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17話 寺院

 トリオンのレクルー。

 その呼び名を聞いたとたん、クナの胸がぎゅうときつく締まった。

 トリオンの。

 トリオンの。

 トリオンの――

 囁きは不思議な響きをまとい、ぐるぐる渦巻いて、何度も鋭く胸を刺してきた。とても強力なまじないの呪文か祝詞のように。

 なぜこんなに痛いのだろう? 分からない。分からない……。

 心臓を掴まれ、握り潰されたような痛みに、クナは面食らった。


「トリオン……の? それってどういう意味? トリオンは、キラキラの人? それとも、二人に分かれる前の、まだ一人だった、トリオンさま……のこと?」


 目の前の気配から、喘ぎのようなものが聞こえてくる。それは想定外と言いたげな、驚きを含んだ吐息だった。


「飛天を教えたとき、もしかしてって思ったけど……まさか君、すっかり忘れてる? 『トリオンの』が、何を意味するのか。君は昔、誰だったのか」

「だれだったのかは知っています、神帝陛下」


 訊ねる子が実は誰なのか思い出し、胸を押さえるクナは口調を硬くした。

 

「今の子として生まれる前、あたしは白の癒やし手レクリアルだった、ということは知っています。黒髪さまやキラキラのトリオンさま、大翁さまもそう仰るので」

「周りの人が? じゃあ君自身は、自覚してないの?」

「始めは信じられませんでした。でも、夢が降りてきたことが何度かあって……それでようやく……」


 知り得た記憶はまだ、ほんの少し。天の浮き島で暮らしていたころのこと、それもずいぶん断片的なものでしかない。クナは建物の扉を開けないことに焦りつつも、目の前の気配に深々と頭を下げた。


「あの、陛下、飛天を教えてくださって、ありがとうございました。ずっとあなたに、お礼を言わないとと思ってました。でもあなたが魔道帝国で、一番偉い人だったなんて……あたしは敵国の、すめらの巫女なのに。なぜですか?」

「君の生まれ故郷がどこだろうが、関係ない」


 問いの答えは、即座に返ってきた。


「俺はただ、花が咲くのを見たかっただけ。飛天を舞える人は、ほんとにこの世にひとりいるかいないかだから……こういうものは、国家のために利用したり犠牲にするべきものじゃないと思ってる。なのに……ほんとにごめん。俺のジェニが、君の命を狙った」

 

 いや。すめらを天敵とする魔道帝国の側に立ってみれば、国を護る護国卿がクナを消そうとすることは、しごく当然のことではなかろうか? 

 自分が敵国にとって一体どんな存在なのか。どんな風に思われているのか。襲撃を受けたクナは、身を以て理解させられた。


『魔女め!』


 すめらはクナを大々的に宣伝し、政治的に利用している。魔道帝国にとっては、許しがたい脅威に他ならない。

 もしクナが魔道帝国の人間だったら……何に対しても憚らぬすめらの攻勢に不安を覚え、舞姫のことをひどく憎んだかもしれない。襲撃や暗殺といった苛烈な対処は恐ろしいことこの上ないが、病気になればいいとか、怪我して舞えなくなればいいとか、普通に願ってしまいそうだ。

 そう考えると――

 目の前の人はとても不思議な人だと、クナは思った。

 大帝国の帝なのに、国益を損なうことを厭わないなんて。

 ただただ純粋に、最高の舞を見たかっただけなんて。

 たとえ少々質は落ちるとしても、自国のものを推し、愛でるのが普通ではないか? 

 なのに、国は関係ないなんて。もしかして、レンディールで戦は愚かなことだと訴えたのは、本当に本心から言ったことだったのだろうか?

 まるで何もかも超越した神のような、あの清い言葉に、クナは大いに悩まされたけれど……


「あの、もしかして何か困ってる? 俺にできることあったらなんでもするから……だからお願いだから、ジェニのこと、許して……俺のことは刺してもいいけどジェニは傷つけないで……ジェニは俺のことしか考えられないの。俺のためだけに、生まれてきた人だから」


 なんでもする? 魔道帝国の神帝が? あのこわい獅子をかばって、泣いている?

