7話 湖上の鳥
「太陽神殿は一体何を考えているのです?!」
開戦の報を聞いたメノウは、実に正しく月の女だった。
公演先に向かう道中、舞踊団員をほぼ乗せた長い鉄車の中でぶつぶつ。呪詛ともとれんばかりの文句をえんえん垂れていた。
「月神殿が遠征を延期するよう、本国に働きかけたというのに。なぜにこんな……!」
「まあまあ、元老院にはなにか考えがあるのでしょう」
陰りのある穏やかな声がメノウを宥めた。
長い鉄車に共に乗りしは、レンディールにいたすめらの大使。
朧家の幸という名をもつ彼は、舞踊団の公認獲得の功を担ったことを評価され、元老院より「褒美」をいただいた。舞踊団を率いて大陸各地にて公務を行う、親善大使に任命されたのである。
「すめらは古来より、栄光ある孤立の立位置を好んで取ってきた国です。多少国の風評が悪くとも、びくともしませんぞ」
「なれど月神殿の申し入れを、まったく無視するなど……」
「月の神官族の家の者として、私も元老院や太陽神殿の反応は正直面白くない。とくに太陽神殿は、強引がすぎる。我が姪は龍の贄とされ、命は永らえたものの、側女にされましたからな。しかしおそらく今回のこれは……元老院は、すめらが蒙った害は、我ら外交舞踊団で穴埋めできると判断したのでしょう」
もとすめらの大使は大らかなれど、しごく冷静。なかなかの慧眼の持ち主だった。
「もし帝国舞踊団が公認を取っていなければ、元老院は我ら月神殿の申し入れ通り、遠征を延ばしたでしょうな。しかしいまやすめらは、強力な宣伝塔を持っているのです」
大陸中の人々が注目している、すめらの舞踊団。
公認を取った今、その人気はますますうなぎのぼりだ。大陸各地をめぐろうとするクナたちは、きっと行く先々で歓迎されるだろう。
そんな舞踊団の務めはただひとつ。すめらこそ大陸随一にして正義だということを、人々に示すことだ。
「我等はすめらの印象を、良い方向に引き上げることができます。そしてレンディールでレヴテルニ帝がやったようなこともできるのです。つまり、他国をほめそやしたり批難したりして、その評判を上げたりする下げたりすることも……です」
もと大使のまなざしが、メノウの後ろに座るクナのほうに飛んでくる。
気配を察したクナは、居心地悪げに席に座り直した。
「いまや大陸中の報道機関が、スミコどのを追いかけております。彼らは伝えるはずです。スミコどのの一挙手一投足のみならず、その言葉も。ひとこと漏らさず」
それゆえに――
大使は期待満々の言葉をクナに投じた。
「これより、スミコどのの言葉は陛下の御言葉、いや、神と同等のものとなりましょう」
帝国舞踊団を招致したユーグ州公家は、虹島という小さな島で公演するよう要請してきた。
聞けばそこは、州公閣下がおわす夏の宮殿の島のすぐとなり。建っているのは瀟洒でまっしろな円形の劇場のみで、島の岸辺はぐるりと船着き場だらけ。宮殿内劇場とはちがい、裕福な庶民層も自由に観にこられる、州立劇場なのだという。
クナはさっそくそこで、「務め」を果たすよう求められた。
すめらの月神殿はユーグ州公家の協賛を得て、がっちり広報営業を行っていた。それゆえ虹島には、報道機関の人々がわんさか。レンディールからついてきた記者も少なくない。すめらの公司の記者であるユーファンはわけてもしつこく、クナにびったりはりついている。
そんな報道関係の人々がどっと集まる劇場のロビーで、クナは記者会見なるものに引っ張り出されたのだった。
「みなさん、ごきげんよう。わたくしは、ユーグ州に来られたことを、大変光栄に思います」
ユーグ州の民になんとも愛らしく挨拶したクナは、もと大使から教えられた文言をそっくりそのまま唱えた。
「とても悲しいことですが。わたくしは今のままでは、差し出されたレヴテルニさまの御手をとれません……すめらが軍を進めたところはかつて、すめらの土地でした。すめらはただ、かつて奪われたものを取り返したいだけなのです」
