第8話 逃走
「ハァ、ハァ……やっと倒せた」
周りを警戒しながら戦うのは今日が初めてだったルイは、体力的にも精神的にも限界が近づいていた。魔力も残り僅かとなっている。しかし、あと残っているのはゴブリンソーサラー一匹だけだ。
新たにゴブリンが現れていないか周りを見渡し警戒する。幸い、ゴブリンが現れる様子はなかった。そのことに安堵した彼は視線をゴブリンソーサラーに戻し、短剣を構える。そして火球が放たれると同時に動き出す。そしてさっきと同じように魔法を躱しながら接近していく。しかしあと十メートルくらいというところで目の前に火の壁が現れた。
「うわっ! 火壁!? これじゃあ近づけない。それなら――」
火壁を回り込むために止めた足を動かそうとした。しかし火球が火壁を突き抜けてルイに襲い掛かった。避けようとしたが火壁と距離が近く、既に避け切れる距離ではなかった。咄嗟に左腕を出して火球を受けた。火球を受け地面に倒れたが、すぐさま起き上がり火壁から距離を取って木陰に身を隠した。
「はあ……はあ……痛っ――やっぱり火壁も使えたんだ」
これまでの戦いでゴブリンソーサラーは火球しか使っていなかった。そのため進化したばかりの個体でまだ下級の魔法しか使えないのではないかと考えていた。火壁は火魔法のなかでも下級に分類されるため、ルイも使ってくるかもしれないと考えてはいた。考えてはいたが、火壁を回り込んできたところを狙ってくると思っており、あのように火壁を突き抜ける火球を放ってくるとは考えていなかった。
(でも火壁で姿は見えなかったはずだし、止まらずに動き続けていたら当たらなかったはず。火魔法には敵を探知する様な魔法はないから二度目はない。
左腕は……痛むけど大丈夫、まだ戦える……けど)
「やっぱり、一人だと近付くのも難しいな……」
(ここは無理せずに一度引くべきかな……命あってこその冒険者だし、時間稼ぎは十分にできただろうし)
時間稼ぎは十分できたと考えたルイは二人と合流すべく引くことに決めた。
「でも、引くのは短剣を回収してからかな」
ルイは先ほど火球を受けたときに左手に持っていた短剣を落としてしまっていた。短剣を回収するには火壁のすぐ近くまで行かなければならない。
「大丈夫、火壁があるからこっち側は見えていないはず」
火壁を確認し、向こう側が見えないことを確認したルイは覚悟を決めて飛び出した。
(よし、魔法が飛んでくる気配はない。このまま短剣を拾ったら逃げる!)
ルイは一気に短剣の所まで辿り着き、そこから切り返して逃走に移る。しかし切り返したときに大きな音が出てしまった。
(やばい、今ので位置がバレたかも……また火球がくるか?)
しかし先ほどのように火球が飛んでくることもなかった。ルイはある程度の距離を取った後、振り向いて火壁を見た。
「よかった……また火球が来るんじゃないかと思ったけど何もなかっ――え?」
ルイの目に映ったのは先程までとは違う渦巻く火壁の姿だった。
渦巻く炎はどんどん勢いを増していき、周りの木々は炎に当たる端から燃え尽きている。
(嘘!? 生木を燃やすだけでも相当な火力なのに、それを一瞬で燃やし尽くすなんて!?)
その凄まじさに顔をしかめる。しかし燃え広がる様子がないことから、森林火災で逃げ場がなくなることは無さそうだと、その点では少し安堵した。しかし危険なことに変わりはない。
(あれは火渦か火竜巻? いや、この火力は炎竜巻か! ちょっと待って、こっちに向かってきてる!?)
ルイの予想は当たっており、ゴブリンソーサラーは火壁を使い炎竜巻にした。そして炎竜巻はルイに向かって動き始め、徐々にその速度が上がってきていた。それを見たルイは直ぐ様逃走を再開した。
(無理無理無理無理無理! あんなの受けたら死ぬよ!)
