ウソとキツネのゴンザレス
幼い頃からある界隈、つまるところキツネとタヌキの間で有名なゴンザレス象の前で、タヌキの女の子と化かし合いをしていた。
「今日こそ、お前を化かして見せるかんな」
指さすとタヌキの女の子はふっと鼻で笑った。やることが出来るならしてみせろとでも言うように彼女は、自信満々な顔で俺を見つめる。
その瞳はいつも通り吸い寄せる力を持っているようで俺はどぎまぎしながらも、タヌキに化けてやった。
「どうだ。俺はお前らと同じタヌキだ」
「あらあら」
タヌキの女の子は手を口に当てて、微笑む。
女の子の良い匂いが香ってきて、鼻がむずむずした。
「お尻に尻尾がついていますよキツネさん」
「な、なあああにいいいいいいいい?」
歌舞伎俳優さながらに俺は驚くと、お尻に顔を捻った。
ところがそこにはどこにもふっさふさの俺の尻尾の姿はない。
「……て、そもそも尻尾ないとかどういうこと!? 俺の化けたの、尻尾がないタヌキとか逆に凄くね」
俺は幼なじみの方に振り返るも、幼なじみは人間の女の子の姿をしていた。制服姿の女の子は、スカートから覗かせる尻尾を振る。その尻尾はどうみても俺の尻尾みたく黄色く、美しい毛並みをしていた。
「あなたの尻尾をもらっていくわ」
ぺろっと女の子は舌を出して、スカートを揺らす。ひだのある黒のスカートは悪戯に揺れる。
ぽかーんと、俺はその光景を見て、はっと気づいた。
「待て!! 俺の尻尾を返せえええ。この豆タヌキめえええ」
俺は幼なじみの女の子を追いかける。
ゴンザレス象は背後に、どんどん離れていく。
❀❀❀
「ちっくしょう……」
俺は教室の席に着き、呻いた。
「あいつめ……また俺を化かしやがって。ってか、なんであいつには俺の化けの皮がすぐはがされんだ」
いじいじと朝の化かし合いを振り返り、またいらいらしてきた。
あいつのせいでいつもこうだ。
俺はあいつに化け術で勝ったことがない。
俺は勝ちたい。
ものすごく。
そうしたらいつもの苛立つあいつの嘲笑もなくなるのに。
「おー。今日はいつもよりご立腹だな」
と、そこで正面の席からいつもの見知った顔がこちらをのぞかせた。
「何かあったか?」
こいつは俺が人間の学校に紛れて初めての親友だ。
いつも陽気で、俺にちょっかいをかけてくる。
「何でもないやい」
ふん。
「あっ、分かった。隣のクラスのあの子だろ」
「は? 何でそうなんだ!」
「いやあ、美人だもんな。隣のクラスの狸田光って」
にやにやと歯を見せ親友は笑った。
「お似合いじゃん君ら。朝も一緒に登校してきてさあぁ。噂になってるよ」
「ばかっ。そんな関係じゃないやい」
俺は机をひっくり返しそうな勢いで立ち上がると、親友はまあまあと宥めた。
ちらりと隣の教室に入っていく幼なじみの光が目に入る。
「ただの幼なじみだ」ふんぞり返る。
「へぇ。ただのね」
「そうだ。ただの、だ」
「なら好きじゃないんだな」
「好きじゃないやい」
そうだあいつはタヌキなのだから。
あいつが俺の化ける邪魔をするのだから。
……好きなわけ…ない。
元よりキツネとタヌキの間には元から大きな溝があるんだ。
同じように化け術を行うものの、相手のタヌキはキツネよりも一歩の二歩も化け術が苦手とされている。
タヌキの方が劣っているのだ。それなのに、何故キツネとタヌキは一緒に人間の中に紛れ込まなければならぬのか。
俺はこの溝にある種の納得を得ている。
俺を化かせられるタヌキが現在ある一人をおいていないのだ。
すると、やはりタヌキは劣っているのだろうと、納得できる。
だが、あいつと言う存在が俺のこの自信に影をつけるのだ。
そもそも、俺はそんなに化け術が下手じゃないんだ。
俺は、みんなより上手く化けられる。嘘もつける完璧なウソつきキツネなんだ。
