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5話 火遊び

 その轟音は消えなかった。ごおごおごうごう、いつまでも。

 空気はひび割れ、どこもかしこも砕けていくよう。


 喰ワセロ、喰ワセロ、喰ワセロ……

 

 意識がふたたび浮かんできてもまだうるさい。耳がおかしくなったのかと思ったら、本当にあたりはまだ轟いていた。まるで(いかずち)、どしゃぶりの雨だ。

 クナの頭はずきずき、意識はもうろう。力なく首を垂れると……頬にフッと熱が当たった。

 これは晴れ空の、天照(あめて)らしさまの光? もう朝になった?

 ああ、違う。このぬくもりはもっと熱っぽい。


(だれかの、て?)


 それがなんなのか気づいたとたん。その手は優しくクナの頬を撫でながらあごに下り、指をうごかして、クナの唇をそうっと撫でた。

 と同時に、こめかみあたりをしっとり濡れたものがひたひた押してくる。


(あ……わただ。ぬれてるわた。きず? ふいてくれてる?)


「口内に出血はなさそうだ」


 りんと、澄んだ声が耳元で響いた。


「頭部の血が口元まで垂れたのか。かんざしがあたって頭が切れたが、傷は浅い。縫うほどではなかろう」


 なんてきれいな声――

 意識もうろうのクナは、口の端をかすかにほころばせた。

 妙なる声はまったく濁りなく、秋風のようにさわやか。不思議なことに、あたりのごうごうよりもよく聞こえた。

 

「飲みなさい」


 クナの唇を撫でる指が、唇をそうっと広げてきた。竹の匂いがする容器が口に当てられる。そこからとぷっと甘い液体が出てきて、口の中にじわりじわり。

 口の端から液が漏れかけると、やわらかいふるっとしたものが唇をふさいできた。クナはそれにぴたと押さえられたおかげで、流し込まれたものをこくん。なんとか出さずに飲み込めた。

 

(くちにふれてるものは、なに?)

 

 ふしぎに思って唇で押してみると、しっとり濡れたものがそこから出てきた。こめかみを撫でてくれた綿より、なめらかだ。それはしばらくクナの歯をなぞり、それから優しく中に入ってきて。舌にとろりと絡みついた。


「ふぁ……」


 クナの体はわなないた。このとろりは、なんと心地よいのだろう。優しく撫でられているようで、うっとりしてしまう。

 いつまでも口の中にいてほしい……

 そう思ったけれど。なぜか舌が、にわかに熱を帯びてきた。まるで火をつけられたようにじりじり、じりじり……

 

(え……あつ……い?)

 

 炎が出る! 


 そう思った瞬間。しっとりなめらかなものはするりと、口の中からいなくなった。哀しげな声を残して。


「まさか聖印……?」


(せい……いん?)





「ふあああっ?!」


 口の中が突然燃え上がったせいで、クナは仰天。おかげではっきり意識をとりもどした。

 いまのはなんだったのだろう? 心地よかったのに突然口が熱くなった。

 そのまま火を吹くのではないかと思いきや、ふしぎなことに口の熱はすうと引いた。

 首をかしげてあたりを探れば、湿った苔のような匂いが鼻をつく。

 止まらないごうごうの、なんとうるさいこと。耳がしびれそうだ。

 

「もう剥けないぞ、屍龍(シーロン)


 あの澄んだ声が頬に降ってくる。声の出所がとても近い。だから轟音に消されないで、よく聴こえる。


(むけない?)


 クナはとても身軽になっていた。まとっているのは小袖の襦袢(じゅばん)一枚だけ。腕から先が、膝から先が、空気にじかに触れている。正面から風がどかっと吹きつけてきていて、腕にはりついた袖がばたばた。上げ髪はかんざしが刺さっているが半分解かれて、長くなびいている。 

 巫女さまたちに着せられた、あの何枚もの衣はどこへ?

 クナが驚くそばで、ぶばっと重そうな布ものが広がり、はためきながら離れていった。 

 ひゅおう、びゅおう。流れゆく風にのり、あっという間に遠ざかる――。


(ああ、かぜがおどってる)


 クナたちはずいぶん高いところにいるらしい。それだけでなく……。


(これ、とんでる?! とりみたいに?)


