14話 岩舟
光。ひかり。ヒカリ……
体中がひりひりする。今、体はないはずなのに。魂だけのはずなのに。
そういえばひどく焼かれた。まばゆい白に包まれた人に近づきたくて、何度も何度も燃やされた。
気づかぬうちに、ひどく傷ついたのかもしれない。
ヒカリ。ひかり。光……
泣いているのは、だれ?
燃える白の中で叫んでいるのは、だれ?
ハヤク……デナイト……成長シナイト……ソトニ……ダカラ……
まぶしい。ああ。光をつつむものが、はじけてしまう――
「……だめよ、やめ、て!」
反射的に叫んだクナは、ハッと目覚めた。影の子にくるまれて、光の柱から逃げるように退避していて。それからどうなったのか、記憶がない。
ぬるりと暖かいものがクナの手を握っている。
それは影の子の手で、クナが起き上がると、彼はおかえりと言って手を放してきた。
重たい手足の感覚が戻ってきていた。御霊だけだった状態からどうやら無事に、船の中にある体の中に帰ってきたらしい。
「どうしよう、九十九さまが……! それに、アヤメさんも大変なことに……!」
クナは激しく頭を振ってまどろみを払った。恐ろしい事態を伝えなければと、息を吸い込んだとたん。その身は、半泣きのアカシにきつく抱きしめられた。
「ああ、よかった!」「ええほんとに」「一安心ですね」
周りからあがる安堵の息で、クナは自分がひどく心配されていたことに気づいた。
魂が体に戻って目覚めるまでに、ずいぶん時間がかかったらしい。用心棒のイチコが息を詰め、クナの手足がちゃんと動くかどうか、軽く突ついて確かめてきた。
「体が固くなっていますね」
「あ……はい。手足がまた重くなったような気がします。あたし、どのぐらい外にいましたか?」
「二日二晩。夜が明けて、今は昼近くです」
「そ、そんなに、離れていたんですか?!」
「スミコさんの御霊は、出て行った日の真夜中前に戻ってきたのですが、まったく体になじみませんでした。私たちが光の精霊を喚んで鎖を編み、こうしてしっかり巻き付けるまで、くろすけがおさえつけてくれていたのです」
それゆえ、影の子はクナの手をずっと握ってくれていたらしい。
こんな技があるなんてと、アカシとミン姫は、イチコから教わった「鎖編み」に興味津々。感心していた。精霊を加工する技は、すめらの巫女には伝わっていないからだった。
本来、精霊に使役させるためには、使用者自身が呼び出したものと契約しなければならない。なれどクナはとてもそうできる状態ではなかったため、無理矢理、精霊を貼り付ける方法をとったそうだ。クナの魂が離れないよう鎖を巻きつける作業はかなり大変で、時間もかかったらしい。
「すごいです! あたし全然、ふわふわしません」
精霊の鎖には、重量が存在しないようだ。腰がほのかに熱をおびて、体を動かすたびにかすかにしゃりしゃり音がする。違和感はその程度で、負担と感じる感覚がまったくなかった。
「しばらくは鎖でしっかり固定して、体から抜けないようにするのがよろしいでしょう。まだ、すっかりなじんだとは言えない状態ですから」
光の柱に一度、へその緒のような糸を切られた。以前、長いこと体から離れたことがあった上にそんなことが起こったので、魂と体を繋ぐ何かが無くなってしまったらしい。
クナが精霊の鎖でなんとか体と結びついて目覚めるまでに、影の子はある程度、みなに光の柱のことを話していた。アヤメのことも伝えてくれていて、イチコがすでに、花売りに連絡をつけてくれていた。
「今朝方、社長から連絡がありました。くろすけの証言をもとにあたりをつけた都市にて、我が社の社員に捜索させました結果、アヤメなる人とおぼしき女性を保護したとのことです。その人は、現地にある太陽神の神殿に逃げこんで、傷の手当てを受けていたそうですよ」
「よかった……!」
祀る神は違えど、神殿はひとしく、なにものも侵せぬ聖域だ。神官に求めれば、それなりの庇護を受けられる。