それなのに、あいつと会ってからおかしいんだ。
❀❀❀
「ねぇ。あなたがこの辺りで一番のキツネなの? あの伝説のゴンザレスより化けれるって噂のキツネなの?」
そう尋ねられたのは俺がとっても幼い頃。
「そうだい!」
「なら、私と勝負しない?」
俺は小さなキツネ。
美しい黄色の毛並みの、将来が期待された小さなキツネだ。
対して、あいつは化けるのが下手な小さなタヌキ。
茶色の短い毛並みを惨めたらしく靡かせるウソもつけない半端者だ。
「ふふふ、私に勝てるかしら?」
「あたぼうよ」
勝負は勝負。
一番初めに会った時俺は、そのへんの小石に化けた。完璧に、そしていつも以上に力を入れて化けたはずだった。
「あら?」とその度に首を傾げられた。「あらあら? こんなところに……」
「や、やめろおおお」
あいつは小石になった俺を引っ掴み、優しくなでた。くすぐったくて、思わず尻尾を出してしまった。
つまりは化けの皮をはがされてしまった。
その後、あいつは俺にそっくりなキツネに化けた。その場にいるのは二人の俺。
「えっ、これ? 俺?」
「お前こそ俺なの?」
「俺が二人?」
「俺の方が本物の俺で、お前が偽物だろ?」
「そうなのか!?」と狼狽えてしまった。
「お、おれ偽物なのか!?!?」涙ながらに俺は俺に化けたあいつ縋った。
「誰か俺が本物と言ってくれええええ」
その瞬間ポンッとあいつは元の姿に戻った。
「私の勝ち」
得意げなあいつの顔。
いつ思い出してもイライラする。
「負けた罰として、今日から友達になってね、狐田俊くん」
❀❀❀
「嫌いだ嫌いだああ」
親友がそっと差し出したプリントを俺は迷いなく破った。
「あいつなんか大嫌いだ!」
「狐田、狐田」と親友が俺の名を呼ぶ。
「なんだ!」
「それ、俺の狸田光へのラブレターだ」
はっ!?
「いやぁ、参ったねぇ。破られちまった」
はあああ!?
「なああああにいいいいいい!?」
「俺さ、前から狸田のことが好きでさ」
ぽかーんと俺は口を開けた。
「だって、狸田ってすっげぇ美人でさ……」
「そんな……」
ごくりと唾を飲む。
どうしてか、俺の中の小さなキツネが汗をかく。
これは喜んでいいことなのだ。こいつと幼なじみのあいつとをくっつければ俺の嫌いは消し去ることが出来る。
しかし、こいつにあいつを取られそうなのを焦ってる、だ、と?
ならん!
ならんならん。
俺はあいつのこと大嫌いなんだから。
今までだって、そうだ。
あの頃から変わらんだろう!
❀❀❀
あいつは俺が負けるたんびに「罰として……」と付け加えた。
「私の勝ち」
ぺろっと女の子は悪戯な笑を見せる。
「罰として、明日も此処に居てね。また化かし合いましょ」
「また私の勝ち」
振り返りざまに幼なじみは、元気な笑顔を咲かせる。
「罰として、明日の朝も此処にいてね」
「私の勝ちぃ」
ガッツポーズで彼女はくるくるとタヌキ姿で回る。
「罰として、今日から一緒に学校に行きましょう」
「……私の勝ち」
あいつはむっつりと、俺にポカポカと小さな手で俺の背中を叩いた。
「なんなんだよ」
「何にもないわ」
「今度は罰として、一生私のそばに居なさいよ」
涙ながらにあいつは命令した。
「なんか今回の罰重くない?」
「重くないわ」
❀❀❀
そう言えば、あいつとは長い付き合いだったなあ。
いろんな表情を見てきたはずなのに、いつも俺の化けの皮を剥がすあの嘲笑ばかりみているので気づかなかった。
「俺はあの子のことが好きなんだ。で、ここは親友の頼みってことで一つ聞いてくれ。
嫌いだったら嫌いだってあの子の前で言ってくれね?
あの子絶対嫌われてるって気づいてないからさ、あの子可哀そうじゃん。
まあ、お前が嫌いって言ったら、落ち込むだろ?
