2話 師弟
「お目覚めくださいませ、大姫様」
翌朝。一番鶏が鳴くと同時に、クナは泥に沈んだような眠りから起こされた。
体をそっとゆすってきたのは、一位の従巫女たるミン姫である。
クナが半身を起こすと、姫は開口一番謝ってきた。
「申し訳ございません。部屋が煙たすぎますので、処置します」
「え? けむた……こふっ!」
息を吸い込むなり、クナは咳き込み、両手で鼻を覆った。
ひりひりする匂いが鼻をついてくる。
当直のビン姫が、格子窓を開けて夜気を取りこんだあと、お香を焚いていったらしい。甘露でびっしょり濡れた寝着や布団も、いつのまにか取り代えられていて。それらにも、同じお香がしっかり焚きしめられていた。
「これってたしか、鎮龍香?」
「さようでございます」
即位の儀のときも、同じお香が大祭壇で焚かれていた。
いやな匂いだと思って顔をしかめたら、ビン姫が背中を刺すように言ってきたものだ。
『このお香には、強力な「匂い消し」の効果がございます。ですからご安心を、大姫様』
そう、このお香は、龍蝶の甘露を消すために調合されたものだ。
どういうわけであろうか、クナの昇位が決まった直後から、神殿のそこかしこで甘露封じのお香が焚かれるようになったのである。
いまや巫女王が住まう奥殿も、大祭壇も、この匂いに満ちている。
まるでクナを厭っているかのように。
「甘露はちゃんと、抑えてるのに」
「はい。存じあげております」
髪の色は元に戻したけれど、甘露は無処置というわけにはいかない。
人間にとって龍蝶の体液は、害となりうる。北五州でユーファンに襲われて以来、クナはきちんと、そう認識している。
ありがたいことに、トリオンから送られた薬には、甘露消しの成分が入っていた。
一石二鳥の薬はまだずいぶん残っている。だから体が回復した今も、半分の量にして毎日飲んでいる。それで十分、涙も汗も、甘い匂いがほとんど立たないはずなのだが……
「きのうの夜は、だめだったわ。お腹を刺されて、甘露が中からたくさん出ちゃった……だからよね。こんなにバンバン焚かれてるのは……こふっ!」
「お腹を?」
「体の中に、何かがこもって……ごふっ!」
「なるほど。ビン様は、〈神出し〉をなさっ……けふっ!」
部屋の四隅に、香炉が一基ずつ置かれているらしい。
ミン姫は三つの香炉を部屋から出し、最後のひとつもいったん消して、さやかな香りのお香に変えてくれた。
ホッと安堵したクナは、寝着のまま姫に手を引かれ、女王専用の禊ぎ場へいざなわれた。長くすべらかな廊下を進む途中で、クナは今一度、ため息まじりのミン姫に謝られた。
「申し訳ございません。わが師――ビン様は、とても真面目な方なのです。私が早めに起床しまして、当直はもうよろしいですと代わろうとしましたら、きっぱり拒否されました。大姫様の部屋の前で座禅を組んで、鶏が鳴くまできっちり、お部屋を守っていらっしゃいました」
部屋の前で、寝ずの番をしていた?
ということは――
「黒すけさん、昨夜部屋にこなかったんです。もしかして、ビンさまに通せんぼされたんでしょうか?」
「そうですね。大姫様の世話ができるのは、聖別された従巫女のみ。神をおろす器の神聖さが損なわれますので、それ以外の者が触れることは、本来まかりなりません。ゆえにビン様は、あらゆる者を、容赦なく追い払うでしょう。とくにあの黒すけは、神獣もどきの、得体の知れないものです。だから完全にだめでしょうね」
ミン姫の口調はいつもと全く変わらない。冷静で、どことなく冷ややかで。歯に衣を着せてこない。率直な物言いに、クナは思わずぶるっと震えて身をすくめた。
「申し訳ありませんが、私もあの黒すけが大姫様の部屋を出入りするのは、賛成しかねます。アオビのように、後宮のやんごとなき夫人のために作られたものなら、ぎりぎり許容範囲ですが」
「え……ひゃっ!」
クナはまたぶるっと身震いした。ミン姫の声の冷たさもさることながら。禊ぎの水が氷の刃のごとく、肩を打ってきたからだった。
清水からあがると、姫はクナから寝着を取り去り、単衣と袴を手際よく着つけてきた。
自分でやろうとするクナの手を、そっとつかんで止めてきて。厚い錦を何枚もかけてくる。
「いずれも無味無臭。鎮龍香は、焚きしめられておりません。ご安心ください」
ああこれなら本当に、安心できる。
でも。ミン姫は、さっきなんと言ったのだろう? 影の子は、近づけたくない?
