13話 光の子
ききん、ききん。息を詰めて返事を待つクナの耳に、奇妙な鉄の音が響いた。
「ああ、扉が開いた」
島には建物が建っている。クナと後見人はそのまん前、正面玄関なるところに来ていたらしい。
ちょうどそのとき、後続のペリカンが降りて来た。白鷹の五人の騎士たちだ。
後見人はこれ幸いと聞かれたことを流して、集まってきた護衛たちに建物の入り口で待機するよう命じ、しゃらんと衣を翻した。
「さあ、すめらの星とサンテクフィオンは一緒に中へ。ここは八番島ではないが、あそことほぼ同じ、兵器工廠の遺跡だ。きっと同じように古代の叡智を秘めた記録箱があるはず。さっそく調べよう」
「待ってくださいトリオンさま! 質問に答えて!」
早口に言って前方に去る人を、クナは慌てて追いかけた。
建物の中はクナが知っているところと似通っているようで、通路の両脇に部屋が並んでいる構造らしい。後見人はせかせか動き、いくつもある部屋の扉を次々と開け、一室一室確かめていく。
「部屋の大半は、職員の私室だね。管制室はどこかな」
「トリオンさま!」
一番奥の部屋に行きついてようやく。後見人は食い下がるクナにぽそりと、ばつが悪そうに答えた。
「私は君の伴侶。そう言ったはずだが……」
あ、目が泳いでると、クナの背後で花売りがおろおろつぶやく。
後見人は少なからず動揺したのか、そそくさ逃げるように奥の部屋に入った。危険なものがあるかもしれないから、廊下で待っていてくれと言われるも。クナはその言葉を無視して部屋に踏み込んだ。
「お願いします、教えてくださいトリオンさま! あたしわからないんです、記憶がよみがえらなくて……あなたが本当にトリオンという導師なのかも、わからないんです」
「……その呼び名はまこと、私のものだ」
ききん、ききん。後見人は部屋にある機材をいじり出したらしい。扉が開いたときと同じ、奇妙な音が鳴る。せっつかれた人は仕方なしにぽそぽそ、覇気のない声で語った。
「なれどトリオンの名を持つ導師は、この世で私ひとりではない。トリオンは薬学を専門とする導師の称号のようなもの。導師になったとき最長老様から賜ったが、その呼び名を持つ者は私で四人目か五人目だと言われたよ。最長老様は私の直接の師だった。実に素晴らしい方で――」
最長老の話はどうでもよい。知りたいのは、その人のことではない。クナはえんえん師のことを語り出しそうな相手を遮った。
「銀の杖を持つあなたは、レクリアルの伴侶だと仰います。でも黒髪さまも同じく、レクリアルの伴侶だと仰っていました。天の浮島の場所をちゃんと知っているし、思い出も語れます」
「そいつに……邪魔されなければ、八番島へ連れて行けたのだが」
「あたしと黒髪さま、そしてトリオンさまには、共通の記憶があります。あたしは夢を見てそれを思い出しました。あなたと黒髪さまは、親子ともいえる関係だった……あたしにはまだ、どちらが「父さん」と呼ばれていたか、思い出せないけれど……そうですよね? まちがいないですよね?」
「……」
沈黙。ため息。それから。
ああたしかに、あいつのことはある程度、知ってはいると、後見人は観念したように囁いた。
「しかし、あいつと私は親子ではない。そんなものでは決してない。しかも、まったくもって思い出したくない奴だ。レクリアルにもらった本名を名乗るほどの価値もない……」
「レクリアルから、名前を?」
「私の伴侶はあいつに初めて会ったとき、名をつけてやったんだ。親心からね」
どんな名前かと聞く前に。その名が、後見人の口から飛び出した。
「……サンルコンナ・マクナタラと」
まるで何かの呪文か歌の一節か。なんと不思議な響きだとクナが思ったその背後で、花売りが感慨深く、とある言葉を共通語で語った。
「清き流れ。きらきら光って流れてる」
「え?」
「今のは僕らの街の……トウヤの言葉で、そういう意味です。トウヤにつたわる古い古い、詩の一節ですよ?」
「トウヤの詩の言葉を、名前にしたってことですか? どうして?」
「白の癒やし手様は、ボクらの街とはご縁が深いんです。生前はたびたび遊びにいらしてくださったそうで、僕の祖父にも名をくださっています」
「マクナタラなど、名前負けしすぎだろう」
後見人は吐き捨てるように言い放った。
「きらきら光る? どこが? 実際はどろどろ燻っているのに。腹黒すぎて反吐が出る」
「黒髪さまは、腹黒じゃないですっ」
クナは即座に否定した。
どろどろ? 燻る?
