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9話 求婚

「まったく……! 昨日は大変でしたね」


 ごんごん、飛行船の機関部が動きだす低い轟きを伴奏にして、ミン姫の落ち着き払った声が船室に流れる。クナは苦笑しながらうなずき、据えつけの簡易寝台に座り込んだ。


「はい、いっときはどうなることかと」

「夜になるまでずっと、隠れていたなんて。ご無事でよかった」


 すぐとなりから、アカシの声が聞こえる。今回の船では、太陽の巫女たちはみな、同じ船室になったらしい。


「そうなんです。木が、いっぱい植わっているところにいました」


 支えに使った松葉杖を脇にそっと置くと、クナを支えて船室に入った影の子が、ばつが悪そうに「ごめん」とつぶやいた。だいぶしょげかえっている様子だが、それは頭にたんこぶがいくつもできているからだろう。ついさきほど、すなわち船に乗り込む寸前、飛行場でこわいミン姫に再会して、ずいぶんと叱られたゆえである――



 昨日、白鷹の後見人を力づくで止めた影の子は、クナを背負って逃げだしてしまったのだが。泣きながら走る彼が行き着いたのは、宿舎のすぐ近くにある公園だった。

 

『もり。もりがある。あそこに』


 影の子は、半ば凍っている噴水でごくごく水を飲み、みしみし雪を踏みしだきながら、木々を次々と調べて回り……


『だめだ。みきがほそすぎる。あながない』


 隠れられる木の(うろ)を探したけれど、見つけることがかなわなかった。彼は太い木のそばにクナを降ろすと、ざっざとあたりの雪をいっしょけんめい堀った。連日の降雪で、木のそばには葉っぱから落ちた雪が山のように堆積していた。その小山をくり抜いて、人がひとりふたり入れるぐらいの穴をあけ、中にクナを押し込んだ。そうしてまるで蓋をするように、雪穴の入り口にどかりと腰を降ろし、クナを「わるいやつ」から守り抜こうとしたのだった。

 

『そとはきけんだ。よるになってひとがいなくなったら、もっとおおきなきがあるところにいこう。おやまに……でっかいやまに、かくれるんだ』

『それはだめです。明日の朝一番に、私たちは飛空船に乗らないといけないんです。次の公演地のザパド州に行かなければいけません。みんなが心配しますから、いますぐ宿舎に戻りましょう』

『いやだ。あそこにはわるいやつがくる。あまいおまえをさらうやつが』 

『け、けがをさせたんでしょう? 治すためにどこかへ避難したでしょうから、宿舎にはもういないかと』


 クナのことをあまいやつと呼ぶ影の子は、トリオンのことを本能的に悟っていた。


『あいつ、おまえとおなじ、あまいにおいがした。けがしてもきっとへいきだ』

『龍蝶のこと、覚えているんですね?』

『りゅうちょう? なんだそれ。おれしらない。でもわかる。おまえはあまくておいしい。あいつもあまくて、たぶんしなない。またきっと、おまえをねらう』

『たしかにトリオンさまは不死身だけど、でも、その、きっぱり断りました』

『ことわった? なにを?』

『け、結婚の、申し込みを……』

『なんだそれ。おれしらない。でもわかる。あいつはぜったい、またやってくる』


 どれだけ押し問答しただろうか。クナは宿舎のおいしいパンや、影の子の世話を焼いてくれる巫女たちのことを持ち出して、根気よくこんこんと説得した。

 その結果、座り込んでまったく動こうとしない彼の腰をやっとこ上げさせたのは、最近夢中になっているもの――やはり、「本」だった。

 

『リアンさまに毎晩読んでもらっているおとぎ話、まだ終わってません。もうひとりで読めるにしたって、本は宿舎にあります。続きが、気になりませんか?』

『それは……』

『図書館から借りた本は返さないといけないけど、花売りさんが買ってくれた本は、あなたのものです。ぜひ、取りに戻るべきだと思います。お気に入りの絵本が、たくさんありますよね?』

『たしかに、ある。なんどもよみたいやつが、たくさん』


 影の子はかように気持ちを揺るがしたので、クナはいっしょけんめい口説いた。宿舎にある瓦版を、また読んでほしいとも願ってみた。


『あまいおまえがねがうなら、そうしてやりたい。でも……』


 日がかたむいて、穴に入れられているクナの足にきつい寒気がしのびよってきたころ。影の子はようやく立ち上がったけれど、トリオンを警戒してか、宿舎に戻ることは断固として渋った。