黄金冠を載せられたクナが、ほのかに、眉間にしわを寄せたとき。
――「ああもう! メイのせいで大遅刻ですわっ! なんであたくしが叩き起こして、帯まで結んでやらないといけないんですのっ?!」
「すみません、リアンさま!」
「あたくしではなく、大姫様にあやまりなさい! このバカ娘!」
その接近は嵐のごとく。禊ぎ場に、二位と三位の従巫女、すなわちリアン姫とメイ姫が飛び込んできた。どうやらメイ姫が寝坊したために、集合に遅れたらしい。リアン姫は、幼い相方をぺしりとはたいて喝を入れた。
「ちょっと。姿勢がなってませんわ! 床に額をつけなさい!」
「ええっ、ど、土下座するんですかっ?!」
「遅刻なんて、懲戒ものですわ! 今度寝坊したら、奥殿から叩き出しますからね!」
「は、はいいっ、すみませんっ!」
袁家のメイ姫は、世話役の手を離れて「一人前」になったばかり。
二十臘をぎりぎり越えたところで、巫女の技はまだまだ未熟。選抜戦では、一回戦であっさり敗退した。
なれど三位の大神官は、幼い従妹を、クナの従巫女としてねじこんできた。
袁の本家の姫は、いまや太陽神殿に一人も残っていないからだ。
ひとりは大姫として亡くなり。
もうひとりは龍の巫女王となって、別の神殿に遷っている。
あとひとり、下に姫がいるそうだが、その御方は、帝の後宮に輿入れしているらしい。
かように袁家の姫たちは、華々しい出世を成しているのだが。
いずれメイ姫を大姫にせんと、三位の大神官はさらなる野心を燃やしているのだった。
「その頭! 寝ぐせが直っておりませんことよ!」
「きゃあ、すみませんっ!」
まるで母親のように叱咤するリアン姫と、ぺたぺた頭を押さえるメイ姫に、クナは遠慮がちにたずねてみた。
「あの、黒すけさんがどこにいるか、知りませんか?」
「分かりません。昨晩から見ておりませんわ」
「右に同じくですっ」
「メイ。あなた、あたくしの左におりますわよ」
「あれっ? えっとそれじゃ、左に同じくです!」
およそ賢そうではないメイ姫が、あの黒いの、ちょっと気味が悪いですよねと小声でぼやく。黙れといわんばかりに、リアン姫がその頭をまたぺしりとはたいた。
意気消沈。冠を載せた頭をがっくり下げたクナは、ミン姫に手を引かれて、着付け部屋から出た。後ろからしずしずと、リアン姫とメイ姫がついてくる。
背を伸ばして威風堂々とするべきだろうに、クナは頭を上げられなかった。
もう二度と影の子には会えないのか。そんな思いに襲われたけれど。
「おはようございまする、しろがねさま」
庭園からアカシが挨拶してきたので、なんとか泣くのをこらえることができた。
先代の一位の従巫女は、起き抜けの朝当番で、雪かきをしているらしい。
クナは手探りで縁側から降りて、救いを求めるように彼女のもとへ走り寄った。
「アカシさん、あの……!」
「黒すけさんなら、すぐそこにいらっしゃいますよ」
巫女の慧眼が冴えわたったのか。クナが求める答えが、すぐさま返ってきた。
庭木がガサガサ音を立てる。その気配が発した割れ鐘のような声を聞くなり、クナは満面の笑みをうかべた。
