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2話 大陸公報

 さやかな風がほろろと、縁側から上がってくる。

 ()月の蒸し暑さが嘘のようだ。九の月に入るや、宮処(みやこ)はあっというまに、紫明(しあ)の山おろしで冷やされた。おかげで実に過ごしやすく、百(ろう)の方のご容態はとてもよい。難なく朝議に出られるほどである。

 今朝も、病と闘う人は楚々と床から出て、くどくて長たらしい神官たちの会議にじっと耐えてきた。部屋に戻るなり、錦をひざにかけ、床に座ってふうと肩で息をする。察したアオビが、いそいで鉄瓶で茶湯を淹れて差し出した。


「九の月に入ったと思うたら、もう月が終わるか。そろそろ、しろがねたちが帰ってくるのう」

「はい、お船は、ユーグ州より無事離陸したと聞いております」


 九十九(つくも)の方につけたアオビたちは、働き者だ。こちらのアオビへと、ひっきりなしに連絡をくれる。すめらの遠征軍が使っている伝信網にこっそり乗り合わせ、情報を送っているらしい。

ひとえにここが帝都太陽神殿、すなわち、軍部の元締めであるがゆえにできる技である。


「しかし九十九(つくも)ときたら。軍を指揮するなんぞ、できるのか? はねっ返りもよいところじゃわ」

「公報には、まったく出されてはおりませんが。姫将軍の噂はじわじわ、まことしやかに広がっているようです」

外務部(月神殿)は、公式に発表なぞするまいて。女将軍なぞ、すめらの史上で数えるほどもおらぬ。しかも、嫁ぎ先はごたごたしよるし。まったく、肝が冷えるわ」 


 百(ろう)の方は眉を下げ、唇を噛みしめた。

 あの大翁さまが事を進め、準備万端送りだしたというのに。

 まさか花嫁一行が、お家の内乱に巻き込まれるとは……

 いや、大翁様はすべて丸く収まる未来を視たからこそ、孫娘を虎穴に放り込んだのだろうか。


「わらわには分からぬ……。予言などひとつも降りてこず。警告ひとつ贈れなかったこの身が、うらめしい」


 九十九(つくも)の方の気概には、舌をまくばかりだ。

 

 無理なぞするな。婚儀など、遠征など、どうでもよい、帰ってきやれ!


 思わずそう言ってやりたい気持ちに襲われてしまうのだが。しかしこたびのことには、かわいい娘の幸せがかかっている。それがゆえ、百(ろう)の方はなんとか、あふれる思いをぐっとこらえていた。


「本日出されました、大陸公報です」


 苦い茶を飲み干すと、アオビがめららと蒼い火を散らしながら、大きな (はく)書を捧げ持ってきた。

 大陸同盟が数日に一度発する、大陸共通の広報誌だ。

 石版や羊皮紙、紙や絹地など、写される媒体は国によって違うが、内容はまったく同じ。大陸諸国が公式に発表した、「世界が共通認識するべきこと」が記されている。


「公報はこの数回、ユーグ州公閣下のご結婚一色であったが……」


 壮麗な式。豪奢な祝宴。連日の催し。

 ありがたいことに、ユーグ州は事細かに、湧き立つ自州の様子を発表してくれた。

 中でも花嫁の晴れ姿の美しきことや、付き添い娘たちが見事な奉納舞を披露したことは、とくに賛美の言葉を極め、大見出しで報道された。すめらの写本師が気を利かせて麗しい挿絵を添えたので、百(ろう)の方はそれはそれは嬉しくて、目を細めたものだ。


「ふむ……今回は、ユーグ州関連のものは、何も載っておらぬの。大見出しはレンディールか」

「はい、首都で舞踊祭が始まりますので」

「芸術の秋に突入、というわけじゃな」


 レンディール共和国は西の果て、北五州をはるか南へくだった地に在る。

 国の主産業は芸術だ。絵画、彫刻、音楽、演劇、舞踊……政府は国内のあらゆる芸術団体を後援し、高度で美麗な文化を輸出している。その一方で、大陸中から才あるものたちを集め、首都に抱えて慈しんでもいる。

 ゆえに首都フロリアーレは、芸術を愛するあらゆる人々から、「輝かしい聖地」とみなされている。

 百(ろう)の方はこふこふ咳き込みながら、(はく)に写された字を目で追った。


「む? 会期中に、〈公認〉団体選考会が……開催されるじゃと?」 


 〈公認〉とは、目の肥えたレンディールの政府審査院が、「一流である」と認めること。

 何百年もの昔から、大陸屈指の芸術団体に送られてきた、栄えある称号だ。

 

