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5話 市子(イチコ)

「スミコ!! ああ、目を開けましたわ!」

「リアン様、狭い戸口で身を乗り出さないで。隣の私がつんのめってしまいます」


 姫たちの声が聞こえる――

 うっすらまぶたを開けたクナは、くんと辺りの匂いを嗅いだ。

 ほのかに甘酸っぱい、()い香りがする。手さぐりすると、頭の処に鉢のようなものが指に当たった。

 

「あ、なつかしい……これ、ヘイデンの……」


 そうだ。この香りは、本当のりんごのものではない。たしか、かわいい花が醸し出すのだ。

 黒髪さまと過ごした天の島にも咲いていた。

 好きだった(・・・)し、今も好きな香りだ――

 緊張が和らいで顔がほころぶ。しかし、きんと冷え切った室内にいるらしいことに気づくや、クナの体はたちまちこわばった。一瞬また、孤児院の部屋に逆戻りになったのかと思ったからだった。探った手が名簿に当たってようやく、安堵のため息が出てきた。


「あたし、帰って、これたの……ね?」


 よろと身を起こす。とたんにぼろぼろと、みえない目から涙がこぼれてくる。

 すぐそばで、メノウが呻いている。彼女も同時に、名簿の中から戻ってこれたようだ。

 

「う……スミコ、無事ですか?」

「は、はい、なんとか――」

「ほ、ほんとに大丈夫ですの?! 変なものが飛び込んできましたのよ!」

「すみません! 花売り様が退避しろと仰るので、戸口から状況を伺っています!」 


 リアン姫とミン姫の声がする方向に、クナはおそるおそる顔を向けた。

 飛び込んできた変なものとは、もしかして――

 ぐらぐらめまいがする頭を鉛のように重い手でおさえつつ、クナは思い出した。

 おのれのもとに、何が来てくれたのかを。


「黒髪、さま……! 来た、の?! ここに、来た、の?!」

「その御方かどうかは判別できませんでしたが、突然まっ黒い塊が、この地下室に突っ込んできました」


 姫たちの声の後ろから、花売りの声が飛んできた。


「その塊は、名簿の中に入っていきました。たぶんまだ、その中に――」

「まだここに、いる、のね……!」


 名簿に伸ばそうとした手が、何かに弾かれた。中から何かが勢いよく、飛び出してくる。それはぎゅんと飛んで、あっという間に戸口から出て行った。姫たちの悲鳴が、戸口から廊下へ退いていく……


「黒いものが出て行きましたわ!」「なんて速さ……あれは怨霊?!」 

「い、いいえ、たぶん、黒髪、さまです!」


 追わなければ。

 黒い魂が戻っていく先に、きっと黒髪様の体があるはずだ。完全に消え(・・)ようとしているかの人は、すぐ近くにいる。追いつけば、まだ間に合うかもしれない。

 「消えないで」と願うのではなく、「消えるな」と命じれば――龍蝶として命じれば、「レクリアルの魔人」を自負するあの人は、思いとどまってくれるかもしれない。

 たとえそれが不可能でも……


(償いなんかいらない! それだけはどうしても、分かってほしい……! レクとして言えば、聞いてくれる? クナじゃなくて、レクとして言えば……)


 名簿の中の記憶を見て、だいぶ思い出したような気がする。

 辛かったけれど、もっと思い出したら、黒髪さまは思いつめることをやめてくれるだろうか。

 たとえば、出会った時のことを語れたら……

 二人で過ごした、幸せだったときを語れたら……

 あふれる涙を拭ったクナは、寝台から降りようとして派手に転げ落ちた。手足が重い。鉛をくくりつけられたようで、まったく思うように動かない。そういえば言葉も変だ。ろれつが回らなくて、短く途切れてしまう。

 

「スミコ……そなたはしばらく、ろくに動けませぬ。体が仮死状態になり、血流が鈍っていましたから、手足が萎えているのです」


 さわさわと、メノウがしきりに自分の体をさすっている音がする。ほんの少しの間魂が抜けていた彼女ですら、体に支障をきたしているようだ。

 なれど、娘はあきらめるわけにはいかなかった。


「な、縄。注連、縄は?」

「スミコ! 無茶ですわ!」

「いきなり動くのは無理かと」


 床に手をつき、歯を食いしばり、出口へ這い進もうするクナを、リアン姫があわてて支えてきた。

 ミン姫が、魂をつなぎ止めておくための注連縄をクナの腰に巻いてくる。

 二人を支えにして立とうとするも、クナの足はまったく動かなかった。

 見えぬ目から、涙があとからあとからこぼれ出る……。


「れ、レナ……レナ……!!」

 