「黒すけさん!」
「へやに、はいれなかった。へやのまえに、こわいものがいた。あれこそ、くそばばあだ」
黒髪さまの声とは、月とすっぽんなのに。恨めしそうな声に、こんなにもホッとさせられるなんて。
文句たらたらの影の子の怒りを、リアン姫が明るく笑って吹き飛ばした。
「ビン様ったら頑固一徹ですものねえ。あたくしの上臘さまだったら、入れてもらえたでしょうけど。だってとっても優しい御方ですもの」
「わが師は、間違ったことはしておりません」
「まあこわい。ビン様の弟子が、目くじらを立ててますわ」
「きゃあほんとですっ、眉間にすごいしわが! ビン様そっくり! あの方、シワすごいですよね!」
気心知れたリアン姫はともかく。ずけずけと物を言うメイ姫に、ミン姫は気を悪くしたようだ。
お黙りなさいとぴしゃりと命じて、あとは無言。ため息混じりにクナの手首をつかんでアカシから引き離し、廊下へと戻した。
影の子はクナのそばにひたりとついて、しばし一緒に長い廊下を進んだけれど。巫女王の部屋の前に来るなり短い悲鳴をあげて、しゅるっと離れていった。
彼曰くの「こわいもの」が、部屋の前で待ち構えていたからだった。
「ビン様? 当直を終えた巫女は、午前中は休むことになっております」
「ミン様。それは必須ではございませんので、務めに戻ります。半刻ほど瞑想すれば、休むに十分。なにしろ大姫様には、不浄な黒いものが憑いておりますので。あれを、追い払わねばなりませぬ」
神が降りる神聖な器には、決して触れさせじ――
四位の従巫女はそう断じて、それから一瞬たりとも、影の子がクナに近づくことを許さなかった。
黄金冠をしゃらと鳴らし、台座に鎮座したクナが願っても、なりませぬの一点張り。
「あなたさまは、ただの器。なんの権力も、お持ちではありません。ただただ、私どもに守られていればよろしいのです」
そう叱咤してきて、朝餉の間も朝議の間も、ま後ろに控えて完全防御。
少しでも影の子の気配が近づこうものなら、厳しく怒鳴って追い払う。
その姿どころか、声さえ耳障りだと言って、聞かせることはまかりならんというのだった。
「大姫様のお耳が、穢れますので」
クナはげっそり閉口したけれど。一位の従巫女たるミン姫は、その処置を妥当であるとした。
たぶんに、もと師に気を使ってやむなくそうしたのだろう。
だが姫自身、影の子が出入りすることは、賛成しかねると言っていた。それは要するに……
(ミンさまはもともと、黒すけさんをよく思っていなかったのかしら。黒すけさんは、ミン様が苦手だけど……まさかそれって……嫌われてるって、感じてたから?)
北五州の宿舎で。そして飛空船の中で。ミン姫は一体どんな表情で、影の子を見ていたのだろうか。
(わからないわ……あたしには、みんなの顔がみえない……声でしか、判断できない。でもミン様の声は、気持ちが暖かいときでも冷たいから、わからない。ビンさまの声も、すごく冷たいけれど……)
かの人の気持ちが暖かくなるときなど。優しくなごむときなど、あるのだろうか。
厳しい老巫女は、一体どんな表情で、クナを見ているのだろう?
