に勝つ!……つもりだったんだが(https://ncode.syosetu.com/n2032go/)
の続編となっております。
こちらもよろしくお願い致します!