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第3話『慟哭』

「先ぱ〜い! 一緒に帰りましょ〜!」

 三年生の昇降口前で待って数分後、私の大好きな先輩が、ご友人さんと一緒に一階へと降りてきました。私のその声を聞いた先輩が私の存在に気付き、穏やかに手を振ってくれます。先輩方は上履きを下駄箱にしまい、ローファーを地面に置いて履きました。私の顔を見たご友人さんが、ほら、待ってるぞ、と先輩を肘で小突きます。先輩がご友人さんと私を見比べ、優しく笑います。ご友人さんは先輩と私に手を振って、一足先に正門へと向かって行きました。こうやっていつも気を遣って下さるご友人さんには頭が上がりません。男同士、帰り道で気楽に寄り道して帰りたいという思いもあることだろうなと想像出来ます。しかし、私が先輩と一緒の時間を過ごしたいというのも事実です。ここはご友人さんのご厚意に甘えてしまいましょう。

「やあ。お疲れ様」

「先輩こそ、お疲れ様です! 一緒に帰りましょう!」

「うん。帰ろうか」

 大好きな先輩の右隣で、私は歩き始めます。


 ◯


 まだ蒸し暑さが居座る十月上旬。

 隣を歩く先輩はすでに衣替えをしていて、夏服の時にあらわになっていた、意外に筋肉質な腕が隠されてしまいました。ザンネンムネン、です。

 対する私はまだ夏服です。だって暑いですもん。それに今みたいに、先輩が隣にいたんじゃ、体温だって上がりっぱなしですよ。ハートがドキドキして止まりません。全く、罪な先輩ですねえ。衣替え移行期間の最終日まで夏服は手放せませんよ。

 先輩は背が高いです。私もそんなに背が低い方ではありませんが、そんな私よりも高くて、すらっとしています。標準的な十五センチの物差し一つ分の身長差なので、俗に言う『キスしやすい身長差』だということに、おそらく私だけが気付いています。きゃーっ、恥ずかしい!

 そんなことで浮き足立っている私とは対照的に、先輩はいつも涼しい顔をしています。長いまつ毛が風に揺れるその横顔に見惚れながら、私は尋ねました。

「先輩っ!」

「なんだい?」

「今日も素敵ですね! 毎日何を食べたらそんなに素敵になるんですか⁉︎」

 今日も今日とて、私は先輩を構築する素敵成分は何かと興味津々です。何を食べたらこんなに素敵になれるのか、とても気になります。

「うーん。ぼくが素敵がどうかは置いといて、別に大層なものは食べてないけどなあ。朝はご飯に味噌汁、焼き魚に漬物っていう、スタンダードな和食だし」

「なるほど……まずは朝食をパンからご飯に変えるところから始めなきゃですね。うちは昔からパン食でしたけど、お母さんに掛け合ってみたいと思います」

「いやいや、そこまでしなくていいよ」

 先輩が穏やかな口調で、私を優しく諭します。何とも慈悲深い先輩です。

「じゃあ、食べ物の中で何が一番好きですか?」

「そうだなあ。ハンバーグとか」

「ハンバーグ! 最高ですよね! 私も三食ハンバーグにします」

「三食ハンバーグも魅力的だけれど、ずっと同じメニューだと飽きちゃうんじゃないかな? ハンバーグの美味しさを噛み締めるために、ハンバーグ以外もちゃんと食べた方が良いと思うよ。その方が健康的だし」

 三食同じ物を食べ続けるという私の大げさなボケを否定するでもなく、先輩は優しく包み込んでくれた上で改善案まで提出してくださいました。

「何にも縛られずに食べるご飯の方がきっと美味しいし、その方が素敵だと思うよ」

「先輩がそう仰るのなら、バランスの良い食生活が送れるように邁進します!」

「うん。頑張って」

 先輩は微笑んで、そう言いました。私の大げさな物言いにも乗ってくれる、ノリの良い先輩が大好きです。

「朝ご飯に限らず、色んな物を好きに食べられる方が幸せだと思うよ」

「それなら先輩、文化祭では一緒に色々食べましょう!」

「うん。分かったよ」

 やりました。来月開催の文化祭で、大好きな先輩と一緒にお店を回るという言質を取ることに成功しました。あいにくボイスレコーダーは持ち合わせていませんでしたが、先輩は私に嘘をついたことはありませんので、信じても大丈夫でしょう。

 これは大きな進歩ですよ。この機会に、先輩を私にメロメロにさせてしまいましょう。まあそれ以前に、既に私が先輩にメロメロになってしまっているんですけれどね。

「そういえば、みんなの調子はどう?」

 先輩が言う『みんな』とは、部活の後輩たちのことです。即ち、私の同級生と、一年生のことです。「みんな絶好調ですよー」と、私は最近あったエピソードを話します。この子の記録が伸びたー、とか、あの子がこんなおっちょこちょいをしたー、なんて話を先輩はにこやかに聞いてくれます。先輩は心地の良いタイミングで相槌をしてくれるので、こちらも話していてとても楽しいです。

「君が部長なら、みんなとも楽しくやっていけそうだね」

「任せてください!」

 私は胸を張って得意げになりました。大好きな先輩にそんな嬉しいことを言われたら、胸を張らないわけにはいきません。

 でも心の中で、先輩がまだ在籍されていた時の方がもっと楽しかったけどな、と思ってしまいました。部長としては褒められることじゃありませんが、一人の女子としては嘘偽りのない気持ちです。そんなことを考えていたら、先輩はあと半年もしないうちに卒業してしまうんだなあと寂しくなってしまいました。