『ほんはおしいけど、あまいおまえを、きけんにさらすことはできない。おれしってる。はなうりがいってた。ほんは、おおどおりのおみせにいっぱいあるって。おひめさまのはなしのつづきは……とてもきになる。でもおみせには、おなじほんがあるとおもう。あたらしいかわらばんもきっと。だから、あたらしくてにいれる』


 自分は大丈夫だとクナが何度言っても。舞を舞うのが自分の仕事であり、巫女のみんなと一緒に行動しなければならないのだと、再三言っても。影の子はがんとして、首を縦に振らなかった。


『ほんはいきてないし、かわりがてにはいる。でも、あまいおまえはいきてるし、かわりはどこにもいない。どっちがだいじか、かんがえるまでもないだろ。あぶないところになんて、もどせない』

『なんでそんなにあたしを?』

『おまえ、おれがかわらばんよむのを、とてもうれしそうにきいてた。あのかお、もういちどみたい』


 夜になったら本を手に入れるために、お店にいく。ついでに食べ物もどこかで手に入れる。

 影の子がそう言ったので、クナは慌てて、日が暮れたらお店は閉まってしまうと説明した。

 お店のものは、お金を出して買わなければならない、ということも。

 

『ごめんなさい、でもあたし、お金は持ってないんです。錦とかリボンとか、保存されたお花とか、食べ物や本と交換できそうなものは、みんな宿舎においてあるの。だから戻――』

『おかね? だまってもらったら、いけないのか?』

『ぬすんじゃだめ! あなたが宿舎のロビーから黙って本を持ってきちゃったときに、みんなが言ったはずです。勝手にもらったらだめだって』 

『ああ……そうか。ものをえるには、だいしょう(・・・・・)がいるのか。はなうりがほんをくれたんだから、おれはあいつに、なにかあげないといけないんだな。それから、これからいくおみせのやつにも。おれの()とか、かみとか、()とか。よるになるまでまちたかったけど、しかたない』

『え、えっ? 歯? 髪? そ、そういうのは、いらないと思うんですけど……』 


 大丈夫だ、おれの歯は金剛石(だいあもんど)より硬い。とても価値があると言って、影の子は雪穴から離れた。

 ついていこうとしたクナは見えない壁に阻まれて、穴から出ることができなかった。神気を放つ相手はまさしく神獣であり、クナを護るために強力な結界を張っていたのだ。

 どうにかして外に出なければと焦っていると、ほどなく、影の子はひいひい泣き声をあげて戻ってきた。なんと、花売りと用心棒に引っ立てられての騒々しい帰還だった。


『大通りの本屋にやってきたのをつかまえました。発見が遅れてすみません!』

『社長の剣が、本屋に姿を見せるかもとわめきだしたので、網を張っていました。それにしても、完全に気配を消す結界が張られてますね。見事なまでに。これでは、私の巫女の技でも感知は無理です』


 花売りの剣がここにきて活躍したようだ。逃げようとする影の子の神気を剣が吸いとったので、用心棒は容易に彼を鋼の糸でがんじがらめにして、捕縛できたらしい。


『居場所を吐かなかったらスミコさんが飢え死にすると脅して、案内させました』

『なんだそいつ! おれのちからが、くわれた! ちくしょう!』

『すみません、僕の剣は年季が入ってますので。神獣とかも、かつて食べたと豪語してますから。あの、あと、歯は要りません。お返ししますね』

『なんで? だいしょう(・・・・・)が、いるんじゃないのか?!』

『本代を支払ってくださるなら、うちの店で働くとか、そういう形でお願いします』


 影の子は、花屋の店員になるという提案にはすんなりうなずいた。しかし宿舎に戻るのは絶対嫌だ、あまいやつを護らないとと泣き叫んだ。あたりの空気はびりびり痺れ上がり、剣で封じられているというのにその神気はすさまじく、雪穴が崩れてしまうほど。

 剣の力ではこれ以上抑えきれないのでは。そう思ったクナは、とっさに妥協案を提示したのだった。

 

『あの! あそこが嫌なら、別のお宿に泊まりましょう! メノウさまに、許可をいただきますから!』





――「まったく……その日のうちに収束してよかったですが、それで昨夜は離ればなれで、最終公演の様子をいち早くお伝えできなかったのが残念です」


 ミン姫のため息が船室に漂う。アカシの、安堵の吐息も同時に。


「それで、別宿での様子はどうだったのですか? ぐっすりとは、眠れなかったでしょうけど」

「黒髪様は、あたしに本や夕刊を読んで下さって……それから、窓から空をごらんになってたみたいです。あたしがうとうと眠っている間も、ずっと」

「ほしをみた。ほんにかかれてるせいざをぜんぶ、たしかめた」

「なるほど?」


 ミン姫に睨まれでもしたのか、影の子がうっと言葉に詰まる。さきほど飛行場で会うなり、「あなたは悪い子です!」という言葉とともに食らったげんこつを思い出したのだろう。


