16話 聖母子
剣の言祝ぎは、それからしばらく続いていた。
るるるる、ららら。あにそというものから、おぺらというものまで。
りどるりどる、らららら。剣は実に楽しげに歌っていた。
それがあまりに騒がしかったので、クナは思わず耳を両手で塞いでしまった。けれどもその「音」は、頭の中に直接響いてくる。まったく音量が下がらなくて、こめかみがきりきり、痛いことといったらなかった。
「よかったですわね、ホン姫が救出されて!」
私たちはがんばった、役に立った。がちゃつく念話に耐えるクナを、リアン姫は満足げに抱きしめてはしゃいだ。それとは対照的に、学者肌のミン姫はしごく冷静。淡々と現実的な考察を述べたてた。
「ホン姫は大使館にて、スミコさまのように事情聴取を受けるでしょう。怪我などしていれば舞うどころではありませんし、すぐに帰団とはいかないでしょうね。この機会に、スミコさまの完全復帰が叶うかと思います」
「月の姫には悪いですが、そうなってくれると嬉しいですね。やはり本物の飛天は違います。高さも回転数も月とすっぽんですよ」
アカシがしみじみ褒めるので、クナはほんのり頬を染めた。
太陽の巫女たちは自分を高く買ってくれている。なんと光栄で嬉しいことか。しかしクナの躍進は、メノウの娘を退けてしまうことになる。そこがなんとも悩ましいところだ。
(ホン姫はメノウさまの娘だと、みんなに知らせるべき? ……いいえ、だめ。これは、口を閉ざしておくべきこと……よね?)
ここにいる太陽の巫女たちは、クナにとって自分の家族のように大事な存在である。正直、どんな隠し事もしたくない。しかし今までの舞踊団の様子をかんがみるに、クナが知った事実はたぶん、月の巫女たちでさえも知らぬこと。メノウが慎重を重ね、ずっと伏せてきたことにちがいなかった。
(メノウさまは、帝都月神殿で永らく、月の姫たちに舞を指導してきた方だもの)
神殿にずっと籍を置いていれば、その身が母となることはありえない。かつてどこかへ嫁いで、夫と死別したとか離縁されたとか、それで娘と一緒に出戻ってきたとか。メノウ母子にはおそらく、なにがしかの事情があるのだろう。
我欲の強い人ならば、赤裸々に我が子のことを明かし、上位の巫女の特権を駆使し、公然と身内に恩恵を与えることをはばからないだろうが……メノウはそこまで厚顔な人ではない。ホン姫を花音が舞える巫女にちゃんと育て上げているし、弟子であるマカリ姫の腕前をかんがみれば、その指導は、おのが娘のみに傾注されているものではないと断言できる。
(メノウさまはとても真面目な先生だわ。星役も端役も分け隔てなくがんがん叱り飛ばしてるし、すめらの星には、マカリ姫さまこそふさわしいと前につぶやいていらしたもの。自分の娘のホン姫じゃなくて……)
実の娘だから身びいきした、星に抜擢したと、後ろ指をさされたり陰口を叩かれたりすることは、仕事に真摯なメノウにとって、耐えがたいことではなかろうか? 母子関係を秘しているのは、単に事情を人に言いがたいだけでなく、親の七光りだとみなされたくないという、誇り高い思いがあるのかもしれない。
もし今ここで、クナが真実をばらしてしまったら――
メノウは完全に、太陽の巫女たちと決裂してしまうだろう。リアン姫たちに口止めしたとて、そんな状態となれば、周囲は必ずその理由を勘ぐってくる。遅かれ早かれ真実が明るみにされ、メノウは月の巫女たちの信頼も、すっかり失ってしまうにちがいない。
(それはだめ。波風を立てるのはだめよ。ぎくしゃくしているところで、良い風は生まれないわ)
舞台の上を流れる風は、巫女たちの集中力のたまもの。一糸乱れぬ動きは、ほんの少しの動揺でいとも簡単に崩れ去る。飛天をうまく飛べなくなった経験をもつクナは、身をもってそれを知っている。
心が迷ったら体も迷う。信頼が揺らいだら、きっと体も揺らぐ。
舞踊団の舞は、とても人には見せられない、醜いものになってしまうだろう。
(だめ。そうなるのはだめ! だから、だまっていなくちゃ……!)