後見人が語る黒髪の人は、およそ別人のようだ。クナが知る人は全然まったく、そんな雰囲気ではない。神霊の気配が降りたときに視えたのは、儚い影。暗くて黒いものだった。たしかにきらきらではなかったけれど、燃えてぐずぐずにはなっていなかった。
しかし後見人は実に迷惑そうに語った。クナが夢で見た「子ども」こそ、マクナタラだと。
「マクナタラは、私の影から生まれたと主張して、一時期レクリアルにまとわりついた。そうしてある事故を引き起こし、レクリアルの視力を奪った……私はあいつが害しかなさぬものだと判断して、浮き島には来るなときつく言い、手ひどく追い返した。以来、あいつには一度も会っていない。災厄のあと……すなわち私が浮き島から引き払ったあと、こっそりあいつは八番島に行き、島の目印を取り去ってここにつけたんだろう。嫌がらせか何かだろうね。実に、意地の悪いことだ」
ぴー、ぴー。部屋から出ていた変な音が変化する。
「ああ、やっと画面に文字が映った。検索できるとよいのだが」
咳払いして落ち着きを取り戻した声がクナから去り、部屋の奥へ飛んだ。
(マクナタラ……マクナタラ……)
不思議な名前を繰り返し頭の中で唱えながら、クナはしばし考えた。
この違和感はなんだろう? 後見人の話はなんだか、ちぐはぐな感じがする。
(マクナタラ。きらきら光る……きらきら……? あ……! まさか……)
「トリオンさま……!」
クナは息を呑み、背を向けた人のもとへ近づいた。
「あの……トリオンさま。あたしが襲われたとき……」
思い出すのもおぞましいあのとき。襲撃者から救われたクナが見たものは、半分夢だった。クナの意識は、現実とそうではない境目にいた。しかしあたりにはとても濃い神霊の気配が降りていて、銀の杖が燦然と輝いているのが見えた。杖だけではなく、杖持つ人もくっきりと。
そう、クナの救い主は……
「あのとき、あたしを救ってくださったあなたは、とてもまぶしかったです。か、輝いてました。あなたは……」
クナは推測が真実か確かめるべく、おそるおそる言葉にした。
「あなたは、きらきら、光ってました」
「……」
今度の沈黙は長かった。クナは黙り、辛抱強く待った。
「……まさか君に見えるはずは……杖が……光っていたんだろう」
そうしてようやくのこと返ってきた答えに、いいえとゆっくり頭を振った。
「あたしには視えました。あなたの魂がはっきりと。杖だけじゃなかった。あなた自身が、光ってました。きっとレクリアルにもおなじように視えたんだわ。だからそういう名前をつけたんだと思います。つまりあなたこそ……」
ひどい悪口が誰に向かって吐かれたものか。
察したクナは、胸を痛めながらも確かめた。
「あなたこそが……マクナタラ?」
「違う! 私は光ってなど」
ばしりと、後見人が部屋のものを打ち叩く。とたん、うろたえるその声を、淡々とした機械の声が遮った。
『本基地に登録されていない個体を確認しました。警告時間を開始し、侵入者に退避を求めます。三分後に、基地に残った未登録個体の駆除を始めます』
「な……警備システムは死んでいるはずなのに。システム更新は……くそ! 数年前だと? あいつが仕込んだのは、目印だけではなかったのか!」
後見人は悔しげにもう一度なにかを叩き、花売りに命じた。
「フィオン、手強いものが放たれるかもしれない。外にいる護衛兵と協力して排除してくれ。私がこの箱から情報を取るまで、しのいでほしい」
「了解しました!」
「と、トリオンさま、あたし舞って、結界をおろしましょうか?」
「いやすめらの星、君はここに。決して外に出ないでくれ。厄介なものは護衛に任せる」
花売りが外へと駆けていく。後見人は急いで周りのものをいじり出した。必死に情報をさがしているようだ。作業する間、彼の口からはしきりにぶつぶつ、呪詛のようなものが放たれていた。
「あいつは本当に性格が悪すぎる! 嫌がらせもはなはだしい! 今度あったら殺してやる……! ゲヘナの炎で焼いて……! くそ! くそ!」
憎しみのこもったその声は、ひそかで透明で声にならぬ声だったけれど。耳の良いクナにはしっかり聞こえた。
「死ね……! クソ親父……!!」
ぼうぼう、気球船の排気熱が音をたてる。
「あの、鹿肉の腸詰め、いかがですか?」
広い食堂にて席につくクナは、花売りがおずおず薦めてきたのを申し訳なさそうに断った。
「肉は食べちゃだめなの」
「それでは、野菜たっぷりのキッシュをどうぞ」
「ありがとうございます。それにしても、花売りさんはとても強いんですね。びっくりしました」
「あは。強いのは私じゃなくて、私の剣です」
後見人の憤りもさもあらん。警戒する一行の前に現れたるは、鉄の狼たちだった。かつて三番島を守っていた古い機械らしく、経年劣化でぼろぼろ。しかし数が何百もいた上、動きがすばやく、口からはなんと火炎放射。ゆえに護衛兵たちは苦戦した。
容赦なくぼうぼうあたりを焼く音や、騎士たちの怒号のすさまじかったこと。みな殺されてしまうのではないかと、クナはひどく不安になった。
そんな状況の中、花売りは大いに活躍した。彼の剣はただ斬るだけのものではないらしい。まっかな波動が出て狼たちを一瞬で吹き飛ばしていたと、白鷹の兵たちは驚き混じりにトリオンに報告していた。
花売りのおかげで、狼たちはあれよという間にこっぱみじん。クナはこうして無事に、気球船に戻ることが叶っている。
「おいしかったみたいですよ、狼」
「え……まるで食べたみたいな」
「本当に食べてるみたいです、私の剣は。今は大満足でげっぷしてます」
『何か食わせなさい』
夢でそう剣に言われたけれど。あれは本当のこと?