クナはホッと安堵したのだが。ユーグ州に出現した光の柱は、いまや大変な事態を引き起こしているようだった。
「ゆーぐしゅうが、たいりくこうほうをだしたぞ」
影の子がするっとそばにきて、そう伝えてきた。この船の船長が、伝信で受け取った公報の内容をみなに教えてくれたというのだった。
『ユーグ州の西部にて、大規模な爆発が発生せり。森林と村落、街が数カ所消失した模様。
爆発はいまだ断続的に継続中――』
焼けたのは森だけではなく。食われたのは、柱を囲んだ兵士たちだけではなかった。
光の柱はいまだ、あらゆるものを食らい続けているらしい。
「さんばんめのきさきが、おきさきではなくなったことも、はっぴょうされたみたいだ」
沈鬱な空気が降りる中。従巫女を束ねるアカシが、涙をこらえながらクナにたずねた。
「スミコさま。くろすけさんが、公報で伝えられた爆発は、神獣のせいであると……しかもそれは、九十九さまの体から発生したと、教えてくださいました。それは、本当のことなのですか?」
「はい……事実です……光の柱のなかに、九十九さまがいました……」
クナの答えを聞いたアカシやミン姫から、沈痛なため息が漏れ出てきた。願わくば、それは違うという答えを、ふたりは聞きたかったことだろう。
体から抜けて見たことは、全部夢。そうであったらよかったのにと、クナは唇を噛んだ。
「あの……白鷹の州公閣下が、九十九さまのことを、仇だとおっしゃっていました」
「仇?」
「たしかに、そう仰っているのを聞きました。どういうわけなのかは、わかりません。でも光の柱の中に、九十九さまがいらっしゃるのは、まちがいありません。そしてたぶん……」
アヤメの嘆きを思い出しつつ、クナは皆に告げた。世にも恐ろしいことを。
「九十九さまのお腹にいる御子が……光る柱をつくって、爆発を起こしています」
船室にいたましい沈黙が降りた。影の子もすでにその見解を告げていたのだろう。驚きは生まれなかったが、なぜ、どうして……という無言の嘆きが、その場に満ちた。
「では……おすがりしなければ」
何拍も経ってようやくのこと。涙で湿る鼻をすすり上げるアカシが、震える声で沈黙を破った。
「太陽の大神官さまに。大翁さまに。必要ならば、今上陛下や元老院に。九十九さまを助けてくださるよう、お願いしなければ……!」
その日の昼過ぎ。嘆きと心配ではじけ飛んでしまいそうな人々を乗せた船は、すめらの宮処ちかくの飛行場に降りたった。
クナたちはタラップから降りるや、急いで瓦版を求め、大陸公報をくわしく確認した。
ユーグ州の公報は、輝く柱がそびえ立ち、周囲のあらゆるものを、次々と破壊していることを報じていた。その「得体の知れぬ力場」の発生の原因は、いまだ特定されておらず、政府が調査を行っていること。柱を消滅させるべく、州軍を総動員していること。そして、西部の住民に避難勧告が出されたことが、続々と発表されていた。
しかして第三妃に関する公報は、たった一行の文言のみしかなかった。
〈不治の病に侵され、子が産めなくなったゆえ、本日、金夫人は妃の位より退かれた――〉
白鷹家の廷臣団は、すめらとの関係が悪化することを懸念したのだろう。実際は廃位したのを、妃が自ら退位したことにしたようだ。
公報が印刷された紙を、アカシは口惜しげにくちゃりと握りしめた。
「九十九さまを不治の病にしたということは……白鷹家は、あの方もろとも、柱を消すつもりなのでしょうか」
「そうですね。救うつもりはない。もしくは、救えないと判断したのでしょう」
ミン姫の声はいつものように冷静なれど。それはわざと硬くしようと、必死に努めて出しているようだった。
(百臘さまがお元気だったら、きっとすぐに、救いの手をさしのべたにちがいないわ。あたしを後宮から助け出してくれたときみたいに、ご神託をだして、すめらのえらい人々を動かしてくださったはず……)
