幕間3 虹色の卵
今回は幕間、護国卿視点のお話です。
少し残酷な描写があります。ご注意ください。
いまいましい寒気だ。
冬将軍が盛大に、凍える息をそこら中に吹きかけている。どこもかしこも雪だらけで白い。
それにしても、我が背に翼がないのが口惜しい。鳥や龍どものごとく自前で空を飛べぬのは、実に不便だ――
俺は人間が造りし紅色の鉄の竜にて、センタの州都にそびえる黄金色の塔に降り立った。
都の象徴たるここは、ありとあらゆる伝信の中継塔だ。半世紀前の災厄にて頂が無残に毀たれたが、見事に復興を遂げ、どこよりも高く美しくそびえている。
眼前に広がるは、なつかしき黄金郷の景色。
七つの塔に七つの橋。蒼鏡の湖を囲む、きらびやかなりし円環。
この燃える蛋白石のような輝きを放つ街並みも、災厄の前とほぼ変わらぬ姿で復興された。広大な塩田を占有する金獅子州公家の財力では、まあたやすいことだ。
懐かしき古巣に我が身を置けば、我が口から思わず呟きが漏れた。
「永遠なれ、我を生みし偉大なる都よ――」
俺の首にすがりついている子がぐすりと鼻をすすり上げ、美しき円環の景色をまぶたで固く遮った。
俺の子がここに来たのは、蒼鹿家の復興交渉以来か? 俺の子はこの都が嫌いだ。今もしかと覚えている前世でここに生きたとき、ひどい思いしかしなかったせいだろう。
だが。
かつて天使があふれた街は、今や赤鋼玉であふれかえっている。星が落ちた災厄から大陸の人々を救った神帝を讃えるべく、この地の者どもはこぞって、俺の子の通称を生まれ来る我が子の呼び名としてつけた。くれないの髪燃ゆる君は、この地では赤き宝玉の名で呼ばれているのだ。
実のところ、このセンタ州だけではない。大陸全土で何百何千何万と、俺の子にちなんだ名が新しい命に与えられている。
権威ある大陸同盟の役職者の名簿にも、ルゥビーンだのルビーだのルージュだのルーファスだのという名がずらり連なっていて、実に喜ばしい。
神帝を崇める教団に入ってくる者も、その系の名を持つ者ばかりなのはいわずもがなだ。
すなわち。かつてこの地から追われるように出た我らは、輝かしい勝利を手にしたのだ。
「天使よ、死に絶えろ。安らかに眠れ……」
はるか頭上。吹雪いている上空に、白いハヤブサが紛れているのが見える。
千人乗りの巨船とは思えぬほど細身で、翠鉱の動力機関はほとんど音を立てておらぬ。視認と聴音だけの探知機では感知されにくいがため、あの船は大陸のどこにでもするりと入り込む。いままで一体何度、すめらや南王国の領域を侵したことか、数えあげるのも面倒くさいほどだ。
我が魔道帝国の真の玉座は、あの船の中に在る。
それを知る者はごくわずか。大陸同盟の理事たちですら、くれないの髪燃ゆる君の玉座は、熱砂の砂漠の中にそびえる帝都にあると信じている……
「〈卵〉は置いていくぞ」
念を押すと、俺の子は我が胸に顔を埋めた。
「孵化が遅れるが、それはいまさら気にすることでもなかろう。おまえが俺に命じたのだからな。おまえから離れるなと。俺は停まっていられぬから、こうなるんだ」
「かまわない……」
鮮やかなる紅の髪の持ち主は、俺の首にまわした腕に力をこめてきた。
「離れてればむしろ、危険にさらされることはないと思う……あそこにあるって事は誰も知らないもの。帝都の大神殿に奉納したことにしたのは、災厄の前だし……知らない人の方が多いかも」
「しかしどうして先ほどは、玉座で眠っていなかった?」
「……一緒に温めなきゃ、やだ」
聞くまでもない問いを聞いてしまうのは、どうにもできぬこの昏い感情を緩和したいからか。
甘え声は、今の俺にとっては唯一の癒やしだ……。
俺の子の目や耳は人工のもの。体はとある工場で作られた。
俺が見つけなかったら、こいつの今生は全く惨憺たるものになっていたにちがいない。
前世の母たる大陸一の舞姫を乳母にすることもなく。玉座に昇って王国を帝国と成すこともなく。「人形」として人に飼われる、哀れな一生を送ったことだろう。
