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5話 護国卿

 いつ幕が降りたのだろう。

 無我夢中だったから、あまりはっきり覚えがない。

 ハッと我に返れば、クナは頭を垂れて停止(なぎ)の型をとっており、喝采の嵐を浴びていた。


(終わった……の?)


 全身にびりびり、割れんばかりの拍手が襲いくる。 

 独り舞のところをしのいだあと、どうなったのか。

 おそるおそる記憶をたぐれば、どっと冷や汗が出てきた。

 たしか動けぬ相方を浮かせ、くるると回しながら舞台の袖へ退場した。そのまま本来の波の役へ戻ろうとすると、メノウが肩をひっつかみ、するどく囁いてきたのだ。

 

『中央にて輝いた星が、波に戻ることなどできません! 責任を取りなさい!』


 苦々しい色合いが混じる言葉とメノウの手に背中を押され、クナは舞台の中央へ戻された。

 クナは舞の構成を、しっかり頭の中に叩きこんでいた。自分の役だけでなく、他の巫女たちがどんな動きをするのかということも、すべて。

 一挙手一投足を指摘する、メノウの細かな指導。精度の高い気配を悟れる、自分の耳。仲間たちからの丁寧な解説や説明。厳しい練習で積み上げたもののおかげで、クナはまったく迷わなかった。

 つむじ風に突風、かまいたち。ひかたにおろしに、荒々しい玉風。

 ありとあらゆる技を一気に繰り出し、最後は、花音、花音、花音……

 すべて構成通りにやろうとしたけれど。


「もう一度見せて!」


 神楽(かぐら)が速さを増すクライマックス。観客席からかすかに流れてきた声に、クナは応えた。


「お願い見せてよ……!」


 その声はあの、不思議な男の子の声に似ていたからだった。


(ありがとう、不思議な子。あなたのおかげで!)

 

 だからクナはまた、高く高く飛んだ。感謝の気持ちをこめて。

 思い切り踏み切り、周りのみなが起こしてくれた風に、身を委ねたのだ―― 






 翌朝、クナは「時の人」になっていた。

 幕が下りた直後から、楽屋に報道機関の人々が殺到したり、大使館へ帰る馬車を取り囲んだり。仲間である舞踊団の巫女たちは、クナを囲んで質問攻めにしたりと、多少騒ぎがあったのだが。一夜明けてみると、騒動はもっともっと、いや増していた。

 

「大使館前の広場がえらいことになってますわよ。ものすごい人だかり!」


 窓の外を眺めたリアン姫の言う通り、すめらの大使館周辺は黒山の人だかり。報道関係の人々が殺到していた。

 朝に配られた大陸公報や各種かわら版は、こぞって「すめらの(ステラ)」を讃えていた。練習場へ入るなり、クナは大使につかまり、絶賛褒め言葉の嵐。それからえんえん、その「すばらしい記事」を読み上げられた。

 

『沈む星をさらいし巨星! 斬新なる演出!』

『飛天、舞う!』

『伝説の舞姫再臨!』

『スメルニアの帝国舞踊団、公認確定か』


「すばらしい。実にすばらしい。大使館には、昨夜から問い合わせが殺到しておりますぞ!」 


 どの記事も、クナが繰り出した大技について書きたてていた。

 その技はレンディールが誇る伝説の舞姫、アンブラが独自に編み出したもの。いまだかつてたったひとり、彼女以外に舞えた者がないという、まぼろしの技であるという。

 

『我々は一世紀ぶりに、かの舞姫の飛天にあいまみえた』

 

 伝説の舞姫の最終公演は、開けば幻が立ち上がる幻像画に保存されており、超高値で取引される骨董名盤になっているそうだ。その「至高の飛天」を愛する舞踊ファンは、西洋諸国に星の数ほどいるらしい。

 

「舞姫アンブラは、レンディールの四大英雄に数えられる名高き人。かの人の飛天は、再現不可能といわれておりました。それを二度も、あの場で披露するとは!」


 衆目を集めたあの大技は、いったいだれに教えられたのか。見よう見まねで再現したのか。巷ではさまざまな憶測が飛び交っているという。

 大使はほくほく、はずんだ声でクナに告げてきた。


「スミコどの、今日は私に帯同するように。本日私は、レンディールの元首閣下の昼餐会に呼ばれました。元首どのは、君を連れてきてほしいと、思し召しておられます」


 元首に名指しで招待されるとは、なんという誉れか。これはさらに帝国舞踊団を売り込む好機である。

 そのようなわけでクナはひとり、舞踊団の仲間と引き離され、大使のお供をすることとなった。

 馬車の中で、千早に袴姿のクナはかちんこちん。褒められることはある程度予想できたが、まさかこんなに盛大に騒がれることになるとは思いもせず。ただただ、困惑を深めるばかりだった。 