「たしか国籍問わず、厳しい審査を経て授与されるものじゃの?」

「はい、大陸諸国を公演して回る団体が、こぞって欲しがるお墨付きです。レンディール政府公認となれば、観客がわんさか。後援もわんさかです」

「選考会とは……そのたいそうな称号を、こたびは競い合いで決めるというわけか。レンディールは、人々の興を集めるのがうまいのう。そうでなくとも、かの国の首都は、一度行ってみたい異国の地の筆頭じゃ」

  

 首都フロリアーレは華の都とも呼ばれ、たいへん壮麗な都として知られている。

 書物によると、紅の瓦屋根の建物がひしめき、丈高い塔が幾本も建っているそうだ。しかもそのほとんどが、劇場や音楽堂、美術館であるという。まるできらめく貴石をたっぷり詰めた宝石箱のように、そこに大陸中の美が集められているのである。


 自由な国の自由な女であれば、国外旅行というもので、かの都へすんなり行けることだろう。

 だが――このすめらでは無理だ。

 すめらの女は、国外はおろか家からすら、めったに出ることはない。巫女となればなおさらである。


 家から出る女は、はしたない。家を守らぬ女など、言語道断。


 教育を司る月神殿は、日々そんなふうに、民を教えさとしている。

 ゆえに遠い異国のことどもなど、百(ろう)の方は今までさして、気に留めたことがなかった。

 神殿でただただ、熱心に神霊術を修行するか。

 それとも後宮で帝のお渡りを待つか。

 はたまた、黒き塔にて黒髪様のお家を守るか。

 これまでは異国のことなどまったく考えず、女としての務めを果たしていればよかったのだが。


『大姫どの。巫女王(ふのひめみこ)に求められるのは、しとやかさではなく、したたかさだ。大陸公報を読むがよい。()つ国の情勢を、ぜひ、把握しておかれよ――』


 聖なる滝にて霊光殿の大翁さまにお会いしたとき、百(ろう)の方は強く薦められたのだった。


『神降ろしにて毎度毎度、神が御身に降りてくるとは限らぬ。それでも巫女王(ふのひめみこ)は、〈神の言葉〉を語らねばならぬもの。そのとき出せるご神託は、己のうちにあるもののみ。ゆえに、決して愚かであってはなるまいぞ』


 つまり、神のことばを(かた)るに足る者になれということだ。

 以来、百(ろう)の方は毎号、公報に目を通すようになった。それだけでなく、すめらの元老院や、月神殿、内裏(だいり)など、あらゆるところにこそりとアオビを派遣して、聞き耳をたててきてもらっている。

 実のところ、アオビが何十と増えてくれて、これほど便利さを感じたことはない。


「さてそろそろ、各所の朝議も終わったころか」


 公報誌を小さく畳んで枕元に置くと、百(ろう)の方はゆっくり身を横にした。

 目を閉じれば、めららと縁側に、ただよい近づく鬼火の気配がする。

 

「どこのアオビじゃ?」


 聞くと、炎は囁きで答えた。


「元老院より、アオビ四号です。火急の報を、お伝えいたします」


 報告にきた鬼火は、ぱちぱちその身を鳴らした。なぜかひどく、うろたえているようだ。


「ええとあの。本日、すめらは国家をあげて、レンディールの舞踊祭に参加することが決議されました。これより陛下の承認を得てのち(みことのり)がくだされ、月神殿が調整に入ります」

「すめらの舞踊団はたしかひとつ、〈認定〉をとっておるのがあったの。それが出るのか」

「いえ、毎年出場しておりますその舞踊団だけではなく。〈認定〉を勝ち取る選考会に、新生の舞踊団を参加させるとのことです」

    

 新生の。

 新しく舞踊団が組織されるということか。しかも国策として、国家が運営するものが。


「競り合う候補は五国にわたり、七団体ほどございます。そのひとつに、魔導帝国の舞踊団の名が出ております」

「む……ということは、それは……遠征の勝敗を占うようなものじゃな」


 レンディール政府の〈認定〉を勝ち取れば、すめらの国は多大な名声を得る。それだけではなく、魔導帝国の舞踊団を負かしたとなれば、遠征軍にとってはこの上ない援護となろう。士気がだだ上がるに違いない。