スメルニアでの龍蝶のごとく、俺の子ははたからみれば、人に虐げられるものにすぎぬ。
だが、これほど美しい真紅の輝きを放つ魂はこの世のどこにもない。
こいつの魂の奥底では、まばゆい紅蓮の炎が燃えている……
「ねえ、行くの? ほんとに、俺を連れてくの?」
「おまえは俺に命じた。だから二度と放さぬ」
顔をうずめたまま、俺にすがりつく子がかすかにわななく。頬に貼られたウサギの絆創膏がかいま見えて忌々しい。
太陽のごとく燦然と燃ゆる、無二の魂につけられた瑕は深い――
『死ね! 獅子の仔!!』
思い出すたび我が身は震え、我が手で、おのが心臓をつかみ出したくなる。
黒髪は、完全に俺の子を出し抜いた。
あいつが乗ってきた腐った皮をかぶった奴は、ただの龍ではなかった。
あれは神獣――大陸同盟の条約によりて、使ってはならぬと定められたものだった。
『あれは人に使っちゃいけないものだよ、ジェニ。ううん、生き物に対してだけじゃない。この大地に対してさえも』
俺の子とてその身に我が帝国の守護神獣を宿しているが、大陸法を律儀に遵守している。今まで幾度となく俺が使えとそそのかしてもかたくなに、使用することを避けている。
そんな清廉なる子に、黒髪は容赦なく神獣を放った。
腐った龍の皮の中からましろに輝く鱗が見えたとき、俺の背中を真紅の怒りが走り抜けた。
あれこそはミカヅチノタケリ。万の年月に渡りてスメルニアを護ってきた、守護の神。
よりによって、俺が一番嫌いな神獣をけしかけるなど……
言語道断だが、黒髪はいつの間にあれと契約をかわしたのか。わからぬが、まことクソ以外の何ものでもない。
白ハヤブサの胴に穴を開けて侵入したあいつらは、玉座の間に押し入り、猛然と突進してきた。
我らの座所である真紅の台座。我が帝国の、まことの玉座に。
『逃げろ俺の子!』
獅子となりて、腐った龍皮を引き裂いた瞬間。龍の正体を察した我は怒鳴ったが、俺の子はそこから動かなかった。
抜いた霊刀で斬りかかる黒髪を避けることなく、玉座を死守しようとした。
結界をかち割られてもひるまずに。胸に輝く赤鋼玉に封じた黒獅子を、この期に及んでも呼び出すことなく。
『だめ! ここは死んでも護る!!』
俺の子は、逃げる気など全くなかった。
なぜならそこには……俺の子がいつも俺の腹を枕にして寝そべるそこには……虹色の〈卵〉がひとつ、嵌まっているからだ。
いつかの未来において、我が帝国の世継ぎとなるであろうものが。
『いつ生まれるのかな……もう十年以上たつけど』
『さあな。魔力を注ぎ続ければ、いつかはまともなものになるだろう』
『中で何かきゅるきゅる言ってるから、生きてはいるよね。一から魂作るのって、ほんと大変……』
俺の子に〈卵〉を贈りつけた魔道王国の先王陛下は、一番弟子にして世継ぎたる俺の子が、妃を娶らぬことを見越していた。
先王自身もそうであったが、まことの魔道師とはそういうものだ。女に精を注げば魔力が落ちるゆえ、導師のごとく魔道を極める術者は、生涯独身を貫かねばならぬ。
〈卵〉を贈ったのとほぼ同日に、先王は隠居先で老衰により身罷った。訃報を受けた俺の子は、ひどく泣きじゃくったものだ。
『なんでパパは、延命してくれなかったの? 国なんかいらない! せめてこんなの俺に渡さないで、自分で使って世継ぎを作ったらよかったのに!』
先王は生涯、俺の子の望みを何ひとつ叶えなかった。
そばにいて欲しいという願いも。
永遠に生きて欲しいという願いも。
先王は一番弟子の俺の子ではなく、末の弟子を生涯そばに置いた。
寿命が来たときには、できたての若い肉体を用意しようとした俺の子の意向を無視して、その弟子と二人で天河に昇ってしまった。
砂漠の王国の継承権など、到底足りぬ。
最も優秀で忠実なる一番弟子への贖いには、まったく足りぬ。俺の子は、前世と、さらにもうひとつ前の前世をかけて師を心より慕い、二度も命を捧げたというのに。
愚かなジェニスラヴァ。選ぶ相手が違うだろう……!
