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14話 還る星

 焦っているときほど、事はうまくいかぬものだ。

 その晩クナは巫女の力をありったけ出して、真剣に祈った。しかし残念なことに、望んだ夢は降りてこなかった。

 ずいぶん集中したのだが、白鷹の宮廷で日々やっていたのは糸紡ぎ。体が鈍らないようにと寝室でやっていた舞の練習は、最低限のもの。巫女の修行としてはまったく不十分だったから、体内にある神霊玉が反応する感覚がまったくなかった。

 

 自分で引き寄せることが叶わなければ、幸運に頼るしかないけれど、これまでもたびたび記憶の夢は降りてきている。いったいどうやったら、記憶を呼び出せるのだろう? 


(なにか鍵のようなものがあるのかしら? ああ、あたしの頭の中に、扉とか蓋とか、そんなわかりやすいものがあればいいのに)


 最近とくに記憶がちらちらしていたのは、もしかして襲撃された影響であろうか? 頭を殴られた衝撃で、おのれの脳内にある扉か蓋かがひしゃげて、中のものが漏れてきていたのかもしれぬ。

 ということは……

 

(頭、どこかにぶつけたらいいかしら?)


 そう思ったクナは朝起きるなり祝詞を唱え、丸一日断食修行をしたのち、思い切ってべしべし。自分の頭をいやというほどひっぱたいてから、寝床に入った。

 しかしその晩の夢にも、「昔」の記憶はついぞ現れなかった。


(どうしたら思い出せるの?!)


 もどかしくも、空行く船の中で聴いた夢は、とても奇妙なものだった。

 焦りの念がでたのか、なけなしの神霊力が変な方向に向いたのか。実のところ、夢ではなかったのか。がちゃがちゃびんびん、変な音楽がずっと夢の中で鳴り響いていた。


 ♪ きらりとひかーる白刃の~

 

 それは誰かの歌声で。


 ♪ 我が身横たえ守りますぅ~


 すめら語なのか共通語なのかよく分からない、とても勇ましくて変なものだった。


 ♪たとーえ火の中水の中ぁー

 あなたのためならおっそれずにぃ

 ついーていきます、どぉーこま・でぇ・も~


 ♪あーあーあ・あ・あ~

 最強ぉーの、名のもっとにぃぃいい~

 守護ぉのやいーば捧げますぅ

 えくーぅす・かっりばー!


「えくす・かりばー? あのすみません、歌っているあなたは、だれですか?」


 夢の中でクナは手探りした。

 歌声はすぐ真ん前から流れてきているような気がして、しきりに前方を調べた。

 手に当たったのは、ひんやりとした金属の感触だった。


「ああ……あなたは」


 花売りの剣の柄。その精巧なる彫り物の形が、クナの頭に伝わってきた。

 左右に広がるのは翼のようなもの。首の長いとげとげの生き物――おそらく竜がかたどられているその頭のところに、つるりとした石がはまっている。柄の先にはさらに大きい石がはまっていた。どちらもきっと宝石に違いない。


「しゃべる剣さん、どうして歌ってるんですか?」

『あらこんばんは、我が主。英国紳士は、自分の主題歌(てーまそんぐ)とともに舞台に登場するのです』


 主人と呼ばれたクナは、花売りの言葉を思い出した。

 この剣が彼の家に来る前は、いったい誰のものだったのかを。

 

(これは、レクリアルの剣……剣もあたしがだれ(・・)だったのか、知ってるってこと? でもこの剣はもうだいぶ前に、レクリアルの手から離れてるのに。どうしてご主人さまって呼ぶのかしら)


 「もと我が主」なら分かるのだが、今のはまるで、いまだれっきとした所有者のような呼ばわり方だ。


『ふふふ、素敵な歌でございましょう? 作詞・万丈空也(バンジョー・クーヤ)、作曲・ドクター・リシャル・ローゼンフェルド、青の三の星の西暦二十世紀カートゥーン風主題歌でございまして、曲名は『たたかえ聖剣! 燃えよ刃!』でございます。十一代目(クーヤ)十代目(リシャル)も、カートゥーン(あにめ)が大変好きでしてね、私にこんな素敵な贈り物をくださったのです』

