遣る瀬ない事実。厭世者の繰言。あるいは深淵の泥沼で怨嗟とともに藻掻く蟻。
狂気。と呼ぶべき領域での"本気"で書いたものです。
重いです。危険物です。鬼が棲んでいます。怒り、失望、絶望……負の感情をとことんまで詰め込みました。気が滅入るかもしれません。
相当に偏った見方で書かれています。ご注意を。
「いい歳をして、どんくさく、分別のつかないクソガキめ
『最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。』
……そう綴った大作家の金言を無視し、世間様に逆恨みと言える、くだらないものを書こうと?黙って在ればいいものを。」
キーボードを叩き、コレを綴っている私の後ろに、人影が立つ。……別の感情と意志を持つ"オレ"は私に語りかけてきました。
「……黙れ。見たはずだ。あの理不尽を、そこに蔓延るおぞましさを……綴ってドコが悪い!?」
私は怒気を孕みつつ言い返せば、オレは、すかさず私に嘲笑を浮かべながら返します。
「無論、当然のこと。知っている。しかし、その理不尽は、おぞましさは、お前の未熟……いや、怠惰と甘えの結果だと。それも書くことになるぞ。書かなくてはなるまい」
「黙れ、黙れ!黙れ!!そうやって、いつまで私に保身をさせるつもりだ。以前にあの事を訴えたら、責任の立場にあるものはなんと答えた!?許せるか!!」
「責任ある立場……そうだな。つまり権力者様だ。それに逆らうは、どうなるか。想像のつかない童でもあるまい。なぁ、さっき言ってやったのを思い出せ。大作家のそれを……」
「わかってる。わかってる……それでも……許せない」
自身のバカさ加減を思い出し、うなだれる私に、オレはニヒルな笑いを浮かべ言います。
「まぁいい。好きにしろよ。確かにお前は失うものなんて、ないはずだからな。最も、それは意志を貫いたわけでもなく、……なぁ、怠惰で意志薄弱のろくでなし。だから、どうせ書ききれまい。そうだろう?」
「……見てろよ」
こんな葛藤の中、綴り上げた一説です。
まずは本題に入る前に、すこし、閑話を綴らせていただくことにしましょう。
閑話
ある農民作家、水呑百姓が当時、そして今においても、文豪と呼ばれることに疑いない大作家のもとに原稿を持ち込んだ。
そこに書かれたものには――ある百姓が子供をもうけた。しかし貧乏で、育てようとすれば親子共倒れが間違いない。むしろ育てないほうが皆のために、自分のためになるだろうと、子を殺し、石油缶にでも詰めて埋めてしまう。……という話が書かれていた。
これを読んだ大作家は、己の生活からは想像もつかない、あまりにもやりきれない、暗い話なので、「いったいコレは本当にあるのかね?」と農民作家に問う。
すると農民作家はぶっきらぼうに言う。「それはおれがしたのだがね。」返事どころか思考すら停止した大作家に、農民作家は追って質問する。「あんたは、悪いことだと思うかね?」――と。
大作家:芥川龍之介はそんな事実に立ちすくむばかりで、農民作家が去った時、突き放されたような、置き去りにされたような気がした。
閑話休題。
これは文豪:坂口安吾が、著作『文学のふるさと』の中で、芥川の死後に見つかった手記ともつかぬ原稿から引用したのを、私なりに要約しました。
モラル。日本語訳だと【倫理。道徳。習俗。あるいは教訓】という言葉ですが、上の閑話はそんなものが微塵ともなく、いわゆる"お約束"たる『幸せになる』だの『救われる』というものではなく、ただ現実があり、そこで根を下ろし生きるがゆえの事実があります。
同じ場所に生きていない以上、其の他の者は突き放される以外にありません。
ここからは、私の見た事実。それをきっかけに渦巻く感情、思考。それらを綴らせていただきます。
この先をお読みになる方には、おそらくは大作家の様な心持ちを味わっていただくことになると思います。この様なモノを綴ることは心苦しいのですが、綴らずにいられませんでした。ご容赦を。
かつて、漠然と……ですが、私はいずれ故郷に帰り、先祖が耕してきた田んぼと畑を引き継ぎ、農業を行うだろう。金を稼ぐのは、古くなった家の改築や農耕具の更新を行うための資金稼ぎだ。そんな考えで生きていました。――彼の発電所が大爆発を起こすまでは。