ゆえに、俺はこの世に生まれた。
俺の子のみを愛し、護り、共に在るがために。
あの黒髪と同じように、先王の中から分かれて世に出でた。
黒き衣の技を駆使し、奴の魂から離れ、複製して作り上げた体に入った。
しかして俺の方こそ「本体」だ。俺は、あのふがいなき導師を見限ったのだ。
輝く魂の方は単なる残りかす。抜け殻にすぎぬ――
『だから泣くな俺の子。俺こそ、おまえの師にしておまえの父。おまえの伴侶だ』
『それ……うそでしょ……俺、ジェニがほんとはなにか、知ってる……ず、ずっとパパを護ってた、神獣の……金の……金の獅――』
『違う! 俺こそ、本物のジェニスラヴァだ!!』
金獅子州公家の幼き公子と契約によりて融合し、永らくひとつの魂であったものなれば。
人として生き、寺院に籠もりて修行し、黒き衣の技を会得した我が身は、ジェニスラヴァその人。
幼名と呼び名しか持たず、何者にも支配されない黒の導師、〈黒き衣のセイリエン〉。
他の何者でもない……!
『いいから、その器におまえの魂を少し削って入れろ。俺の残りかすは、妻を娶らぬであろうおまえのために、大陸一の技師にそれを作らせたのだ。ずいぶん長いことかけてな』
『俺のことなんて、どうでもいいよ……!』
『いいから入れろ。俺のも削って入れてやる』
『え……? ジェ、ジェニの……入れて、くれるの? それって……』
『二つの魂のかけらは混じり合い、魔力を注げばゆるりと成長して、いつの日かひとつのまともな魂となるだろう。国を回すのが嫌なら、そいつに押しつけろ。ともかく俺の子、俺の残りかすはおまえの幸せを願っていた。つまり少しはおまえのことを……』
あれは非常に不本意だったが。納得させるために、口が裂けても言いたくないことを言わねばならなかった。むかつくことに。
『少しはおまえのことを……愛して……いたんだろう』
『……っ……』
それ以来、俺の子は〈形見の卵〉を後生大事にしている。白ハヤブサのまことの玉座の中に隠し、俺と共に魔力を注ぎ、ことあるごとに耳をあて、その小さな命の音を聞いている。
教団を作ったとき、我は俺の子の神性を高めるべく、「神帝が奇跡の卵を産み出した」と大陸公報にて公表した。偽の卵は帝都の大神殿の聖所に在るが、本物はここだ。
ゆえに黒髪が襲いかかったあの瞬間――
俺の子は、逃げることなどまったく考えもしなかったのだ。
『おねがい! 俺のことは殺してもいいから、玉座は砕かないで!』
あのとき。
俺の子は、まごうことなく人の親となっていた。
我が子を護るべく、死を甘んじて受けようとする者に。
『我が購いのため、その命、貰い受ける!! 死ね!! 獅子の仔!!』
俺の子はおそらく、護国卿たる俺の力を信じていたはずだ。
金の獅子が、おのれを完璧に護ってくれると。
『ッハァ?! 金ノ獅子ィ?! マサカ、金獅子カヨ、オ前?!』
『違う!!』
『従兄弟ノ竜王モビックリ! マア、ドウデモイイ! サッサト用事ヲ済マシテ帰ッテ、俺ハ美味シイメシコヲ喰――イッ……テエエエエエエ!!』
腐った皮を被ったタケリの首を落とし損ねた。首をぶらぶらさせてのたうち回るあれの尻尾に、足をとられた。
いや。タケリのせいだと言い訳するのはおこがましいか。結果がすべてだ。
俺は間に合わなかった。
黒髪を吹き飛ばすべく放った真空の刃は、一瞬だけ遅れた。
魔人もろとも壁に向かって飛ばされた刀が――魂を傷つける青白い兇刃が、俺の子を掠めて……
俺の子は……
俺の子は……
俺の子は……
許せぬ。
許せぬ。
許せぬ――!!!!!!!!
「ジェ、ジェニ、吠えないで。ああ……なんて綺麗なたてがみ……獅子に……なっちゃった……」
「しっかり掴まっていろ!!」
「う……!」
俺は走らずにはいられない。
我が内にくすぶる火種が我が身を急かす。
復讐を。
復讐を。
復讐を。
そして俺自身に制裁を!
伴侶を守れずして、なにが守護者か……!