「青の……三の星?」

『はい。その星は私の生まれ故郷でございます。今はもう、あとかたもございませんが』 

「あにめ……?』」

『はい。なんと申しましょうか、こちらの劇画幻像と似たものですね』


 わからぬ言葉ばかりなのはさもあらん。剣はどうやら、他の星からもたらされた、大変古いものらしい。彼は「あにめ」というものについてえんえん語り出したが、その声は次第にぶつぶつ切れてきて、しまいにはざあざあ、ひどい雑音が入り混じってきた。


『ああもう! 接続が不安定です!』


 ざあざあの中からかすかに聞こえてくる声は、ひどく憤っていた。


『一所懸命、波長を合わせておりますのに。あなたをと……く妨害電波がうざくて……ありません!』

「ぼうがい?!」

『おかげで数秒に一回、接続波動を変えないと繋がらな……』

 

 何かに邪魔されている? 「でんぱ」とはいったいなに?

 クナは、思わず剣の柄を強く握った。

 もっと剣の声を聴きたいと思ったとたん、再び相手の声がはっきりしたものになってきた。

 こちらの思念波動が、あちらの波動をとらえたのかもしれない。要するに、手を差し伸べ合った効果が出たのだろう。

 

『ああもう! 光ってる方もほんと性格悪いですね! 気をつけなさい我が主」

「まさか……トリオンさまがあたしに何か、してるんですか?」

『ええそうです。あなた、見えない鎖でぐるぐる巻きですよ。ほんと忌々しい妨害です。これでは、まともなレム睡眠もできませんね』

『れむ?』

『夢を見る眠りのことです』


 そんな、とクナは息を呑んだ。クナを妻にしたいあまり、白鷹の後見人はクナに夢がおりることを阻止している? しかし肌になにか感じるものなど、まったくない。聞こえないし、におってもこない。

 なれど憤慨する剣は、あの人からお逃げなさいときっぱり言ってきた。

 

『そばから離れることを強くおすすめします。光の子は真っ黒くろすけより私に寛容ですが、それは私の能力を買っているため。本能の塊でしかないくろすけとは違い、利用できるものは私情抜きで利用する、大変合理的な性格の持ち主です』 

 

 もとは同じひとつのものであっても、性格が違う? 声は全く同じでも?

 いぶかしむクナの頭の中にくっきりと、剣の声が鳴り響いた。


『光の子は一見紳士的ではありますが、何人にも心を許しません。ええ決して、だれにも。たぶん――あなたにも』

「奥さんとして、望んでいるのに?」

『だからこそですよ、我が主。光の子は我が主に負い目がございます。事故を起こして視力を奪いましたからね。あやつは一生、永遠に、その罪に縛られ続けることでしょう』

「あたしの目のために、永遠に……」

『あなたが五体満足に生まれておりましたら、違ったかもしれませんが。あなたはあやつの罪も一緒に持ったままですからねえ。おそらく、魂を傷つけられたせいなのでしょうが』


 魂に傷がある?

 レクリアルがキラキラの子をかばって受けた怪我は、そんなに深刻なもの? たしか魔法の実験かなにかに失敗したとか、言っていたが……

 どこかに傷を負っているなど、とても信じられない。視力以外、何の不都合もないはず。

 自分はなんともない――クナがそういうと、剣はあきれたようにため息をついてきた。


『見えないことに、慣れてしまったのですね。魂の瑕疵(かし)は輪廻を繰り返すうちに、自然に修繕されていきます。ですが傷が深ければ、数回生まれ変わってもなかなか癒えません。こわいですねえ、おそろしいですねえ。黒き衣の技は、ほんとうに性悪です』


 剣は大変物知りだ。ゆえにクナは聞いてみた。かつてレクリアルのものであったのならば、もしかしたらと。


「あの、喋る剣さん、もしかしてあなたは、知っているんじゃないですか?」

『何をです?』

「黒髪さまの名前……あたし、思い出さないといけないんです。でも、いままで聴いた記憶の夢には、一度も出てこなくて……」

『あらまあ』


 剣はくすくす笑ってきた。


『あなた忘れてしまったんですか? まあそうでしょうねえ、ええそうでしょうねえ。大嫌いってぶっ叫んで、絶交してましたからねえ。あれは実に、喜ばしいことでした』

「えっ? ち、ちょっと待ってください。喜ばしいって、どういうことですか?!」


 いろいろ助けてくれるので、完全に味方だと思っていたのに、剣の反応は意外なもの。クナはあわてふためいたが、剣はくすくす。なんだかとても嬉しげな笑い声をあげていた。察するに、黒髪様のことは好きではないどころか、かなり嫌悪している雰囲気である。

