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21話 黒き予言

 積もった雪が足下で激しく散る。


「スミコ! こっちよ!!」


 クナの手を引っ張るリアン姫の声が、ふわんと拡散した。身が縮むような音を立て、寒風が頬を殴ってくる。

 外だ――

 階段を上りきったクナは思わずつんのめったが、片腕に抱えるものを落とすまいと、きつく抱きしめた。


(名簿……! 絶対守ってみせる!)


「急いでください! 今のうちに!」


 背後に続くミン姫が、クナの背を押し上げてくる。さらに後ろにいる花売りが、ミン姫が支えている人を気遣った。

 

「アカシさん、大丈夫ですかっ?!」 

「う……」

「アカシさま、喋らないで! 無理をすればお体が崩れます!」

「僕が背負います! みなさん早く船に乗ってください!」


 花売りが叫ぶなり、孤児院の地下からごうごうと空気のうねりが立ち昇ってきた。

 まるで大きな獣が唸っているような恐ろしい音である。

 

「うう、なんてすさまじい。四人がかりでかぶせた風だというのに、抑えられそうにないですわ!」

 

 クナを護る護衛騎士は、五人そろわないと妨害の電波を出すことができない。

 今回は五人とも離れず固まっていたから、電波は損なわれることなく、察知されないと思っていたのだが……そうは問屋が卸さなかった。受信塔となるクナがそばにいなければ、土台、電波自体が出なくなってしまうらしい。それで白鷹の後見人は、やすやすと異変に気づいたのである。

 しかも、花売りに入れられていた玉がなんらかの波動を発していたようで、みながいる位置を知らせていたらしい。玉を出してからは索敵外になったはずだが、それでも迷わずこの孤児院にやって来たのは、黒髪様と同じ記憶を持っているからなのだろう。

 巫女たちは力を合わせて、そんな恐ろしい人に対抗した。

 クナが抱える名簿が焼かれる危機に、真っ向から逆らったのだ。


「ああ、風がどんどんちぎられてますわ! あんなことできる人を倒すなんて、無理ですわよ?!」

 

 地下から轟く音におののいて、リアン姫が途方に暮れる。


「うっ……」

「アカシさん! しっかりしてくださいっ」


 花売りに背負われたとおぼしきアカシが、ぐほりと何かを吐いた。たぶん血液だろう。

 名簿を抱えるクナの腕が震えた。


(どうしよう……肺が潰れてたりしたら……)

 

『それを放しなさい。それはこの世に在ってはならないものだ』

『いやです!』


 クナが答えると、後見人は身にまとう魔法の気配で圧迫してきた。

 そのときアカシはいっときだけ、みなが受けていた重圧をすべて、我が身に引き受けたのだ。まるで天を支える神のように。

 その隙にリアン姫とミン姫が降ろした神霊力を、クナはとっさにつむじ風でかき混ぜ、渦にした。

 あっというまにくるくる舞い上げ、鋭い風の鎖を編み上げて。


『公正な取引を! もう邪魔しないで!!』


 言葉と一緒に思いっきり、相手に叩きつけてきたのだ。しかし地下の物音を聞くに、後見人を吹き飛ばして気絶させることは叶わなかったらしい。

 

「時間稼ぎにしかならないなんて……」

「横になってください。どうか安静に。極力、揺らさないように飛びますから」


 乗り込んだ鳥船の機関部が異様な音を立てる。綿が詰まったような軋みが鳴りひびいたとたん、花売りが苛だたしげにばしりと、船のどこかを叩いた。


「くそ! 機関部が動かない。何か細工されてる! 後見人様のしわざなのか?!」

「つむじ風が止まりましたわ! こっちに登ってきましてよ!」

「風を起こして投げつけましょう!」


 地下の轟音が収まった。しゃらしゃらと、黒き衣の歌声が聞こえてくる。

 クナは太陽の姫たちと共に風を起こし、その音めがけて投げつけた。だが衣の音は華麗に風を蹴散らしながらみるみる近づいてきて。


「うう、みんな弾かれるなんて!」


 すとりとクナのすぐ前に降りたった。

 

「何人がかりだろうが、すめらの巫女の力などたかが知れている。それを渡しなさい、レクリアル」

「いやです焼かないで! 邪魔をするのは、卑怯です!!」


 クナは必死に叫んだけれど、すぐ前から返ってきたのは怒りを押し殺した声だった。


「君は別れの時、黒髪のあいつに言っていた。大嫌いだ、絶交だと。あの想いはまごうことなく本物で、君は君の中から、あいつを消し去ったのではないのか? 苦しみから解放されたのに、またあいつを伴侶にする? そうなれば君が前と同じように傷つけられるのは、目に見えている。私は君が傷つく姿を見たくない。だからどう思われようが、邪魔でもなんでもするしかない。たとえ私自身は嫌われても……君が涙をこぼす姿を見たくないんだ」


 クナが傷つくのを見たくないなんて、詭弁ではないのか? 