この衝動は、誰にも止めることはできぬ。たとえこの世で唯一大事な子に懇願されようとも。
だからこうするしかなかったのだ。離れるなと命じる子を連れてくるしか。
「ジェニ速すぎる……! 金の塔の側面駆け下りるなんて!」
「だから掴まっていろと言っている!」
「ああ、一気に地面に……!」
足がずぶりと雪に埋まる。遅い。まだ遅すぎる。
駆けよ。駆けよ。我は、疾風とならん――
「迷わずまっすぐ南に行ってるけど……白鷹の後見人のところにむかってるの? あいつの居場所がわかるの?」
「白鷹州公の城に行ってトリオンに尻尾を焼かれたとき、あいつの衣の裾を少し焦がして印をつけてやった。報酬を出すのを渋ったからな」
「報酬?」
「パーヴェル・アリョルビエール。白鷹州公の弟が、謀反を起こすようそそのかしてほしい。クソトリオンからそう依頼された」
「……うそでしょ……」
「ふん。嘘なものか。あのキラキラはいつも自分の手を汚さず、邪魔者を排除する」
えげつない策謀。容赦ない打ち筋はどこかのだれかのようだが、あえて指摘はするまい。
本人は十二分に自覚しているようで、湿りきったため息をついている。同族嫌悪というやつだろう。
「たしかに、ソムニウスのマクナならやりそうだけど……でも一体、何をもらうつもりだったの? あいつが管理してる、女神レクリアルの神地……じゃないよね。あの抜け目ない奴が、がめつく集めたた土地を返すはずがないもの。もしかして、すめらとユーグ州の遠征軍の、情報一式とか? でもあいつが、すんなり正確なものを渡すなんてありえないし……」
あいかわらず俺の子は分析に長けている。俺がこう言えば、あとは勝手に察するだろう。
「ありとあらゆる手を読み、すんなり百手先を割り出すおまえは、まごうことなく天才だ。されどその読みは、すべて推測にすぎぬ。そして、まれに外れることもある」
「う……たしかにほっぺた切られたときは、予想外だった……けど。ああそうか……ジェニはあいつにふっかけてみて、探りたかった? あいつが黒髪の人みたいに、遠征で変なものをくり出す気がないかどうか」
その通りだ、俺の子。
いまいましいことにトリオンはユーグ州の後見人ゆえ、神獣の白鷹と交信できる。奴がこたびの遠征にそいつを出してくる気があるか否か、俺は知りたかった。
むろん、遠征軍の情報も得られれば、それに越したことは無かった。しかし案の定、ねじれきっている後見人は、手の内を見せたがらなかったわけだ。ある程度の指令書や軍の展開図は、我が義眼の記憶機能を駆使して読み込んだが、本当に食えぬ。
「大丈夫……ねえ大丈夫だよジェニ。もとは同じ魂だけど、キラキラのあいつと黒髪の人は性質がちがう。黒髪の人は俺には読めないことするけど、あいつは読める。だから……」
「おまえの傷に塩をすり込んできたぞ。完璧に読めるなら、防げたはずだ」
「う。そ、それは……ジェニがそばにいなかったか……わっ! 急に曲がらないでよっ」
わざと急な角度で走ってやった。
そうだもっとしがみつけ。きつく。きつく。
共に風となれ。そして俺が贈ったその目に焼き付けるがいい。
おまえを傷つけた奴らが苦しむのを――
「そこ? その建物にいるの? 後見人はそこ?」
「生意気なソムニウスの子の首を落としてやる。その次は黒髪だ。あいつをまた殺す!」
龍蝶の魔人ゆえ、首が転げても死にはしないが。傷が癒えるまでには、それなりの苦痛を味わうことだろう。
風よ、我を運べ。雪を蹴散らし見えぬ翼を与えよ――
「ああ、また壁走り……! あっという間に屋上に……う?!」
余計なものがごろっといるな。あの祭壇はなんだ? 倒れているのは……
「すめらの星?! スミコちゃん!?」
取り込み中のようだが知ったことか。あの龍蝶もついでにここで消してしまいたいが、目の前でそんなことをすれば、俺は俺の子を失ってしまう。ゆえに今回は見逃してやろう。
目標は、ただ一人だ。
「ジェニ待って! やめ――」
「聞かぬ! 倒れろ! トリオンの残りかす!!」
「おまえは――!!」
ふん、いい顔だ。目をみはった驚愕顔で実に良い。なんだ、今は右手がないのか。
韻律が打てぬようだが容赦はせぬ。俺の子を連れているから手加減などできぬ。
人には使ってはならぬ力だが――まばゆいトリオンの残りかすよ、おまえは人間ではない。生き物ではなく、もはやこの星の森羅万象ですらない。
輪廻から外れた異物。
ゆえに、俺は躊躇なく、お前を裂く――!