そう結論づけて、クナは口を真一文字に引き結びながらごそごそ、寝台へと我が身を移した。
「あらスミコ、何を慌ててますの?」
「も、もう寝ないと。一件落着してよかったですけど、もうだいぶ遅いですから」
「あらそうですわね。夜更かししたら、明日は腑ぬけた舞になってしまいますわね。でも、あなた眠れますの? 耳を塞いでるっていうことは、念話がうるさいのでしょ?」
「あ……少し、収まってきたような」
耳を澄ましたクナは、頭の中で響く歌声が、ぐっと弱まってきたのに気づいた。
剣はさすがに疲れて、声を落としたのだろうか? いや、決してそうではなかろう。耳から手を離したクナは、ハッと大事なことを思い出した。
『騎士様がアンテナになっておりますよ、我が主』
五人居る白鷹の護衛騎士。一人抜けたら、クナを妨害しているものがみごとに、用を成さなくなった。いまこのとき、再び剣の声が遠くなったということは、その妨害電波なるものがまた、復活しかけているのかもしれない。
(騎士さまが、この宿舎に戻りかけてる?! 待って。お願い待って!)
クナは慌てて剣に呼びかけた。
(お願い剣さん、今夜は宿舎に帰らないで! 騎士さまを引きとめて!)
こちらからの呼び声も、聞こえてくるものと同じ。剣には聞こえにくくなっているはずだ。
クナは一所懸命何度も、強く念じた。どうか花売りが騎士を止めて、朝までどこかで時間をつぶしてくれるように。上機嫌に歌っている剣が気づいてくれるよう、必死に呼びかけた。
(剣さん、あたしの声を聴いて! あたし、夢を降ろさなくちゃいけないの――!)
窓を開けると、北の街の夜景が眼に入ってきた。緑や青の常夜灯がきらきら、通りに建ち並ぶ三角屋根の家々や、すっかり葉の落ちた並木をかたどっている。ちいさな灯り球を数え切れないほどたくさん、長い紐でつなげているのだろう。
街の建物のほとんどは、四、五階建ての高さに統一されている。天つくような高層の建物は州公の城の両脇に固まっていて、まるで光の列柱のよう。窓という窓に灯り球が下がっていて、なんともまぶしい。おかげで夜空の星が、まったく見えない。
「あ。月夜のせいってのもあるのかな」
空には丸い銀の月。しろがねの光に照らされた赤い髪をさらりとかいて、少年は冷たい夜風で頬を冷やした。吐き出した息は真っ白で、少々お酒くさい。
『すめらの者を救っていただき、感謝いたす。テシュ・ブランどの』
とらわれの娘を助けて大使館に届けたら、感謝の言葉とともに、すめらの大使から一献すすめられた。助けた娘は母とおぼしき女性に手を引かれ、大使館の奥間に姿を消した。本来ならば酌などさせねばならないところですがと、大使が申し訳なさそうに言ったので、少年はとんでもないと首を横に振った。
まさか、恐ろしい目にあったばかりの娘にそんなことはさせられない。
助けたとき、娘は男たちに四肢を押さえつけられていた。服は無残にズタズタ。巨人かとみまがう漢が覆い被さっていた。破瓜はなんとか阻止できたけれど……
「全身に切り傷……命に別状はないけど、頬の傷は一生残るだろうな。ちくしょう……女の子なのに」
二杯目の杯を断ると、大使はどうぞ一夜をここでと、客室をあてがってくれた。
「タイヤヒラメノマイオドリ、だっけ? あれ? シュチニクリン? なんていうんだっけ、こういうときのすめらの『お返し』って、女性を丸一日あてがわれるって聞いたけどほんとかな? まあ、大使とはまたとっくり、話ができるだろうけど」
ともあれ、明日はじっくり丸一日かけて、存分にもてなされるのだろう。なごやかなる歓談は、もしかしたら商談になるかもしれない。
少年の商会はいまだかつて、すめらの国とは取引をしたことがない。だが個人的な売買は幾例か、こなしたことがある。主に葡萄酒を取り扱っていると言ったら、大使はぜひ個人輸入をしたいと言ってくれた。かの国では米から作る酒が主流で、いわゆる西方酒と呼ばれるものは、帝都や州都といった大都市でなければ手に入らない。