クナはまたよくよく耳を澄ましたが、花売りが肌身離さず背負っているという剣からは何も、聞こえてこなかった。
「あさってには、セーヴル州に着きますよ。軍船よりほんとのろくて、申し訳ないですが」
「とんでもないです」
花売りの船の居心地は、クナが乗った軍船よりも快適で豪華だ。
船室のソファや寝台は簡易のものではなく、普通の部屋で使うようなものでふかふか。ゆったりとした広さだし、船を動かす十数人の船員の中には、腕の良い料理人もいるらしい。湯気たつスープや焼き物や甘いお菓子の匂いが食堂に漂っている。
花売りは思ったよりもお金持ちなのだと、クナは卓に並べられたものをくんと嗅ぎながら察した。
「病のお薬、作れるといいですね」
優しげな花売りの声は今、少し沈んでいる。白鷹の後見人が同席していないからだ。
トリオンは今、船室にこもったまま。大急ぎで取得した「遺伝子薬」なるものの組成を調べるのに忙しいといって、ずっと出てこない。しかしこうしてまったく姿を見せないのは、クナに正体をあばかれたゆえにばつが悪いということも、たぶんにあるだろう。
「あの、何かもめてたようですけど。僕もあの方は、癒やし手さまの伴侶さまだと、ずっと思ってました。でも、剣の言うとおりだったんですね」
「え?」
ぽとりぽとり。食後に出された茶に何かを入れてかき混ぜながら、花売りはしみじみ話した。
「いや、ほんとうるさいんですよ、僕の剣。たわごとばっかりで、しょっちゅう歌も歌うんです。古すぎてこわれてるっていう感じでしょうか。それでふだんは、言うことを真に受けないようにしてるんですけど。実はこの剣、うちのひいじいさまが、癒やし手さまからいただいたものだそうです」
「えっ……? レクリアルが、花売りさんの剣を……持ってた?」
「ええ。ひいじいさまは、かつて癒やし手さまを大いに助けたんだそうです。そのお礼というか、友情の証として、この剣を譲られたと聞いてます。だから剣は、癒やし手さまのこともトリオンさまのことも、よく知ってるみたいなんです。それで……」
剣はトリオンに会うたび、「ごきげんよう、光の子」と呼びかけるという。
「どうして剣がそう呼ぶのか、今までまったくわかりませんでした。でも今日あの方の口からあの名前を聞いて、ようやく理解できました。マクナタラ……あなたの推測は間違ってないと思います。あの方は別の人がその人であるように仰ってましたが……本当はあの方こそ、〈きらきら光ってる人〉。マクナタラその人なのでしょう」
「でもあの方は、〈父さん〉の方になりたがってるみたい……」
悪口には、憎悪ともとれるような嫌悪感が詰まっていた。
夢の中の杖持つ人、〈父さん〉と呼ばれていた人も、子どもを鼻つまみ者のように扱っていたけれど。子ども自身も相当に、自分を嫌っているそぶりだ。
「事情はよく分かりませんが、トリオン様は悪人ではありません。トオヤのことをずいぶん気にかけてくれますし、僕の家族には本当に良くしてくれるんです。だからどうか、嘘をおつきになってるからといって、敬遠なさらないでください」
花売りにはそう言われたし、なべてクナの望み通りにして、薬を探してくれている。
ゆえにクナはこれ以上、トリオンをきつく責める気にはなれなかった。
しかし後見人は、黒髪さまをマクナタラにしたがっている。とても嫌っていて、百臘さまのことは快く治してくださっても、黒髪さまを救い出すことは無理だったと、それとなくさじを投げてくるかもしれない……。
「花売りのおかげで情報を十分にとれた。小さな記録板に箱に入っているものをすっかり写せたよ。情報によれば、石化病には合成された特殊な遺伝子を注入するといいらしい。それをなんとか作り出せないかやってみよう。というか、その……これを告げる前に言うべきことが……」
夕食後、一抹の不安を胸に様子をうかがいに行くと。船室にこもる後見人は、沈んだ声で謝ってきた。
「その……すまなかった……混乱させて」