 だめなのか。追えぬのか。近くにいるのに。消えてしまうのを、止めなくてはいけないのに。

 絶望の影がじりっと忍び寄ってきた、そのとき。


――「仕方ないですね。では、私が抱えて走って追いかけます」


 天の助けが頭上から降ってきた。

 花売りさんの用心棒だ――そう認識したとたん、クナの体はひょいと、細い腕らしきものに抱え上げられた。

 

「イチコさん……!」

「はい。私が市子(イチコ)で幸いでしたね、スミコさん。あのどす黒いもの、ぷんぷんと妖しい気配をふりまいておりますので、私のような密かに霊力高い巫女(イチコ)ならば、容易に追跡できます。なにしろ、くっきりはっきり見えますので」

「イチコさん、なにげに自画自賛――」 

「社長は口を閉じて、車か馬車かに皆さんを乗せて、ついてきてください」 

 

 花売りの用心棒はくくっと小気味よく笑い、クナの体を分厚い毛布でくるんだ。外は雪が降っていてとても寒いという。太陽の姫たちが花売りと一緒にあとを追いかけると決め、早く車を用意してくれと彼を急かす中。無理せぬようにと、メノウが声をかけてきた。


「スミコ、そなたはできるだけ安静になさい! 急に動いてはなりませぬ。ゆっくり動かす訓練をして体を徐々に戻さねば、心臓が弾けますよ!」


 クナは素直にこくりとうなずいた。頭が重くて、今にもかち割れてしまいそうなぐらい痛かった。


「では、参ります!」

 

 室内から出て走り出した用心棒の足音は、実に軽やかだった。あまりの速さに驚いたクナは、ひしと彼女にしがみついた。なれどその手にはまったく力が入らず、ずるりとずり落ちる。

 用心棒が、落ちた手をそっと毛布の中にしまい直してくれた。


「ありがとう、ござい、ます……!」

「ぎゅっと抱きしめて走りますので。スミコさんは、何もしなくてよろしいです」

「は、はいっ」


(あたし、大丈夫? いいえ……いいえ、今は、黒髪さまのことだけ考えたい!)


 用心棒はあっというまに、宿舎の外に出た。天から降り注ぐ雪がさわさわと、頬を打ってくる。針で雪を刺すようなすばやい足音が、クナの耳をくすぐった。


(どうか、間に合って……!)

 




『……北五州の州公家の血統は(ふる)く、統一王国時代に(さかのぼ)りてなお、その高祖を見いだすことはできない。

 もはや正確な年月を数えられぬはるかな昔、黒竜ヴァーテインが北五州を湖だらけの土地に変えたのであるが、かの竜を保有していたドラクティオル家の当主は、我は十代目の竜使いであると名乗ったという。

 すなわち、五つの州公家の祖は、万年に届くかと思われる太古の世に(おこ)った。これを凌駕する血統の長さを誇る家は、一万一千年にわたる系譜があると主張する、スメルニアの帝室のみである……』


 分厚い紙に印刷された固苦しい文字を、卓上に置いた灯り球の光がくっきり照らし出す。

 九十九(つくも)の方は、卓に広げた本を食い入るように読み進めた。柔らかな布張りの椅子の後ろで、暖炉の火が身重の体を優しく暖めてくれている。ほどよい暖気のおかげで、夫の州公はうつらうつらと夢の中。揺り椅子に収まり、気持ちよさそうに眠っている。


『統一王国以前の州公家はなべて〈王家〉であり、北の大地にてそれぞれの王国を統べていた。

 当時大陸に在った諸国と同様、この五つの王国も、神獣たちに国を守護させていた。

 ドラクティオル家は黒き竜を。

 レヴツラータ家は金の獅子を。

 アリンシーニン家は蒼き鹿を。

 パンテラクラスニ家は赤き豹を。

 そしてアリョルビエール家は白き鷹を、王国の守護神として崇めた』

 