 大体にして、名前を思い出せれば、というのは時間稼ぎの譲歩だったのかも。ゆくゆくは反故(ほご)にするつもりの、口約束なのかも……

 どっと湧き出た疑いがクナの頭を支配した。燃え上がるような怒りが立ち上ってきて、気づけば怒鳴っていた。たぶん、真実であろうことを。


「いいえ……いいえ! あたし、あの人を嫌いになったんじゃないわ! あたしきっと、許したいからなにもかも忘れたのよ! 黒髪さまのこと、好きでたまらなかったから!! 何にも考えることなしに、ただ愛したいって思ったんだわ!!」

 

 相手は一瞬怯んだが、意志を変えることはしなかった。

 炎をまとっているのだろうか、燃えるように熱い手がクナの腕を掴んできた。あたりにどんと降りる、重たい魔法の気配とともに。

 

「頼むから……それを焼かせてくれ」

「今はだめ! 名前を見つけたら渡します!」

「レク……その名簿がどんなものか知ったら、きっと君は泣く。君を悲しませるものは消してやる。私はかつてそう決めた。だからここやメニスの里にあるものはすべて――」

「何を言ってるの?! ここは、災厄でなくなったところなんでしょう? 天から星が落ちてきて――う……!」

 

 クナの腕をつかむ後見人の手が、ぎりりと深く食い込んできた。

 加護のかかった体ゆえ、炎には焼かれまい。そう思ったのだが、なぜかすさまじい熱さと痛みが襲ってきた。

 じりじり肌が焼けている? まさか黒髪様の加護を貫いている?

 驚きと痛みにクナが怯んだそのとき。花売りが悲鳴を上げつつ、どたんがたんと音をたてた。


「ちょっとペンガシさ……だめ! 勝手に動かな……!」

『ヘカトンガジェット起動。あー、あー、ボイス選択・竜王メルドルーク。みなさん聞こえますか。聞こえてますね。こんばんは、我が主の忠実なるしもべ、聖剣エクス………………………………。

 ……。

 ……。

 あー、以下忘れましたでございます。ちょっとこの黒き衣の愚か者の尻を叩かせていただきますので、みなさん一・二・三歩ほど、こやつから離れてください』


 花売りから剣がひとりでに離れたらしい。それは黒髪様に勝るとも劣らぬ美声を放ちながら、ずずずとうごめく音を立て、クナの足もとに近づいてきた。 


『名残惜しき百年目、泣いても笑っても残り時間あと三十三日と十三時間三十三分の神聖なる契約により、我が主レクリアルに危害を加えしものはすべて、排除いたします。我が主の腕に火傷をかますなど、決して許しません。歯を食いしばりなさい、マクナタラ。あなたは不死の魔人ですので、手加減はいたしません。手足が吹っ飛ぶと思いますが、自業自得です!』

「剣さん……?!」  


 後見人の手がクナの腕から離れた。剣が無理矢理割って入ったらしい。

 自由になった腕の先、思わず開いたクナの手の中に、金属の感触が沈んできた。

 これは剣の柄だと悟った刹那。重みのあるそれは勝手に勢いよく横薙ぎに動いた。恐ろしい斬撃の音を立てながら、ものすごい速さで――


『吠えよオリハルコン! 我が刃は、約束されし勝利をここに召喚せり――!!』


 クナの見えない目にまばゆい閃光が刺してきて。ひりひり痛いそれは、すさまじい速度で広がっていった。あたり一面に。





「ご懐妊、まことにおめでとうございます。偉大なる白鷹(アリョルビエール)は御子のために羽ばたきて、太陽神(ダージボグ)の妃たる、月の乙女ミエシャツのご加護を呼び寄せることでしょう」


 ちゅちゅんと、窓の外で小鳥が朝を告げる中。銀色の聴診器をかけた侍医が、深々と頭を下げた。

 寝着姿で寝台の上にいる九十九(つくも)の方のそばで、白鷹の州公閣下が満面の笑みをかんばせに浮かべた。暖かな手が、ほら間違いなかっただろうといわんばかりに妻の肩を撫でてくる。