「ぐ…………!!」
「社長、後見人様の左腕が落ちました」「トリオンさま!!」
「きゃあああ?! 何が来たの?!」「まぶしすぎて見えません! 金色の……あれは何?!」
銀の杖がすっ飛んだな、残りかす。その漆黒の衣にふさわしき、悪しき者よ。
俺の子の前で臓腑をぶちまけるがいい――!
「ジェニもういい、やめて!」
「くそ……金獅子か……!」
「違う!! 我こそは、まことの名をもたぬ黒の導師! 黒き衣のセイリエンだ!!」
風よ、あいつを切り刻め。
許さぬ……!
許さぬ……!!
許さぬ……!!!!
――「もうやめて……!!!!」
いまいましい寒気だ。
冬将軍が盛大に、凍える息をそこら中に吹きかけている。どこもかしこも雪だらけで白い。
それにしてもやはり、我が背に翼がないのが口惜しい。鳥や龍どものように自前で空を飛べぬのは、本当に不便だ――
「泣いているのか、俺の子?」
「…………」
「しっかり掴まっていろ。今度はしばし長く走る」
すすり泣きが聞こえる。だが、慰めの言葉はかけられぬ。
「黒髪の所へ行く。生意気な残りかすのように、ただ四肢を千切るだけでは済まさぬ……!」
後見人のはらわたをぶちまけたかったのに、できなかった。俺の子が全力であいつを護ったからだ。
なぜにあの卑怯な薬師に結界を投げる? 俺から護るために、なぜ?
馬鹿な子だ。
馬鹿でいとしい子だ。
愛している……
だが、黒髪には容赦せぬ。
落ちかけていた黒髪の首は、そろそろ繋がっているころだ。引きずり出して潰した臓腑も、もとに戻っているだろう。また心臓をえぐり出してやる……俺の子の結界ごと、再生した四肢を砕いてから。
「どこ……どこに、いくの? 赤の砂漠じゃ、ないの? なんで……南じゃなくて、北に戻るの?」
「ネズミが忍び込んできたから、砂漠から移した。黒髪はここにいる。我らの古巣、この黄金郷に」
「……! まさか……」
俺の子は、レクリアルの魔人がどこにいるか察したようだ。おののき、ひしと俺の肩にしがみついてくる。
雪を蹴散らし走る。蒼や緑や黄色の常夜灯が、尾を引いて流れゆく。
金の塔のそばを抜け、人のあふれる大通りに建ち並ぶ建物の壁を飛び走る。
はるか正面にそびえる城壁を見据えれば、自然と、ゆがんだ笑い声が我が口からほとばしった。
「里帰りだ、俺の子!」
城門を抜けるなど面倒くさい。
城壁を一気に飛び越える。真っ白な雪に足跡をつける間もなくえんえんと、広大な敷地をひた走る。
一直線に。
金獅子州公の巨大な城を無視して、目の前に迫る小さな森を囲む小城壁をまた越える――
「しゅ、州公は……金獅子州公は知ってるの?!」
「夢を送って墓所に近づくなと脅してやったが。愚かにも神獣からお告げがあったと大騒ぎしたのを、白鷹の後見人が嗅ぎつけたようだな」
「あいつ、それでセンタ州に……」
「うるさい蠅がたかる前に、また移すか」
「お願い……スミコちゃんに返――」
「それは聞かぬ!!」
森の奥の祠の下に飛び込む。漆黒の円回廊が我らを包み込んだ。
地の底へいたる長き道を、一気に駆け降りる。
下へ。下へ。下へひたすら。そして蒼き炎舞い燃ゆる、黒き扉を押し開ける……
「ああ。首が元に戻っているな」
懐かしき我がねぐらにて、そいつは膝をつきうなだれていた。鎖につながれた両の腕を、胸で交差させながら。
「トリオン様……!」
渾身の力を込め、風を放つ。
そいつの腕が吹き飛ぶと同時に、そいつはこちらをちらと見て目を細めた。
「ああ……やっと来たか。獅子の仔……会いたかった」
この期に及んでまだ、俺の子を傷つけるつもりか?
我が結界に縛られ、指一つ動かせぬくせに。
「何度再生しても無駄だ! 黒き衣のトリオン!」
「そちらこそ。何度殺しても無駄だ、セイリエン……」
やはりさすがだ。こいつだけは分かっている。俺が一体何であるのか、しかと分かっている。
獅子とほざくあの残りかすとは違う。
だが……
「ジェニ、もうやめて。もう走らないで。お願い停まって……!」
停まれるものか!!
咆哮とともに刃を投げつける。
千の黄金の煌めきが、我がたてがみから飛び出した。
無数に、まばゆく。