(あの技が、そんなにすごいものだったなんて……)


『はぁ?! 通りすがりの少年に教えてもらった? なんですの、その寝ぼけたような夢物語は!』

 

 昨晩リアン姫はじめ、団員の巫女たちに打ち明けた「真実」は、ほぼだれにも、信じてもらえなかった。

 大使館に帰るなりメノウに呼び出されたときも、同じように本当のことを説明したのだが。結果は同じで、相手を不機嫌にさせただけだった。


『下手な隠し立てはおよしなさい。そなた、本当の名前はスミコではありませんね? あの大技は、そなたの主人である、太陽の巫女王(ふのひめみこ)から教えられたものなのでしょう?』


 メノウはしっかり、ユーグ州に遣わされた太陽の巫女たちのことを調べあげていた。

 髪を黒く染め、「スミコ」と名乗っている巫女は、他の三人と同じく、太陽の巫女王(ふのひめみこ)の従巫女。おそらくは大姫の所有物たる龍蝶だと、うすうす感づいていたらしい。


巫女王(ふのひめみこ)候補にはなりえない者が、従巫女となっているばかりでなく、あんな大技を伝授されるなんて。そなた、甘露を使って巫女王(ふのひめみこ)を魅了したのですね?』


 そんな覚えはさらさらない。しかし異を唱え正直に答えれば、ますます相手は鼻白む気配を醸していた。ゆえにクナは仕方なく、「自分の舞の師は、星神殿出身の九十九(つくも)さまです」と答えた。


『でも誓って、甘露は使ってません!』

『その九十九(つくも)の方とは、ユーグ州公の第三夫人となられた(ジン)姫のことですね? あの方が飛天を舞えるとは……それにしても甘露を使っていない? それはどうだか怪しいものです。龍蝶を我が子や愛弟子のごとく扱うなど、およそありえぬことです』

『あ、ありえます。あたしと大姫さまや九十九(つくも)さまは、家族です!』

『何を馬鹿なことを。もうよろしい! そなたのおかげで舞台は成功しました。それだけは認めます! ですがこれから、私の子たちには、極力近づかないでちょうだい!』

 

 甘露を振りまくな。

 そう命じられたクナが、メノウの部屋を退出した直後。部屋の中から、何かが割られる音がした。壺か皿か置物か。腹いせにそんなものが壊されたようだった。

 メノウもこの世の多くの人と同じく、龍蝶には侮蔑の念しか抱けないらしい。その悲しい「常識」にかこつけたのは、彼女にとってはこたびの舞台が、納得いくものではなかったからだろう。

 機転をきかせたとはいえ、クナが勝手に構成を変えたことは、メノウを否定したことに等しい。それにメノウが一番にめざしたのは、太陽神殿に対抗して、月神殿に輝く誉れをあたえること。人々の衆目を集めて喝采を浴びるのは、なんとしても、月の巫女でなければならなかったのだ……。

 

(でも、手にしたこの誉れは、あたしひとりのものじゃない)


 クナは、巫女たちみんなが作り出す風に乗った。きっとひとりでは飛天を繰り出せなかった。

 それに、クナに手とり足とり、技を伝授してくれた少年こそ、称賛されるべきだろう。

 息をするように簡単に、とてもかろやかに、クナをくるくる回して舞ってくれた、あの子こそ。

 なぜ教えてくれたのかも、そもそも彼の名前すらもわからないままだが、感謝してもしきれない。

 もしまた会えたら――そんな奇跡が起きたら、いったいどんなお礼をしたらいいだろう?