どうかすめらに、かの地を返してくださるよう――
手を合わせて祈る舞姫の姿に、記者たちはどよめいた。その場はたちまち、拍手と、ばしゃばしゃ幻像を撮る音の嵐。
翌日の公報やかわら板に踊ったのは、「舞姫、涙の懇願」という見出しだった。帝と舞姫は壮大な恋の駆け引きをしている。各紙はそう書きたてた。
自分が発する言葉のちからに、クナはとても驚き、うろたえた。
記者会見での言葉はクナの本心ではない。ただ親善大使から言えと命じられたことを、反復しただけだ。
なのにクナは一夜にして、「敵国の帝に焦がれども、祖国を愛して苦しむけなげな舞姫」にされてしまった。記者たちにとっては格好の標的。人々に憐れまれ、愛され、だれよりもなによりも注目される、偶像になったのだった。
「こ、これで本当に、すめらの評判は落ちなくてすむんですか? 遠征に文句をいわれることは、なくなるんですか?」
「すめらが今回穫らんとしている小国が、かつてすめらの属国であったことは、まぎれもない事実。スミコどのの主張はもっともだと、だれもが認めましょう」
もとすめらの大使に太鼓判を押されたクナは、ただただ、息を呑むばかりだった。
自分を取り囲む記者たちはすごく騒ぐけれど。実際の世間は、いったいどんな反応をしているのだろう? この大陸に住む、あまたの人々は。
籠の鳥とかわらぬクナには、まったく実感できなかった。しかしもと大使は手放しで、クナを褒めそやすのだった。
「完璧ですぞ、スミコどの! これからもこの調子で頼みますぞ。我らがすめらのために」
(これからも、みなさんの前で……あたしの言葉じゃない言葉をいう?)
これは大いに遠征の助けとなっていると、もと大使はいう。
ならば万々歳だ。ひどくうれしく感じるべきことだ。
なのに――クナの心はなぜか、晴れ晴れとしなかった。
褒められたあと、クナはしきりに、自分の口をきれいな水で何度も何度もゆすいだ。
放ってしまった言葉のせいで口の中がなんだか、変になってしまった感覚がしたからだった。
(黒髪さま……どうか誤解しないでください。あたしは、黒髪さまの妻です。レヴテルニ帝のことはぜんぜんなんとも思ってません。ほんとです……)
帝国舞踊団はのべ二週間の予定で、虹島での公演を始めた。
その初日。アオビが戦地からの伝信を受け取って、またぞろ九十九の方の伝言を伝えにきてくれた。
「九十九さまは、スミコさまのご活躍を、大変ありがたがっておられます!」
すめらの軍は、敵との第一会戦において堂々と引き分けたらしい。兵の士気も上々。第二会戦に向け、ちゃくちゃくと補給物を補充しつつ、英気を養っているという。
ホッとしたクナは少し心を晴らした。そしてぱぱんと頬を両手で打って、気合を入れた。
さあ、完璧な舞を見せなければ。
公演する演目は、選考会とまったく同じものだ。
「構成は、レンディールで発表した通りのものを」
メノウはしぶしぶクナに告げ、独り舞のところをクナがやったようにふたり舞に訂正し、飛天を入れた構成をそのまま再現させた。
しかし――
「それはただの花音です! なぜに飛天を出さぬのですかっ」
「す……すみません! あ、あの、やってるはずなんですけど……」
予行練習の間も、そして始まった本番の公演でも、クナはなぜか、飛天を飛べなかった。
まさかあれは、めったに起きぬ奇跡だったのか?
無我夢中でくりだしたものだったけれど、たしかにしっかり覚えて会得しているはず。
こんなに強く気持ちを入れて、舞っているのに……
相手を浮かす二人舞はみごとなまでにできるのだが、肝心の跳躍のところで、どうしても花音になってしまう。舞姫の最高技は花音とされているから、それでも構成としては決して悪くはない。しかしクナが有名になったのはひとえに、飛天を飛んだからだ。
メノウはかんかん。クナもなぜできないのかさっぱりわからず、青ざめた。
