4話 兇夜
クナは夜通し、白粉くさい女性に説明された。巫女のお務めやらたしなみやら、奥ゆかしい祝詞の唱え方などを、えんえん長々と。
そうして日が変わり、ちゅんちゅん鳥鳴く朝が来て、昼をすぎたころ。
「これは裳着も兼ねたもの。そなたは本日より大人です」
なんと、簡易なれどもれっきとした、成人の儀を受けた。
まずは発達貧弱な胸に手を当てられ、祝詞を唱えられ。胸を一瞬だけ、熱く焼かれた。女性の手の熱さにびっくり仰天、眠気が吹きとんだクナを巫女たちがとり囲み、着付けが開始された。
単袴の上に、錦の衣をこれでもか。
腰に大人の証である、長くたなびく裳を結ばれた上、重い上衣を、さらにもう一枚。
立ち上がりたくとも立ち上がれぬ。動きたくとも動けぬ。ずっしりがっちり衣だるまにされてしまった。
何かを塗りこめられた髪は高く結い上げられ、棒のようなものをずさり。おそらくかんざしであろうが、これまたとても重くてかなわない。
「ああ……馬子にも衣装ですわねえ。まあ当然でしょう、物がよいのですもの」
夜通しクナを教育した女性はしみじみ。声をうるませつぶやきを漏らした。
「崋江の錦に銀嶺のかんざし。どれもすめらの最高級。ああ、マカリに着つけてやりたかった……」
雰囲気ただならぬ声に首をかしげるクナは、直後、目の玉が飛びでるほど驚いた。
「さて、名なしでは、大人になったといえませぬ。まことの御名を、かつて月の巫女姫であったわたくしが授けましょう」
「え? ?!」
動けぬクナは、首だけをふるふるおろおろ。
耳打ちにて囁かれた名の美しさも、さることながら。
女性はなんと最後の最後、クナに深く深く平伏してきたのだった。
まるで神々しい月女さまを拝するように――。
その最後の平伏に、クナは心底驚いた。
「こたびの仕儀。まこと心より、感謝を申し上げまする。わたくしのたむけがせめて、御身をお守りいたしますように」
床にじんと響いた声の、なんといたましいこと。
巫女の心得をえんえん話していた女性は、まるで鬼か雷か。何度、こっくり舟こぐ頭を修正され、鼻先で手を打ち合わされ。「しっかりお聞きなさい!」と叱り飛ばされたか知れない。
たしなみとして星辰を知らねばならないと言われ、星座と二十八宿の名を復唱させられたり、短い祝詞を覚えさせられたり。神話や歴史の話をとうとうと講義されたり。
そんな厳しい一夜漬けの教育の締めくくりに、まさか拝み伏されるとは……。
(こわいひと? やさしいひと? どっち?)
目の見えぬクナには、わからなかった。
そのとき――畳の台座から降り、床に額をこすりつける女性が、眼からはらはら涙をこぼしていたということを。クナに真実を悟らせまいと、すまぬ、というひとことを必死に吞み込んでいたことを……
迎えの輿が来たのは、日没間近であった。
月の巫女姫たちがひとりびとり八台の輿に乗せられて、紺の瓦ひしめく都通りを西から東へ一文字。ずらり並んだ輿入れ行列は、日が隠れると同時に、太陽神殿の奥殿へと行きついた。
門をくぐるときに迎え人が、「つれて参った」という意味の長い口上を述べ立ててから、そこへ至るまでの長さといったら。太陽神殿の敷地は、実に広いらしい。
不視不言不動。三苦行を行っていると申し送りされたクナは、四人の神官に座布団台をみっしりかつがれ、姫たちが並ぶ端っこへどっこいしょ。奥殿の祭壇前に据えおかれた。