『ご存じの通り、すめらは輸入品の規制が厳しいですからね。厳正な審査のうえ、元老院の承認を受けなければ輸入できませんし、許可が下りても、関税率のばかげていることといったら』
『葡萄でつくるお酒は、すめらにもありますよね。あらゆるものが国内百州で作られるので、何の不足もない』
『ええ、あえてわざわざ、異国のものを求める必要はない。すめらは万能。そんな認識がまかり通っておりますよ。とくに、太陽神殿の者たちの間ではね』
ですが私は違います、国際人ですからと、月光を表す白い衣をまとう大使は微笑んでいたものだ。
『外交を司る月神殿は、常に異国との融和を第一に考えております。すめらはもっと他国と交わるべきでしょう。ああ、トバテのドマネ・コンティの六十一年ものを、ぜひ私も手に入れたいですね。州公閣下のところで何回か味わう幸運を得ましたが。すめらの葡萄酒であれだけのコクを持つものは、なかなかありません』
『お任せください。トバテが僕の商会の本拠地ですから。あそこの物はとくになんでも、そろえられますよ』
ああいっそのこと。緑に輝く葡萄酒も売ってしまおうか。それであの金色の猫が困るといい。
赤毛の少年は白くて長いため息をついた。不安げに広くてがらんとした客室を見渡す。自分以外、誰もいない。いつもならば足にまとわりついてくる、金色の猫の姿はどこにもない……。
この州都のどこかにいる気配は感じるが、場所が特定できない。都に入った時にはそばにいたけれど、言い争いをして別れてから、すっかり姿をくらましている。
「ジェニのばか! ううん……きっとこれは、俺のせい……だよね……」
すめらの軍から姫将軍がいなくなったので、あとは大丈夫。そう判じて、赤毛の子は軍団の采配を魔道将軍たちに任せてきた。これでやっと、すめらの星のおっかけを再開できる。そう思ってうきうきしていたのに。
『もう十分に飛天を観ただろう!!』
金色の猫はおかんむり。州都の飛行場に降り立つなり、ごうごう吠え猛った。
『いいかげんにしろ! 舞姫アンブラの技を再現できるといっても、所詮は複製。本物とは違う!』
『うん、違うよ。もしかしたら本物を越えるかも。だから、それを見届けたくて――』
『越えるものか! おまえの母が、この世で一番の舞い手だ。今までも、そしてこれからもな!!』
金色の猫は、目をらんらんと輝かせてひどく怒っていた。
『だが恥知らずにも、スメルニアが世を歪めようとしている。すめらの星を祀り上げ、太陽を生んだ女神の権威を貶めようとしているのだ』
『いやそれは……舞姫アンブラは、公には未婚の人ってことになってるんだよ? 俺の母さまだってことは秘されてる。スメルニアはそこまで把握してないだろうし、そんなこと狙ってないと思――』
『黙れ! 先方が知っていようがいまいが、結果は同じことだ! すめらの星が「アンブラを越えし舞姫」と呼ばれるたび、我が帝国の「神帝の母」、大神殿に祀られし女神の座が穢されるのだ。忌々しい言霊の力で! そんなことは、絶対にさせぬ!』
『ジェニ、あのさ……スミコちゃんに飛天教えたの、俺なの……だからスミコちゃんの飛天はほんとに本物だし、まずまちがいなく母さまを越える舞い手になる素質が……だから穢すもなにも……ああごめん! 固まらないで。だって俺、母さまの飛天、観たかったんだ。もう一度また、観たかったんだ……』
大方そんなことだろうと思っていたと、猫はぐるると唸り、桜色の瞳をごうと燃え上がらせた。
『馬鹿者が! 自分で舞えばいいだろうに! 女装でもして幻像に撮って、あとで俺の腹に寝転がりながら、自画自賛の上映会をすれば済む話だ!』
『あのそれ、さすがに恥ずかしいっていうか……ねえジェニ、俺の年齢、一体いくつだと思ってるの? こんな姿だけど、ほんとはすっごくお爺ちゃんなんだよ? 最近はもう、すぐ眠くなって動けなくなるんだからさ……俺自身はもう、飛天は舞えない。せいぜい誰かに、型を教えてあげることしかできないの……』