だがもはや、その人はこの世にいない。憎い病が連れ去ってしまった。まだ危篤の状態で友の窮地を知ったなら、「死んではおれぬ」と、天へ昇ることを踏みとどまってくれたかもしれないが……
クナはじわじわにじむ涙を袖で拭い、泣き腫らした頬を、飛行場を吹き抜ける風にあてた。
風にはほのかに、練り香の匂いが混じっているような気がした。
(あたし、お香をまとう人たちの国へ、戻ってきたのね)
遠い北の地で起こっていることを案じつつ。これから、辛いことをしなければならない。
太陽神殿に戻り、百臘の方の葬儀に参じなければならぬのだ……
気丈にふるまおうと互いを励まし合ったクナたちは、飛行場の出口で、霊光殿から遣わされた使者に迎えられた。
--帝都太陽神殿に戻る前に、霊光殿へ入るように。
厳かにそう命じられた一行は、がしゃがしゃ、えらい勢いで走る鉄車で運ばれた。
暖かな灯り玉がいくつも置かれた広間に通され、知り得たことを申し上げる。慰めと助言が、大翁さまから下される――そんなやり取りを巫女たちは想像したけれど。使者が案内したのは、霊光殿の地下。きんと凍気がはりつめる、岩の洞だった。
「ここは……なんと冷え切ったところなのでしょう」
「天然の洞穴? 鍾乳洞のようですね。御殿の地下に、このようなものがあるとは」
いぶかしむ巫女たちに、使者は奥へ進めと命じた。松葉杖をまだ手放せないクナとアカシは、こつりこつり、不器用な音を鳴らして動いた。
用心棒と影の子がふたりの介添えについたが、途中の洞穴で止められ、待機を命じられた。代わりにミン姫がぎこちない怪我人の間に入り、そっと腕をつかんで支えてくれた。
「これより、大姫さまのご遺体と対面していただく。太陽の巫女どのだけ、禊ぎを行い、お通りになられよ」
使者の言葉に、太陽の巫女たちは息を詰まらせた。
たちまち昏い哀しみが湧き上がり、クナの胸はずきずきと痛く、穿たれた。
感情のない使者の言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
(ご遺体……)
百臘の方は、本当に亡くなられたのだ。それはまごうことのない事実なのだ……
うなだれて清水で手足を洗い、千早の埃をたたき落とし。クナはちりちりしゃらしゃら、精霊の鎖を鳴らして細い穴道を進んだ。
かくて帰国した巫女たちは、凍りついた空気が満ち満ちている室に入るようにと促されたのだった。
「みごとな円天井……氷室でしょうか……あ……ああ……!」
重たい室の扉が開けられたとたん。アカシがひび割れた悲鳴をあげ、松葉杖をとり落として、中によろろと倒れ込むように入っていった。
「大姫さま……!」
よろめき、何かにすがりついて泣き崩れる彼女のもとへ、クナはおそるおそる松葉杖をついて近づいた。冷たくなめらかな岩が手に当たる。室の真ん中にあるのであろうそれは、分厚い岩の箱だった。先がなんとなく尖っているのは、天へ昇る舟の形を模しているからだろう。
百臘の方は、その岩舟の中に横たえられているようだった。
「眠っておられるだけでは……ないの、ですか?」
言葉ちぎれるミン姫の願いむなしく。舟の中からは、わずかな吐息も聞こえてこなかった。生きているものがほのかに放つ熱も感じられず、本当にそこに百臘の方のお体があるのかどうか、見えないクナには分からなかった。
手を伸ばして触れることなど、とてもできなかった。尊いお体を穢してはいけないと思う以上に、触れたものが死んだ人の体であるということを、みとめたくなかったからだった。
「ああ……なんと苦しそうなお顔を……おいたわしい……死に目に会えませなんだこと、どうかどうか、お許しくださいませ……」」
アカシがそう囁いて、割れんばかりの嗚咽を漏らしたとき。かつりと沓の音をたて、だれかが入ってきた。
――「苦しそうなのは仕方がない。ずいぶん無理をして、そこから出て行ったからな」