 

――『認証番号を唱えてください』


 蓄電装置が抑揚のない声で求めてくる。ひどくためらいながらも、クナは困り果てている今の現状を相手に告げた。


「あたし……どうにかして、レクリアルだった時の自分を思い出さないといけないんです。でもキラキラのトリオン様が邪魔してきたり、あたし自身もどうしていいか分からなくて……」

「キラキラ? ああ、性格悪いマクナの方か。黒き衣のトリオン様から落とされた、子どものトリオン」

「あ……はい、そうです。若い方です」

「邪魔するって、どうして?」

「それは……」


 言い淀むと、相手は無理して答えなくていいと気遣ってきた。


「あいつがやりそうなことは、大体想像がつく。本体がいなくて君がその状態なら……君が前世のことをすっかり忘れてるのをいいことに、あることないこと言ってきて、なにか要求してきてるとか。そんな感じ?」

「は、はい」

「要求は……一緒に住みたいとか? あ、もしかして、結婚してくれとか? うん、そういうこと絶対言いそうだな。それで君は、あいつが言ったことが本当かどうか確かめたくて、前世を知りたがってる。そんなところで合ってる?」

「はい。大体合ってます」


 相手の慧眼にクナは舌を巻いた。くれないの髪燃ゆる君は、黒髪様がかつて二つに分かれたことを知っているどころか、二人についてずいぶん詳しいようだ。

 

「なるほど。それで、天の浮き島の夢を降ろしたんだね」

「はい。でも建物に入れなくて……」


 おずおずそう説明すると、神帝は学者が使うような難しい言葉を並べて見解を述べてきた。

 曰く、閉じた扉は記憶を封じる蓋そのもの。クナは記憶を「深層意識(シンソーイシキ)」なるものの奥底に沈め、暗示(アンジ)を駆使して固く封印しているという。

 

「導師とか神官とか、永く修行して魂の階位を高めた人は、生前の記憶を落とさずに生まれ変わることができる。でもレクルーは、来世では過去のことを思い出したくないと思ったんだろう。とはいえ、記憶を天河に落としてすっかり消すのはためらった……かなり迷った結果、蓋をすることにした……つまり、もう二度と見たくないけど捨てるにはしのびない宝物を宝箱にしまって、鍵をかけて、その鍵は捨てちゃった……って感じかもしれない」

「記憶を残せるほど、魂を高めていたなんて。すごい……」


 クナは息を呑んだ。普通の人なら死んだら天河に呑まれて洗われて、きれいさっぱり生前の記憶を失ってしまうはず。その(ことわり)を超え、さらに自分で閉じてしまうこともできるとは、いったいどれだけの神霊力が要ることか。


「何百臘かかっても、今のあたしにはできないかも……」

「いや、今の君も相当なものだよ。あれだけの風を起こせるんだから。たしかにレクルーに比べれば、蟻と象ぐらい違うけど」


 やはり相手は、前世の自分をよく知っている――もしかしたらと、クナは期待を込めて訊いてみた。切に求めているものを。

 

「陛下、あの、あなたはもしかして、黒髪さまのお名前をご存じではありませんか?」

「黒髪……というと、マクナじゃない方だよね。本体の方?」

「はい。キラキラの人を生み出した方の名前です。あたし、その名前を思い出したいんです」


 クナはぐっと握った拳で胸を押さえ、身を乗り出した。しかし我が身にふりかかってきたのは、なんとも重苦しいため息だった。


「トリオン様の『まことの名』を知ってたら、俺の頬に傷なんてついてないよ、レクルー。それを知ることは、その人の命を握るのと同じ。名を以て命じれば、その人をいかようにもできるんだから」


 黒髪様はこの帝が白いあの子を殺したと仰り、深く恨んでいたけれど、相手からは、そんな結果に至ってしまうような昏い感情は、一切感じられなかった。くれないの髪燃ゆる君が放ってくる雰囲気は、あたかも友人のごとし。まるで幼いころから仲良く遊んできた、気の置けない仲間のようだった。


「『まことの名』は、それほど大事なもの。誰からも秘するものだよ、トリオンのレクルー」





 この大陸中、どこの国の人でもそうだろう? と、くれないの髪燃ゆる君は半ば問いの口調で断じた。


「『まことの名』は、成人するときに名付け親からもらうものだ。一番原始的で一番強力なまじないを発動させるもの。その人そのものを体現するゆえ、名前を得た者は、その人を完全に支配できる……」