ルイが走っていると前から見覚えのある二人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。二人に気付いたルイは声を張り上げる。
「二人とも!」
「おお! お前も無事だったか」
「無事だったのね」
「とにかく逃げますよ!」
「そんなに慌てて一体何が――ってうおおお! 何だよあれ!?」
「ちょ、ちょっと、なんて物を引き連れているのよ!」
「仕方ないでしょ! 森の中であんな魔法使って来るなんて思わないですよ!」
ルイの背後から迫る炎竜巻を見て二人もすぐに逃走に移る。
そして、三人で逃げること十分程。
「はぁ、はぁ、もう足が……」
「もう少しだ! 気合いで頑張れ!」
「そうですよ! ここまで来たんですから、生き残りましょう! それに、もう少しで森を抜けます。森を抜けたら敏捷性を上昇させる魔法を使いますから」
「そんな魔法があるなら早く使いなさいよ!」
「この魔法は制御が難しいので初めての人は扱いきれませんよ! 森の中で使ってもスピードが上がるどころか下がりますよ!」
「私は魔法の制御には自信があるわ! それくらい制御してみせるわよ!」
「無理ですよ! 絶対に制御できません! それにこの魔法は消費魔力が大きいんですよ!」
「二人とも落ち着け! 言い争っている場合じゃないだろ」
「うっ……ごめん」
「すみません……」
「一つ聞きたい。その魔法の消費魔力はどれくらいなんだ?」
「残っている魔力だと一回だけしか使えません」
「なら森を出るまでは魔力は温存してくれ。何があるかわからねぇ。魔法をかけるなら森を出てからだ。エマ、良いな?」
「うぅ……分かったわよ」
「悪かったな。気を悪くしただろ?」
「いえ、魔法を使って欲しい理由は想像できますから……」
「そっか、ありがとな」
ルイには魔法を使って欲しい理由が想像できた。
エマは今、自分が足を引っ張っていることを自覚している。そのため敏捷性を上げる魔法を使えると聞いたときに使えと言ったのだ。
そもそも彼女は魔導師だ。それもルイのように前衛ができる訳ではなく完全な後衛タイプ。そのため魔法は鍛えていても、身体はあまり鍛えていない。
自身のスピードを上昇させて近接戦闘をメインとするルイ、剣士として身体を鍛えているマティアス、魔導師のエマ、三人の戦闘スタイルからエマが体力的に劣るのは当然と言える。
さらに先程までの戦闘で魔力をほとんど使いきっている。魔力は少なくなっていくにつれて体が怠くなり、動きが鈍くなってしまう。そして魔力が空になると気を失ってしまう。ほんの数十分前に(傷の影響もあるが)気を失っていたことから魔力がほぼ空だと推測することができた。
「このままじゃ追い付かれるぞ!」
「はぁ……はぁ……分かってるわよ!」
そうは言っても既に体力と魔力の限界を迎えているエマは走る速度が上がらない。むしろ遅くなってきている。
(このままだと不味い……どうする? 魔法を使う? でも魔力が……なら抱えて走る? 誰が? 僕? あの男の人? でも抱えたら遅くなるし、すぐに体力がなくなる。いや、流星の効果が残っている僕なら……)
ルイは覚悟を決め、足を緩める。
「おい、何やってんだ!?」
ルイはマティアスの問いには答えず、エマの隣に並ぶ。
「……何よ? ……はぁ……魔法を……掛けてくれるの?」
「いえ、まだ魔法は掛けません。……ちょっと失礼します!」
「えっ?……ちょ、え? きゃあああ!」
ルイはエマを横向きに抱えて走り始めた。それを見たマティアスはすぐさまルイに声を掛ける。
「おい、いくら何でも抱えて走るのは無茶だ! やるなら男の俺がやる方が良い」
「いえ、僕は敏捷性が上がる魔法の効果がまだ切れていません。走る速度は今までと同じ、いえそれ以上の速度が出せます。あなたに魔法を掛けられない以上これで行きます!」
「……分かった。どれくらい持つんだ?」
「長くても二分です」
「なら二分で出来るだけ離すぞ! 全力で走るぞ!」
「分かりました! あと僕も男ですから!」
「えっ!? それ今言わなきゃいけないことかよ――って速っ!」
返事をした後、ルイはどんどん速度を上げていく。
そして普段の使用してる速度を超え、さらに速度を上げていく。
しかし木を避けるたびにルイの身体は悲鳴を上げていく。
(右、左、右……キツイ……ダメだ、何も考えるな。集中、集中!)
そしてエマを抱えて逃げること二分。遂に森を抜けることが出来た。森から数十メートル離れたところで止まった。
「……はぁ……はぁ……なんとかここまで来れた。あとは魔法を掛けて……」
そう言いながら振り返ったところで、あることに気付いた。
「あの人がいない」
逃げることに集中するあまりマティアスのことを置き去りにしてしまったことに気付きルイは青くなった。ルイが青くなっている横でエマは――
「うぷっ……気持ち悪い……」
違う意味で顔を青くしていた。全力でないにしろ結構な速度で右に左にと揺れていた影響で気持ち悪くなってしまっていた。
(どうする? 森に入って探す? でもすれ違ったら……)
森に入って探すべきか迷っていると森の中からマティアスが出てきた。マティアスは二人に手を振って近付いて来た。
「おー、いたいた。炎はさっき消えたぜ――って、エマはどうしたんだ?」
「あー、その走っているときの揺れで気持ち悪くなったみたいです」
「ああ、あの速さで揺さぶられたらなあ……」
「それよりも炎が消えたって言うのは?」
「本当だぞ。消えた後、奥の方にゴブリンソーサラーがいたが逃げていったからもう大丈夫だと思う。アーチャーの方は見えなかったけどよ、一緒に逃げてるんじゃねぇかな」
「あっゴブリンアーチャーは倒しましたよ」
「マジかよ! はぁ、凄いな……っと、それよりもだ」
「何かありましたか?」
「何とか生きてここまで戻って来れたな。ほんと死ぬかと思ったぜ」
「囲まれたときは死を覚悟したわね」
「おっ、もう大丈夫なのか?」
「ええ、何とかね。……それより、ありがとね。あんたが助けてくれなかったら私たちは死んでいたわ」
「だな。ありがとな」
「そ、そんなお礼なんて言わないで下さい! 僕の所為で上位種と戦うことになったし、怪我までしたんですから……」
ルイがそう言うと、マティアスは勢いよくルイと肩を組んだ。
「それくらい良いんだよ。お前が助けてくれなきゃ囲まれた時点で死んでたかもしれねえ。もし生き残れたとしても、その後に上位種と戦うことになったかもしれねえし囲まれているときに上位種が来たかもしれねえ。逆に上位種と戦わずに済んでいたかもしれない。確かに俺たちは上位種と戦うことになったし怪我も負った。でも俺たちは今、生きてここにいる。そのことに喜びこそすれ、責めることなんざしねえよ」
「そうよ、もともとは私たちが囲まれたのが発端なのよ。私たちのミスにあんたを巻き込んだの。それをあんたは危険を顧みずに私たちを助けてくれた、その結果私たちは生きてここにいる。それで良いのよ!」
「そういうことだ」
「……はい、分かりました」
二人の言葉はルイの心にスッと入り込み、少し心が軽くなった。