 今読んでいる本は、九十九(つくも)の方が好んで読む縦書きの戦術書とは、趣の異なるものだ。横並びの大陸共通語で綴られた歴史の概説書であり、州公家の成り立ちが記されている。さらには、家を守護する神獣とは一体何なのか、ということも概説されているようだった。


『神獣たちは、灰色の衣まとう技師たちによって創り出された。

 伝説の巨竜。巨人。巨大生物。そういったものが改造され、数々の神話を紡ぎ出したのである。

 神獣たちは我々よりはるかに賢く、霊位の高い御霊の持ち主である。とくに北五州の守護神となったものたちは、改造される以前から、その国の神霊として崇められていた。

 ゆえに彼らは、縁深き〈飼い主〉に強力な加護を与えてくれると言われている。

 一説によると、州公家の高祖は、神獣とまぐわって子孫を残したともいわれている……』

 

 背後でどそりと、重いものが置かれる音がした。

 ふりむけば、蒼い鬼火がすぐ後ろに本の山を築きあげている。

 

「運び込みました書物の中で、歴史書はこれぐらいです。でも大半は、すでに目を通されたものではないかと思います。ご婚儀以来、毎日一、二冊ずつ、お読みになってらっしゃいましたよね」

「婚家のことを学ばないとと、そうしてました。せやけど、もっと詳しく調べたいことが出てきましたんや」


 九十九(つくも)の方は、以前は流し読んだ「神獣の章」を今一度読み返した。


『人が造りし神獣の中には、気候を変え、大地を割り、星そのものすら消し飛ばす力をもつものがいた。ゆえに、あまたの同類を屠った神獣の中の神獣、〈六翼の女王〉を擁する国が大陸を統一したのは、世の必然と言えるだろう――』

 

 統一王国が成立したとき、北の五王家は統一王を宗主と仰ぐ臣下、すなわち州公家となった。

 反乱を防止するべく、統一王は神獣の使用を禁止する大陸法を発布し、稼働できる神獣たちを軒並み、祠や神殿に封印するよう命じた。

 かくして北五州の神獣たちは永き眠りについたと、言い伝えられているのだが……

 

『統一王国が瓦解したのち、北五州は連邦となり、王国に戻ることはなかった。

 神獣の使用を禁止する法律は律儀に遵守(じゅんしゅ)されたが、永らく大陸同盟の理事を務めたレヴツラータ家の金獅子のみは、特例措置と称して、たびたび戦に出されている。

 

 神聖暦7770年代、レヴツラータ家は五州の統一を目論み、またたくまに二つの州公家を傘下に入れた。しかしアリョルビエール家と同盟した南王国の覇王ジェリドヤードに金獅子を破壊され、その野望は無残に潰えることとなった。

 かくてアリョルビエール家は、神獣を使うことなくこの〈七年戦争〉と呼ばれる大戦をしのぎ、北五州に平和をもたらした。大地を容赦なく破壊するものを使うことを、白鷹の州公は(はばか)ったのであるが、神獣の寿命が尽きかけていることも、封印を解かなかった理由のひとつであると考えられている……』


 ため息が漏れる。まさか寿命が危ぶまれている神獣が、我が身に深く関わってくるなんて。今はただ、祠で半ば眠っているだけの存在。心密かに、旧い時代の遺物にすぎないと思っていたのに。

 いまだ強大な加護の力を授けてくれているのだから、白鷹さまはこの家にとって、天照らし様よりも絶対なる存在だ。そんな御方がよりによって、この身に宿った御子を畏れるなんて……


(うちとまぐわったのは間違いなく、うちの夫。白鷹の州公閣下。他の誰でもあらしまへん。白鷹の家は今まで何度も、すめらの巫女を第三妃として娶ってはる。巫女たちが生みはった御子はみんな、祠に封印された神獣の加護を受けてきたはず。なのになんで、うちの子だけ……)

 

 悔しい――なぜおのれの子だけ、忌避されるのか。

 九十九(つくも)の方はぎりりと唇を噛んだ。

 おのれの血統には、おかしいところなど何一つない。胸を張ってそう言える。

 父は太陽の神官族。家格第一級の(ヤン)家の生まれだ。

 父の父たる大翁様は、星の巫女腹の皇女より生まれし御方である。

 父の母は、北五州の黒竜州公家の流れを汲む方で、太陽の巫女姫であった。

 母は星の神官族で、こちらの家格も高い。代々、霊力はそこそこ高い程度を維持しているが、何も問題はない。かつて北五州に嫁いだ巫女たちと、血の組成はほぼ変わらないはずだ。

 

(霊力が高いゆうたかて、人間の中では、という程度やもの。うちの力なんてごくごく普通、神霊から見たら、ちんけなものや。とっぴでもない力を持つ子が産まれるなんて、そんな可能性、少しもあらしまへんわ。問題があるとすれば、うちの方やなくて……まさか……)

 

 急に州公家の血が薄まった可能性はないだろうか?