  

 クナはしばし考え、いわれてみればそうだと、こくりとうなずいた。

 百(ろう)さまは(イェン)家の(レイ)姫という名をお持ちだが、袁と雷の間にはさらに、裳着の儀を受けたときに神官からいただいた名があると仰っていた。九十九(つくも)の方も、すでに裳着を済ませているアカシやリアン姫も、同じくである。しかし彼女たちがもらったというその名を、クナは知らない。みなそれぞれ、胸の内に秘めている。

 クナの村でも、成人したときに大人の名前を神官さまからいただくけれど、その名はだれにも、家族にさえも明かしてはならないとされている。

 教え合っていいのは、夫婦だけ。ゆえに両親や祖父、神殿におこもりした兄や姉がどんな名前をもらったのか、クナはこれもまったく知らぬまま育った。「大人の名前」が名付け親と伴侶以外の人に明かされるのは、本人が死んだあと。棺に入れられ、葬られるときだけだ。


(でも母さんが弔われたときは……神官さまは、母さんの『大人の名前』を唱えなかったわ。父さんがなんか、もごもご言ってただけだった。天照(あめて)らしさまにも名を知られんもん、アイテなんとかって、一度だけ……あれはきっと、母さんは外から来て、村の神官さまから名前をもらわなかったからなのね)


 そしてクナ自身も、名前をいただいた。

 黒髪さまから、だれにも漏らしてはならぬと、なんとも美しい名前を贈られた……


「『大人の名前』は、だれにも知られてはいけない……名付け親の他に、知っていいのは伴侶だけ。大陸中、どこでもそうなのだとしたら、黒き衣のトリオンさまの名前を知っているのは、つまり……伴侶だった、レクリアルだけ?」

「うん。普通はそうなんだけどね。でも、黒の導師の場合はかなり特殊だ。導師もその弟子も、『まことの名前』を持ってない」

「えっ?!」

「黒の導師もその弟子も、この世に生きる者ではない。死人と同じとされている。だから成人しても、だれからも名前はもらえない。黒の師弟を支配できるのはただひとつ。魂に刻む呪いの刻印だけだ」

 

 刻印と囁いたその声がほんのり陰る。しかし驚くべきことを聞いたクナには、そのかすかな声の変化を気にとめる余裕はなかった。

 

「じ、じゃあ、黒髪さまに名前は……」

「うん。生きている人間としての名前はないよ」


 うろたえるクナの手を、くれないの髪燃ゆる君はそっと握ってきて。建物の表側へといざない、固く閉じている扉をひたひた触って確かめた。

 

「すごく固い封印だね。ごり押しでは壊せそうにないよ」

「……名前がないなんて、そんな……」

「ああ、そんなにがっかりしないで。仕方ないよ、岩窟の寺院はほんとに特殊なところだったから」

「寺院?」

「うん。黒の導師は災厄以前は、みな北の果ての岩窟の寺院に住まっていた。そこから出ることはなく、諸国の後見は、水晶玉の伝信による遠隔で行ってたんだよ。魔力のある子が寺院に送られて永らく修行して導師になるわけだけど、導師見習いは、寺院に入ったその日に蒼き衣を授けられる。それから、親からもらった幼名を半分だけ取られるんだ」


 くれないの髪燃ゆる君は、どんと一回、閉じた扉を激しく叩いた。それから摩訶不思議な言葉――韻律を唱えて、バチバチ音たてるものを投げつけた。どうにか傷をつけようとしたらしい。しかし扉は強固で、びくともしなかった。


「たとえば、スタニスエルクはエルクとか。レイストバルはレイスとか。ジェリドヤードはジェリとか。メルサリスはサリスとか。レクリアルは、レクルーとかね」

「えっ……じゃあ、レクリアルは……」

「うん。君は岩窟の寺院の導師見習いだった。かつては、トリオン様もそうだった。蒼き衣の弟子だったときは、ディクナトールのレナンと呼ばれてた」

「レナン……黒髪さまの幼名は、レナン……」

 

 くれないの髪燃ゆる君の話はまるで、そこへ行って見てきたかのようだった。

 魔力の高そうなこの人も、もしかしたらかつて、その岩窟の寺院にいたのだろうか?