「黒すけさん、ちょっと甲板に来て下さい。うちの店の荷物を整理してほしいんです」

 

 花売りが、影の子を呼びにきた。さっそく「仕事」を手伝わせるつもりらしい。

 神がかりな剣を背負う彼とこそは、昨日の一番の功労者だろう。

 動けぬクナに代わってメノウに許しを請うてくれ、飛行場の近くの旅籠(はたご)をとってくれ。影の子と二人だけでは心細かろうと、隣の部屋をわざわざとって、一緒のところに泊まってくれた。用心棒は宿舎に置いて連絡係とし、クナの持ち物や影の子の本を箱詰めにして別宿に届けてもくれたし、馬車で飛行場まで送ってもくれた。

 昨日だけではない。これまでいったいどれだけ、助けてくれたことか。

 

(どんなに感謝しても、しきれないわ)


 花売りが同じ宿に泊まったのは、トリオンから依頼されているクナの護衛もさることながら、できるかぎり剣の力で影の子の神気を抑える、という狙いもあってのことだった。

 花売りによればトリオンの首はかろうじてつながっていたが、以前の負傷よりも酷い状態だったという。後見人はまたぞろ護衛騎士たちの手で、金獅子州公の城へと運びこまれたらしい。しばらくはそこでまた再生に専念して動けぬだろう、というのが用心棒の見解だった。なれど「すめらの星」を護るためにメノウが雇ったがため、ユーグの騎士たちは舞踊団と一緒に船に乗り込んでいる。これまで同様彼らを通して、後見人はクナたちの動向を知るだろう。

 不死身の魔人だから、こうして予後を心配するだけで済んでいるのだが……


(もし、なんの力もない普通の人間が、あたしやみんなを害しようとしたら……それでもきっと、今の黒髪様は、手加減しないわ。龍蝶の魔人を動けなくするほどの力を使ってしまうかも。あたしたちを護るために、人を殺してしまうかも)


 そうなってはだめだ。

 力を抑えること。人を傷つけてはならないこと。赤子のような彼が覚えなければならないことは、まだまだ山ほどある。今回のようなことがまた起こらないよう、周囲の人間こそ、重々気をつけなければならない。妻たる自分がしっかりしなければと、クナはまだ動きのおぼつかない手に力をこめた。

 

(早く、体を元通りにしなきゃ)


 それにしても……


「ミンさま、リアンさまはどこですか? 飛行場で会わなかったから、先に船に乗っているのかと思ったんですけど」

 

 船はもう動き出している。なのに、リアン姫の気配がない。船室は四人一緒だと聞いたのだが。

 

「だから最終公演のことをすぐに話したかったんですよね。でも連絡係のイチコさんに伝えてもらうのは、なんだか気が引けました。本当かどうか、いまいち信じられませんでしたので」

「ミンさま?」

「リアンさまは、同じ船に乗っています。同じ船室にも、いちおう割り振られています。でもたぶん、ここには来れないと思いますよ」

「来れない?」

「貴賓室に、いらっしゃるのだそうです」


 アカシが神妙な声で言う。半信半疑という雰囲気で。


「メノウさまがおっしゃるには、本当に見初められた……ようだと」

「私には、一過性のものとしか思えないのですが。どうやらそういうことになったようです」

「え? みそめら……? だれ、に?」 

 

 ため息まじりのミン姫の声が、船室に静かに響いた。冷たい氷のような声が。


「昨夜は最終公演につき、金獅子州公閣下がご家族で我が舞踊団の舞をご観覧あそばされました。舞は滞りなく終幕いたしましたが、幕が下りる直前、貴賓席におられた公子様が――第三妃を選定している最中の世継ぎの公子様が、舞台に駆けあがりまして。すめらの星に、直接求婚をなさいました」

「え……!?」

「次のザパド州でも、そのまた次のヴォストーク州でも、これから欠かさず公演をご覧になる、どころか、婚約者として帯同(・・)すると仰せになり。さっそく本日、有言実行なさっておられます。私としては、いくらなんでもそこまでするはずがない、本人が望んでも、廷臣団が止めるだろうと思ったのですけど。どうやら州公閣下も廷臣たちも、黙認なさったようですね」