(わからないわ……でも、みえない方がいいような気もする)
「ミン様ったら、さっそく師弟で連携してきましたわね。あたくしも、あたくしの優しい上臘さまを、三位の従巫女に据えていただきかったですわ」
リアン姫が、隙をみて愚痴ってきたものの。二位の彼女には、従巫女の筆頭が決めたことを覆す権限はない。理路整然とした正論で攻めてくるので、反論は無理なことに思えた。
ゆえにクナは仕方なく、影の子との「会話」を、アオビを介して行うことにした。
ミン姫は、アオビは許容できると言ったからである。
「心配しないでと。アオビさんに言葉を託すようにと。まずはそう伝えてください。こうしないと、ビン様が黒すけさんに、精霊の軍隊を投げつけそうだから」
「了解しました。お任せください!」
めらめら燃える鬼火の声の、なんと頼もしいことか。
その炎に熱はないはずだけれど、クナはほのかに暖かさを感じた。
それは希望の光。優しくも強い光だった。
祈りを込めて、クナは鬼火を送りだした。
どうかまたすぐに、影の子と会えるようになりますようにと。
かくてその日、アオビは一日に何度も、クナと影の子の間をせわしく行き来した。
ひとりでは疲れるだろうと、クナは三人のアオビにかわるがわる、伝言を託した。
託す言葉は大事なものからたわいのないものまで、実にいろいろ。
花屋のイチコの捜索は、進展したのかとか。
今日の甘味は、餡入り焼きまんじゅうだったとか。
庭の花の咲き具合はどうかとか。
「残念ながら本日も、イチコさまの消息は、手掛かりなしだそうです!」
「おすそ分けのまんじゅう、とてもおいしかったぞ、だそうです!」
「梅の花が咲き始めてきたそうです! それから冬花に肥料を入れたと、聞きました!」
影の子はイチコの代わりに一所懸命、神殿中の庭を手入れしているという。
さながらもう、立派な庭師の体です。とても手際がよいですよ、というアカシの感想まで、アオビは伝えてきてくれた。
奥殿には近づけなくなったので影の子は、優しいアカシにべったりひっついているらしい。
「なんですか、この鬼火どもは。めらめらうるさい者どもですね」
ビン姫はさっそく、アオビの出入りを問題ありとした。
彼女はすぐさまミン姫に訴えて、鬼火の入室回数を制限させた。その理由はやはり、「大姫様の耳が穢れるから」である。
一人につき一日二回までとされたので、ならばとクナは、さらにアオビを呼び集めて対抗した。
「アオビ四号! まかりこしました!」
「アオビ五号! 伝言をどうぞ!」
「アオビ六号! 参上であります!」
竜生殿に置いてきたり、九十九の方についていったり。増えたアオビは各所にばらけているが、ここにはいまだ、十五体ほどいる。
しかも。さすがのアオビたちは、黙っていても貴重な情報をクナにもたらしてくれたのだった。
「アカシさまが今朝、グリゴーリ・ポポフキン卿からのお手紙を受け取られました。近況が詳しく記されていたようですが、半分以上、墨で塗りつぶされていたそうです」
「異国から参ります手紙はなべて、検閲されるようでございます。こちらから送るものも、おそらくは適切に訂正されると思われます」
「それを見越して、アカシ様が、暗号を織り込んだお返事を書かれました。光の塔の状況はどうかとか。花売り様は、イチコ様の失踪のことをご存知かどうかとか」
鬼火がクナに耳打ちで囁く様を。そしてクナが鬼火に耳打ちする様を、ビン姫はしきりにイラついたため息をついて眺めていた。いやおそらく、怖い顔で睨みつけていただろう。クナの頬にびりびりと、怒りのこもったまなざしが刺さってきていたから。
老巫女の辛抱の糸は、たった二日でぶちりと切れた。
「いくら、御所に仕える由緒正しい鬼火とて。こう多くては、空気が穢れます! ミン様!」
「……はい。申し訳ございませんが、アオビの人数制限を行わせていただきます。当初のように、三人まで。すなわち伝言伝達は、一日六回までになさってくださいませ」
「でも、黒すけさんと話したいことがいっぱい――」
「話す必要はございません!!」
老巫女はまるで雷のような声を放ってきた。びりびり床が揺れるほどに、二百臘もの間練り上げてきた神霊の気を、その身から激しく顕現させながら。
クナは、その脅しのような勘気になんとか耐えたのだが。老巫女の隣に並んで座っていたメイ姫は、悲鳴をあげて部屋から逃げ出した。
「ごごご、ごめんなさいっ! ごめんなさい! おゆるしください! い、いやあっ!」