 たしか寺院を滅ぼしたのはこの帝だと、キラキラの方のトリオンが言っていたけれど……


「君が知りたがってる名前は、たぶんその名前でいいと思う。半分しか分からなくて申し訳ないけど」

「幼名で……いい?」

「ディクナトール様は常々、周りにこう愚痴ってたから……」


『わしのレナンは、寺院へ来る前に自分で成人式をしちまった。自分で自分に名前をつけちまったせいで、全っ然、子どもらしくない! ませすぎててたまらんわ!』


「自分で自分に、名前を?」

「トリオン様は街角に捨てられてた孤児だったから、誰からも名前をもらえなかった……だからひどくやさぐれて、自分を名付け親にして自分で名前をつけたんだって……俺のお師さまが仰ってた」

「陛下のお師さま? それはもしかして……トリオン様と同じ、黒き衣の導師さまですか?」 

「うん……」

「ということは陛下も、かつてその寺院で修行を?」

「君と同じく今の人生ではないけれど、その記憶がある。俺は導師にならないうちに死んじゃったけどね。お師さまも、弟弟子たちも、あの寺院では生き残れなかった」

 

 クナが察した通り、神帝も寺院に深く関わっているどころではないらしい。

 暗く沈んだ声。生き残れなかったという、不穏な言葉。

 この人にとって寺院での過去は、たぶんとても悲しいものだったのだろう。根掘り葉掘り聞いてはいけない空気をクナは敏感に感じ取り、おのれのことに集中した。


「あの……『ディクナトールの』っていうのは、『ディクナトールの弟子』っていうことを意味するんですね? じゃあトリオンのレクルーは……レクリアルは、トリオン様の弟子だったってことですか?」

「うん。レクルーはもともとは最長老の弟子だったけど、あるとき期間限定でトリオン様の子になったんだ。それで運命が結びついて、寺院から追い出されたトリオン様を追いかけていくほどの、深い縁になったんだよ」

「追いかけた……」

「死んだトリオン様を蘇らせて龍蝶の魔人にしたぐらいだから、その想いは相当なものだったろうね。レクルーとトリオン様は永らく旅したあと、あの浮き島を見つけて身を落ち着けたけど……俺が今生で会った島住まいのレクルーは……子どもが産めないことを……すごく気にしてた」

「それは……」

「えっと、それはたぶん……その……」


 声を沈ませてもつかえることなく喋っていた相手は、初めて言葉を詰まらせた。


「寺院にいたころより背が縮んでたから……たぶん……」


 ああ、とクナは相手の言わんとすることを解した。


「レクリアルは、羽化に、失敗した……?」


 肯定の言葉はなかったが、言うのをためらう気配が答えを提示していた。

 だれかに糸を狙われたのか。不慮の事故か。おそらくレクリアルは、妹のシガのように危ない状況になって、不幸な結果を迎えたのだろう。かろうじて命を取り留めた、そんな状態だったのかもしれない。


「あたし……トリオンさまとの子どもをほしがってた?」

「そうみたいだね。でもトリオン様の方は、そのことには全然興味ないっていうか……羽化したあと特殊な力を得たレクルーを女神に祀り上げて、大教団を組織して、神地を増やすことに傾注してた。だからレクルーは、伴侶のことをとても心配してて――」


 突然、うおんうおんとけたたましい音が鳴り出して、くれないの髪燃ゆる君の言葉がかき消された。

 音は建物の屋根のあたりから聞こえてくる。いや、もっとはるか上から、恐ろしい速さで落ちてきた。

 