「ただいまの検診とお湯放(ゆまり)への試薬の結果により、御子の宿りを証明いたします。ご誕生は来年の初夏ごろかと。ご夫婦仲良く、健やかにお過ごしなされませ」

「ああ、地震を起こさぬよう気をつけよう。我が子のために」

 

 州公は機嫌良く笑いながら侍医に答えた。

 北五州の人々は、主に太陽神を崇めている。月の乙女はその配偶で、二柱は春になるたび結婚し、秋になると別れ、独りの冬をそれぞれ過ごし、翌年の春にまた再会する。そんな季節のめぐりを説明する神話が伝わっているのだが、自然現象もまた、この夫婦のせいにされている。二柱が喧嘩すると、その剣幕のすさまじさに大地が震えるのだそうだ。

 ゆえにユーグ州の人々は、夫婦げんかのことを「地震を起こす」と表現することがある。

 九十九(つくも)の方はすばやく、夫の言葉を汲み取った。


「うちは閣下よりひと周り小さきもんにございます。よって大地が揺らぐことはないでしょう」

「我が州の神のことをよく知っているな。実に嬉しい」


 とたんに夫公は歓喜のため息をついて、金色に輝く妻の頭に口づけを落とした。

 北五州は父権が強い土地だ。女性の守り神である月の乙女は、輝く夫神より格下。半神でしかないとみなされている。そのため乙女を崇める神殿はなく、独立して描かれることもない。必ず夫神とふたりそろった形でしか表現されないのだが、レリーフに刻まれる名前もその御姿も、隣に並ぶ太陽神より必ずひと周り小さく作られているのだ。

 夫を立て、決して出しゃばらない――妻の宣言に気をよくした州公は、喜びのあまり饒舌になった。


「自ら出陣する勇ましき妻だが、私が望むとすぐに戻ってきてくれた。その上、貞淑な言葉をくれるとは。やはり三番目の妻は、スメルニアの姫にかぎる。侍医よ、そなたもそう思うであろう。ヴォストーク州のような慣習破りなど、とんでもないことだと」

「御意にございます。あそこの第三妃は、いまだ受胎の兆しもないというのに不遜にも、州公閣下にうるさく口を出していると聞いております」

「里が知れるというものだな。魔道帝国の宰相の養女だそうだが、実の生まれは卑しいのだろう」

「まったくでございます。対して大スメルニアが育み、北五州に下さる姫はなべて、ご血統もお育ちも間違いございません。麗しく賢きお妃さまに言祝ぎを。お世継ぎのご誕生を、心よりお祈り申し上げます」


 ほのかな吐き気に顔をしかめつつ。かしこまる侍医の言葉を反芻(はんすう)した九十九(つくも)の方は、ようやくのこと観念(・・)した。

 

(気のせいやない。診断が下された。うちはほんまに身ごもっている……)


 再婚の再婚。普通ならばもはや、子どもなど望めぬ齢だというのに、なんという奇跡か。

 霊光殿に身を寄せていたころ、祖父たる大翁様より言われしことは冗談ならず。まこと真実であったらしい。


『龍蝶の不老の血は、そなたにも受け継がれている。そなたは悠に百の齢を越えるだろうよ、九十九(つくも)ジン姫』


 すめらの帝室には龍蝶の血が入っている。記録には残っていないが龍蝶の帝もかつて存在したと、あのとき大翁様は仰っていた。

 そんな帝室の親王さまが(ヤン)家に降りて、大翁様をお生みあそばした。ゆえにかの祖父君は、百を超える齢であるとはとても思えぬほど、大変にお若いご容姿であられる。

 実の孫である九十九(つくも)の方もたしかに、年の割には若い容姿を保っている。鏡に映る素顔には、しわとおぼしきものはない。金の髪はまだ一本とて、銀に変わったものはなし。まだ三十にならぬとうそぶいても、通るかもしれぬ。


(我ながら、厚化粧せえへんでもええ顔してますもんなぁ。せやけどよいのは見目だけや。龍蝶は長寿やから成長がとても遅い……うちが苦労したんは、そのせいか……)


 残念ながら夫と侍医の賞賛は、九十九(つくも)の方の胸にまったく響いてこなかった。ふたりが示した生まれと不妊への蔑みが、人ごとではなかったからだ。 

 帝都星神殿にて、九十九(つくも)の方は周囲の者にひどく疎まれながら育った。

 太陽神官族の血を引いている「混ざり者」。その上とっくの昔に「成人の齢」を越えているのに初潮がこないとくれば、欠陥品と蔑まれるのは当然であろう。

 永らく下女として扱われ、ついには入内する星の姫のお付きとして後宮入り。なんとも体のよい厄介払いをくらったが、後宮での評価も低かった。

 与えられた品位は最下位の采女。対して他のお付きの者たちがいただいたのは、もっと上の品位だった。この仕打ちは星神殿がわざわざ悪意たっぷりに、「金髪娘は石女です、よって侍女の仕事しかできません」とお上に申し送りしたせいである。


(血統は混じりもん。育った環境は最悪。「間違い」だらけやと思うのやけど……?)