 薄い襦袢(じゅばん)を通して、人肌のぬくもりが伝わってくる。クナの両肩と膝の裏に巻きついているのは、人の腕。すとんと落ちている尻のまわりを囲んでいるのは、組まれた足。はるかな高みに在る中、美声の人はあぐらをかいた格好で、クナを抱えてくれていた。


「全部落とした。これ以上は軽くならぬ。文句をいうな」


 美声の人はだれかと話している。あたりはまるで割れる(いかずち)、天の怒り。風の音とごうごうの嵐しかないのに。


「……そうだ屍龍(シーロン)。金属糸を織りこんだ、鎧衣を着重ねていたのだ。美しく頑丈な鉄錦(たたらにしき)をな。大巫女(ウヌジ)が聖結界の大陣を張るときにまとうものを惜しげもなく……それで神官どもは、まちがいなく本物の姫と判じたんだろう。不視の修行を尊重するは、神官として当然のことであるし」


(よろい? ほんものの、ひめ?)


「それにしても、また祭殿を潰すとは。お前は遊んでいるつもりだろうが、むこうはそうはとらぬ。ちゃんと着地制動をかけろ」


 ひどい頭痛をこらえつつ。クナはなんどもゆっくり、頭の中で言葉をくりかえした。


(ほんものの、ひめ……ほんものの……)


 つまり自分は、だれかの身代わりだった?

 青ざめるクナの手先に、何かが触れた。だらり垂れた指を濡らすは、濡れた苔か泥土のようなもの。湿り気があり、なんとしびれるぐらいじんじん振動している。

 クナはぎょっとたまげて手をひっこめた。ごうごうの出所は、まさしくこれだ。この、大きなもの。

 気を失う前一瞬だけ視えた、あの黒くうごめくおそろしい影。触れた瞬間、あれが視えた気がした。とするとこれは、あの化け物なのか。

 

(もしかしてごうごうは、ばけもののこえなの?)


 クナの耳には響きすぎて、なにがなんだか。しかし美声の人はちゃんと聴き取っているようだ。

 

「……だめだ屍龍(シーロン)。月のマカリ姫は赤鋼玉の瞳うるわしきと、帝都中で盛大にうたわれているだろうが。しかしこの娘は違う。この娘の瞳はまったく赤くない。すなわち神霊玉が、まったく成長しておらぬということ。はらわたをえぐり出して食っても、まったく無意味だ」


 クナは身震いした。まさか柱国さまが、この空飛ぶ化け物をお飼いになっているなんて。しかもその化け物に神霊玉を、巫女の体ごと?

 

「……心配するな。たしかに不知火(しらぬい)将軍は予定通り、あの方の火龍(フオロン)に朧家のトワ姫を食わせただろう。だがそれでも、あの若い火龍の霊位はまだまだ低い。われらを凌駕することはない」

 

 他の柱国さまも化け物を飼ってらっしゃる? 美声の人は、まさにそんな口ぶり。つまり他の七人の姫たちは、化け物たちの餌になってしまったのか……

 やっと合点がいったクナの心臓は、ぎゅうと縮み上がった。

 だから三苦行させられたのか。ばれないように。

 だから教育係の女性は、クナに礼をとったのか。クナが「ほんものの姫」を助けることになるゆえに。

 だからリンシンは、日延べを必死に願っていたのか。クナと巫女姫たちが、殺されてしまうゆえに――

 つまり月神殿は、銀五本でクナの「命」を買ったのだ。


「うるさい、ごちゃごちゃいうな!」


 美声の人が、うんざりした様子で化け物に怒鳴る。


「むろん、どちらの帝都神殿にも報復はする。これからゆるりたっぷりとな。役にたたぬものをつかまされて、このままだまってはおらぬ」


(どうしよう……あたしがおひめさまじゃないって、ばれてる!)


 クナは震えた。三苦行を破るなとリンシンは脅してきたが、それはつまり、身代わりであることをばれないようにしろ、ということだろう。

 もし美声の人が月神殿に仕返しなどしたら、クナの家族はいったいどんな咎めを受けることになるのか。


『役立たずのクナ!』


 姉の罵りが、ふらふらの頭によみがえる。

 このままでは、結局役に立たないと思われるどころか、おそろしい災いを家族にもたらしてしまう。

 クナは力なく首を振った。そうなってはだめだ。絶対だめだ。


(あたし、マカリひめですって、おしとおさないとだめだわ。そしてたべてもらわないと……!)