「う? なんだあれ! 降りろ音の神!」


 神帝はすぐさま韻律を唱えた。その言葉が黒髪様がかつて唱えたものと同じだったので、クナはこれがまさしく、寺院で会得した黒き技なのだと理解した。

 とたんにガチガチ、クナのそばで固い壁のようなものが何かを防いでいる音が響く。


「陛下?!」

「大丈夫、君のことは狙ってない。俺だけ集中攻撃だよ。あいつが来た」

「あいつ?」

「キラキラで性格悪い方。俺と同じ技を使って、君の夢の中に……」

――「去ね! 獅子の子! その子に近づくな!」


 澄んだ声が、頭上から降ってきた。大好きな人と同じその声はとても冷たく、研ぎ澄まされた槍のよう。明らかに、殺気を帯びていた。

 またガチガチ、何かを固い物でしのぐ、すさまじい音がする。

 頭上に来た人は一体何を神帝に浴びせているのか。顔を上に向けたクナは、思わず短い悲鳴をあげ、両手で目を覆った。見えないはずの眼が、あまりの眩しさに焼かれたからだった。


「なんて光……!」

「ごめんレクルー、俺はこれで退散した方がよさそうだ。あいつ、鬼神のようになってるから――う!」

「陛下!?」

「ほんとごめんね……ジェニが巧みに隠してるけど、俺、トリオン様の居場所を、なんとかして探しだすから……」 

「こそこそ何を話している?! またよからぬ相談を持ちかけているのか? 災厄のときのようにまた私をだまして、その子を連れていこうというのか?! 私の妻を!」 


 怒りを帯びた美声が、降り注ぐものに焼かれてひび割れる。きりりと鋭さを増した神帝の声が、その割れ鐘のような音をはじいた。

 

「黙れ! レクルーはおまえの妻じゃない! 普通の高等学園卒業のくせに、本物のトリオン様(ヅラ)するな!」

「普通のだと? 獅子の子よ、導師になれなかったあなたに、我が師を侮辱する資格はない!」

「確かに黒き衣とトリオンの名は同じだけど、夢見のソムニウス様がおまえに与えた称号は、導師じゃなくて法師だろ、ソムニウスのマクナ! 身分詐称するな! 魔力だって、本体の半分もないくせに!」 

「く……!」


 空中でばりばりと、何かが衝突した。上から来るものと下から昇ったもの。それはどちらもまばゆくて、クナは両手で目を覆ったまま、その場にしゃがみ込んだ。

 

「や……やめて!」 

 

 ごうと爆音が響いた刹那、しんとあたりは静まりかえった。少年の気配が消えると同時に、白鷹の後見人の気配も退いたらしい。

 それにしても、なんとおそるべき感知能力だろうか。神帝の力も驚くべきものだが、後見人の魔力も実に恐ろしい。妨害の電波がなくなったことを察知したのだろうが、こんなにやすやすと夢の中に入ってくるなんて……


「これで魔力が、黒髪さまの半分しかない? 本当に?」


 キラキラ光る人は一瞬にして、パーヴェル卿を打ち負かした。クナを襲った者たちも、あっという間に焼き尽くしたのに。 


「これで半分? それじゃ黒髪さまは……本当の黒き衣の導師さまは、一体どれだけの力をお持ちなの?」

 

 耳を澄まし、真実だれの気配もななくなったことを慎重に確かめながら、クナはおそるおそる、扉の前に近づいた。


「あたしも寺院にいて……そうして、黒の技でこの扉を閉じた……? 信じられない……」


 固い扉はどうやっても開きそうにない。

 蓄電機に力を与える鍵を、クナは自分で捨ててしまった――神帝はそう言っていた。

 すなわちここはもう、永遠に閉じられたまま。開けることはできないのだろうか? 

 今まで降りてきた過去の夢は、忘れたいとは思わなかったもので、宝箱にはしまわなかったものなのだろうか? 

 でも――くれないの髪燃ゆる君のおかげで、黒髪様の名前の半分を知ることができた。

 

「レナン。レナン……レナ……」

 

 口に出してみると、その名前はとても懐かしい感じがして。目の端がじわりと熱くなった。


「レナ……」


 たぶんレクリアルは何度もその名を呼んだのだろう。数え切れないほどたくさん。

 糸巻きにこめたあの祈りのように、深い愛を込めて呼んだのだろう……。


「レナ……」


 じわじわ湿る眼を拭いながら、クナは何度も何度も、愛しい人の名前を囁いた。

 それがこの扉を開く鍵であったらよいのにと、叶わぬ望みを抱きながら。


「レナ……あたし、見つけます。あなたの名前を絶対……見つけます……」


 

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