「まったく……怒られてるのは、あなたじゃありませんっていうのよ」
リアン姫が呆れながら、幼い巫女を追って廊下に出ていく。ビン姫はその反応に微塵も反応せず、さらに怒りの声を張り上げた。
「あなたさまは、ただの器にすぎぬと、申し上げましたでしょう。大体にしてなぜ、大鏡をしまっていらっしゃるのですか? 夜に一度、ちらと覗かれるだけとは、解せませぬ!」
すめら百州に流される大陸公報。
帝や元老院から、善き臣民に下される思し召し。
神官たちからの連絡。
そんなものが逐次送られてくるというのに、一日一回さらりと眺めるだけで、それらをすべて把握できるはずがない。
責めてくるビン姫に、クナは隠さず、新しい鏡はとてもうるさいからだと答えた。
「これはしてはいけない、あれはああするべき。情報を伝えてくる以上に、しきりに、指示してくるんです。その……黒すけさんとも、喋っちゃいけないって」
クナが鏡を箱にしまってしまう最大の理由は、それだった。
うるさい鏡は幾度も幾度も、クナに命じてくるのだ。しつこく、ことあるごとに。
『あの黒いものを、部屋から追い出しなさい。あれの言葉を聞いてはいけません』
「それこそ、お耳に入れるべきものです! やはり、わたくしの直感は間違っておりませんでした。あれは、排除すべきもの。神殿から追い出さねば」
「待ってください、それは――」
「お黙りなさい! 今すぐ鏡を出すのです。ミン様!」
「……はい。公報もろもろは、毎日しっかり把握しておくのがよろしいと存じます。神官様たちからの連絡は、朝議にて直接大姫様へ伝えられますが、緊急のものは、鏡を使っての伝達となります。ゆえに、確認回数を増やすに、越したことはございません。どうか常時、鏡を出しておいてくださいませ」
またもや師弟の連携を受けたクナは、渋々、鏡を箱から出した。
絹のふくさを取るなり、大きな鏡は哀れな声を出し、クナをやんわり責めたてて。しかも、老巫女を援護するかのように、しごく大事な報せを伝えてきた。
『二の月の十一日に、御所へ上がられませ。今上陛下が、巫女王様たちに、神託をお求めになられます』
十一日といえば。
「明日、ですか? そんな急になぜ――」
『陛下には、神託が必要です。すぐに支度を、なさいませ』
鏡の言った通り。その日の夕刻、大神官たちから重大な伝達があった。
明日、御所に昇りて、内裏に設けられし特別な祭壇の前にて、神おろしを行うべしと。
その日の朝議は終わっていたので、その勅命は、鏡によって伝えられたのだった。
『陛下が、皇后さまをお決めになられる。此度の神おろしは、そのために行われる。大姫どのにおかれては、天照らし様の思し召しを、陛下にお伝えなさるよう』
「皇后さまを? あの、候補の方が、いらっしゃるのですか? その中から誰がよいか、神様にお聞きしろと? でも、なぜいきなりこんな、急に?」
『大姫どのは何も知る必要はない。ただ、神託を陛下にお伝えするがよろしい』
「まったく……! 箱から出していなければ、陛下のご招聘に気づかなかったやもしれませぬ。反省なされませ!」
ビン姫が勝ち誇ったように声をびんびん響かせ、怒鳴ってくる。
なれどクナの耳に、もはや老巫女の言葉は、半分も入ってこなかった。
「皇后さまを……陛下が、決める? あの陛下が?」
クナの妹であるシガ。龍蝶の娘を、なりふり構わず溺愛していた、あの御方が。正妻を定める?
皇子を生んだというコハク姫は、たぶんに候補となりそうだが。
月の巫女姫の他に、一体どなたが挙げられているのか。内裏にいるであろうシガが、まさか候補に入ることは……
(ない、わよね。だって龍蝶だもの。でもあたしはこうして大姫になれた。龍蝶が巫女王になったのを聞いて、シガも皇后になれるかもとか、陛下が思し召した、とか……まさか、そんなことは……)
胸の中に湧いてくるこの痛みは何だろう? 心配? 不安? 何かの予感?
「急ぎ支度を!」
ミン姫が、従巫女たちに号令をかけた。
えぐえぐ泣いている幼い巫女も、呆れている巫女も、老いた巫女も、たちまちせわしく動き出す。
『本日、大陸同盟軍を騙り、光の塔への進軍を開始した魔導帝国軍に対し。偉大なるすめらは、厳重なる抗議と遺憾の意を大陸同盟に……』
まだ聞いていない公報を、ツンツンした声で読み上げ始める鏡を、クナはグッと抱きしめた。
胸の中に、小さな希望の光をまたひとつ、灯しながら。
「シガ……会いたい……」