とたんに始まったのは、途切れのない祝詞と、銅鑼の打音。
えんえんと続くご祈祷が始まったのだが……。
「月女さまがお怒りです!」
すぐ脇にある中庭より、恐怖に染まったうろたえ声が聞こえてきた。
月神殿の男、リンシンのものだ。クナの面倒をみたこの人は、月の巫女姫たちの付き添いとして帝都太陽神殿についてきたのである。
「この赤気、尋常ではありませぬ。本日は大変、日がお悪いと存じます。どうか日延べを!」
リンシンは他の従者が帰っても、ひとり居残り、茶を所望した。
一服を求めるは、しばし居座らせてもらうという意思表示。手荒く追い払われなければ帰らぬという覚悟である。
『姫様たちのお輿入れを見届けるお役目、わが主人より拝命いたしましてございます』
太陽神官たちにかく言上したリンシンは、落雁をひとつ渡され、中庭に通された。
庭にならまあ居てもよろしいというのが、太陽神殿の意向らしい。
しかしあくまでも、茶は出されていない。
「どうか――」
銅鑼の音が、無情に懇願の声を消した。月の色など知ったことかといいたげに。
太陽の神官たちは、庭の騒音にはまったく知らぬふり。それでもリンシンは、訴え続けた。
「どうか今宵はお取りやめを。かような夜となれば、月の乙女を娶られる柱国さまに、呪いがかかりましょう。あかね色の月など、ただごとではございませんっ」
(あかねいろ? あかね……ああ、カナイモのにおいのいろね)
カナイモの花は、あかね色。母さんは、クナにそう教えてくれた。
あの花のにおいは、大の苦手。強くすっぱく、眉間が痛くなる。それは夏が過ぎるとむせかえるように匂ってくる。牛のえさにと、家の畑で毎年育てているけれど、今年は不作だった。
あれはほんとうに嫌いだから、こっそり安堵のため息をついてしまった。だって吸いこめば、くしゃみばかりしてしまう。くさい、くさいと鼻をおさえれば、姉のシズリが意地悪く笑うのだ。
『匂いなんてしないわよ。変なこと言ってケチつけないで。イモができなきゃ、べこっこが飢えるんだからね、役立たず!』
(あたしをうって、もらったおかね……きっとやくにたつよね?)
祭壇の間の煙たさに、クナはせきこんだ。大きな器でお香をもくもく、盛大に焚いているようだ。
『三苦行は決して破らぬよう。さもなくば、そなたの家族に支払った代金を、返していただく』
迎えがくる寸前、クナはリンシンにえらく脅された。でも咳やくしゃみをおさえるのは、無理というものだ。両手で鼻と口をふさぎたいが、どうにもできない。
動くなといわれた上に、わが身に被さるは何十枚もの錦の衣。重ね衣はとても長い。手はすっぽり、ぶあつい筒と化した衣のなか。
「どうかご配慮くださりませ!」
庭からのリンシンの叫びがいっそう声量を増す。いよいよ時近しと悟り、クナはやるべきことを反芻して、おや? と気づいた。
(あたしはちゅうこくさまに、のみこんだしんれいだまをおわたしする……でもどうやって、からだのなかのしんれいだまを、だせばいいの?)
教育係の女性は、実にいろんなことを休みなく話していた。けれどついぞ、そのことは教えてくれなかったような気がする。いや。頭が船を漕いでいる間に言われたのだろうか。
(まさかあたし、ききのがしちゃった?!)