赤毛の子は、うっと怯んだ猫に語った。だからあの技を舞えそうな娘を、ずっと探していたのだと。毎年レンディールの舞踊祭に出かけて、たくさんの舞姫たちを観て、そのたび意気消沈していたけれど。やっとついに、噴水落ちる広場で見つけたのだと。
軽やかに風を起こしている娘。地にほとんど足をつけないで踊っている天女を。
『ねえジェニ、母さまのことは心配しなくて大丈夫だよ。今度の戦がお開きになったら、俺、スメルニアの皇帝に正式に申し入れるから。うちとスメルニアの「友好の架け橋」として、すめらの星をお妃にくださいって。スミコちゃんがうちの後宮にきてくれたら、すめらの星は魔道帝国の星になる。うちで好きなように過ごしてもらって、寿命がきた後には母さまと合祀すればいい。そうすれば母さまの神基は落ちるどころか倍増する。ね? これで万事解決でしょ?』
『き さ き だと……?』
『あ、えと、その、もちろん、名目上だけね? 俺は、スミコちゃんの飛天を観るだけで幸せだから。恋愛感情とかそういうのは全然ないよ。あの子に対してあるのは、今も昔も、深い感謝の念だけで――』
『あの娘の飛天を観るだけで、なんだと?』
『え。あ。えっと、その。あの。しあわ……せ……』
金色の猫が吠えた。ひどく悲壮な声で長々と、まるで天が裂けてしまったかのような轟音を放った。
そうして猫は叫んだのだ。恐ろしい言葉を。
『もう遅い!! すめらの星は死ぬ!!』
言い放つや猫は消えた。じゅんと目の前から煙のように蒸発してしまった。
「死ぬ」の意味をたちどころに察した赤毛の子は、青ざめながらも迷わず、信者の屋敷に「物見の精霊」を飛ばした。
金色の猫が作った「神帝を奉じる教団」の信者は、魔道帝国の属国だけでなく、大陸中にいる。ぽつぽつ魔道帝国派の貴族が入信していて、猫の手足となっているのだ。とくに信者が貴族である場合、猫は必ず入信の儀式と称して赤毛の子に引き合わせるから、赤毛のこは、この州都にいる有力な信者の顔と屋敷の場所を大体覚えていた。だから娘が囚われているところを割り出すのは、そんなに難しくなかったのだが……
「スミコちゃん、すでに襲われてたとか……なんだよそれ……」
救った娘が泣きながら教えてくれた。自分は身代わり。本物はつい最近まで、白鷹の城に保護されていたと。
「あの性格悪いトリオンがかくまってたなら、俺もジェニも把握できなかったっていうのは納得だけど……どうやって償う? どうしたらいい? お妃になってくださいなんて、もう頼めないよ……ジェニのバカ……!」
窓枠を背にしてうつむく赤毛の子から、ほとりとひと粒しずくが落ちた。
かっと燃えるように美しい、桜色の瞳から。
「バカ……バカ……大嫌い……!!」
鼻先にりんごの匂いが流れてくる。
たぶんここは天の浮島だと、クナは胸を躍らせた。体はなんだかふわふわ、浮いているように軽い。
地面についている感覚がないのは、ここが夢であるせいだろうか。
ああ、この甘酸っぱい香りは大好きだ。金のりんごのみずみずしさを思い出す――
どんどん剣の声が遠のいていったので、いっときはもうだめかと思ったのだが。クナの訴えは、すんでのところで届いたのだった。
『了解です、我が主。ああでも、昔のことなんて、思い出さない方がよろしいのに』
しぶる剣から花売りに説明がなされた結果、クナの脳内はまた、りんりん・ららら。にぎやかな調べの渦に投げ込まれた。花売りは騎士をうまく言いくるめて、どこかへ連れていってくれたらしい。
おそらく酒場かどこか、ひと晩を楽しく過ごせるところへ、二人で入ったのだろう。
歌がうるさいから静かにしてくれと願うと、なんとすぐに、穏やかな子守歌が流れてきた。本当にこれはものを斬る道具なのだろうか? 姿かたちがあれでなければ、完全に蓄音機ではないか?
首を傾げるクナは、やわらかな音の波に揺られて、ついにまどろみの中にたゆたうことができたのだった。
(風が吹いてる。木がさわさわ鳴ってるわ。滝の音も聞こえる……!)