穿つような視線がクナたちを刺す。霊光殿の大翁様がいらしたのだ。
太陽の巫女たちが礼をとろうとすると、まなざし強い人は、なんとも淡々と囁いた。
「まったく参ったぞ。その体から引っ張り出してほしいと、願われたのだから」
「え……」
「大翁さま?」
「出して……ほしい?」
御霊と体の繋がりを切るのは、容易なことではないのだと、大翁様はぶつぶつ、不満げにつぶやいて。岩舟の中から何かを取り上げた。
「さて、うまく移っているとよいのだが」
「鏡……?」「移る……?」
アカシとミン姫の反応からすると、横たえられたご遺体の上には、巫女がもつ仙人鏡がおかれていたらしい。身まかれば副葬品として一緒に葬られるか、形見の品として親しいだれかに渡されるものだ。大翁さまはそれを手に取っただけでなく――
「具合はどうだ? 美しき鏡よ。
なんと語りかけたのだった。まるで生きている人に、話すように。
「我が声が聞こえるか? そなたの目は開いたか?」
すると。鏡が答えた。
『ふん。まっくらじゃ。接続が悪すぎる。しかしなんぞ、うっとうしい泣き声が聞こえるのじゃが』
声はざあざあ濁っている。まるっきり作りものの、人工的な音だ。しかしその口調は、とてもなつかしくて、皆がよく知っているものだった。
「い、今のお声はまさか」
「嘘……でしょう?」
「ひゃく……ろう……さま?」
『ああもう!』
むせび泣くアカシと。息を呑むミン姫と。そして呆然と、声がしたところに顔を向けたクナのもとに、舌打ちと雑音とイライラの入り混じる、変な声が降ってきた。
『どこをどうしたら見えるようになるのじゃ! まったく仕様がわからぬわ! とにかくっ!』
喋る鏡は、太陽の巫女たちを叱咤した。まごうことなく、皆の頼もしき母として。
『そこなおなごども、ずうずう鼻水すすってびーびー泣くでないわ! うっとうしい!』
さてもいったいどういうわけで、このようなことになったのか--
大翁さまは御自ら、不思議な鏡を抱えて地上に戻られた。その後ろに続いたクナたちは、途中で置いてきた影の子と用心棒と合流しないまま、霊光殿の奥座敷に通された。
「そなたらの連れは庭園に入れた。すなわち鏡の正体は、いまだ誰にも報せてはならぬ」
かく仰った大翁さまは、喋る鏡をこぢんまりとした部屋の奥の畳台に鎮座せしめ、存分に語り合うがよいと御身をお隠しになられた。
クナたちがなんとも複雑な心境で、鏡に深々と平服すると。鏡は近うよれと、娘たちをそばに呼んだ。
『ほほほほ。どうじゃ? スミコ、わらわにさわってみやれ』
命じられたとおり、おそるおそる手に取ってみれば。鏡はみごとな太陽紋が一面に彫られた逸品であった。
第一級のそのまた上。まごうことなく特級の霊鏡なのであろう。そして今やその鏡の中には……
『はあ。体の感覚が無いというのは、不思議なものじゃのう』
まごうことなく、百臘の方の御霊が入っているのであった。
『スミコがくれた薬は大変にありがたかったが、残念ながら効かぬことが分かっての。これでは体がもたぬと思うて、思い切って別のものに乗り移ることにしたのじゃ。しかしあの体を捨てれば、わらわは〈袁家のレイ姫〉という存在ではなくなる。ゆえに、表向きは逝去という形となったわけなのじゃ』
円い鏡はさっそく「体を捨てたいきさつ」をクナたちに語り始めた。
ただで死ぬのはもったいないので、百臘の方は、龍の巫女王に取引を持ちかけたという。
『危篤の報を出して、呼びつけたのじゃ。わらわは余命いくばくもなく死ぬる。二度と、そなたをわずらわせることはあるまい。ゆえに実の姉の最後の頼みをきいてたも――とまあ、息も絶え絶えの体で泣き倒してじゃな、龍生殿より龍を一頭、出させることを承諾させたのじゃ』
雑音混じりの鏡は、こともなげにそう言ってのけたのだが。クナを後宮にあげたあの龍の巫女王にうんと言わせるまで、どれだけの手間と機知と根気とを要したのかは、推してはかるべし。相当熾烈な姉妹げんかをやらかしたのであろと、クナは推測した。