禁をやぶって隣の姫に聞いてみようか? みるまに青ざめ迷ったそのとき、クナの座布団台は持ち上げられて、みしりみしり。祭壇の裏手へゆっくり運ばれだした。
ほかの巫女姫たちも、床に足をすべらせ、クナの前を無言で進んでいく。
そうして姫たちの気配は少し進むごとにひとりずつ、神官たちに案内され、右手の方へ消えていった。
「ああ、月女さま、ご加護を……!」
姫のうちのだれかが湿った声を漏らすのを、クナは心細い思いで聞いた。
(ないてる……あたしもこわいよ。ああ、どうしよう)
クナの座布団台は一番最後、だいぶ奥へいったところで右に曲がった。
つきあたりの部屋らしきところに直進し、そのまんなかにずうん。どっしり据え置かれると、かつぎ人がそのまま、四方に座す気配がきこえた。
目の前にひとり。左右にひとりずつ。そしてうしろにひとり。
右の人が出すトツトツという打音は、クナのじいさまが不機嫌なとき、いろりの前で出す音とそっくりだ。あぐらをかいてあごに手をあて、もう片方の手でひざを叩いているのかも。
左の人がミシッと床を鳴らしてすぐに立ち上がる。右から左へ、左から右へいったりきたり、せわしない足音をたてている。
正面の人とうしろの人は、しきりに重苦しいため息をついている。数える間もなく交互になんどもなんども、まるで競っているよう。
流れる風がひとすじ、クナの左のほおを刺してきた。窓がひとつあるようだ。
壁や床は、おそらく檜。建ったばかりのような、あの独特の、すがすがしくて新しい香りがする……。
「いよいよだな」「正念場ぞ」
「無事終わればよいが」「顔を下げておけよ。目を合わせるな」
これからここに、柱国将軍閣下がお渡りになる。
なのに耳に入る言葉はなんとも不穏。なぜか警戒の気配である。しかして冷や汗たらたら焦るクナには、それを疑問に思う余裕などまったくなかった。
(たまをわたせっていわれたら、どうすればいいの?)
神霊玉は、クナの腹の中。胃を通り越したかもしれないが、お渡しする、というからには取り出さねばならない。
しかし、どうやって? まさか吐き出さないといけないとか?
聞くに聞けぬ場の冷厳さに、クナは縮み上がった。
手足の先が急速に冷えていくのは、緊張しているせい? それともここが、ひどく寒いせい?
においはよろしすぎるが、部屋はひどく冷えている。クナの衣もにおいだけはよろしすぎるが、何枚も重なっているのにちっとも暖かくなかった。
窓から鐘の音が流れてくる。ごおんごおん、低く唸るような響きだ。
「真夜中を一刻過ぎた。方々、刻がきたぞ」
正面の人が窓側へ動いてそう言うなり、あたりの空気がざわっと動いた。
「では、聖結界を張りまする」「効くとは思えぬが」
「しかし何もせぬよりは」「であるな」
りぃんりぃん
まうしろの人が息をつめ、なにかの楽器を鳴らし始める。
りぃんりぃん ぃん
とたん、クナは驚いた。なんと澄んだ音だろう。いったいどんな楽器で奏でているのか、ただの鈴とは違うようだ。
りぃんりぃん ぃん ぃん
前の音が消えぬうちにまた鳴らされて、音が重なっていく。連なりの連なりが、ふわりふわり。あたりにどんどん広がりゆく。
(なんてきれいなの……!)
クナの胸は、いっとき不安と焦りを忘れるほど躍った。
りぃん……は、いったいどれだけ連なっていくのだろう。
部屋いっぱいに音が満ちていく。空気がわななく。ふわんふわんと、部屋がゆれている。
(すごい! すごいよ! へやがふるえてる!)
もし衣で固められてなかったら、クナは踊り出していたかもしれない。だってもう、足がむずむずしている。
『天つ神の祝福を
かしこみ かしこみ お願い申す』
四方の四人が歌のような祝詞を唱え出すと。
奇跡が、起こった。
(あ……あああ?! これっ……!!)
まさしく、あの気配が降りてきたのだ。
かつて母さんがおろしてくれた、糸におりてきたあの感覚が。
みえないものが感じられる。におわないものがにおってくる。ふれられないものにふれられる。あの、魔法のような不思議な気配が。
クナは呆然と、気配の中で頬にあたる風を感じた。
(かあさん! きれいなおと! きれいなおとよ! てんのきらめき、おどるかぜ!)
視える。
はっきり視える。
この風の色は――
しかし歓喜に満たされたのもつかのま。窓から刺してくる風の色に、クナの顔は固くこわばった。
頬にびりりと、痛みが走る。
これは、月の光? だがあの静かに燃える、美しいしろがねではない。
なんと痛い。なんと鋭い。針のようなおそろしい光が、頬を刺してくる。
これが。あかね色になった月の光?