 ありがとうという言葉だけでは、とても足りそうにない……





 元首主催の昼餐会は、庭園に張られた天幕で開かれた。

 レンディールの元首は、特別な小天幕にて客の挨拶を受けていたのだが、話題の客が来たことに機嫌上々。みずから、続きの大天幕へと大使とクナを案内してくれた。 

 会場へ入るなり、すめらの(ステラ)は、あっという間に人いきれに囲まれた。並べられたごちそうの数々に、手を伸ばすひまなどない。席からまったく動けぬまま、大使とクナは何百人もの人々から次々と、挨拶と称賛の言葉を受けた。


「まあなんとかわいらしい方」

「まだ少女なのね。腰に巻いた縄が神秘的ですわ」

「昨夜運良く、あれを目にした者です。どうぞお見知りおきを」


 レンディールの元首は自国の議員だけでなく、あまたの国の外交官を招待していた。

 ファラディア、南王国、北五州。砂漠の国、森の国、雪の国……

 

「舞踊祭が終わり、賓客たちはすぐ帰られたかと思いきや。大盛況ですな」


 大使もすこぶる機嫌上々。ほくほく弾んだ声でクナを人々に紹介し、舞踊団の宣伝に余念がなかった。

クナに群がる人々の関心はおしなべて、「飛天の大技をだれから会得したか」ということで。通りすがりの少年から、という真実はここでも、完全に冗談だと取られた。

 

「はは。もったいぶらずに、どうか教えてください」


 クナは仕方なく、「師の特訓を受けた」と答えた。

 すめらの(ステラ)の師は、先月ユーグ州公に嫁いだばかりの姫である――

 クナの口から漏らされたことは野火のごとく、あっというまに天幕中に広まっていった。

 

九十九(つくも)さまに、ご迷惑がかからないといいんだけど……あ……なんていい香り)


 花の匂いだろうか。西方に多いバラという花の香とは違う、上品な香りがあたりに漂っている。


「大使さま、お花がいっぱい咲いてませんか?」

「ふむ、白い茉莉花(マツリカ)が咲いておりますな。庭園を埋め尽くすほどに」

「マツリカ?」


 どこか別のところでも嗅いだような気がして、クナが首をかしげたとき。レンディールの元首がわざわざ、ひとりの招待客を連れて、クナたちのもとへやってきた。


「大使どの、スミコどの、魔導帝国の護国卿、宵の君です」

「護国……?!」

 

 元首が紹介したとたん、すめらの大使はがたりと席から立ち上がり、あからさまにたじろいだ。まさか我がもとに挨拶しにくるとはと、たちまち朗らかな声を崩している。

 

「ごこくきょう? よいの……きみ?」

「魔導帝国の枢密院議員のおひとりですよ、スミコどの。役職は我がすめらの太陽の大神官と同等……つまり国防大臣といったところでしょうか。いやはや、レヴテルニ陛下の護衛官として、一緒にこちらにいらしているとは聞いておりましたが」 

「すみませんな、大使どの。実のところ、スミコどのを招待したのは、護国卿に頼まれたからなのです。直接会見を申し入れても敬遠されるからと、仲介を要請されたのですよ」


 元首が苦笑交じりに、事情を明かすと同時に。その穏やかな声の後ろから、ぶっきらぼうな声が飛んできた。


「ふん。まだ子供か」

 

 護国卿なる人は、ずいぶん機嫌を損ねているようだ。

 無理もない。昨晩、魔導帝国の舞踊団は致命的な失敗をした。選定会議ではおそらく、クナたちの帝国舞踊団に勝る評価を得ることはできないだろう。

 いよいよすめらが遠征を始めるというこのとき、敵国となるかの国は、のっけの戦勝占いに負けたのだ。自滅は自業自得ではあるが、恨まれるのは当然といえる。

 

「まあよい。甘たらしい匂いを放つ小娘よ。俺は護国卿として公式に、神眼まぶしき魔導帝国神帝陛下の御宸襟(おきもち)を伝えてやりにきた。耳の穴をかっぽじって、ありがたく聞くがいい」


 甘たらしい匂い?

 おのれの素性を感づかれたかと、クナは身を固くした。メノウにもばれたこの身からは、そんなに強い匂いが出ているのだろうか?


「なにをぼやっとしている? さっさとひざまずけ」


 びりりと、あたりの空気が震えた。

 クナの体は言われるままにすとりと落ちて、床に膝をついた。何がおこったのか把握できないままに、顔が勝手に下を向く。ぴしりぴしりとあたりの空気が軋むのが聞こえてくる。

 

(神霊の気配が、降りてる?!)