「観客は、そなたの飛天を見に来ているのですよ!? これではすめらの評判を上げるどころか、くすぶる悪評に油を注いでしまいます!」
楽屋でぎんぎん、クナはメノウに怒鳴られたのだが。
「おやおや、スミちゃんもメノウ師匠に厳しくされて、お疲れかな?」
「ユーファンさん……!」
ひょうひょうとした雰囲気の助け船が、メノウの怒りの嵐を封じ込めた。
いまやユーファンはまるでクナの付き人のよう。四六時中、そばにひっついている。
「メノウさん、当局から注意勧告受けたよねえ? また主役を怪我させたりしたら、今度こそ訴追でしょ?」
「く……おだまりなさい! なんという言いがかりを」
ユーファンが書いた記事はクナの人気を上げると同時に、メノウの評判を地に貶めた。月神殿はそれを受けてしっかり、メノウに釘を刺してきたらしい。
「あなた一体、わたくしに何の恨みが……」
「恨みなんてないさ? 俺はただ、真実を書いただけ。ただただ、正義の記者魂が燃えるのよ」
ユーファンの言葉を、クナもメノウもまったく信じられなかったけれど。おかげでメノウのきつい態度はだいぶ和らいだ。あたかも見張り役のようなユーファンが常にいるので、メノウは下手に強く出られなくなったのだ。
「花音ができる巫女はたくさんいます。このまま飛天が出せなければ、「体調不良」による降板を考えます!」
しかしメノウはきっぱり、そう宣言した。
体調が原因となる降板は、メノウの立場をますます悪くする結果に転ぶ可能性が高い。
それでもクナの不調が続くなら、そうせざるをえなくなる。月神殿は飛天を舞う舞姫を大々的に宣伝しているのだ。見せられなければ、詐欺というもの。悪い印象を抱かれかねない。
「花音ではだめなのです。すめらの舞踊団は決して、他の公認団と同じと思われてはなりませぬ。すめらの国に一目置かせるためには、どこよりも頭ひとつ、抜きん出ていなければいけないのです!」
(これ以上、メノウさまと距離をあけたくない)
クナはできるかぎり練習を重ねた。不思議な男の子と舞ったときのことを必死に思い出し、夜通し自分の動きを確かめた。
その一方で――
「アオビさん。トリオンさまには……会えないでしょうか?」
公演三日目。躊躇していたクナはようやく、またぞろ戦況を伝えに来てくれたアオビにたずねた。
クナははじめ、九十九の方に取次ぎを頼もうと思っていた。一緒に立ち会っていただければ、怖い思いをすることもないだろうと。
しかし頼みのひとは、今は戦地。遠い遠征の地におわす多忙な方に頼ることは無理である。
とはいえこのままずるずる、憑き物をもったままではいられない。
勇気を出して願ってみると。アオビはがってんおまかせくださいと胸を打ち、翌日、白鷹の宮殿から頼もしい助っ人を連れてきた。
「アヤメさん!」
九十九の方の侍女は宮殿に残っていて、州公家のご様子を、逐次主人にお伝えしているという。
「白鷹の後見人様とは、しょっちゅうお会いしますわ。ですのでわたくしが、お取り次ぎします」
「しょっちゅう?」
「ええ。後見人様は、奥様のことをたいへん、お気にかけてくださっているんです」
慣れぬ異国での生活は心労がたまる。ましてや、軍を率いることまでするなぞ超人技だ。心身への負担は計り知れない。お家の後見人はそれをかんがみ、ことあるごと、様子を伺ってくれるらしい。
そして……
こたびの遠征は迷いなく行うがよい――
黒き衣のトリオンは、九十九の方にそう薦めたそうだ。黒き衣の導師は星見ができるそうで、「出陣は吉」という卦を星空の中に見たという。
「トリオンさまは奥様に、それがどんな結果になろうとも、迷わず望む道を進めと仰っておられました」
九十九の方ほどのお人なら。いかなすめら本国が遠征に乗り気でも、世論を気にして進軍することに躊躇を覚えただろう。その迷いを、トリオン様は取り払ったということだろうか?