それに百臘の方が身まかるだけでは、実の妹である龍の巫女王はともかく、龍の母たるあの花龍は納得しないだろう。
『おお、うっすらあたりが見えてきたぞ。なんじゃスミコ、今にも気絶しそうな、情けない顔をするでないわ』
「あの……花龍さまが、すんなりと龍をお出しになってくれたとは、考えられなくて」
『ふん、心配することはないわ』
クナが疑った通りだった。鏡となった人は、とんでもないことをしようとしていた。
『喪の義が済み次第、わらわの体を、花龍の子らに食わせてやる。そう取り決めたのじゃ』
「な……」
「大姫さま、なんて無茶を……!」
言葉を失う巫女たちに、鏡はほほほほと高笑いを投げつけた。
『役に立たなくなったものをあげるのじゃから、無茶でもなんでもなかろ。我が体に宿りし神霊玉は、もはや百臘どころではなく、バカみたいに強い神霊力をたんとためこんでおったからのう。花龍は嬉々として、龍を出してくれよったわ。まあ、一番出来の悪そうな奴じゃったが、おかげですめらは大勝利じゃ』
ざあざあ、雑音混じりの声は妙に明るい。抜け殻となったとはいえ、自分の体を差し出すことなど、ようようできぬことだ。なのになんと軽く語るのか。
体をなくすことは、別にたいしたことではない。やんごとなき鏡はそう豪語した。
人工の鬼火は人の魂をもとにして創られたと言い伝えられているし導師や術師が、宝石や鏡に自らの魂を封じて転生を阻止する話は、大陸中にごまんとあるという。
クナたちはたちまちぐすぐす目と鼻を湿らせて、百臘の方が自らに下した措置に深く感じ入った。
『わらわが鏡に入ったことは、極秘中の極秘。知っておるのは、わらわの御霊を移してくれた大翁さま、そしてそなたらだけじゃ。ゆえに決して口外はなるまいぞ。さて……わらわの葬儀を執り行いて、次代の太陽の巫女王を決める前に。そなたらからとっくりと、聞き出さねばならぬことがあるようじゃな』
「はい……九十九さまの廃位のことですが……」
『大翁さまが何度も透視を試みたが、ユーグ州はとんと見えぬとぼやいてらっしゃった。しかしなんとか、九十九狐からの伝信を受けとるのに成功したと聞いたぞ。急いで救援隊を組織して、送りだしたそうじゃが……もしかして、公報で報じられた光の柱なるものと、関係があるのではなかろうな?』
霊鏡はぷつぷつぶつぶつ、低い音を立てた。懸念か。思案か。思考を巡らせている音なのだろう。
思考明晰なるその問いに、クナたちは頭をうなだれうなずいた。
「実は、スミコさまが魂を飛ばして見てきてくれたのですが――」
アカシが事の次第を説明しようと、咳払いして話し始めた矢先。ドタドタと、廊下を何かが走ってくる音が響いてきた。
――「あまいやつ! どこだ!」
物音の主は影の子だった。庭にいろと言われたはずだが、辛抱できなかったらしい。
「どこだ?! さらわれたのか?! またわるいやつが、でてきたのか?」
足音がさらに近づき、ぱあんと勢いよくふすまが開けられた。
「黒髪さま! 入ってきてはだめです!」
「あまいやつ! ここはなんだ? ひどくへんなところだ。はやくにげよう」
「だ、大丈夫です! とにかく外で待っててくださいっ」
ずかずか中に入ってきた影の子を、クナが慌てて追い出そうとすると。やんごとなき鏡が、突然きゅるると奇妙な音を発した。
『なんじゃおまえは』
「あの、この子は黒髪さまです。お見えになりますか? 一緒に北五州から戻ってきたんです」
クナは急いで説明したが、鏡はなぜか固くかたまった。
じっと姿を見極めていたのだろうか。しばし沈黙したのち再び発した声は、なぜかずんと重く沈み込み、とても低くなっていた。
『……我が君? いや、おまえは違う』
「え……?!」
鏡はきっぱりそう断じると。クナにひたりとすがりついてきたものに問うた。
『答えよ。なんじゃおまえは』