 そうなることを阻止すべく、先方が内々に、なんらかの取引を持ちかけてくる可能性もある。うまくすれば、講和条約並の結果を引き出せるかもしれない……。


「元老院の狙いはそんなところか。しかしアオビ。なぜそんなに、おろおろしておる?」


 嫌な予感がしつつも、臥した主人は鬼火にたずねた。予想が当たらねばよいと思いながら。

 しかしその願いはむなしくも、ぱちぱち燃える震え声に消されてしまった。


「大姫さまの従巫女四人。アカシさま、しろがねさま、ミンさま、リアンさま。皆さますべて、新生の舞踊団に推挙されましてございます」

「う……」

「舞踊祭の開催まで、日取りがございません。元老院は、みなさまの身柄をただちに確保すると、決議を――」

「娘らの保護者たるわらわに断りもなく、そんなことを勝手に決めよるなど……」

「あの、動議を出しましたのは……霊光殿の大翁さまで、あられまして……」 


 頭の上がらぬ相手が仕組んだことに、たちまち、百(ろう)の方はほぞを噛んだ。


「く……つまり……かわいい孫娘を援護する、そのためにか? そのために、なのじゃな?」  

 

 大翁様が噛んでいるとなれば、神降ろしをして覆そうとしても無駄だ。

 事は、あの方の思うように動かされてしまう。なにもかも、すべて――

 ばしり。

 半身を起こし、百臘の方は腹いせに床を叩いた。


「まったく、容赦も抜かりもないわ!」


 その衝撃で茶湯が入っていた茶碗がはずんで、アオビの方に転げていった。

 ころころ、ころころ。おのれが落ちるべきところが、まるで分かっているように。

 



 

 かくして。クナたちは無事にすめらに帰ったものの、帝都太陽神殿に戻ることはできなかった。

 下船してくれと勧告されたのは、航行六日目のこと。

 明日は基地に降り立ち、夜半には百(ろう)の方に会えると、娘たちみなが、待ち遠しく思っていたときだった。

 

「軍部大本営より伝信が参りました。巫女様方はすべて、須弥(しゅみ)山のふもとにある衛府に降ろせとの、ご命令です」 


 艦長が慇懃に告げるのを、四人の娘たちは驚きのうちに聞いた。

 

「そこで、今上陛下より下されます(みことのり)を、受けられますように」


 有無を言わさず、娘たちはそれから半刻もたたぬうち、船から降ろされた。

 だだ広い衛府の飛行場には、びゅうびゅう、乾いた風が吹いていた。

 クナが風くる方角を向くと、リアン姫がなんと立派な山かとつぶやいた。はるか先に、風をおろす 

山、須弥(しゅみ)山があるらしい。


「ここは、帝国で一番、由緒正しい神聖な地ですわよね」 

「ええ。たしかすめらの初代皇帝が、あの山に降り立ったという神話があります。半世紀前まで、この近くが宮処(みやこ)であったそうです。すめらの国名は、あの須弥山から取られてと言い伝えられておりますけど……」


 ミン姫がうんちくを垂れつつも、声をすぼめる。

 きょろきょろ不安がる娘たちは、かしゃかしゃ鎧の音を建てる兵士たちにいざなわれ、衛舎の中庭へと案内された。


 ふおー、ととん ふおー、ととん


 中へ入るなり、クナの耳に神楽の音色が飛び込んできた。

 たしかこれは、神話の一幕を現す神楽劇の音楽ではなかったか。初夏の大(はら)えの儀で舞った演目だ。

 

「紺色の髪……月の巫女?」

「うす蒼の娘もおりますわ。星の巫女ですわね」


 ミン姫とリアン姫が、呆然とつぶやく。

 お山の風ではない風が、クナの頬に当たった。ひゅんと身を切るような、鋭い風だ。


「つむじ風?」


 風のうねりはひとつではない。きゅるきゅる、きゅるきゅる、いくつもの渦の気配が、すぐ前から流れてくる。


野分(のわき)霜風(しもかぜ)……(おろし)!」


 風の音色が変わるたび、クナは息を呑んだ。なんと力強いうねりだろう。

 舞っているのは、相当な舞い手たちに違いない。

 自分たちがここに連れてこられたということは。舞に関することを何か、勅命で命じられるということか。

 クナがそう思いついたとき。ぱんと大きな手拍子が一度打たれ、(しょう)の音色がひたと止まった。


「いったん、そこまで」


 硬質な女の声が轟くや、たちまち風が消える。と同時に、かつかつと、固い(くつ)音が近づいてきた。


「帝都太陽神殿の、巫女王(ふのひめみこ)さまの従巫女たちですね。ユーグ州でのお務め、ごくろうさまでした。わたくしは指南役をつとめます、メノウと申します。みなさまにおかれては本日、この帝国舞踊団に入っていただくことになりました」