 ずいぶん唐突なようだが、公子曰く、ひとめぼれではないらしい。


「どうやら公子様は昨夜だけでなく、一度おしのびで、公演を見に来ていたようです。すなわち……リアンさまが初めて代役で出た夜に。つまりすなわち……派手にずっこけて、観客に生足を(・・・)……見せて、しまったときに」 

「なま……あし?!」 

「まあなんですか? リアンさまはやぶさかではなさそうですし? 団長はしてやったりと、破顔してますし? 公子様は、そういうのに弱いご年齢なのだろうと、思いますけどね?」

 

 ミン姫のため息の中にいらつきがちらついて、ぼすりと、むかいの簡易寝台からおざなりな音がした。しごく投げやりに腰を下ろしたらしい(ヤン)家の姫は、ぶつっと口の中で不機嫌そうにつぶやいた。

 

「ええ、十代の男子というのはね。そういうものなのでしょう!」

 




 分厚く大きな船窓のむこうで、白雲が飛ぶように流れゆく。

 流れるそれは生き物のよう。長くのたうつ龍のように見える――


「雲を見るの、飽きてきたな……」


 ましろの毛皮の褥に横たわる赤毛の少年は、赤い左眼を船窓から船室の中へと移した。りりりりと、優しくさやかな音に呼ばれたからだ。

 片目だけの視界に入ってきたのは、金色の羽虫たち。きらきらきらめく半透明の羽持つものたちが何体も、宙に浮いている。


「きれい……!」


 横たわる少年の右のまぶたは、固く閉じられたまま。微笑むその顔は蒼く弱々しい。なれど囁きと一緒に漏れる吐息はしっかりしており、紅の薄絹をまとった細やかな躯には傷ひとつない。

 もっと出してと、片目の少年は、褥の端に片足を組んで腰かけている人に乞うた。


「これ、精霊でしょ? どこから呼んだの?」

「……作った」


 ぶつぶつ韻律を唱えながら、その人は金の髪をかきあげ、ぶっきらぼうに答えた。大きな手の先からもう一羽、金色の虫がすうと飛び立ってゆく。


「我が霊気を練り上げれば、造作もない」

「それって、全然簡単じゃないと思うんだけど」

「人間にとってはな。わが眷属の魂も、こうして作る」

「わあ。ほんときれい……!」

 

 赤毛の少年は無邪気に笑い、手を伸ばして近くに寄ってきた虫に触れた。

 瞬間、ぱあっと金色の粉のような光が周囲にちらばり、明滅する。


「ねえジェニ、新しい目、いつできる? ウサギの技師さまにまたお願いしたんでしょ?」

「来週には届けろと命じた。紅色の金剛石で作らせている」

「去年どこかの南国で競り落としたやつ? ほんとに真っ赤な金剛石だったよね? あれってすごく希少なのに」

「おまえの目に使えると思って手に入れたものだ」

「そうだったんだ。ありがとジェニ」


 片目を輝かせて喜ぶその様を、金の髪の人はなんとも複雑な貌でみつめた。


「どうしたの? すっごく不機嫌そうだけど」


 もうなんの不満もないでしょうと言いたげに、少年はかすかに眉根を寄せ、そっと確かめるようにつぶやいた。

 

「俺は黒髪の人に報復(・・)した。右の目に封印してた、黒獅子を出してぶつけた。ジェニが何度もあの人を殺しながら、ひそかに俺にやってほしいって望んでたことを、ちゃんと成しとげた。黒獅子は食われちゃったし、俺の息はいったん完全に止まったけど――」


 金の髪の人の肩がびくりと震える。でもそれは織り込み済みのことだったと、少年は急いで言葉を継いだ。あらかじめ、我が身が仮死状態になるよう仕込んでいたと。それで相手に、仇は死んだと思わせたのだと。


「俺が死んでる間に、まっくろなあの人はこっぱみじんになって……前とはちがう生き物になった。つまり、死んだ。俺は自分で設定した通りに、一定時間過ぎたらしっかり息を吹き返したし、ジェニもほとんど無傷で、無事にこの船に帰還。大団円、だよね?」


 赤毛の少年は神獣を放ち、蘇りという韻律の大技を使ってずいぶん消耗した。片目も無くした。

 黒い人は正確には滅んでいないが、もう少年を狙ってはこないだろう。目の前で少年が死んだとたんに、黒いあの人は自壊したのだ。まるですっかり満足したかのように動きを止め、食らった獅子に中から食われていったのである――