 夫は正妃腹のはずだが、実はそうではないとか……それで我が子には、一族の血が十分に受け継がれず、州公家の子であるとは認識されなかったとか……

 

(今まで、守護神獣の加護を受けられなかった御子は、おりましたんやろか)


 目を皿のようにして、九十九(つくも)の方は活字を追った。

 たぶん、血の濃さが問題なのだろう。たぶん――そう自分に言い聞かせる。

 木の上から降ってきた声が言ったことなど、信じたくなかった。世界を滅ぼすなどという預言など、おそろしすぎる。

 冷たい後見人も、あの神獣の声を聞いたのだろうか? それとも、自分で予知したのだろうか?

 どうか予知ではありませんようにと、母たる人は祈った。

 複数が同じ未来を視たとなれば、その未来はほぼ確定。来たるべき事実であると認めざるをえなくなる。そんなことは絶対にしたくなかった。

 

(この地にとって、白鷹さまは太陽神同様、神であらしゃる。なれど、太陽や月といった天体とはちがって、あん方は生き物。それに、相当なお年や)

  

 統一王国を建てた『六翼の女王』は、現在、この大陸には存在していない。

 定命の生き物の、避けては通れぬ定めに呑まれたのだ。死という、不可避のものに。

 今この大陸に生き残っている神獣は、永らく封印されてきたものだけである。

 すめらのタケリさまは、災厄以前はほとんど、龍生殿で眠っていたと聞いている。

 白鷹さまは、あの透明な石の下で半ばまどろみつつ、体の劣化を防いでいるに違いない。

 

(つまり、単なる勘違いとか、ボケはったとか、そんな可能性も……ああもう。うちったら、なんてことを考えるんや)


 馬鹿馬鹿しい理由すら、大真面目に、必死で考えてしまうなんて。九十九(つくも)の方は目に涙を浮かべながら、白鷹の州公家の系譜が詳しく書き込まれた本を手に取った。


(探しださへんと……かつて、うちの子みたいな目に遭った子を見つければ……)


 白鷹さまが夫にあの預言を伝えれば、白鷹さまに心酔している夫は、耐えがたい要求をしてくるかもしれない。産んではならないとかおろせとか、嘆きながら命じてくる可能性は否定できない。

 なれど同じような事例が過去にあれば、それを参考にして、我が子を護る手立てを考えられるだろう。つまり早急に、我が子は決して恐ろしいものではないという証拠を構築するのだ。

 強力な論拠でもって夫を説得し、味方にできれば心強い。どうか畏れないでくれと、産ませてくれと、夫婦そろって白鷹さまに平身低頭願い、御子は無害であると主張すれば、慈悲が与えられるやもしれぬ。

 だから、どうか――

 (ふる)い血が恐ろしい化学反応を起こした……ゆめゆめ、そんなことが起こったのではありませんように……。

 九十九(つくも)の方はちらと、寝椅子で眠る夫の姿を見て口を引き結び、夫の家の系譜を広げた。

 

(うちは、なんとしてもお腹の子を護る。絶対に死なせへん)

 

 

 


 ひらひら、柔らかな毛布がクナの額を撫でてくる。鼻に入ってくる空気は冷たいけれど、毛布にくるまれ、抱きしめられているおかげでまったく寒くない。


「む……なんと速い。もうすでに、気配の残滓(ざんし)しか見えません」 


 花売りの用心棒の足音が、細やかな音で雪を刺す。


「でもご安心を。十分、追えます。私は社長の故郷であるトオヤの街で、巫女様のもとについて、ひと通りの技を習いました。神殿に務める者ではありませんが、修行は日々、行っておりますので」