間違いない。ここはあの浮島だ。黒神さまと白いあの子がかつて住んでいた島。
これが今でも未来でもなく、どうか過去の夢でありますように――
そう願いながら、クナは木立の中へとそろそろ、手探りで進んだ。
黒髪さまと過ごしたあの島ならば、どこに何があるか、すっかり覚えている。りんごの木が並んでいるところから二十歩歩けば、滝の落ちる泉。そこから水が落ちる音を頼りに泉の縁を回って、四角い堰のあるところを背にして、十数歩行けば……
(建物。たくさんのがらくたがつまってる、ふしぎなところ。黒髪さまと、あの子の家)
たしか入り口には、戸口の枠についているボタンを押せば開く扉で閉ざされているはずだが。
(あった……! 扉だわ。ええとボタンは右側の……)
クナは大きな円形のボタンをそっと押した。しかし扉はうんともすんともしない。
ボタンはこのひとつで、開いたり閉まったりするものだ。およそ間違いようのないものなのだが……
(開かないわ。どうして?)
実際に島にいたときは、こんなことはなかった。建物の力はまだ生きていて、黒髪さまはただただ、そこかしこのボタンやスイッチや紐をひっぱっては、扉や窓を開閉したり、記録箱をいじったり。灯りや水や、温風のでる箱を目覚めさせたりしていた。
『通電機能がまだ健在で助かる。建物の中はぽかぽかだろう? 発電機がそこに――』
(はつでんき。そういえばそんなものが建物の裏についてるとか、おっしゃってたわ。力がたりないなら、そこをどうにかいじればいい?)
クナはそろろと建物の壁を伝って裏側に出た。ここには小さな泉がある。だから気をつけてすすまないと、足を濡らしてしまう……
求めるものはとてもなめらかで、大きな筒のようなものだった。どこをどうすれば力を出してくれるのかわからなくて、クナは途方にくれた。どこに触れてもつるつるで、取っ手のようなものはなさそうだ。ぺたぺた叩くとぶるると筒が震えたので、さらに叩いてみると、ぶるるるがひどく長引いて聞こえた。もしやと思ってばしり。力をこめて叩けば――
『充電を開始します』
筒の中から声がした。
『認証番号を唱えてください』
唱える? まさか何かの呪文が要るというのか。番号ということは、数を言えばいい? でも、どんな数? 壱とか弐とか、そんな単純なものではないだろう。
(わからないわ。どうしよう……筒に力を与える数ってなに? 数って、どんな数? 黒髪さまも白いレクリアルも、きっと知ってるんだろうけど……あたしには思い出せない……)
いよいよ行き詰まったかと思ったそのとき。背後でみしりと、足音がした。
この島にいる人。ということは――
「黒髪さま?!」
みしり、みしり。いやこれは、クナの知っている足音とは違う。柱国将軍として軍靴を履いている黒髪さまのものでも、かつて杖持つ人だった黒髪さまのものでもない。とすると、きらきら光る子、マクナタラのもの?
いや。
夢で聴いたあの子の足音はもっと軽かった。ぴょんぴょん飛び跳ねるウサギのようで、これよりもっと元気な音のはず。
じゃあこの足音は、一体誰の?
「あの……」
足音がすぐ後ろで止まなり、おずおずと流れてきたその声は。
「ごめん……どうしていいかわからなくて……申し訳なくて、その……」
たしかレンディールで聞いたことのあるものだったけれど、なぜかひどく湿っていた。
「君は宿舎にいるって、ホンっていう子が教えてくれた。だから……」
「あなたは……!」
「だから、魂飛ばして、来ちゃった……」
「え?」
「正確には、夢の中に入りこむ夢送りの一種なんだけど……どうしても、謝りたくて。でも直接会うのはおこがましいっていうか……いやこうして会う資格だって、ほんとはないんだけど。気づいたら来ちゃってた……ごめん……」
クナの肩に、泣いているその子の手が触れた。それはとても熱くて、まるで燃えているかのよう。思わず身をすくめると、熱い手は慌てて離れていって。今にも消え入りそうな囁きが降ってきた。
「ごめんね……トリオンのレクルー……どうか許して……」