 

 動けない。まるで金縛りにあったかのようだ。クナの体は完全に、頭を垂れる姿に固められてしまった。魔導帝国の、護国卿なる人の前にかしこまる姿に。

 たちまち立ち上ってきた恐怖に、クナはぎゅっとまぶたを閉じた。

 相手の声は、まるで獅子の唸り声のよう。なんともおそろしい怒気を秘めている。

 こわい人が息を吸い込んだ。ああ、雷が轟くのだと、クナが身構えた瞬間――


「お願いまた見せて…………」


 声に似合わぬ甘ったるい言葉とともに。はあっと深いため息が、クナの頭をやわらに撫でてきた。


「は……い?」

「以上だ!」

 

 護国卿が投げやりにつぶやくくと同時に。驚くクナの頭の中に、とてもよく似た言葉がよみがえった。

 

『もう一度見せて!』


 舞台の上で飛天を決め、クライマックスへ向かったとき。甘くてかわいい声が、かすかに聞こえてきた。あれはクナに技を教えてくれた、不思議な少年のものかと思ったのだが……


「あれはもしかして……皇帝陛下のことば……だったの?」

()帝陛下だ。まちがえるな、砂糖娘」


 獅子の唸りのような護国卿の語気に、クナは震えた。

 レヴテルニ帝はクナのことを気に入ってくれたらしいが、このこわい人は違うのだ。この人にとってクナは、国益を損ねた敵国の巫女。それ以外の何ものでもないのだろう。


(動けない……指一本動かせない……!) 


 あたりにはまだびりびりと、有無を言わせぬ神霊の気配が降りている。

 しかしその威圧の効果範囲は、クナひとりに限定されているらしい。

 周囲で見ている人々は、クナが金縛りにあっているとはつゆ知らずに、ひそひそざわざわ。明るい調子でどよめきはじめた。 


「今の聞きましたか?」

「ええ、魔導帝国のあの御方が」

「くれないの髪燃ゆる陛下が、この巫女どのを」

「おお! レヴテルニ帝が、すめらの巫女どのを絶賛するとは」


 これはすばらしいと、元首がなんとも晴れ晴れしく、大使に祝辞を送っている。


「ご、ごめ……すみませ……」


 うろたえつつ、クナが言いまちがいをわびると。ようやくのこと、おそろしい気配がすうっと和らいだ。四肢の自由が戻ってくる。まるで、波が引いていくかのように。

 

「舞姫アンブラに比べて、高さが若干足りない気はしたが。なかなかどうして様になっていたのは認めてやる。ともかくおまえの舞を見て、俺の陛下はえらくごきげんだ。あんな笑顔は久しぶりに見た……俺の袖をしきりに引っ張り、あんなに無邪気に……」

「えが……お……?」

「えもいわれぬ至高の美とこの上なき喜びを得た俺は、それをもたらしたおまえに、相応の褒美を与えねばならぬ。平身低頭、謹んで受け取るがいい」 

 

 ひどく尊大な言葉とともに、クナの胸にぐいと何かが押し付けられた。 


「よくやった、小ネズミ(・・・・)

 

 ネズミ?

 いぶかしむクナがおそるおそる手を出し、受け取ろうとすると。それはずんと、手の中に落とされた。

 ずしりと重く平たく、円いもの。チクタクチクタク、かすかな音を刻んでいる。


「時計……?」

「お抱えの技師に作らせた。肌身離さず持っていろ」


 踵を返す気配がする。いやに鋭くかつかつと、こわい人の靴音が響く。

 クナは立ち上がれなかった。ただただもらった時計を抱きしめ、震えていた。

 とげとげしい雷雲がすっかり遠のいていくまで。





 どの舞踊団が公認を勝ち取るのか。結果が発表されるまでの丸一週間、帝国舞踊団はフロリアーレにとどまった。

 巫女たちは公演大成功の褒美として、様々な観光名所を自由に見学することを許された。しかしクナだけは連日、大使に連れ出された。

 レンディールの高官が催す園遊会や晩餐会や舞踏会に、クナはひっぱりだこ。時おり指南役のメノウが一緒についてくることがあったけれど、注目をあび、人に囲まれるのはクナだけだった。

 月神殿にこれ以上嫌われてはと、クナは質問されれば極力、師や指南役のおかげだと答え、九十九(つくも)の方と一緒にメノウも持ち上げた。しかしメノウがまとう、暗く鬱とした雰囲気は晴れることなく。クナは彼女になんと言葉をかけたらいいのか、とんと見当がつかなかった。


「舞踊団に公演依頼が殺到してるそうですわ! やっぱりあれね、レヴテルニ帝が、スミコのことが好きっていったのがすごく効いてますわよ!」

 