こう書いてしまうと、私の故郷は避難が絶対で或る地域。と誤解を与えてしまうと思うので、書き足しますが、その場所は発電所からは大体50キロは離れている地域です。
だから当初は、多少の風評被害があっても、発電所から飛ぶ毒が収まってしまえば、台風が毎年のように来て雨風で流れるこの国なのだから、何年か経てば安心できるモノが作れるだろうと思っていました。
そんな事を考えつつ、土地の管理をしている祖母から「発電所に招かれて見学した時は、何度も『絶対に大丈夫だ』と聞かされたんだけどねぇ」などと言う愚痴を「まぁ、自然災害がきっかけだから仕方ないさ……」と、曖昧に笑って返していたものです。
数年経って、土地に汚染土が置かれるまでは……
3,4メートルほどの鉄の仕切り板で囲まれたことで、変わった故郷の景色。アレを初めて見た時の心持ち、気分の悪さ……絶望という言葉は、このために有るのか。そう思えました。
その土地は、既に鬼籍に入った祖父との思い出ででは「この田んぼは美味い米が取れるんだ」と、夕焼け空の赤の中、私に自慢していた場所だとよく覚えています。それが二度と……少なくとも、私が生きている内には使えないようになったのです。
しかし、ほんとうの意味での絶望は、先にありました。家で「置くのは仕方なかった」という祖母の話をぼんやりと聞き流しながら、増えた写真立てに目を落とすと、なんとそこには首相を隣に置いた祖母と婦人会仲間が写った写真が有りました。
その時、立っていなくてよかった。全身の力が抜け落ち、頭が真っ白になりました。目眩を覚えました。そして、ものすごい勢いで感情が、思考が渦巻くのです。
(ソイツは以前に地位に就いた時、発電所の安全を問いただされれば、何度も『絶対に大丈夫だ』と議会で放言していた輩だ。首領だ。なぜそんなのを隣に置いて笑っていられる!?)
そもそも発電所から50キロも離れた場所に、汚染された土を置く意味がわかりません。それを起点に、いずれ土から水が染み出し、毒が広がるのは心配ないのでしょうか?
ともかく、写真について祖母に『いつ撮った?』『どうしてこんな写真があるのか?』と、胸の内から湧き上がる得体の知れない黒いものを必死に圧し殺し、努めて平静を装い聞くと「慰問に来た時に撮ってもらったんだ。」と、あっけらかんに答えました。
――ああ、以前に語った愚痴は何処に行ったのか?子供が着ぐるみを来たヒーローや可愛いキャラクターに狂喜乱舞する様に、肩書とバッジを付けて偉ぶってるのが来ると、喜んでおしまいか?
そんな失望と絶望と共に、憎悪と呼ぶ感情でしょうか?あるいは殺意と呼ぶべきものでしょうか?そんなものを思わず抱きました。なんと、あろうことか、身内に対して――。
しかし、私に祖母をはじめとする身内を糾弾する……あるいは咎めることなど出来ません。一年に一度ほど故郷に顔を見せに行くだけで、少ない祖父の遺産で生活して「家を捨てて公的補助でも貰ったほう楽かもなぁ」こう言っている祖母に、私は何かしら援助したわけではないのです。都合のいい言い訳をしながら日頃に馴染んだ都会の空気に甘え、故郷を蔑ろにしていたのです。
ならば土地をどうこうして、金を得ることに文句など言えません。例えば、こう言われてしまえば何も言えません。
「離れたところで遊んでいるだけで、何もしてくれなかったじゃないか」と、事実、私は故郷で何もしてなかったのですから。
私が憎悪を覚える根本は、モラル。……いや、下卑た言い方をすれば、ヒガミ。弱者がすがる道徳。ただのいい格好しいです。
戦国時代には『武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候』という言葉が有るように、生きることに真摯である者を否定することは出来ません。泥に塗れ、泥水をすすりながら、なんとか生きようとする者を、とやかく言うのは許されません。
その時以後、私は故郷に帰っていません。恐ろしいのです。帰れません。おぞましいのです。こんな事実が転がっていて、笑いながら過ごしている身内が……
(受け入れなければならない。そうやって過ごすのが正しい)