 背後からじゃりんじゃりんと、花売りと太陽の姫たちが乗る馬車の音が響いてくる。雪を踏みしだく車輪の回転音らしいが、ずいぶん激しく回っている。かなりの速さだ。

 馬車と同じ速さで走っているのにまったく息が上がらない用心棒は、〈針金足〉と呼ばれる一族の〈成体(おとな)〉であるそうだ。ユーグ州の山奥生まれで、言い伝えによると、一族は人にはあらず。人と巨人と、神獣の血が混じり合った異種族だという。


「神獣混じりというのは誇張です。一族に箔をつけるための嘘ですから、どの神獣が先祖であったかなんて、全然伝わっていません。背丈がずいぶん高いですから、巨人の血は確実に入っていると思いますが」


 長い手足と高い戦闘能力をもつゆえ、ユーグ州軍が傭兵になれとたびたび誘いにくるのだが、実入りの多い裏稼業に手を染める者が多いらしい。

 かく言う用心棒は花売りに雇われるまで、暗殺業で稼いでいたという。両肩から伸びる腕は人のそれと変わらぬが、背中から出ている腕は機械で、一族とつきあいのある技師が特注で造ってくれるそうだ。

 

「巫女さまとの縁は、仕事でトオヤの街に入ったときに紡がれました。見鬼の力を持っている私は普段から抜け(・・)やすく、それを防ぐため、あなたのように注連縄をつけていました。けれどあるとき、トオヤの街で追い詰めた標的に縄を切られて、魂がすっぽ抜けてしまったのですよ」

 

 仕事は失敗。標的は手痛い一撃を彼女に降して逃亡した。偶然居合わせたトオヤの巫女が彼女の魂を引き戻してくれ、致死すれすれの負傷をすっかり治してくれた。そしてありがたいことに、魂が抜けなくなる技を伝授してくれたという――


「それ……! 抜け、なくなるって、ふわふわ、しなく、なるって、ことです、か?」

「そうです。裏稼業から足を洗って巫女さまに弟子入りして。技を教えていただいてからは、おいそれと魂が抜けなくなりました。この身に何も付けなくともです」

「その、技を、どうか」


 口が重くて言葉が途切れる。なれど用心棒はしっかり、クナの願いを理解してくれた。


「今回のことが済みましたら、お教えしましょう。さあ、城壁を越えますよ」

「じょう、へき……!」

「金獅子州公の城の、敷地内に入ります。社長の車がついてこれるのは、ここまでですね」


 ぐっと、抱きしめてくる腕に力が籠められる。生身の腕と機械の腕のうち二本は、クナの身を護るために使われているようだ。あとの二本がしゅるるると、空気を裂く音を立てた。鋼の糸を出して城壁に引っかけたのだろう。用心棒はあっという間に上昇し、息もつかぬ間に今度は勢いよく下降した。

 

「目標地は城ではありません。その西隣にある森……ああ、塔が一本傾いていますね。なんという……」


 軽やかな足音はまったく速度が落ちない。疲労の気配なくこんなに高速で走れるとは、〈針金足〉も腕と同じく機械なのだろうか?


「石碑があります。州公家の墓地と思われます。そこに入っていったようですが――う……!?」


 さくりと、雪が悲鳴をあげる。用心棒の足が止まった。

 目標地から、何かが出てきたらしい。

 四本の腕に護られているクナは耳をそばだて、必死に気配を探った。

 ずるると、足を引きずっているような音が聞こえる。

 

「黒い塊が、出てきました……。霊体ではないようですが、まるっきり影にしか見えません。獣……人……? 形があやふやです」

「黒髪さま!!」

「なんだか形を……治しているようです。離れているものを少しずつ繋げて……人の形を作ろうとしています」 

「ええ、そうよ。人では、ないの。魔人だから、死なない。そして、たぶん……」


 息を呑む用心棒に、クナは一所懸命伝えた。


「たぶん、神獣、だから……」


 間に合ったのだろうか? 黒髪様の記憶はまだ、消えていない?

 

「くろか……れ、レナ!!」


 どうかそうでありますようにと、クナは呼んだ。一縷の希望をこめて。


「レナ! レナンディル!! 消えないで! あなたの龍蝶として、め、命じます! 消えては……だめです!」


 しかし返ってきた返事はひどくぶっきらぼうで。


「いてえ……からだじゅういてえ……ちくしょう、なんでおれ、こんなにばらばらになってんだ……」


 切なる願いを、打ち砕くものだった。



「あ……? なんだ、おまえら? …………だれ、だ?」 





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