 リアン姫は観光ざんまいが叶って上機嫌。毎朝ウキウキと、かわら版を読み上げてくれた。

 「また見たい」という神帝陛下のお言葉は、紙面上に放たれると日を追うごとに変化していった。

 今はなんともすごい表現が各紙で踊っている。特にゴシップ紙は過激だった。


『レヴテルニ帝、すめらの(ステラ)を熱愛』

『くれないの髪燃ゆる君、舞姫に告白! また会いたい――』


「ふえええ、また見たい、なのに」

「ほほほ、スミコはレヴテルニ帝の思われ人みたいな認識が、できつつありますわね」


 まったく困ったものだ。しかしあの護国卿の恐ろしい気配にくらぶれば、ゴシップなど苦笑するだけでしのげそうな気がする。


(ほんとにこわかった……でもあの方、あたしの舞が、陛下に笑顔をもたらしたって……)


 まさかあんなこわい人に感謝されるとは。

 しかも敵国の帝が、クナの舞を見て喜んでくれるなんてびっくりだ。


(やだ……あたし、嬉しいって思っちゃってる)


 クナは喜びを感じている自分にとまどった。

 

(あたしの舞が、人の役に立つなんて……とても素敵だって、思っちゃってる……)


「それにしてもご褒美っていうその時計、ほんとに洒落たものですわね。文字盤がすけていて中身がほぼ見えているなんて。中に宝石がいくつも入ってますし」


 時計はかなり大きな懐中時計で、ずいぶん高価なもののようだ。

 しかし褒美をくださるというのなら、黒髪様を解放してくださるようお願いしてしまえばよかったかもしれない。とっさにそんな機転がきかなかったのは、やはりあの護国卿の気配がこわすぎたからだろう。


「ていうか、なぜ時計なのかしらね。スミコには文字盤が見えないのに」

「あたしのこと、よく知らなかったんじゃ」

「いいえ、そんなことありえませんわ。レンディール入りしたころからすでにでっかでかと、うちには盲目の舞姫がいるって、記事で紹介されてましたもの」

 

 すめらの当局は抜け目ない。

 盲目であること、師である九十九さまのこと、そして帝のお気に入りであること……いまやクナに関するあらゆることが、舞踊団の宣伝材料になっている。


「あらまあ、このかわら版なんて、レヴテルニ帝は、すめらの巫女を娶られるかも! って書いてましてよ」

「なにそれっ……あっ!」


 それはないとあわてて否定したクナの手から、時計がするりと落ちた。すこんと大きな音をたて、時計が弾む。焦って拾うと、ぱこんと見事に、裏面の蓋がとれてしまった。


「ああああ……」


 壊してしまったかと思い、クナはしきりに指で確かめた。もともと蓋が開くようになっていたのだろうか、割れているような感触はどこにもない。だが……。


「あらスミコ、時計からなにか出てますわ」

「え?」


 開いた時計のうらからするりと、何かが出て、クナの手をかすった。

 瞬間――


「きゃ?!」


 リアン姫が、クナの手元に悲鳴を投げた。


「く……くろ……黒髪?! 束?!」

「……!!」


 刹那、クナは時計を投げ出し、床を探った。


「く、黒髪なの?! ほ……本当に?!」


 指にあたったその束を、クナはひしと抱きしめた。手が震える。がくがくとひどく震える。

 なぜか時計をもらった時に言われた言葉が、はっきりよみがえってくる――


『小ネズミ』


 なぜネズミと呼ばれたのか。誰かにそう呼ばれたことはかつて……

 あっと思い当たったクナの顔から、みるみる血の気が引いた。

 かつて体から抜け出して黒髪様を探したとき、恐ろしいものに阻まれた。その恐ろしいものは、怒り狂って怒鳴っていた。クナたちのことを、「ネズミども」と――。 


「も、もしかして、あのときのあの獣みたいなのは……護国……そんな……」


 胸に抱いたその束は、強烈な香りがした。

 甘露に浸され、生かされてきたものが放つ芳香。

 クナの血とそっくりの、甘い匂いが。

 ゆえにクナはすぐに悟った。甘い血に染まったその髪束が、一体だれのものなのか。

 募る恐怖を和らげたくて、クナはその束をきつくきつく抱きしめた。まるで体の中に、溶かしてしまうかのように。 

 

「黒髪……さ……ま……!」 





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