こんな事実など存ぜぬとばかりに。時には、よくわかってるよ。などと、したり顔をして、のうのうと高説を撒いている政治家達や新聞などマスメディアという連中が。
(そんなものだろうと諦めてる)
そして何より、それら全てに対して、黒いモノを抱いてしまう、何も出来ない事を棚上げに人を怨む私自身というモノが……。
(コイツが何よりも許せない、そして恐ろしい)
一応『さして問題はない』この様な理屈が有ることは、わかっているのです。また、10にも届かぬ幼子ならばさておき、それなりに歳をとった私には、さして影響はないだろうことは、わかっているのです。
体がそれほど動かなくなった祖母は、土地を他人に貸して、そこでは農業をやっているはずです。毒素についてもキチンと計測されているはずです。そう、問題はないはず……。しかし、嫌悪感はどうあがいても拭えません。心はごまかせないのです。
もしも心の奥に湧いた憎悪を、殺意を持って、善からぬことを実行してしまう、しやすいのは老いた身内に対してです。ならば、近づかない事が最善でしょう。
政治、あるいはマスメディアなどの従事者……大概、目にするのは公衆の面前でしょうから、気弱な私に実行など不可能です。
幸か不幸かわかりませんが、人を傷つけずに生きていられるのだから、おそらくは幸運のはず。そんな状況と自身の性情のため、今に至るまで抱いたものに流され、激発して不始末・不祥事沙汰を起こす機会はなく来ました。仮にその時があっても、自らの怠慢、無力への怨恨がありますから、自裁・自害することになると思います。
……誰かに答えをもらえるなど思っていません。金が欲しいというわけでもありません。……今更、汚染土をどけて何の意味があるでしょうか?どけてほしいわけでもありません。
ただ、この様な事実があり、その中で悶え苦しみ、藻掻き回る無力な蟻がいるのを知ってほしい。望むは、あなた自身がこんな絶望を抱く可能性が有るというのを考えてほしい。
閑話で作家:芥川が『想像もつかない事実に、置き去りにされた』ことを書きましたが、読んだあなたが一般大衆だと言うならば、それでいい。ほんの少しでも立ち尽くして考えて下さればいいのです。それで十分です。
しかし、専門的な責任がある者、政に携わる方々は、閑話にあった事実もそうですが、世の中に転がる様々な事実に対して下らない誤魔化しをしないでください。あなた方は作家である芥川のように、事実に対して黙って立ち尽くすなど、許されることではないはずです。
(などと綴って、懇願しても、腹立たしいことに、戦前は足尾銅山。戦後の公害の頃から変わらず、彼らは自らは関係ないと言う姿勢をつらぬくことが目に見えていますが……)
拙い文章ですが、私が見た事実と、思ったこと、そして云いたいことは、これでおしまいです。
書いてしまった。こんな物を……秘めておくべきなのに。 ――しかし、いわゆる責任ある立場にいるのが「あそこで病気とかが発生するのは、20年は先でしょ?」と吐かしたのに腹がたった。
それにしても、囚われすぎだ。抱いたものに毒されて、身内を……などと考える、人でなしの鬼になってしまったんじゃないか。身内・自分自身すらも憎悪の対象に入るから、憤りだけではなく、失望と絶望、そこからの希死念慮があまりに強い。私は生きていていいと思えない。
私と、この世界。狂ってるのはどっちか?……いくら問うても、こんなものは、世の中の片隅にいる蟻の繰言。
誰かをそしり、攻撃、糾弾なんてしたくないのに、なんでこんなのを書いたのだろうか。改めて言葉にするならば、きっとそれは「復讐」。――それが誰に対してなのか。自分自身でも、まるでわからない。ただ全てがおぞましい。
事実があり、罪があり、咎がある。それらが混ざり合ってできたマダラ模様の憎悪。『ふるさとは遠きにありて思ふもの』と言うが、そこに生活していれば、気にならずに済むか?だが、どうあってもコレには耐えられない。
機会があるかはわからないが、しばらく生きることが出来て、ここ数年間、ずっと渦巻くこの感情をついに飲み下せた時、同じものを基に、また書いてみようと思う。
拙を守り木瓜となりたい。と思っていたが、そう成る道は閉ざされ、成るにはもはや業が深い。絶望に浸りきり、動くも億劫な故。ただ祈り、願う。無力で小さな蟻の私に出来るのはそれだけ。