 産めないことが、後宮ではどんなに価値のないことか。それは重々わかっていたので、役立たずはひっそり気配を殺し、目立たぬようふるまった。決して帝の目に止まることのないように。

 しかしそれで十分、幸せであったのだ。なぜなら九十九(つくも)の方の心の底には……

 

(おや。もう思い出すことはあらしまへんやろと思ってましたのに)


 とても懐かしい薄桃色の思い出は燃え上がることなく、つぼみのまま時を止めた。同じくこの体も一生、花開かず老いて死ぬのだろうと思っていたのだが――

 

(まさか後宮を下がってから、初潮がくるなんて……)


 裳着の儀を受けてからいったい何十年たったのか。黒の塔に入ってほどなくのこと、突然腹痛に見舞われた末に襦袢(じゅばん)が血に染まった。九十九(つくも)の方はただただ仰天、これは何の病であろうかとひどく青ざめたものだ。

 それは月に一度たしかに来るでもなく、忘れかけたころ、ぽつぽつ起こる程度のもの。だからまさか月のものだとは、到底思えなかったのだが……こうして孕んだということは、たしかにそれだったのだろう。


「外遊している後見人に知らせたのだが、返事が実にそっけなかった」


 侍医が退室すると、州公はいそいそと寝台に入ってきて、妻を腕の中に抱きしめた。

 

「しばし待てという短い伝信が返ってきただけで、あとはまったく、なしのつぶてだ。ずいぶん忙しいようだね」

「安定期に入るまではと、思ってはるのでは?」

「安定期?」

「はい。宿ったばかりの胎児は、自然に消えてしまうことが往々にしてあると聞きますんで……」


 すめらの後宮ではそれゆえに、妊娠五ヶ月の腹帯の儀式を過ぎるまで、懐妊が公にされることはない。文書の記録に残すことさえもしない。

 後見人は、それを考慮したのでは? 

 九十九(つくも)の方は好意的に受け取ろうとしたのだが。州公閣下は不満げに口を尖らせた。


「いや、第二妃の時は二ヶ月と少しで兆候が出て、私が伝えた直後に後見人が会見を開いた。まったく待たなかったな」

「え……二ヶ月? そんなに早く?」

「五つの州公家の妃は、それぞれの家の守護神獣の加護を受けていて、受胎すれば絶対に流産しない。そう信じられているから、我が家にはスメルニアのように母体に配慮するしきたりはないのだ。妃にとっては無体なことに思えるだろうが、心配はいらぬ。トリオン殿の公表は、無事生まれるという予見のお墨付きだからね」

「あの、それでは……もしこのまま懐妊が発表されなければ……つまりうちの子は……」


 みるみるこわばる妻の頬を、夫の暖かな手が優しく撫でた。


「後見人は近日中にきっと発表してくれるだろう。私は我が子が無事生まれると信じている」


 いや、それはどうだろうか。公表などされないのではないか。

 九十九(つくも)の方の心にこびりついている闇色のものが、ぎゅるぎゅる打ち騒いだ。


(あん人はやはり、未来を見通す力を持ってはる。うちが身ごもってたこともきっと知ってはった……なのにうちに玉砕を奨めたのは……まさか、死産を予知したから? どうせ生まれへんからと、看過したんか? 親子ともども、不幸な未来を迎えさせるなら……そう思いはったんか?!)


「すまない、不安にさせるようなことを言ってしまったな。こんなに震えて……大丈夫。大丈夫だよ」


 金の頭を撫でていた夫の手が滑り降り、絹の寝着をはだけていく。

 あらわにされた白い胸に落とされる口づけにわななきながら、九十九(つくも)の方は夫の首に腕を回した。不安と怒りの闇をこんこん、湧き水のように出しながら。

 

(うちの子が生まれへんなんて……そんなこと、決めつけられたくないわ……!)