「まよわずに……。けっして、まよわずに……」
ああそれは。自分にもあてはまることかも。
クナはハッと気づいた。
自分の言葉ではない言葉をいうことに対して、これでいいのかとクナは迷っていた。
いやそもそも、遠征をすること自体間違っているのではないかと思っていた。
平和をのぞむレヴテルニ帝の言葉が、思ったよりも深く深く、クナを捕らえていたのだ。
だから、飛天が舞えなくなったのか――
(まよわずに)
その日の夜の公演で、クナはなんとか一度、飛天を出せた。
知らずに萎縮していた体がすうっと伸びたのか、高く高く、飛ぶことができた。
(まよっちゃだめ)
劇場は、拍手喝采の嵐。
(あたしは、あたしがのぞむ道をすすまないと。気にしちゃだめなんだわ)
遠征を助ける。黒髪様を助ける。百臘様を助ける。
望みを叶えるためには、迷ってなどいられない。覚悟を決めて、進むしかないのだ――
「やったぜスミちゃん!」
「ふあ?!」
終幕して袖にひっこむなり、クナは煙くさいユーファン氏に抱きしめられた。
困ったことにこの人は、かなりなれなれしい。せめてこの煙たいのだけは、勘弁してほしいところだ。
「ねえどうかなスミちゃん、今夜はお祝いに、ちょっと逢い引きでも」
「いえそれはこま……」
「遠慮しないでおいでよ。船を借りたから、湖上でのんびりしようじゃないか。そこで独占インタビューってのをさせてほしいな」
逢い引き? 口をぽかんとあけるクナを守るように、リアン姫が間に割って入ってくる。
「だめですわユーファンさん。スミコひとり連れ出すなんて」
「ああもちろん、そこらへんの君たちもぜひ」
「そこらへんってなんですの!?」
――「すまないね、舞姫には今宵、先約がある」
楽屋に入ってきたその声に、クナは身を固くした。
りんと澄んだ美しい声。
やはり同じだ。黒髪さまの声と全く同じにしか聞こえない。
かつかつ鳴っているのは杖を突く音だろうか。
「トリオンさま……」
「うわ、黒き衣。もしかしてあんたは」
しゃんしゃらら。歌う星黒衣が、たじろぐユーファン氏をすり抜けてくる。
クナの前に来た気配は、優しく囁いた。
「ごきげんよう、すめらの星。呼び出して頂き、光栄のいたり」
クナはその晩、船に乗った。
ユーファン氏が用意したという遊覧船ではなく、小さな数人乗りの小舟に。
同乗者は、白鷹の後見人たったひとりである。
ありがたいことに、アヤメはすぐにトリオンに取り次いでくれたのだ。それを受けた後見人はさっそく、舞踊団の公演を観に来てくれたのである。ひとしきりクナの舞を褒めちぎった彼は、すぐそばに遊覧船がはりついていると苦笑した。
「うるさい記者が望遠鏡で、しきりにこちらを見ているよ。彼が借りた船はばかに大きいね。経費で落としたとは思えないな」
さらさら、心地よい秋風がぬけていく湖上。
くったくなくしゃべる船主に、クナはかちんこちんに固まった。
二人きりだなんて、まさしく逢い引きではないか。黒髪さまがつけてくれた強力な加護があるから、我が身は絶対安全だけれど。ユーファンは、この会談を一体どう捉えるだろう。
「はは。緊張しているようだね」
大好きな声音でもの柔らかに言われると、変なものをつけられた怒りはどこへやら。とがめる気力が失せてくる。なんとか怒っているような顔をしてみせたら、相手にくすくす笑われた。
「すまない、君の云いたいことはわかる。私がつけたものでだいぶ困らせてしまった。すでに鉄壁の加護がつけられているから、必要ないかと迷ったんだが……予想通り役に立ったようでホッとしている」
「予想どおり?」
「人さらいから君を守れた」
人さらいとはいったい誰のことか。
しばし考え、思い当たったクナは、おそるおそる聞いてみた。
「もしかして……あたしに飛天を教えてくれた少年のことですか? あの子、あたしにはつきものがついてるから、家に連れてけないって……たしかそんな風に言ってたような……」
「うん。あの子は第三妃の祝宴に来ていて、君に目をつけたようだった。もしかしてと思ったら案の定、レンディールで……あの子の国につれて行かれるのは困るから、君にのぞき鏡をつけたんだよ」
でもそのおかげで、クナは太陽神殿に帰れなくなったのだ。それに、勝手に黙ってつけるなんて。
おずおずつぶやくと、ふわと眼の前の気配が動いた。クナの頬に何かが触れてくる。
じわと熱いそれは、後見人の手だった。
「事情を話さずつけてしまって、すまない。でも、すめらにはもう帰ってほしくなかったんだ。私のそばにいてほしいから……だから君がまた、ここに来ざるを得ないようにした」
「そ……! そんな、勝手に――」
「完全に私のわがままだということは認める。強力な鏡をつけた反動で、そのときの記憶もあやふやなようだし……不安にさせて本当にすまない。だが、私が視たものは、懸念した通りのものだった」
澄んだ声がかすかに翳る。頬を撫でる手が、すうとクナの額に昇った。
「君をすめらに置いてはおけない。龍蝶を人と認めず。君を容赦なく利用する国には。そんな人々がいるところになんて……」
後見人はすべて見ていたのだ。クナにつけた鏡を通して、なにもかも。
メノウが龍蝶のクナを蔑んだことも。すめらの当局が、クナの舞と発言力を利用していることも。すべて目にして、調べていたのだ。
伴侶が一体、どんな扱いをされているかということを。
「トリオン……さま?!」
息を呑むクナのそばに気配が近づく。額に手ではないものが触れてきた。
それは――
とても優しい口づけだった。
じわと熱い柔らかな感触に、クナは震えた。
「もう帰さない……いとしい子」