 

『忘れたままで、よろしいじゃないですか』

「だ、だめです! 思い出さないと、トリオン様があたしを奥さんにするって……」

『あらそうなのですか。私的には思い出してほしくないのですけれどねえ。まあ、光の子からお逃げになるなら、全力で手を貸しますよ。それともいっそのこと、あやつを封……』


 ざあざあ、また雑音が入ってきた。いっそのことどうすればよいのか良く聞こえなかったが、ぶうぶう文句を垂れる剣の愚痴はいやに大きく聞こえた。

 そうして目を覚ましたら、案の定――


「おはようございます、舞姫さま」


 剣を背負う花売りがそばにいた。


「セーヴル州に入りましたよ。州都はもうすぐです。朝食が終わったら到着するぐらいかと思いますが、本日も断食をなさいますか?」


 耳を澄ましたけれど、剣の声は聞こえてこなかった。妨害されているから、なのだろうか。

 クナは麦粥だけくれるように頼んで、身支度をした。

 やっと舞踊団に戻れる――

 船が飛行場に着陸すると、クナの心は喜びに満ちた。

 代役がうまくやってくれているようだから、自分の居場所はもうないのではないか。そんな不安もあるけれど、リアン姫たちに再会できる嬉しさは、何にも勝るものだ。


ー―『そばから離れた方がよろしいです』

 

 戻れば剣のすすめ通りに、後見人とは物理的に距離をとれる。

 それで妨害なるものが、消えるといいのだが……

 船を降りるまぎわ、キラキラ光る人は、名前を思い出せたかと聞いてきた。声はしごく明るく上機嫌。クナは絶対に思い出せぬと、結果を確信しているようだった。

 

「必ず夢で思い出しますから! 邪魔しないでくださいねっ」 

「邪魔なんて」


 笑い混じりの返しに、クナは思い切りしかめっ面になった。


(うそつき!)


 絶対に思い出さなければ。

 とはいえ、たとえ妨害されなくとも、今のままでは必ず夢が降りてくるとは限らない。

 一体どうやったら、望みの夢は降りてくるのだろう?





 飛行場でクナは花売りとともに迎えの馬車に乗り、州都の大劇場へ向かった。


「しばらく会えなくなるが、どうか元気で。身が空き次第、劇場へ寄らせてもらうよ」


 トリオンは違う馬車に乗り、別行動。セーヴル州を統べる黒竜州公閣下の城へと去っていった。彼はくれぐれもクナのことを頼むと、花売りにあらためて頼んでいた。右と左、東西にくっきり、みるまに距離がひらいたから、クナは剣の声が聞こえるのではないかと期待したのだが。

 がらごろがらごろ、馬車の車輪の音にまぎれて聞こえてきたのは――


「ああああもう。うるさいよイペタムさん。なんでそこで軍楽隊の行進曲かますの?」


 うんざり声の花売りの愚痴。それからざあざあ、いやな雑音。

 イペタムというのはトオヤの言葉で「妖刀」を意味するらしい。花売りによれば、剣は機嫌よく、盛大にがんがん歌っている最中だそうだ。


(でもぜんぜん、きこえない。トリオンさまから離れただけではだめなの?)