 


 

 万雷の拍手が客席から巻き起こる。

 片足を引き、頭を垂れたクナのもとにいくつもいくつも、かぐわしいものが投げ込まれた。

 観客が舞台めがけて花束を投げたのだ。 

 そろそろと手探りして、すめらの星は贈り物をいくつか拾い上げた。


「スミコ。急いで戻りましょう」


 楽屋に戻るなり、リアン姫が手を引いてくる。うなずいたクナは急いで舞台用の巫女衣装を脱ぎ、千早を羽織り、四角い箱を片手で抱えて楽屋を出た。右にリアン姫。左にミン姫。太陽の巫女が三人並んだ後ろにぞろぞろと、護衛騎士たちがついてくる。

 彼らはまだ知らないようだ。白鷹の後見人がエルジで片手を吹き飛ばされ、今度は首を飛ばすと剣に脅されて。命からがら、クナたちから離れていったことを――


(まだ、トリオン様は彼らと連絡を取ってないのね……いいえ、取れない状態……なんだわ。いくら不死身といっても、すごく……血が出ているようだったもの)


 本日はセンタ州での公演初日。

 昨夜はほとんど眠っていないけれど、クナは集中して舞台に立った。

 エルジでなんとか白鷹の後見人を退けたのはよいものの、細工された鳥船の修理にずいぶん時間がかかり、州都に戻ってこれたのは昼の公演が始まる直前だった。

 朝の練習をすっぽかした形になったので、このところ軟化していたメノウはさすがにおかんむり。午後練習の指導では鬼神のようだった。

 熱心に祈祷したので、呼び出した精霊の神気に当てられた。それでみな気絶してしまっていた――そんな苦しい言い訳を、どこまで信じてくれたのかは分からない。しかし劇場を出る間際、クナはメノウに呼び止められた。


「アカシにこれを。神霊力の使いすぎによる疲労には、これが一番です」

「匂い袋……?」

「霊力を取り戻すのによく効く薬草です。枕元に置いてやりなさい」

「ありがとうございます!」


 そう。本日舞台に立った太陽の巫女は三人。ひとり欠けていた。

 後見人の力に潰されたアカシは今、床に伏している。

 劇場へ行かねばならない巫女たちに代わって、花売りが医者を呼ぶと請け負ってくれた。おそらく看病もしてくれているだろう。

 クナは宿舎についた馬車から矢のような勢いで降り、太陽の姫たちの誘導を頼りに、息せききってアカシが伏す部屋に駆け込んだ。


「花売りさん、お医者さまの診断は……!」

「命に別状はないそうです。今、お薬を飲んで眠っておられますよ」


 聞くと花売りの囁き声が返ってきたので、太陽の巫女たちはみなホッと安堵の息を漏らしたけれど。

 

「包帯だらけですわ……」

「あちこち、骨が折れているそうです。内臓も少々痛んでいるかもと」

「な……骨折ですって?」


 全治数ヶ月。特に今月は安静に。 

 かなりの重傷と知り、クナはたちまち顔色をなくした。

 

「あたしのせいで……」

「いいえ。女性に手をあげる人が十割悪いと思います。あなたも火傷しましたし」


 花売りの声が怒りを帯びる。


「剣の処断は妥当であったと思いますよ。あのあとまたぼけ始めて、今はブツブツろれつがまわってませんけどね」

「ほんとうに助かりました……あたしはこれから、名簿から名前を探さないといけませんが……たとえそうしても、トリオン様は……」

「あなたのことを諦めない感じですよね。でも決着をつけるのは、今回の危機を乗り越えてからです。僕も最大限、協力させてもらいますよ。お店から助っ人を呼んできます……!」


 花売りが援軍集めのために退出すると、太陽の巫女たちは眠るアカシのそばに集まった。

 クナは楽屋から抱えてきた箱をそっと開けた。

 かび臭い匂いが鼻をつく。中にあるのは、昨夜死守したものだ。

 

「トリオン様はまったく油断できませんから、こんな風に持ち歩くことにしましたけど……」

「黒ずんでページもひっついているようですし、このままでは全然読めない状態ですわねえ。ミンさま、これなんとかなりません?」

「そうですね……巫女の技で応用できそうなものを――」

「う……」

「アカシさま!?」


 アカシの口からうめき声が聞こえてきたので、クナたちは固唾を呑んでその枕元にとりついた。


「アカシさま、大丈夫ですか?!」

「はい、なんとか……あの……」


 痛みをこらえる声。痛ましく弱々しいながらもその声は、クナに希望の光を投げかけた。


「時おこしの技を使うとよろしいかと……う……」

「アカシさま!」


 導きの声はそれきり、夢の中に消え入った。太陽の巫女たちは互いの手をとり、悲しみを慰め合いながら、再び眠りに落ちた人の回復を願った。心の底より、切に。

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