「俺の右目はもともと義眼だったし、中に封じていた神獣が食われた時に、一緒に引きずられないよう、自分の手で砕いたんだから。誰かにやられたものじゃないから、もう全然、恨みっこなしだよね?」


 金の髪の人の顔をうかがいながら、赤毛の少年はそっと確認したけれど。獅子の神獣たる人の表情は、まったく晴れなかった。


「……おまえみたいに、無邪気に俺の〈魔法〉を喜ぶと思ったのだがな……」

「えっ?」

「昨夜、金獅子州公の世継ぎの顔を見てきた。奴に俺の偉大さをさりげなく教え込むために、夢枕に立ってやったんだ」

「待ってジェニ、それって、金獅子家にこっそり根回ししたってこと?」

「選定中の第三妃は、魔道帝国の姫から選べという神託を告げにいった。しかし……これと同じ精霊を飛ばして感心させようとしたら……鼻で笑われた」

「え」

「どうせ夢に見るなら、いかがわしい手品師のおじさん(・・・・・・・・)ではなく、超短いスカートをはいた、すめらの星がいいと――」


 金の髪の人は牙をむきだした獅子のように唸り、憤懣やるかたなげにぼやいた。

 

「今どきの十代とは、あんなものなのか? 俺の弟子たちはおまえを始め、みな(セイリエン)に夢中になったのに……名前がおまえにちなんだルゥビーンでなければ、あの場で殺してやったところだ。でもまあ、怒れる神の姿をちらと見せて震え上がらせてやったから、少しは馬鹿ではなくなっているだろう」

「脅しちゃった、んだ?」

「我が意を汲まねば、食らうまでだ」

 

 金の髪の人の声が冷たく硬化する。赤毛の少年は苦笑しかけた口を閉じ、たちまち真顔になった。


「あのねジェニ。ゆっくり、ふたりで〈卵〉を暖めたいんだけど――」

「オニウェルに侵入したスメルニア軍に神獣がいる。そいつを先に食らわねばならないが、次はセンタの世継ぎだな。そういえばユーグの州公は最近祠にこもったままで、廷臣団と音信不通だと聞いている。それと関係あるのかどうか、白鷹(アリョルビエール)の悲鳴が聞こえた」

「それは、俺にも聞こえた……」


 誰かに襲われたような、悲痛な悲鳴。昨夜、うとうとしていたら突然耳に入ってきたのだ。

 あれは神獣である人と契約しているからこそ、聞こえたものだ。普通の者にはまず、感じ取れぬものであるけれど、大陸のどこにいても聞き取れるのではないかと思うほど、すさまじいものだった。

 神気ある偉大な鳥があのように絶叫するとは、いったいどれほどの大事がユーグ州で起こったのだろう?


「白鷹家から、白鷹の加護が消えている。あの家はこれから大いに揺らぐぞ。狙いどきかもしれぬな」

「待ってジェニ、いちいち反応することないよ。大陸統一なんて、する必要ない。帝国は今でも広すぎるぐらいだもの。だからオニウェルは手放す。北五州の征服なんてしなくていい。

 ねえジェニ、〈卵〉を暖めよう?」


 片目の少年は半身を起こし、きっぱり首を横に振ったのだが。

 

「〈卵〉はあとでいい」


 獅子たる人は譲らなかった。


「統一はできずとも、おまえの帝国の永続のため、せめてスメルニアは滅ぼさねばならぬ。そのために俺はこれからも、あらゆる手を尽くすだろう。だが、諸々のことを始める前にまずは……」


 炎が燃えているかのごとき赤い目を細め、ようやく微笑みを口の端に浮かべたその顔が、少年にゆっくり近づいて。互いの鼻と鼻の先がそっと触れた。


「スメルニア軍に翠鉱弾を流した奴に、お仕置きをしないとな。テシュ・ブランとかいう生意気な商人に」

「ああ……そうだね。それは、手荒にやっちゃっていいよ」


 少年がにやりとして答えた瞬間。獅子のごとき咆哮があたりに轟き、少年の口は金の髪の人の口に塞がれた。

 あたりに黄金色の光が満ちる。神気を放つ金の人は、食らいつくように口づけしながら、まばゆく輝く光の腕の中に少年を包みこんだ。


「我が契約者。我が伴侶。俺の子よ、燃えるがいい」


 少年の望みに反して、その光はとても優しく、真紅の薄絹に包まれた躯を焼いた。

 まるで赤子を抱きしめる母親のように。


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