 妨害は、かなり強力なもののようだ。クナには感知できぬ結界のようなものがぐるぐる、クナの周りをとり巻いているのかもしれない。

 厄介な覗き鏡をとってくれたと思ったら、今度はそんなものをつけてくるなんて。しかもしらばっくれるなんて。


(あなたの名前もしっかり忘れてしまったって、トリオンさまに言ってやればよかったわ)


 荷物の箱をいくつも積んだ馬車は、昼前に州都の大劇場に行き着いた。


「スミコ! おかえりなさい!」


 昼の公演(マチネ)が始まる少し前のことで、おそるおそる楽屋に入ったクナはリアン姫に抱きつかれた。わらわら、アカシやミン姫も集まってきて、熱烈歓迎。ずいぶん心配したと、無事でよかったと、太陽の巫女たちは口々に言い、クナをもみくちゃにした。

 

「護衛がついているのね。ずいぶんいかめしい騎士たちじゃなくて?」


 後見人がつけてくれた五人の騎士たちは、クナの馬車のあとからしっかりついてきてくれていた。浮き島で鉄の狼たちを撃退した、手練れの人たちだ。


「それに、なんてかわいいお嬢さん」

「えっ」


 リアン姫の言葉にクナは驚いて、背後にいる花売りは男のひとだとあわてて訂正した。


「そ、そうですよね、花売りさん?」

「あー、よく間違われます。姫顔だって」

「あらそうなの? 長い金髪で三つ編みで、わたくしてっきり、どこかの美少女かと。たしかに、胸はないわね」

「ししし失礼ですそれ、リアン姫」


 ころころ笑う太陽の姫に手を引かれ、クナは団長とメノウのところへ案内された。

 太陽の巫女たちはあいもかわらず、舞台のすみっこの端役のままらしい。もと大使たる団長はクナの復帰を喜んでくれたが、予想通りメノウの反応は冷たくて。公演にはしばらく出せないと、クナはきっぱり言われてしまった。


「腕も落ちているでしょうし、公演は今のところ、大変うまく回っていますからね。あなたの復帰は、次の州での公演をめどに調整します」

「いやはや、(ホン)姫が飛天を舞ってくれたのでね」

 

 なんと団長は嬉々としてそう言った。

 ホン姫とは、クナの代役を務めている月の巫女。メノウがもともと、(ステラ)として鍛えていた娘だ。飛天を舞えるようになったとはすごいと、クナは素直に驚いたけれど。一緒に楽屋へ戻ったリアン姫は、あれは「飛天もどき」だとぷんぷん、鼻息を荒くした。


「スミコの飛天の型を真似たものですけれど、回転数も跳躍の高さも全然違いますわ。月とすっぽんの別物なんですのよ。観客のほとんどは飛天を見たことがないから、それでごまかしているんですの」

「べつもの……」

「スミコの飛天は、難易度がめちゃくちゃ高いんですのよ。だれにも、真似できませんわ」


 公演時間が迫り、楽屋が慌しくなってきた。衣装を着替えた巫女たちはみな、匂い立つ花のよう。香の匂いが楽屋に充満している。華やかなる娘たちは、それぞれ振り付けを確認し始めた。ひゅんひゅんふわふわ。楽屋の空気が渦を巻く。

 

「みなさんきれいですね。花畑にいるようです」


 匂いたつ娘たちを目の当たりにして、花売りがうっとりため息をついていた。


「あの方が、(ステラ)の役を務めているのですね。なんて赤い……お召しの袴が目を焼いてきます。まるで、紅連花のようだ……」

 




 やっとのこと舞踊団と合流できたクナは、それから連日、舞の練習に精を出した。

 夢はあいかわらずかんばしくなく、時折、剣の歌やおしゃべりが聞こえる程度。あと数ヶ月猶予があるとはいえ、この調子で黒髪さまの名前を思い出せるのか、不安ばかりが募ってくる。

 練習は、そんな精神状態をやわらげてくれる格好のものだった。一心不乱に集中すれば、もろもろのことを忘れられる。いやなことも、悲しいことも、すべて。

 舞踊団が公演する間、クナは楽屋でくるくる。ひとりで技をひと通りさらっていた。

 もしかするともう二度と、舞台には立てないかもしれない。そんな恐れも頭によぎったけれど、不安はぎゅっと胸の中に閉じこめて、ひたすらくるくる舞っていた。

 

「すごいです、スミコさん!」


 観客は、いつもそばにいてくれる花売りひとり。楽屋の入り口にはりつく護衛の騎士たちも、ちらちら見てくれているようだから、六人であろうか。

 