お前はそれを気にしなくていい。
そこに俺が参上して、あの子に告白するからさ。あの子の心の傷も癒えるだろうし。
狸田は俺に絶対惚れこむ。俺は自信を持ってあの子を好きだって言える」
目の前の親友は両手を合わせて拝んでくる。
えっと……「狐狸山……」
「一生のお願いだ」
「無理……」
えっ……と親友の狐狸山が血の気を引かせる。
「と、でも言うと思ったか阿呆め!」
俺は自身が破ってしまったラブレターをまた散り散りに切りさいて、机の上でぱっと放った。降ってくるラブレターの残骸は、くす玉を割った後のようだった。
「言ってやるよ! お前の頼みだかんな」
俺は早速立ち上がる。
チャイムが鳴って、担任の教師が入ってくるが気にせず教室を飛び出し、隣の教室へ侵入した。
「って、今じゃなくていいんだけど!!」
後ろから狐狸田が追いかけてきた。
「やい! 狸田!」
俺はクラスの中にいるあいつの姿を見つけ出し、指をさした。
「あらあら、どうしたのかしら?」
あいつはいつものすまし顔を見せる。
その顔にイラつきを覚えた。
「いやいや、後にしようよ狐田!」
「俺はお前が大っ嫌いだ」
「あー言っちゃったよ……この人……」
その瞬間、狸田光はしゅんっと、憂いのある目を伏せた。
その姿に若干どきっとくるが、ぶんぶんと頭を振り、続ける。
「俺はお前が大嫌いだ。
俺の嘘を簡単に見破るし、いっつも、嘲笑ってくるし、何考えてんのか分からんし。
いつもいつも傍にちょこちょこついてくるし。
とにかく、ちっちゃい頃から傍に居るのはいいけど、そんなに近寄んなって思うけど、若干嬉しく思ってるし。
俺はそんなお前のことが分かんねぇし。
でも、一緒にいるとすっげぇ面白いし、俺のこと見破れんのお前だけだし。
いつもいつも俺のことを思ってねぇし、むしろちょっかいかけてきたり、この間なんてぽかぽか背中叩いて来るし……でもそんなお前が何というか……大っ嫌いだ!!」
何言ってんだ俺?
途中からどうでもいいこと言ってた気がする。
「嘘」
狸田の声を聴いて、これまた俺はどきっと心臓が大きく高鳴る。
さっきからなんでこいつのこと意識してんだ。
どうでもいいだろこんなやつ。
「あらあら」
またあのセリフをこいつは繰り返す。
ぱっちりと黒い大きな瞳。長い睫。しなやかな足。
そんなものが一体となった人間姿のあいつはそっと立ち上がる。
「私もそんなあなたが大っ嫌い。
だって本当のことはいつも心の中にしまわれているんだもの。
だって、あなたはいつも鈍感で何も気づいてなくて、それなのにこうして一途に私のもとへと来るんだもの。
私知ってるのよ」
あいつが近づきそっと俺の鼻をぽんぽんっと人差し指で軽く叩く。
「あなたが嘘をつく時、化かす時、ここがぴくぴくってなるのを」
あっ、俺、今鼻ぴくぴく動いてた。
と、思った瞬間、光のつやがある桜色の唇が俺の唇を奪った。そしてぱっと離したと思えば、いつものように悪戯な笑みでくすっと笑った。
「私も大っ嫌い」
「つまり、それは……」
俺はさっきの発言中ずっと鼻がぴくぴくと動いていたのではないか、と改めて思った。
つまり、あの長い大っ嫌いの台詞の間動いていたということは……
「俺の大嫌いはもしかして……嘘?」
みるみるうちに唇の熱さが感じ取れるようになってくる。
それよりも俺の顔が何倍も熱くなっていくのが分かる。
目の前の光は、俺の後ろにいたやれやれと、「こうでもしない限りあいつは気づかないもんな」と言って頭を振る親友の狐狸山に親指を立てる。
「グッジョブ狐狸山くん」
……た
………さ、れた
化か、されたああああああああ。
❀❀❀
朝、いつものようにゴンザレス象の前で光が待っていた。
これから登下校だ。
今まで通りなのに、なんだか気恥しい。
「おはよ」
光はふふふと口の前に手を添える。
その仕草は気品がある。
「ねぇ、私のこと大嫌い?」
「ああ、大っ嫌いだ」
ぴくぴくと俺の鼻が動く。
「うれしぃ」
光が俺の鼻をぽんぽんっと、人差し指で叩いた。
「うっせええ。お前なんか、大っ嫌いだあああ」
ぴくぴくぴくぴく、鼻が動く動く。
俺の二つ名のである「ゴンザレス」、もうその名は廃れた。
「ありがとう」
こいつのせいで。
「う、うるさい」
そして今日も化かし合うのだ。俺達はそう言う生き物なのだから。
光の黒い制服のスカートがひらりと舞う。
その黒に包まれたタヌキは、美しい黒の髪とぱっちり目をしていた。
今日も光はかわい……
ふん。