 こわい。死ぬのはいやだ。でも……

 教育係の女性は、クナに大人の名をくれた。これはほんとうに、せめてもの手向けだった。

 大人の名をもつ者は、死んだら天へ昇らずに氏神さまになれる。望めば地上にとどまって、家族を守るものになれる。


(そう。そうよ。なまえをもらったから、そうできるはず。これってあたし、しんだらかあさんにあえるってことよ。だからそうするのが、いちばん……)


 よもや化け物は、クナの魂までは喰らうまい。魂が抜けたら、家に飛んで帰ればよいのだ。母さんが守っている家に――。

 哀しいながらも、かすかな希望と覚悟がわいてきた。そうだ、そうするしかないんだと、クナは震える手をのばした。美声の人の胸元をさぐり、がっしり襟らしきものをつかむ。頭はひどく痛くてずきずきふらふら。もうろうとしていたけれど、思いのほか言葉はするり。つかえなく出てきた。


「たべてっ!! たべてください! あたしは、ほんもののマカリひめさまですっ」

 

 こわくて、声はしゃがれてなさけない。それでも一所懸命、クナは叫んだ。


「うそじゃありません。ほんとにあたしがマカリひめさまです! めがあかくないのはっ……あれです、ほらあれです、しゅぎょうを、さぼったからです! ごめんなさい! でもどうかあたしを、たべてください! いますぐ、たべてください!」





 クナが叫んだ瞬間。

 うるさい轟音がぴたりと止んだ。

 一拍、二拍、三拍。ただ風の音だけが、しばし流れた。

 四拍、五拍、六拍。風の音が途切れたと思ったとたん、

 クナたちを乗せた化け物はずどん、と勢いよく、どこか硬いところに着地した。衝撃でぼろっと、地に在ったなにかの破片が四方に飛び散り、落下していく。

 かん、かん、からら。

 耳を澄ましたクナは、息を呑んだ。壁面をつたって落ちていく破片。その音はどこまで続くのか。まだまだえんえん、落ちている…… 

 黒髪の柱国さまは、守護の塔にお住みだと聞いた。ここがその塔なのだろうか。化け物はその、かなり高いところに降り立ったらしい。

 どずんどずんと硬そうな床を鳴らし、化け物が無言のまま、奥へ進む。美声の人もクナを抱えたまま、むっつりだ。怖じ気づくも、クナはなんとか声を出した。

 

「あの! ほんとに、たべてください! あたしは、マカリひめさまです。だからぜったい、たべないとだめです! ですので、いますぐがぶっと、おねがいします!」


 ばしっと手を合わせ、いま一度願うと。化け物の足音が完全に止まった。

 

「……主ヨ。コレ、ドコカラ突ッ込メバイイ?」


 じんとあたりににじむような声。それから、ばふんとすさまじい噴射息がひとつ。

 クナを抱える美声の人は、ぼそりと答えた。


「とりあえず……自分のことを姫様と呼んでいるところか?」

「あ、あたしあたまわるいんです! ほんに、ろくにことばもしゃべれんぐらいで。だからみこさまのべんきょうも、ろくにできんありさまで」

(ナマッ)ッテルゾ田舎娘。オマエノドコガ、赤鋼玉ウルワシキナンダ?」

「あ、あたし、ほんとうにばかで……だからしんかんさまたちが、これじゃはずかしいからって、みやこにウソのうわさをながしてたんです。でもほんとに、あたしはマカリひめです。どうかしんじてください。おねがいですから、しんでんにしかえしなんて、しないでください!」


 化け物に突っ込まれたクナは、しどろもどろ。しかし無我夢中でまくしたてた。両手を合わせ、内心では見も知らぬ姫様にあやまりながら、早く、死ねるようにと。 

 すると化け物が、声をひそめて聞いてきた。


「オイオマエ、ホントハ何ダ? 奴婢カ? 孤児院ノ孤児カ? マアナンダ、闇市場デ売買サレタンダナ?」

「いえ、おやにうられたんじゃありませんっ。あたしは――」

「ウハ、チョロイワ。主、コイツ親二売ラレタッテヨ」

「いえ! だからそれはちが……」

「ヒャヒャ。声ガ裏返ッテルゾ。カワイソウニ、ヒドイ親ダナァ。ア、オイ待テ主!」


 停まった化け物からすとん。美声の人はクナを抱いたまま、地に降りた。そのままカツカツ固い足音を立て、無言で奥へ進んでいく。化け物は、後ろでごうごう吼え猛った。


「オイ! ナンデ連レテクンダ! 喰ッテクレッテンダカラ、願イヲカナエテヤロウジャナイカヨ! ナァソレ俺ノダゾ! 俺ノ(メシ)ダゾ! 俺ノ飯子(メシコ)ダ! 飯子メシコォオオオッ!」 