「なるほどこれが本物の飛天というわけですね。舞台の上のあれとはたしかに全然違うなぁ」


 自分ではまだ本調子とは思えない感じだが、花売りは毎度、しきりに拍手をしてくれた。

 

「これはぜひ、舞台で見てみたいです」

「ありがとうございます。でも……」


 クナに扮している代役の娘は、団長やメノウと一緒に、黒竜州公や州の貴族たちの館へ招かれることしばしば。連夜、宿舎を空けていた。この州の記者たちはクナのときのようにそんな彼女を追いかけて、やんやと騒いでいるらしい。

 いまや彼女こそが、すめらの星。舞踊団の花なのだった。


「すみっこでいいから、またみんなと一緒に舞いたいです」

「どうかあなたの望みどおりになりますように」


 クナがもどって七日目の夜。月の娘は、州都にある迎賓館の舞踏会に招かれた。主催者は黒竜の州公閣下に仕えているこの州の宰相で、貴族たちがそろい踏み。ゆえに巫女たちは羨みつつ、彼女を送り出したのだが――その晩、月の娘は帰ってこなかった。

 

「きっと若い貴公子か、州公さまの公子さまかなんかと、朝まで楽しんでるんですわ」

 

 リアン姫はぶうぶうそう言っていたけれど、朝になっても、舞踏会へ行った面々は帰らずじまい。巫女たちは何事かあったのかと囁きあいながら、いつものように宿舎の隣の劇場に集まり、楽屋で公演準備をした。

 そうして団長とメノウが戻ってきたのは、なんと昼すぎ。昼公演(マチネ)の幕が上がるすれすれの時間だった。


「スミコ、本日の公演を任せます」


 いきなり呼ばれたクナは、メノウにそう言われた。

 びっくりして月の娘のことを聞くと、急病で大使館に送致されたという。しかし団長はなんだかそわそわ、メノウの声もうわずっていた。


「それ……うそ……ですよね?」

 

 思わず聞けばぴしゃり。メノウは金切り声で叫んできた。


「いいから、舞台に集中なさい!」

 

 部屋から出れば、団長がメノウをなぐさめる声が壁越しに聞こえてきた。


「すめらの精鋭が小隊を組織し、行方を追っていますぞ。きっと無事に取り戻せるでしょう」

「まさか護衛の目をかいくぐって、さらうなんて。あの子には七人もつけていたのに……!」 


(さらわれた?! まさかあたしのときのように、襲われたの?!)


 クナは楽屋に戻り、のろのろ衣装を着け始めた。

 月の娘は急病。直後、巫女たちのもとにそんな伝令がきたので、クナは太陽の巫女たちに抱きしめられた。


「よかったですわね、スミコ! 観客のみなさまに本物の飛天を見せてやれますわ!」


 いや、全然よくない。まったくよくない。

 すめらの星は、病などではない。また襲われたのだ。

 ああ、みんなのお香の香りがきつすぎる――

 動揺するクナは気を落ち着かせるために廊下へ出た。なんともひどく、青ざめた顔をしていたのだろう。花売りがこそりと、様子を伺ってきた。   


「どうしたんですか? 何かあったんですか? 急に出番が来るなんて。ボクはとても嬉しいですけど……あなたはちっとも嬉しそうじゃないですね」

「月の巫女が……ホン姫が……ほんとは病じゃなくて……」

 

 みなまで言わぬうち。花売りは事を察して、クナの肩に手を置いてきた。

  

「なるほど、了解しました。やはりここはすめらの星にとって、安全ではな――」

「助けにいかないと!」


 そして、花売りの言葉が終わらぬうち。クナはとっさに叫んでいた。


「ほんとのすめらの星はあたしです。ホン姫じゃない。身代わりがひどい目にあうなんて、そんなのだめ!」  

「本物がひどい目にあうのも、だめですよ」


 花売りの手がぽんぽんと優しくクナの肩を叩いてくる。おだやかな声が、クナをなだめた。

 

「どうかあなたは、舞台に上がってください。ボクらがなんとかします。あなたのために。剣がまことの主と呼ぶあなたのために」

 

 それはとても柔らかで、人を芯から安心させる空気を放っていた。

 

「ボクらはこのために来た。ですからどうか、ボクらにお任せください。白の癒やし手様」 



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