「帝国……」

「舞踊……」

「団……?」

「ふえっ?」


 そのようなものがあるとは、ついぞ聞いたことがない。

 しかし硬い声の女性はそれから続けておごそかに、今上陛下よりの詔を、クナたちに読み上げた。 

 ふばっと山おろしになびいたその巻物は、とても長いもののようだった。

 

「九の月吉日、以下の者たちを我が帝国の新生の舞踊団の一員と成し。すめらの栄華と栄光を、大陸すみずみ、津々浦々に広めしことを、朕は望み。この勅令を以って――」


 娘たちはただただ息を呑み、言葉を失いながら、その勅令を拝聴した。

 まさか百(ろう)の方に報告もできぬまま、拉致同然に舞踊団なるものに引き入れられるとは、まだ知らぬまま。

 そのときクナたちは、どうしてこうなったのかという事情がまったく飲み込めていなかった。

 よもやユーグ州公の祝宴で舞った自分たちが、大陸中に報道され。口を極めて絶賛され。一介の王より注目を集めて、有名な存在になっていることも。それがゆえに、大翁様が牛耳る元老院にて、名指しで白羽の矢が立てられたのだということも。まだまったく、知る由もなかった。

 この時点では、だれひとりとして。





「みなさま、驚かせてしまいまして、申し訳ございませんっ。このアオビ、深く深く、陳謝いたします!」


 その日の夕刻。衛舎の宿坊に案内された娘たちは、息せき切って現れたアオビ七号より、土下座を受けた。急ぎ百(ろう)の方から遣わされてきたという鬼火は、びたんびたん。何度も何度も頭を床に打ちつけ、事の次第を一所懸命説明してくれた。


「大陸公報の発行部数は、数千万部と言われております! すなわちみなさまは、いまや有名人なのです! 大陸中の人々が知る、超有名人なのです! 聞くところによりますと、みなさまの美しい舞い姿の幻像も、大陸中に流れておるとかおらぬとか……」

「……それで。今話題沸騰の舞い娘を入れた舞踊団を作り、レンディールの〈公認〉選考会に臨ませると。元老院はそう決めたと?」

「さようでございます、アカシさま。みなさま、本当に申し訳ございま――」

「はぁ? なんでおまえがあやまるんですの?」


 するどく突っ込むリアン姫が、憤慨さめやらぬ調子で大きく息を吐く。


「有名人ってなんですのそれ? ぜんっぜん実感がないし、帰国途中でへんぴなところに連行するなど迷惑千万ですわ。せめて太陽神殿に戻って茶を一杯飲むヒマぐらい、くださってもいいでしょうよ」

「は、はい、面目もございません。大姫さまも寝耳に水のことで、尽力する暇なく……。舞踊祭は十の月一日、すなわち来週より始まりますので、上の方々は、一刻も無駄にしてはならぬと……」

「大翁さまはイケズすぎますわ! ミンさま、あなた手紙で文句のひとつでも言ってやってちょうだい!」 

「まあ……ご隠居様の思し召しならば、私は逆らう気は……。〈公認〉を得るのはたしかに、非常な国益になりますし。我々でなければならぬと選ばれたるは、光栄なことと思いますし」