(こわい……なにこれ、すごくいたい! リンシンさんが、さわぐはずだわ)
りぃん……ぃん……ぃん
せっかくの、美しい音なのに。あの不思議な気配の中にいるのに。
クナがはあっと落胆の吐息を吐き出したとき。
「く、来るぞ」「退避じゃ!」
「下がれ!」「くわばらっ……」
どずん、ばきばきと、世にも恐ろしい音がした。クナのまんまえ、真正面から。
小部屋の外へ逃げゆく神官たちから、悲鳴がほとばしる。
どうと吹き付けてくるのは、威力ある風。何かが目の前ではばたいているような音がする。
砕けた木片がびしびし、クナの頬に当たった。
「ひいい! なんと手荒なっ」「結界がさっぱり効かぬ!」
「毎度毎度なんで突っ込んでくるんじゃー!」「また建て直しかぁっ!」
一瞬にして、あの不思議な気配が消えてしまった。
だが、それでよかったのかもしれぬ。
りぃんの余韻がなくなる瞬間、クナの頬をなでてきたのは、黒い影。部屋を破壊して目の前に押し入ってくるものが、ほんの一瞬だけ視えたのだったが。
肌に痛い月の光どころではない。それはもっともっと、おぞましいものだった。
(な!? なにこれ!? なんなの?!)
それはうごめく闇だった。
どろどろびちびち、這い回る何か。不気味としか、言いようのないもの。
形はある。あるにはあるが、腐っているかのように崩れている。
なんだこれは。
なんだこれは。
こんなものが、この世にあるなんて――
逃げなくては。
しかし体は、衣だるま。ほんの少しも動けない。
ばりばりめきめき。さらに、壁が壊されていく。座布団台座がどずんとゆれる。
ごうごう、目の前のものから、すさまじく熱い風が吹き荒れた。
いやこれは、風ではなく。
ぐおおおおおおおおおお!!
咆哮とともに吐き出された、吐息であった。
『贄ハ、コイツカ』
おぞましい声が、熱い息と一緒に飛んでくる。
「ひあああ!」
刹那。何かに力いっぱいはたかれ、クナの体はすっとんだ。重い衣の固まりごと、真横に勢いよく。したたかに壁に打ちつけられ、衣だるまの体が跳ねた。
ごつりと頭が激しく壁に当たる。床にずり落ちるとともに、目に当てられていた錦の帯がほどけて落ちた。
衣の鎧がなかったら、クナの手足はきっとばらばら。それほどの衝撃だった。
『アレェ。ナンテブアツイ包装紙ダァ』
頭が痛い。こめかみからどろどろ何かが垂れる。
(あああ……ちが……ちがでて……)
叫びたい。でも声を発してはいけないと、クナは歯を食いしばった。
悲鳴がリンシンに届いてはいけないと。
『ヘヘ。オマエウマソウ。イママデ食ッタモンヨリ一番小サイ。デモウマソウ』
恐ろしいものが、息をぶしゅう。その勢いでクナはまた壁に押し付けられ、頭を激しくぶった。
(やだ……たすけ……だれか……)
これが柱国さま? そんなばかな。かの方がいらっしゃるまえに、全然関係ない化け物が押し入ったのでは?
朦朧とするクナの首に、勢いよく熱い管のようなものが巻きつく。それがぎゅうと締まってくる……。
――「待て、屍龍!」
そのとき。おそろしいものの背後から、涼やかな声が降ってきた。
鈴の音よりも。今聴いた美しい楽器の音色よりも。なによりも澄んだ声が。
「その子を喰うな!」
一体誰の声だろう?
『ナニイッテル我ガ主。贄ヲ食ラウガ、オ上ノ命令デアロ?』
「その子はだめだ!」
(なんて、きれい……)
遠のく意識の中。クナは思った。
まるで若草を撫でる風のような。天に舞い上る、ほのかに暑い初夏の風のような……。
(うつくしい、こえ)
その思いを音にはできず、ただため息をつくと。あたりにごうごう、おそろしいものの叫び声が吹き荒れた。
『イヤダァ喰イタイ! 喰イタイ! 喰ワセロォオオオオオ!!』
裂かんとするほど地を揺さぶる、怒りの咆哮が。