 ですが先輩に煩わしい思いはさせられません。私は精一杯の愛嬌を振り撒きます。立ち止まっている暇なんてないのです。

 私は、先輩のことが大好きなのですから。

「先輩っ!」

「なんだい?」

「私、今日も先輩のことが大好きですっ!」

 私がいつものように、ストレートな気持ちを先輩にぶつけます。そうすると、決まって先輩は「ありがとうね」と言ってくれます。

「ねえ、先輩」

「なにかな?」

「私って、可愛いですよね?」

「どうしたの、急に」

「いいから、答えて下さいよ」

 先輩は少し困ったようにはにかみながら、でもちゃんと私の質問に答えてくれました。

「ぼくを慕ってくれているという贔屓目を抜きにしても、客観的に見て、君は可愛いと思うよ。素敵だと思う」

「そんな可愛い私に好かれて、先輩はどう思ってるんですか?」

「そりゃあ嬉しいよ。ありがとうね」

 先輩の言葉全てが、私の身体全体を優しく撫でます。それがとても心地良くて、私は昇天しそうになってしまいます。危ない危ない。

 先輩にたくさん褒められて気分を良くした私は、勢いのままに、こう続けました。


「じゃあ……なんで、付き合ってくれないんですか?」


 スカートの裾を握る手に力を込めながら投げかけた私のその言葉の後に、一瞬の沈黙が生まれました。

 先輩は困り顔で答えます。

「何度も言ってるじゃないか。ぼくには、好きな人がいるんだよ」

「私だって、先輩のことが好きです」

 なるべく嫌味らしくならないように気を付けながら、私は続けます。

「ご友人さんにも言われましたよ。『あいつには献身的に自分を好いてくれる存在が必要だ』って。ご友人さんも先輩のこと、心配されてるんですよ? 私、私なら、先輩に寂しい思いはさせません。絶対に」

 ご友人さんのことも持ち出して、私は先輩を必死に説得します。

 でも先輩は、困ったように笑うだけ。

「君の気持ちは分かるよ。痛いほど分かる。でも、しょうがないんだよ」

「何が、しょうがないって言うんですか」

「彼はぼくのことを心配してくれているけれど、これは別に、心配してもらうほど大したことじゃないんだよ。単にぼくが恋をしていて、それが叶うことはないって、決まっているだけ。それだけの話だよ」

「それって、十分大したことじゃないですか」

 少なくとも、私にとっては。

「先輩、私じゃダメですか?」

「君が良いとか、駄目とか、そうじゃないんだよ。むしろ君はとてもキュートで、健気で、可愛らしいと思う。だからすぐに、ぼくなんかより良い人が見つかるよ」

 先輩からの申し出も、私は飲むことが出来ません。だって、そんなの、辛いじゃないですか。

「私は先輩がいいんです。先輩が、好きなんです」

「気持ちはすごく嬉しいよ。でも、ごめん。ぼくは君と、付き合えない」

 先輩は、私に嘘をつきません。

 以前先輩に聞いたことがあります。


『先輩。好きな人はいますか?』

『うん、いるよ。叶う望みは無いけどね』


 先輩は、初恋を引きずっていると打ち明けてくれました。その相手は、先輩が小学生の時に高校生だった人らしいです。今はどこで何をしているかも分からないのだそう。

 先輩も報われない片思いをしているからこそ生まれた、私を慮る優しい言葉。その言葉が嘘でない事を、私は知っています。頭では理解しています。

 先輩は誠実で、真面目で、正直者です。

 気付いたら私は、先輩の胸に飛び込んでしまっていました。自分でも分かりませんが、いつしかそうするしかないと思ってしまっていました。筋肉質な身体を、私の両手で抱きしめます。

「……君が落ち着くまで、ぼくは待つよ。だからこのまま、好きにしていたらいい」

 その言葉通り、先輩は私を拒絶しませんでした。それまでだって先輩は、私を拒絶したことがありません。

 一度も。

 一度たりとも。

「ぼくは、昔ね……好きな人が遠くへ行ってしまった時、見送る事が出来なかったんだ。その事を、今でも後悔してる。未だに踏ん切りは付いていない。でも、君はこうなっちゃ駄目だ。だから気の済むまで、好きにしていたらいい。ぼくみたいな情けない男に好意を抱かずに済む、その時まで」

 先輩が何かを言っていた気もするけれど、今の私にその言葉を理解する余裕なんてなかった。

「ぼくは終わったはずの初恋すら、未だに手放すことが出来ない男なんだよ」

 先輩の自虐に満ちた言葉も、私の中には響きません。

 胸にあるのは、恋しさだけ。

「うっ……ひぐっ……」

 先輩の腕は、私の背には伸びてきません。私は、この恋が実らないものであると痛感しました。

 想いは理想の形では届きません。

 届いても、受け取ってもらえなければ同じことです。


 先輩はいつも、そこにいるだけ。


 でも、報われないと分かっていても、『はいさようなら』と離れることは出来ません。だからもうちょっとだけ、優しい先輩の言う通りにしてやりましょう。今だけは先輩を無理やり私で埋め尽くして、優しい先輩を、せめて困らせてやりますよ。

 私の大好きな先輩。

 せめて、そんな彼の胸をーー私の涙で、限界まで濡らしてやるだけだ。

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