「なっ……あああもう、なんて合理的な物言いをーっ」


 リアン姫が頭をかきむしる音が聴こえる。アカシが、びたんびたん激しく頭を打つアオビを止めて、慰めはじめた。大丈夫、みな怒ってなどいない、驚いているだけだと。


「でででですが、しろがね様はひどく、悲しんでいらっしゃるようで……」


 クナはあてがわれた休憩室のすみで、ちょこんと正座してうなだれていた。

 後ろ髪を引かれつつも、すめらに帰ってきたというのに。

 まさか百(ろう)の方に会えないなんて、哀しくてたまらなかった。

 アオビの気配を感じるなり、クナは、かの人のご容態はどうかと質問攻めにした。とても具合がよろしいという答えは嬉しかったが、会えぬのはつらい。

 それに――

 クナの落ち込みの原因は、それだけではなかった。


「ああ、しろがねは今日さっそく、びしばし鍛えられましたのよ。ダメ出しダメ出しダメ出しの嵐でしたの……」


 リアン姫の声の勢いが、しゅんとすぼむ。

 「こたびのことは、外交を司る月神殿の管轄だそうだから、あちらの巫女が主導しておりますの。午後中いっぱい、あたくしたちは、ぎゅうっぎゅうに絞られましたのよ」


 四人の従巫女たちは到着早々、「帝国舞踊団」の練習に参加させられた。

 指南役のメノウなる者は、月神殿の巫女。当代随一の舞い手であり、帝都月神殿にて、月の巫女の舞を指導していたという。

 太陽の巫女たちは、他の巫女がじっと見守る中で、びしばし厳しい言葉を投げられた。

 指先がぴんとしていないだの、回転の勢いが弱いだの、体が重そうだの。

 とくにクナは再三叱られた。はじめの構えからして、なっていないと責められた。

 九十九(つくも)の方が「ええ感じや」と褒めてくれたつむじの形も、みな修正されて。そうして、とても悲しいことを言われてしまったのだった。


『こんな有様で、ユーグ公の御前で舞ったというのですか? 不格好な注連縄をつけたままで? それにいったい、だれがこんなでたらめを教えたのです? 振りも回転軸も、なんてお粗末な』 


 大事な舞の師。九十九(つくも)の方をけなされるなど、思いもよらなかった。

 ねちねち数刻も叱られ続けて、やっと解放されたけれど。明日も明後日もあんな風に言われるのだろうか。


(やだ。あの人、きらい……)


 両手でおさえている胸が、じくじく痛んでくる――


「とにかくも、皆様つつがなく、自愛せよと、大姫さまは仰られております……」


 アオビの半泣き声を背に、クナは(かわや)へ行くと言って休憩室から出た。手づたいに壁を触って進んで、窓のあいた踊り場でたちどまる。びゅうびゅう入り込む風が頬に当たった。

 クナはしばらく、そこにたたずんだ。

 須弥(しゅみ)のおろしを浴びて、すっかり落としてしまいたかった。

 つらいことも。悲しいことも。そして、芽吹いてしまった嫌悪も。

 あれよという間にここに連れてこられてしまったが。ミン姫の言う通り、これがすめらのためになるなら。すなわち、めぐりめぐって遠征軍のためになるのなら。


(がんばらないと……そうよ、がんばらないと……)


 気を落ち着かせるべく、じわとにじむ目を袖でぬぐう。幾度か深呼吸して、踵を返す。

 皆のところへ戻ろうと、ぐっと唇をかんで足を踏み出したとき。


「あ……」


 階段を登ってくる気配が、びりっとクナの頬を撫でた。

 この足音は……


「聞いたこと、ある」

                                  

 ぎんと、鋭い視線が飛んできた。穿つような、何もかも見透かすようなまなざしが。

 気圧されそうになるのをぐっとこらえて、クナは近づいてくるその圧に耐えた。

 視線は揺るがない。ずさりと容赦なく刺してくる。

 クナはおそるおそる、前に手を伸ばした。このまなざしには、実体があるのだろうかと疑いながら。

 

「大翁、様?」


 気配の中に入れた手が、空を切る。体が、ない。だがここにいるのは間違いない。 

 その確信を裏付けるものが、耳に入ってきた。その人の声が、はっきりと。


『白鷹の風は湿っていたか? 重たかったか? 軽かったか?』


 その声はいつになく冷たく、厳しかった。


『しろがねの娘よ、一体何に会ってきた? そなたの肩についているものはなんだ?』

「え? 肩?」

『それを届けてはだめだ。だから止めた。そのまま外へ行け』  

「届ける? なにを? 何かあたしについて……るんですか?」

『それが取れるまで――』


 声が遠のく。視線の圧が薄らいだ。

 

宮処(みやこ)に近づいてはならぬ』

「まって! まってください!」


 クナの手の先から、気配が逃げると同時に。

 不思議な声はびゅおうと風に吹かれて、消え失せてしまった。

 まるで、風に巻き込まれたかのように。

 


  


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