室内はほのかに薬臭かった。取得した情報をもとにすでにいろいろ、調合を試してくれているのだろう。
「しかし私ともうひとりは、同じものだ。同じ一人の存在から分かれたもの。二人とも、レクリアルの伴侶であることに変わりはない。それが証拠に、私には出現する前の記憶がある。もうひとりがレクリアルと出会い、歩んできた年月。その記憶がそっくりそのまま……」
「あたしが見た夢でも、あたし……レクリアルはそんなことを言ってました。ふたりは、同じものだと」
「あいつはそのことを信じたがらないが……本当に記憶があるんだ。だから君が忘れていることを幸いに、私は願ってしまった。マクナタラではない方になりたいと」
自分は一体誰であるのか。後見人がようやくはっきり口にしてくれたので、クナはガチガチだった警戒心をホッと解いた。
「あなたは、レクリアルが最後にあったとき、まだ子どもでした。そう、あなたはきらきら輝く光の子。そしてあの人は――」
〈父さん〉と呼ばれていたあの人は。銀の杖の本当の持ち主、自身の魂を分けた人は。
「あ……黒髪さまは、なんて名前だったかしら……」
思い出そうと、クナが眉間にしわを寄せると。トリオンはたちまち、安堵したかのように大きく息を吐いた。
「ああ……! 君がその名を忘れてくれるなんて。ならば私にも、まだ希望はあるということだ」
「え? 希望?」
黒髪の人と同じ声はにわかに弾み、陽光のような明るみを帯びた。
「最後の最後、レクリアルはあいつをひどく罵っていた。大嫌いだと叫んで、私たち二人の魔人を動けなくして、ひとりで災厄を止める星船へ乗り込んだんだ。あの言葉は真実だったのだね。忘れ去りたくなるほど、レクリアルはあいつのことを嫌いになったのか」
「ま、待って。嫌いになった? いえ! そんな……そんなことは」
肩にそっと後見人の手が降りる。
「そのときのことはまだ、思い出せない? でも記憶がよみがえれば……君があいつにひどく失望したことを思い出してくれたら――」
「い、いいえ! きっとたぶん、たぶんレクリアルは、黒髪さまのことを、嫌いにはなってないと……」
「どうだろう? あいつの名前を思い出せないのも、記憶がなかなか喚起されないのも、あいつにすっかり嫌気がさしたからだと思うが……」
「それは……わかりません! でもあたしは、思い出せなくても、黒髪さまのことを好きになったから……!」
顔をほてらせ、クナは答えた。
「生まれなおしても、こうして好きになってるから……! だからその、ごめんなさい!」
「すめらの星……」
肩に触れる手が、クナの体を黒き衣の中に引き寄せようとする。頭のてっぺんに、相手の吐息がかかってきた。額に唇が近づいていると気づいて、クナはそっと相手を押しのけ、あとずさった。
「ほ、ほんとにごめんなさい」
「……わかった……では……私は身を退こう」
相手の声がたちまち沈む。日当たり良い場所に雲の影がさしたように。
クナの真顔を見て、物わかり良く引き下がったのかと思いきや。あきらめきれないのだろう、後見人は条件を出してきた。
「もし君が、あいつの名前を思い出したら……。その名を、私に唱えたら……。君を妻にすることは……あきらめる。でももし、私のところに来るまでに思い出せなかったら、どうか――」
「お、思い出します! 絶対に、すぐ!」
そろそろ後退し、戸口のへりに手がふれるなり。クナはぱっと身を翻し、船室から走り出た。
指先で壁をつたい、すぐ隣の船室の扉をあけ、身をすべりこませると鍵をがちゃり。手探りで寝台を探して、ふかふかのそこに身を横たえる。
追い詰めたはずが追い詰められた? そんな気がするが、とりあえず道は開けた。まだひどく狭くて、通り抜けられるかどうかわからないけれど。
(どうか夢を。記憶の夢を。早く……)
思い出さなければ。忘れていることを。大事なことを。
胸元で両手を組み。まぶたを閉じ、クナは必死に祈った。
(どうか夢よ。降りてきて……!)