 ドドッと追いかけてくる気配がしたが。


「畜生! 俺ノ――」

 

 その雄たけびは突然、どずんという轟音にかき消された。分厚い扉で勢いよくさえぎられたらしい。

 向こうからずんずん突いてくる気配がするが、扉はしごく頑丈なよう。まったく微動だにしない。背後を無視して美声の人は、奥へ進んだ。

 塔の内部はかなり広い。美声の人はクナを抱えたまま何十歩も進み、それから階段をのぼりはじめた。降りたところはかなりの高みだと思ったが、まだてっぺんではなかったらしい。


「あの」

「黙れ」

「でもあたしは」

「黙っていろ」


 寡黙になった美声の人は、なぜか怒っているようだ。体から放たれる雰囲気が、異様に硬く鋭い。階段を上がりきったところで、うろたえるクナはごくり。また息を呑んだ。

 あたりにたくさん、異様な気配が在る。めららめらら。燃えているようだが、せわしない。あちこち行き交っている。

 

「おかえりなさいませ」「主さま、ご無事のご帰塔、お喜び申し上げます」「おかえりなさいませ」


 燃えているようなものは、ぱちぱちはじけるような声を出して、一斉に寄ってきた。しかし美声の人は無言でさらに奥に進んだ。背後でまた、分厚い扉が閉まる音が響き渡ると。

 

「ひゃ!」


 つきあたりの、布が張られた台――寝台に、クナは降ろされた。否。転がされた。やはりなぜか美声の人は怒っている。固く息をつめていてこわい。しかしクナは、自分がするべきことをするしかなかった。

 化け物は食う気満々。ならば好都合ではないか。

 お願いすれば。必死にお願いすればきっと……


「しんれいだまはちゃんとあります。のりともおぼえました。だからあたしはつきのみこです。たぶんほんのちょっとは、ばけものさまのたしになると……や、やくにたてると……」


 寝台がきしむ。鼻先に深いため息がひとつ。直後、隣に座した美声の人の手が、クナの下あごをがしりとつかんだ。


「あ、あ、あ、あの」

「自ら死にたいと思うことほど、馬鹿で愚かなことはない」


 美声の人の囁きは鋭い。何かをぐっと押し殺したような怒りが、そこには在った。


「傷の手当てに高価な霊水を使った。まともな巫女ではないから助けられる。そう思ったからだ。なのに、食べてくださいだと?」


 ああ、睨まれている。青ざめるクナは、なんとか訴えようとしたけれど。相手の怒りに押されて声がのどにひっかかった。


「田舎娘、百万歩譲っておまえが真実トウのマカリ姫だとしても、今のままでは全然だめだ。菫の瞳など、まったく話にならぬ」 

「すみ……れ?」


 畑の脇にたくさん生える、あのかわいい花? 甘くて(はかな)い匂いの? 

 宝石のようと母さんにいわれたことはある。でも目のことを、そんなようだと言われたことは、かつてない。

 

「そして涙が甘いのは……絶対にだめだ」


 低く声をひそめた囁きが鼻先をかすめたとたん。やわらかでふるっとしたものが、目じりに触れてきた。

 その感触にクナは身をすくめ、大きくわなないた。

 ふるっとしたものは目の端からゆっくり頬を伝っていく。これは……これは怒っている人の……


(く、くちびる?!)


「やだやめてっ!」


 仰天したクナは相手の顔を押しのけようと、反射的に両手をつき出した。涙など、いつのまに出たのだろう? くすぐったいのとはずかしいのとでクナの顔は湯気が出そうなほど燃えあがった。


「あ、あまいのだめって、どういうこと? そうじゃないひとっているの?! ていうか、なんで、あたしのなみだをすうの?!」


 ずいぶん勢いよく押したはずなのに。しかし相手を引き離すことはかなわなかった。 

 美声の人はクナの腕をかわすと、ひしと抱きしめてきた。きつく、きつく。潰してしまうかというぐらいに。

 その刹那、あたりを硬くしていた怒りが霧散して。

 

「甘いのは反則だよ……田舎娘」


 とても優しく切ない囁きが、クナの耳元を撫でた。

 それは(はかな)くなった人を想うかのようにひどく湿っていた。

 寂しく濡れる、秋の雨のように。

 



柱国さま 田舎娘いなかむすめ

屍さん  飯子めしこ


呼び方決定の回…。

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